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2.入院初日から手術後2日まで

入院初日はいわば準備日でした。

特に何もやることはなく、採血や血圧計測など、簡易な検査以外はやることなし。

直近の期限のあるお仕事は一旦すべて片付いていたので、持ち込んだノートパソコンでのんびりウォーキングデッドなど見つつ過ごしていました。


翌日は手術のため朝食と昼食抜き。

経口補水液と栄養剤的なゼリー飲料をいくつか飲むように指示され、一件目の手術が終わるのをドキドキしながら待ちました。


看護師さんと手術室に向かう間、こちらの緊張をほぐそうとたくさん話しかけてくれました。

夫がすでに自分の持ちネタにしていたのでいいかと思い、手術説明で夫が倒れたという話をしたら「すごく仲良しなんですね!」とポジティブに返されて感心してしまいました。

私も見習いたいです。


手術自体は全身麻酔なので不安はなかったのですが、全身麻酔の前に背中に細い管を入れて、自分で痛み止めを使える装置を装着するという手順があるので、それがものすごく怖かったです。背中に管って。

私が死にそうな顔で麻酔科の先生と助手さんに管を通されている間、ノンデリ先生はもう一人の助手さんと楽しそうに談笑していました。

看護師をしている友人が「外科医なんて最低だよ、手術しながら前日の合コンの話とかしてるんだもん」と言っていた時に、確かに自分の手術の時にそんな話されてたら嫌かも……とか思っていましたが、まったく緊張感のないその様子に逆に安心してしまいました。そんな片手間感あるくらい慣れた手術なんだな、と。

背中に無事管を装着し、「それじゃ始めますね」とごく軽い感じで言われたのを最後に、私は意識を手放しました。


次に目が覚めた時には自分の病室で、寒さのあまりガタガタ震えていました。

そばについていてくれたらしい看護師さんに聞かれるまま朦朧とした意識でいろいろ答え、背中の管に繋がった痛み止めスイッチの使い方を教えてもらい、時間を聞いたら17時と答えてもらったことを覚えています。

