4.退院まで
ようやく排泄問題が解決して、手術した場所の痛みもかなり減りました。
術後六日目はきっと楽しく過ごせるだろう。
そんな期待もむなしく。
これまで晴天続きだった天気が一気に崩れ、万全の体調とは程遠い状態だった私の身体は低気圧の影響をモロに受け、吐きそうなほどの頭痛に見舞われました。
おかげでこの日もまともに食事を摂れず、かといって頭が痛すぎて眠ることもできず、ベッドの上で目を閉じひたすらに時間が過ぎるのを待ちました。
お腹用に処方してもらっていた痛み止めは頭痛薬として使われ、それでもまったく治まる気配を見せず。
結局まともに眠ることもできず、その頭痛は退院日である翌日まで続きました。
退院当日は午前中に医師の診察があり、それで問題なければ昼食後には退院できるとのことで、早めに朝食を食べました。
前日より頭痛が多少マシになったとはいえ、まだまだ絶不調。なんとか半分ほど食事を終えたところで、看護師さんに呼び出されナースステーション前へ。
そこには私と同じように、お腹を庇うように背を丸めた患者さんが二人。
その方たちも退院前診察を受けるようで、看護師さんの先導のもと連れ立って診察室へと向かいました。
そのうちの一人がとても社交的な方で、最後の診察でまた痛い目に遭うのかしらと怯えつつ、和気藹々と前のグループの診察が終わるのを待ちました。
術後二十四時間は地獄でしたよねと盛り上がったり、一緒に待合所で待っててくれる看護師さんに向けてみんなで「看護師さんたちの優しさに救われました」と拝んだり。
よくよく聞くと社交的なその方は私たちよりさらにしんどい手術だったようで、「お腹のチューブを抜くのが一番痛かったですよね」とおっしゃってびっくり。
私ともう一人は「これ以上の地獄が…?」という表情で愕然と顔を見合わせてしまいました。
頭痛さえなければもう痛み止めを必要としていなかった私とは違い、その方は椅子に座っているのもまだきつかったようで、終始眉根を寄せていました。
そんな中で明るく話してくださるお気遣いにありがたいやら申し訳ないやら。
それから最初に私が診察室に呼ばれてしまったので、お先にすみませんという気持ちで頭を下げたら「頑張ってください!」と激励までいただいてしまいました。聖人かな。
せめてその方を少しでもお待たせしないで済むよう、爆速で服を脱ぎ診察台に上がりました。
ところで最近の医療はすごいですね。
透明なフィルムのようなもので傷口を覆って、いつでも傷口の状態を見られるようになっているんですよ。だから手術後からこの日まで、一回も張り替えることなく。
もちろん自分で着替えたりシャワー浴びたりするときに傷口や血の塊が見えちゃってなかなかグロいんですけど、ダメージが全くないんです。糸も溶けて体内に吸収されるらしく、抜糸の必要もなし。
子供の頃に自転車で転んで3針だか4針だか縫う怪我をした時は、傷口にべったり貼りついたガーゼを無理やり剥ぎ取って消毒してまたガーゼを貼って、を繰り返した末に抜糸という拷問を経たような記憶があります。あれ局部麻酔してても糸が引き抜かれる感覚があって気持ち悪いんですよね…。
最後にその診察で透明フィルムを剥がされるのですが、それすら傷口に貼りついていないため全然痛くなかったんです。
全身麻酔で行われる手術より、ガーゼの張り替えや抜糸が一番怖かったので拍子抜けしてしまいました。
フィルム内に溜まっていた血を拭われ、サージカルテープに貼り替えた後、腹部エコーで内臓の様子を見ただけで最後の診察は無事終了。
そしてまた爆速で服を着て診察室を出、あとのお二方に「全然痛いとかなかったですよ!」と言うとホッとした顔をされていました。
「おつかれさま!」「がんばってください!」と言葉を交わし合い病室へ。
最後まで元気とは程遠い入院生活でしたが、その方たちのおかげで終わり良ければ総て良しという明るい気持ちで退院できたように思います。
その後迎えに来てくれた夫と帰りの支度をして、看護師さんたちにご挨拶をして入院病棟をあとにしました。
看護師さんたちには本当にお世話になりました。
何度も優しくしてもらい、何度も励まされました。
ベッドから起き上がれただけであんなに褒めてもらえるなんて。お通じがあっただけであんなに喜んでもらえるなんて。
