日常(仮)
あんなことがあった次の日の朝、私はやはりあの出来事が現実であったのだと思い知る。最近は初夏になってきたため起きるといつもじんわりと汗をかいていたのに、それが嘘のように今日は肌がさらりとしている。でも仮の身体とは言っても発汗などの身体の調節器官までも動いていないとなると傍目から見ると不自然ではないだろうか。そんなことを考えているとふと昨日の案内人を名乗る男の言葉を思い出した。
『これからその身体で生活していくうちに魂が徐々にその偽りの身体に癒着していくだろう。そうすると体感上は今まで通りに過ごすことができる。』
確かにあの男はそういった。つまり今はまだ身体としての機能が万全には働いていないが、そのうち元の身体と同じような状態になるということだ。
ベッドから身体を起こし、地面に足をつけ力ををこめて立つと今までよりも身体が軽く感じる。不思議な感じだ。こんなに普通に動けているのに実際は私は死んでいて、謎の力で蘇りかりそめの身体で生活を始めている。こんなこと、人から聞いたなら絶対に信じない事象だろう。
コンコンと軽いノックが鳴る。
「美命?起きているの?昨日も帰ってきてからご飯も食べず様子が変だけど大丈夫なの?体調が悪いなら学校は休む?」
事情を知らない母は優しく身体をいたわってくれている。しかし、もうここには私の本当の身体はないのだ。ドア越しに心配してくれる母に少し申し訳なさを感じる。
「おはよう、お母さん。大丈夫だよ、ちょっと疲れちゃってただけ。朝ごはんは食べるね。」
母に返事を返しつつクローゼットを開ける。あんなことがあっても変わらず学校へ行こうとしている。ブラウスを取り出し、するりと腕を通す。スカートを履き、襟に着けるリボンをくくる。もう暑いのでブレザーは身に着けない。この制服も事故に遭ったときにぼろぼろになっていたはずなのにきれいに元通りになっている。本当に理解できない。考えれば考えるほど意味が分からなくなる。
リビングへ降りるとパンの焼けるいい匂いが鼻腔をくすぐった。机の上にはいつも通りパンと目玉焼きとウインナーにサラダが並んでいる。
「いただきます。」
綺麗な形をした目玉焼きを半分に割って口に運ぶ。
「…ん?」
「え?どうかしたの?」
思わず声が漏れる。口に入れた瞬間、いつもなら感じる味を感じ取ることができなかった。まさか身体が馴染むまでは味覚も鈍感になるのか。母は不思議そうな顔でこちらを見ている。
「何か変な味でもした?焦がしたつもりはないんだけれど…。」
「いや、何でもないよ、いつも通りおいしい。」
「そう。」
母はほっとしたような顔をして洗い物を続けた。
気をつけなきゃ。まだこの身体に慣れていないからいつも通りに生活していると違和感をぬぐえない。母にあんなことがあったといっても信じてもらえないだろう。例え話したとしても頭がおかしくなったと思われるだけだろう。余計な心配もさせたくない。
ご飯を食べ終えてスクールバッグを手に取る。
「行ってきます。」
「行ってらっしゃいー。」
玄関の扉を開けて学校に向かう。
そういえば昨日案内人の男は『詳しくは他の武装乙女に聞け』的なことを言っていたけどどこにいるんだろう。というかそもそも武装乙女って…なんでそんな禍々しい名前なの?しかもなんか同じ武装乙女を排除するとか物騒なこと言ってたよねあの人…。しかも能力がどうとか話してたけど、起きてから今までそんな能力らしき力なんで使えてないし、そもそもどうやって使うのかすらわかっていない。とにかくあの人にはもう接触できなくなっちゃったからには私以外の武装乙女を探して話を聞くしかない。そんなことを考えていると学校についた。
「美命ー、おはようー」
「おはよう、真白」
クラスメイトで仲がいい東雲真白がこちらに駆け寄ってきた。学校も始まるから一旦思考を放棄することにした。
午前の授業を終え、午後の授業を受けていると不思議な感覚がした。身体がぞくりと震え、全身が変に熱いような感覚に陥る。
「……何?」
周りを見渡すと様子がおかしいことに気が付いた。
クラスメイトの誰一人としていなくなっているのだ。
「何、これ…どうなってるの?みんなどこへ消えたの?」
ガッシャーーーーーーン!!!!!!!!!