そこからはもうただ痛いということしか記憶にないです。

結局なんの病気だったのかどんな手術をしたのかも分からないままでした。


意識は朦朧としているのに痛すぎて眠ることもできず、寝返りどころか身動きひとつできずただ凍えるのみ。

ようやくウトウトしかけたところで、喉の筋肉が緩むのか気道が塞がった感覚でハッと目覚め、また痛みに苦しむ数時間。

全身麻酔の後、喉に呼吸用の管を通すという説明を受けていたので、たぶんそのせいで喉がいつもより腫れているのでしょう。

途中何度も看護師さんや麻酔技師の方が出入りしていたような。

日が暮れていき、消灯時間を過ぎ、眠れないまま人の出入りが減ったころ。


突然ビキッと右肩が痛み出し、すぐに激痛へと変わり、その痛みのせいで力んで手術で閉じたばかりの腹も痛み、耐え切れず絶叫していました。

個室にして良かったと心から思いました。大部屋だったら迷惑過ぎるこの女。


即座に腰の管に繋がっている痛み止めスイッチを押しましたが、当然腰回りだけしか効かないので肩の痛みがおさまるわけもなく、悶絶してナースコールを押しました。

駆けつけてくれた看護師さんに泣きながら痛みを訴え、点滴による痛み止めをしてもらうことに。

準備に少し時間がかかるようで、その間病室で一人、「痛いぃ……ひいぃ……痛いよぉ……」と呻き続けていました。妖怪か。

声を出さずには耐え切れませんでした。

個室の防音が結構しっかりしてたんで大丈夫だと思いたいですが、もしこの声が聞こえてて隣室の方がホラー耐性なかったら完全に恐怖体験ですよねこれ。心底申し訳ないです。


ほどなく点滴の痛み止めが効き始め、ついでに睡眠導入剤も混ぜてくれて、おかげでようやく少しの間激痛から解放されました。

結局喉が塞がってまた目が覚めてしまいましたが。


この夜のことが心の傷となり、そこからはもう少しでも痛いのが嫌で、喉が詰まってハッと意識が覚醒するたびに、耐えられる痛さにも関わらず腰のスイッチを押していました。

それがさらなる地獄を生み出すということも知らずに。


ようやく夜が明けて、腰の痛み止めをフル活用しつつなんとか意識がはっきりしてきたところで朝食が運ばれてきました。

胃腸には影響がないため、ごはんが緩めな以外は普通食です。

しかし痛み止めを使ったところで起き上がれるはずもなく、ベッド上部を少し上げてみましたが痛すぎて10度くらいしか角度をつけられず、ほぼ寝そべった状態でスプーンで何度か口に運ぶと力尽きました。

手術当日は丸1日何も食べていないのに空腹感もなく、とにかく寝たいという気持ちのみ。


その後ノンデリ先生が様子を見に来て、予想通り境界悪性だったこと、卵巣と子宮を全摘出したけど抗がん剤治療の必要もなく、再発の可能性もほぼないということを教えてくれました。

境界悪性の中でも色々と種類があり、その中のなんとかって病名を言われたのですが長くて覚えていません。その後も先生来るたび聞こうと思っていたのに完全に忘れていたことに今気づきました。なんの病気だったんだろう。

とにかくノンデリ先生が「ガン保険適用されるよ!」とハッピーな笑顔で言っていたので、卵巣がんなのは間違いなさそうです。

私もその時には「わーい!」と返せるくらいには元気も出てきました。

本当にガンだったんだーでももう大丈夫なんだーとどこか他人事でした。

腰の痛み止めをもりもり使いながら、少しずつ手術が無事終わったという実感と安堵を覚え始めました。


そして入院予定表ではなんと、術後1日目から歩行練習をするというスパルタ仕様。

またもやほぼ食べられない昼食を終え、動かなかった右足に感覚が戻り始め、左足も膝から下が辛うじて動くまでに回復してきたころ。

足の痺れがなくなったら歩きましょう!と看護師さんに促されました。

左足の痺れが一向になくならない、膝から上が上手く動かせないという旨を説明したのですが、痛みにビビっているだけと思われたのかもしれません。

まさかまったく動かない状態とは思わなかったらしく、とりあえず支えますので立ってみましょうか、と言われてしまいました。

右足が動いて左足も膝から下が動くなら立てるのか?と半信半疑のまま、看護師さんの補助を受けて両足を床に下ろし。

支えられたまま立ち上がった瞬間、ベターン!と勢いよく床に崩れ落ちました。

激痛で死ぬかと思いました。


大慌てで看護師さんに助け起こされ、なんとかベッドに戻ることに成功。

どこにも力が入らずほぼ死体状態の成人女性をその身一つで担ぎ上げるその力強さに「強い…かっこいい…好き……」となりました。


その後左足が全く動かないことでにわかに騒ぎが大きくなり、他の看護師さんや看護師長さんらしき女性、それに麻酔技師さんたちが次々に様子を見に来て原因究明に乗り出しました。

なんかヤバいことが起きてる?と気が気じゃない私に、看護師長さんらしき女性はすぐにその不安を感じ取ってくれて「大丈夫よ、このまま動かなくなるとかは絶対にないから」と頼もしい笑顔で保証してくださいました。好き。


結果、腰の痛み止めの使い過ぎが問題だと。

それはそう。


腰のスイッチは連続で押せないようになっていて、一度押すと一定時間押せなくなり、また使っていい時間になるとスイッチが押せるようになるという仕様なのですが、私のやつは押したいと思うタイミングでは必ず押せる状態で、連続で使うこともできていたように思います。