感謝の気持ちを形でお伝えしたかったのですが、病院の規則で手土産等受け取れないとお断りされてしまったので、今度看護師として働いている友人たちに回り廻った感謝を込めてご飯でも奢ろうと思います。
全看護師さんと全お医者さん幸せになってほしい。
そしてそのまま退院受付へ。
ある程度の覚悟はしていましたが、請求額を見て気絶しそうになりました。
高額医療制度のお世話になったので、これからはもっと頑張って働いてたくさん税金を納めていこうと思います。
生命保険にもお世話になりました。保険会社で働く友人にも奢ろうと思います。
外に出た瞬間の解放感は凄まじかったです。
車通りの多い場所なので全然空気がきれいということもないのですが、清々しさで一瞬頭痛が吹き飛びました。
駐車場まで歩くのはしんどかったですが、だからといって病室のベッドに戻りたいと思うこともなく。
夫に荷物を持ってもらい、松葉杖代わりに腕を掴み、なんとか少し離れた場所にある駐車場に到着。
頭痛を抱えたまま車に乗り込み、助手席の背もたれを思い切り倒しほぼ寝ている状態で愛しのわが家へ。
家につくと不思議と頭痛は引いていきました。
およそ十日ぶりに会った我が子は、学校から帰るなりスカした感じに「あ、おかえりー」とか言って即友達と遊びに行きました。
遊びから帰った後はめちゃくちゃテンション高く絶え間なく話しかけてきたのでたぶんツンデレです。
夕飯は退院祝いだと豪遊することもなく(腸閉塞がこわいので)、入院中利用していたお弁当宅配サービスを継続。
バーガーキング食べたいなぁとかビール飲みたいなぁとか思いましたがグッと我慢。
入院中は家事や子供のことをすべて在宅仕事の夫に任せていたため、この日も何も言わなくてもいろいろ率先してやってくれてありがたかったです。
翌日は平日だったので朝食やら子供の準備手伝いやらをして学校に送り出さねばならなかったのですが、それも全部夫がやってくれました。
やろうと思えばできなくもない程度には回復していましたが、大人しく座っていなさいと。
なんて楽なんだろう!素晴らしい!!と感動しました。
今まで全部やらせててごめん、毎日はしんどいわ、と言ってもらえてニッコニコです。
そうなのよ。傍から見てると一個一個の作業は大したことないかもしれないけど、毎日毎晩それを全部やらなきゃだとしんどくなってくるのよ。
私の方が時間的余裕が多いので全部やるのは普通だと思っていたし不満もなかったんですが、いや嘘です締め切り前とかはおまえもやれやとか思う時もありましたが、まあでもそれなりに労力を使っていると分かってもらえただけでかなりすっきりしました。
こうして多少の変化はありつつも、ガンで入院していたとは思えないほどあっさり日常生活に戻りました。
しばらくは経過観察で通院することになるようですが、抗がん剤治療なしで腸閉塞や感染症などに気を付けること以外は問題なさそうでホッとしています。
子宮も卵巣もなくなりましたが落ち込んだり悲観することは一切なく、むしろ生理なくなってラッキー、更年期障害も体力あるうちに終わりそうだし閉経前の5年分の更年期障害期間がなくなってお得、とか前向きな気持ちしかありません。
年齢的に健康に気をつけなくちゃなぁと食生活や運動習慣を見直し始めた矢先の出来事だったので、本当に人生何が起きるか分かりませんね。
友人や家族の「病院行け」は絶対聞いた方がいいです。
自由業でも定期的な健康診断は絶対行った方がいいです。
「特に問題ないですね」と言われるために行きましょう。
病院は面倒だし高いですが、「安心」を買うために行きましょう。
通院死ぬほど面倒だと思っている自分にも言い聞かせてます。
再発こわい。
そして最後に声を大にして言わせてください。
私4キロやせました!!
間違いなく不健康な痩せ方なのですぐ戻るとは思いますが、それまではこの余韻に浸りたい。
そしてそれ以上増えないように気をつけます。
入院日記はこれで終わりですが、最後に入院中持っていってよかったものやいらなかったものを書いておこうと思います。
ご本人やお身内の方に入院予定がありましたら、参考にしていただけると幸いです。