1.病気発覚から入院まで
2023年の終わりごろから、半年ほど生理が止まりました。
妊娠の可能性はないですし、30歳半ばで閉経したという話をネットで何度か見かけたことがあったため
私もそれだ、早めに生理上がってラッキー、なんて呑気に思っていました。
実際PMS(月経前症候群)や生理痛で一ヵ月の半分以上が体調よくない、みたいな状態から解放され、とにかく楽になったということしか考えていませんでした。
ある日友人二人と飲んでいた時に「この歳で閉経したわガハハ」と酔っ払い丸出しで言ったところ
「いや他の病気の可能性あるからはよ病院行け」と至極真っ当なことを言われ、そこでようやくハッとしました。
安全性バイアスってやつですね。
近所の産婦人科病院で診てもらうと、本来1㎝程度の卵巣が3㎝ほどに肥大しているとのこと。
ただ、この程度のことはよくあることだそうで、血液検査の結果も、ついでにやってもらった子宮がん検査の結果も問題なし。
検査から結果が出るまでの2週間の間になんと生理も再開し、とりあえず半年様子を見ましょうということで一安心。
ここで一安心してしまったせいで油断した私は、半年後に受診することなどすっかり忘れ日々を過ごしていました。
検査からちょうど半年を過ぎた頃、今度は生理が一ヶ月止まらなくなりました。
そこでようやく半年後に来いと言われたのを思い出しました。
とりあえず痛みもないし今月いっぱいが締め切りのお仕事が終わったら行くかーと、面倒な気持ちで先延ばししつつ再度前回の病院へ。
予約した翌日くらいに血が止まって、早まったか?と思いつつもちゃんと行きました。
その時の診察で、卵巣の大きさが前回の倍の6㎝になっていました。
これはちょっと詳しく見た方がいいかもねということで、急遽MRIを撮ることができる大きめな病院の紹介状をもらうことに。
ただその時点では全然深刻な感じではなく、筋腫とかチョコレート嚢胞とかの可能性があるから、といった軽い言い方でした。
翌日、人生初のMRI検査を受け、データを持って後日最初の病院へ。
しかしMRI写真を見ても、エコーで見た「卵巣が肥大している」という以上の情報は得られませんでした。
お医者さん曰く、卵巣は本当に分かりづらい臓器らしく、正直なところ開いてみないと正確なところは分からない病気が多いとのこと。
ただ、すぐに手術というにはまだ情報が少なすぎるので、今度はさらに詳細に臓器の状態が分かる造影剤MRIというのを撮った方がいいということで、さらに大きな病院への紹介状を書いてくれました。
後日紹介先の大病院で問診を受け、日を改め造影剤MRIを撮ることに。
前回のMRIから一ヶ月も経っていません。まさかこんな短期間に二回もやることになるとは。
2025年になってから病院と名のつく場所に足を運ぶのがすでに十回近かった気がします。
それだけ診てもらっていたにも関わらず、先生が「ちょっと分かりづらいだけでそんな深刻なものじゃないから心配しなくていい」とおっしゃったので、言葉通り全然心配しないまま心穏やかに次の予約までの日々を過ごしました。素直。
そして結果を聞くために一週間後にまたその大病院へ。
前回とは違う先生で、より腫瘍に特化した方だとか。
その先生がなんというか、ものすごく気をつかって言葉を選んでくださるんですが、とにかく何を言いたいのかはっきりしない。はっきりしないんだけど、はっきりしないせいで逆にもう答えを言われてる気になる不思議仕様でした。
「えー、その、まだはっきりとは言えないのですがちょっと……うー、ただあの、必ずしも悪いものであるというわけでは……良性の可能性もありますし……その、決して生存率が低いというわけでも……ただやはり卵巣は本当に分かりづらいのでさらなる検査が必要で……でもこの感じだと手術が……」
と、ずっと目を合わせてくれないまま、核心に触れないように触れないように、私がショックを受けないように頑張ってくれていました。
たぶんすごく優しい方なんだと思います。
思いますし、その気遣いはすごくありがたいものの、私は死ぬなら死ぬでスパッと言って欲しい派のため「つまり悪性なんですね?」「余命宣告とかされる系ですか?」みたいなことを聞きました。すごく困らせてしまい反省しています。
ただ本当に卵巣って難しいらしく、何かを確定させてしまうような言い方はできない模様。
卵巣は「沈黙の臓器」というかっこいい二つ名があるようで、外から見える変化も自覚症状もないまま病気が進行してしまうということがあるのだとか。
今回の私のように、生理が止まったり止まらなかったりという分かりやすい症状がある方が珍しいのかもしれません。
それさえPMSがなくなったり生理症状自体は軽かったり、むしろ普通に生理が来てた頃より快適で、友人に言われなかったら確実にスルーしていたはず。
他にも
・ウェストがきつくなる(卵巣肥大した分)⇒中年太りと思ってスルー
・卵巣に膀胱が圧迫され頻尿になる⇒もともと頻尿。膀胱炎になりやすい体質でスルー(むしろ泌尿器科行って薬もらって安心してた)
という感じの些細な変化しかありませんでした。