まあ単純に使える状態だからと言ってそんなに大量に使う患者がいるなんて想定していなかっただけという可能性が断然高いですが。

それでまぁ使いたい放題使っていたわけですが、管に繋がった痛み止めの液体を入れたボトルを見たら、術後1日目ではありえないほど量が減っていたと。


そんな……だって……押せるなら押すじゃん……痛いの嫌だもん……と内心悪いことした子供のようにびくびくしていたら、別に怒られるとかはなかったんですが、この痛み止めはもう使うのやめましょうということになって。

絶望です。

怒られた方がマシでした。

術後3日目で外す予定の痛み止めを、1日目の時点で外すなんて。

どう考えても狂気の沙汰。


しかし術後1日でも早く動くことが早期回復のカギとなるため、無情にも腰の痛み止めは取り上げられてしまいました。

幸い、痛み止めを使うのをやめて数時間で効果は表れ、左足は無事動き始めました。


そして猛烈な勢いで痛くなっていく手術箇所。

燃えるような激痛に耐え切れなくなり、スイッチ押す回数減らすと誓うのでもう一度腰の痛み止め再開できませんかと半泣きで相談するも、腰の痛み止めはなにやら相当特殊な手続きが必要らしく、また手術をするくらい大変な手間と時間がかかるのでちょっと……と希望を打ち砕かれ。

一応点滴でも痛み止めを入れることはできるということでやってもらいましたが気休め程度にしかならず、また持続時間も短く、一回点滴したらその後四時間だか六時間だか間を開けなきゃいけない、ということで、ただただ痛みに耐え続ける羽目に。


結局一睡もできないまま一晩中激痛と戦い続け術後二日目。

朝食の時間になる頃には痛みに慣れたのかずんずん身体が回復しているのか、耐えられないほどではなくなってきて、心が穏やかになっていました。

人間の適応力と回復力ってすごい。


こうしてようやく両足がしっかり動くようになり、少量の朝食をお腹に入れ、いよいよ一日遅れの歩行練習開始。

腹筋に力を入れると激痛なので、手足の力でなんとか起き上がらなければなんですが、どこにどう力を込めれば起き上がれるのかが全く分からない。

ベッドの上、ひっくり返された亀のようにジタバタのたくたともがく私を、お忙しいだろうに看護師さんが急かすこともなく温かい目で見守り応援してくださいます。

汗だくになりながらやっとのことで起き上がり、なんとかヨタヨタと歩くことに成功。

トイレまでたどり着くことができたということで、手術後から刺さりっぱなしだった尿道カテーテルを外してもらえることになりました。

ついでに腰の痛み止めももういらないよねってことで、背中から管を抜かれてスッキリ。

ずっとくっついていた心電図のコードも取り払われ、かなり身軽になりました。


この後も出来る限り歩いてくださいと言われ、まだまだ痛む腹を抱え、ベッドから起き上がるのがあまりにも苦痛な中、トイレで仕方なく立つときだけでも歩こうと必死で頑張りました。頑張らないと腸閉塞になるって聞いていたので。もう一度腹を開けるなんて冗談じゃない。だったら今苦しむ方がマシです。


ヨチヨチと伝い歩きの赤子のような足取りでなんとかトイレより少しでも多く歩き、歩行初日はなんとか合計500歩くらい歩きました。

一晩痛みに耐え続けたおかげか、このくらいならわりと平気では?という気持ちになってくるから不思議です。

あの夜の痛みが私を強くした。一度は言ってみたいセリフです。

でも痛みに慣れただけでもちろんずっと痛いです。起きるのも寝るのも痛い。寝るのも痛い。ご飯食べるのも痛い。息するのも痛い。


夜には検温にやってきた看護師さんにお小水とお通じの有無を聞かれ、お通じありませんと答えたら「ガスが出ているならとりあえずOK。念のため下剤使いますか?」と問われました。

ネットで下剤使うようになるとだんだん下剤なしでは出せなくなるという情報を見たので、自力で出せるように頑張りますとお断りしました。


馬鹿でした。

それがまた別の地獄を招くことになるとも知らずに。

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