突如鳴り響いた窓ガラスの割れる音に思わず耳を塞ぐ。パッと前を向くとそこには窓ガラスを割って飛び込んできたであろう一人の少女がこちらを訝しげに見つめていた。脳の処理が追い付かず、何も言葉を発することができないでいると少女が口を開いた。
「あんた、どっち?デリンクなの?それともただの武装乙女?」
「デ、デリ…?」
この少女が何を言っているのか全く分からない。ただ、武装乙女という言葉だけははっきりと聞き取れた。この子、武装乙女について何かを知っている。
「は?あんたもしかしてそんなのも知らないの?」
「そんなのもって…私、昨日武装乙女?になったばかりなんです。あの、教えてくれませんか?武装乙女についての情報を」
「はぁ…面倒なことになった…なんで私が説明しないといけないの、けどここで放っておいて野垂れ死にされるとさすがの私でも寝覚め悪いし…仕方ないからある程度は教えてあげる。あんた悪い奴じゃなさそうだし。」
「あ、ありがとう…?」
「ま、とりあえず座んなよ。」
そういうとその子は教室の椅子を持ってきて私の正面に座った。私も自身の椅子を引いて座った。
「じゃ、一応自己紹介しとくね。私は橘澪央。この学校の二年四組、だからあんたとは同級生ってわけ。で、私はあんたと同じ武装乙女。とりあえずよろしく。」
「あえっと、私は二年二組の泉奈美命です。よろしくお願いします。
「あーいいいい、敬語なんて使わなくていいよ。同級生だしそういうのだるいでしょ。あと呼び捨てでいいから、私も呼び捨てにさせてもらうねー。」
「わかった。じゃあ早速なんだけど、武装乙女って何?澪央は何をしているの?私たちは何をすればいいの?さっき言ってたデリンクってなに?」
思わず質問だらけになってしまった。
「ちょちょちょ、まってまって!多いよ、とりあえず一つずつ答えていくけど私もすべてを知ってるわけじゃないから、その点は理解してて。まず、武装乙女についてね、うーん…何から教えるべきかな。」
澪央は顎に手を当てて悩む素振りを見せる。
「ねえ、どうして武装乙女って言われているの?何をしているの?みんなは。」
「そうね、そこから話そうか。武装乙女、それはそのままの意味だよ。」
「そのまま?」
澪央の言葉に頭の上に疑問符が浮かぶ。
「そう、私たち武装乙女は武装して戦う乙女なの。自分だけの能力を使って暴走した武装乙女を鎮める。」
「自分だけの能力?それに暴走って…?」
「あんたももらったでしょ?その身体になったときに、案内人から。」
そういえばあの男の案内人がそんな感じのことを言ってたような気がする。けれどそれがどんなものでどうやって使うのかもなにもわかっていない。
「その与えられた力は自分が生まれ持ったような感覚で使いこなせる。その時になれば使ってみるといいよ。そして武装乙女の暴走、それについても説明しなきゃね。さっき言ったデリンクっているのはデリンクウェントのこと。」
「デリンクウェント…?」
「そう、デリンクウェントっていうのは暴走した武装乙女のこと。そもそも私たち武装乙女の使命はそのデリンクウェント、つまり暴走状態の武装乙女を討伐することだからね。」
さっきも言っていた、武装乙女の暴走。そうは言うけど私たちも同じ武装乙女。私たちも暴走する可能性があるということなのか。
「どうして暴走するの?私たちとおなじ武装乙女なんだよね?」
「そう…私たちと同じ。でもどうしてデリンクになってしまうのか私にもまだはっきりわかってないの。ただ、デリンクになった武装乙女を放っておくとまずいことになることだけはわかる。」
「なるほど…とりあえず大まかなことはわかった。ありがとう。それで…ここはどこなの?みんなはどこに消えたの?」
そう、さっきから普通に話しているけどここは不気味な空間だ。いつもと同じ場所にいるはずなのに誰一人としていない。ついさっきまで一緒に授業を受けていたはずのクラスメイトが一瞬の隙に忽然と消えてしまったのだ。
「そうだ、それも説明しなきゃいけないよね。ここはウラの世界なの。ウラの世界では現実の世界に干渉することはできない。そして逆もまた然り、ここでは現実世界の影響は受けない。ま、そうじゃなかったら死人がたくさん出ちゃうからね。」
し、死人…あまりの壮絶さに声が出ない。
「ここには基本的に自分の意志でいつでも来ることができる、武装乙女ならね。それに自分のタイミングで元の世界に戻れるようにもなる。ま、そこは慣れだね。今回はなぜか美命だけ自動的にこっちに来たみたい。」
ウラ…なんだか現実味の薄い話のように感じる。だけど実際に自分の身に実際に起こっていることだから信じるしかない。
「教えてくれてありがとう、何もわからなかったからほんとに助かった。だけどまだまだ不安多いからよかったらでいいんだけど…連絡交換しない?」
「ま、これも何かの縁だね。いいよ、向こうに戻ったら交換しよっか。本当はあんまり武装乙女は群れないほうがいいんだけどいまさらだね。せっかくだし次ウラに行ったら実戦も試してみよっか。じゃ、戻ろうか。とりあえず戻る方法はまた教えるから今回は手を握って。連れてく。」
そういった澪央はこちらに手を差し出した。私はその手を取って元の世界に戻ってきた。