そして明言はされないまま次は造影剤CT検査というものを受けることに。
その場でその日に検査の予約をねじ込んでくれて、採血や検尿なども一緒に、その日できる限りの検査を受けて、結果は二週間後に、ということで帰りました。
夫にはこれまでの経過も逐一報告していたのですが、お互い楽観視していたのに急に良くない方向に舵を切られてしまったことにショックを受けていました。
その日は眠れなかったそうです。
私は今悩んだところで病気の結果が変わるわけじゃないし、と思考停止した結果ぐっすり寝ました。
雑な神経でよかった。
ところがその翌日、病院から電話が。
結果は二週間後と言いましたが、すぐにお伝えすることがあるのでできるだけ早めに来院してくださいとのこと。
うわーこれもう確定じゃんと思いつつ、翌日に行けることをお伝えしました。
こういう時自由業で本当によかったです。
さすがにその日はなかなか寝付けませんでした。
自分がガンになったら、余命わずかと宣告されたらどう思うんだろうという想像をしたことはこれまで何度かあります。
泣き喚くんだろうかとか、案外冷静に受け止められるんじゃないかとか。
そのどれとも違って、やっぱり「考えても仕方ない」と思考放棄して結局寝ました。スマートウォッチの睡眠計測見たら5時間寝てました。結構寝とる。
翌日、余命宣告される前提で夫と共に病院に行きました。
気遣い先生とはまた別の先生が担当で、今度は悪性腫瘍特化の先生とのこと。
結果から言うと、お腹を開くのが確定したというだけで、悪性かどうかはまだ判断できず。
まだ良性の可能性もあるが悪性腫瘍の可能性もあり、その中間である境界悪性という可能性が最も高い、と非常に明快な説明を受けました。
手術の内容としては、まずお腹を開けて、卵巣から細胞を採取し迅速病理検査というものに回し、40分ほどで判明するのでその後そのまま切除などの手術になるとのこと。
良性・悪性・境界悪性それぞれの手術パターン(どこまで切るか、何を切除するか、など)を詳細に説明されました。
その内容のグロさに倒れました。夫が。
婦人科の診察室からなぜか車椅子に乗せられた男が脂汗びっしりで運び出されていくという謎の光景に、先生は「旦那さん繊細なんですね……ww」とプークスしていました。
さてはおめぇノンデリだな?と思いつつ、そのくらいの方がはっきり言ってもらえて助かるので私一人で続きを聞きました。
それから手術の日程を決める段になって、普通は2週間後とかしか予約取れないんだけど、ちょうど4日後が偶然1件空いてるから都合が合うなら、と言われ、一も二もなくお願いしました。
さすがに二週間も結果分からないまま待つのは嫌だったので。
それに悪性だった場合、その二週間の間にも急速に進行するだろうなと。
その後回復した夫と麻酔科の先生に麻酔の説明を受けに行くことに。
唐突に職業を聞かれ、咄嗟に「あの一応小説書いてますデュフ」みたいな気持ち悪い返事をしたら、先生がすごいいい笑顔になって「ボク小説大好きなんですよ! 取材でしたらいつでも遠慮なく言ってくださいね! なんなら登場人物として出していただいても構わないんで!」と気さくにお話ししてくださいました。
基本ファンタジーなので大抵魔法で治ってしまうんですとは言えず「余裕があったらありがたくインタビューさせていただきますね」と曖昧な笑顔でお礼を述べました。
その日のうちに入院手続きをしました。
個室か大部屋かの希望を聞かれた時、個室の値段に度肝を抜かれましたが、出産時に大部屋にして他人の生活音や自分が生活音をなるべく出さないよう気をつかいまくった結果、一週間ほとんど眠れずヘロヘロになって大後悔したのを思い出し、夫に後押しされ個室を選択することに。
図太いくせに神経質とか、我がことながらよく分かりません。
帰ってからはその月いっぱいの締め切りのお仕事を急ピッチで仕上げ、バタバタと入院準備を済ませました。
子供には怖がらせないよう不安がらせないよう配慮しつつ、「病気が見つかって十日くらい入院することになったけど(すぐに)死ぬわけではないから大丈夫」と説明したら、そんなに長く離れるのが初めてだったのでわんわん泣かれてしまいました。
つられて寂しくなって「十五歳未満は病室まで行けないんだけど、入院当日一緒に病院まで行く?(ギリギリまで一緒にいる?)」と聞いたら泣きながら「行かない……」と断られました。いや行かないんかい。
たぶん車酔いしやすいのに片道三十分、知らない人が大勢いる中一人待たされる不安、そしてなにより家でゲームがしたい、というのが大きいだろうなと分析しています。ゲームに負けた。
翌日、自分の寂しい気持ちよりも私の病気や手術の内容が気になったらしく、詳細を尋ねられたのでなるべくオブラートに包みながら答えたら、今度は怖くて泣かれました。
念のためもう一度「一緒に病院行く?」と聞いたら「行かない…」と。行かないんかい。
本格的に病気の可能性が出てきてから約一ヶ月。
思い悩む余裕も感傷に浸る間もないまま入院が決まり、病名が分かる頃にはすべてが終わっているという、なんとも慌ただしい日々でした。