第52話 水の龍
水流にもまれながらも、梓の中に恐怖心はない。水が自分の味方であることは気配からわかり、水流の中で冷静に戦場を見付けることが出来た。
(バリアみたいだな、この水。……大輝は今戦っている。七海さんたちはあの人形と、りゅーちゃんは大丈夫。あとは俺が)
俺が、この水の力を操れるようになることが大事だ。七海たちの戦いを眺め、梓はそう思った。
近衛倭は、一旦優たちが引き受けてくれている。ヴィルシェはその姿が少しずつ薄まっていることから、もう立ち上がることはないだろう。
梓は両手を前に突き出し、目を閉じる。水流を感じて、それが自分の体にまとわりつく感覚を思い出す。するとどうだろうか、ギュルルッという音に目を開けば、水流の一部が梓の思い描いた通りの動きをした。
(いける!)
気を逸らせず、慎重に、けれど大胆に。梓は水流に自分の気を乗せるイメージで、指示を伝えた。
「水よ。……近衛倭を捕らえろ!」
梓の指示を受け、水流が水の柱から噴き出す。曲線を描きながら、水流は水の龍に姿を変えて吼える。龍の通った場所は水の粒が降ってずぶ濡れになるが、下から見上げる七海たちは動かない。
「龍!?」
「水の、龍だ」
「近衛倭を追ってる。…僕らも行こう!」
誠の言う通り、水の龍は近衛倭を追う。
近衛はいつの間にか、梓から距離を取っていた。梓は気付いていなかったが、水流の柱からは古代から紡がれ閉じ込められてきた四家の一つ力が放出されていた。人形や獣は当然近付けず、近衛も近付くことを避けたのだ。
「くっ」
近衛倭は水の龍から逃げながら、人形や獣を用いて水の龍を退けようとする。人形たちは感情も意思もなくただ主である近衛の意に沿うよう動くが、水の龍の勢いには敵わず、時間稼ぎをするのがやっとだ。
水の龍と水流の中の梓を見比べ、命が呟く。
「……強い」
「梓、こんなに強い力を持っていたなんて。でも……負けられないよね」
肩を竦めた七海は、ずぶ濡れの前髪をかき上げる。そして自分の弓に矢をつがえた。弓矢を構えた途端、彼女の体から水分が弾け飛び、代わりに赤い炎がその身を包む。炎にあおられた髪が舞い、引き絞って放たれた矢が、梓に襲い掛かろうとした獣を射抜く。
「――うん、良い感じ」
「確かに、濡れたままじゃ格好付きませんね」
剣で人形を斬り捨てた優が、七海を真似て力の出力を上げる。すると青い炎が燃え上がり、剣だけでなく体も照らした。優は立て続けに獣と人形を倒し、立ち止まるとはっと軽く息を吐く。
「……成程。力を高めるだけでなく、その精度も上がるということか」
「梓くん。……わたしも」
命もまた、祈ることで力を最大限まで高めていく。彼女が力を解放すると、仲間たちの力がまた少し強くなる。命の力を借りて結界の力を強めた誠が、振り返って大輝の方に向かって移動した。
「大輝!」
「あっちは良いのか、誠」
「あっちは命に任せる。フォローだけさせてよ」
「――ああ」
何故、戦闘能力の高い七海や優ではなくフォローを得意とする誠が来たのか。大輝はふと理解した。
(オレの気持ちを、みんな大事にしてくれるよな)
何か頼んだ覚えはない。それでも咲季との戦いは、出来る限り自分一人でと思っていた。大輝がその決意をひけらかしたことは一度もないが、仲間たちはそれとなく見守っていたのである。
(……ありがと、誠。かなり体が楽だ)
誠の結界の壁が幾つか大輝の周囲を邪魔しない程度に浮かんでいて、咲季の放つ獣たちの攻撃を弾く。更に命の力の余波もあり、大輝は重たかった体が少しだけ軽くなったことを実感していた。
「もう少しだぞ、梓」
頑張れ。大輝の声が傍で聞こえた気がして、梓ははっとした。
水流の中に飲み込まれてから、一体どれくらいの時間が経ったのか。梓は依然水の龍から逃げ回る近衛倭を見つめ、拳を握り締める。
「必ず止める」
梓の想いを受けてか、水の龍は一声吼えてスピードを上げた。ぐんぐんと近衛倭との距離を詰め、その水色に輝く体をくねらせる。そして深い青色の瞳で一睨みすると、ちらりと後ろを振り返った。
「どうした、私を食いはしないのか?」
「――俺が止めを刺さなきゃいけないから。譲ってくれたんだよ」
「……お前か、美津野木梓」
近衛倭の視線の先、水の龍の頭の上に、梓は立っていた。じっと敵の大将を見下ろしていた梓は、手にしている剣を握り直すとその刃を近衛へと向ける。
「水の龍が、お前から力を少しずつ奪ってくれたみたいだな。……他人を弄び、この世界を壊そうなんて。そんなこと、絶対にさせない」
「……ふん。最終決戦というわけか」
「――はっ」
近衛倭の言葉に明確には応じず、梓は水の龍の頭から飛び降りると、そのスピードを利用して近衛倭へと斬りかかる。当然それを見越していた近衛に受け止められ弾かれるが、すぐさま体勢を立て直して斬りかかった。
「――くっ」
「――はぁっ、はあっ」
「お前のようなガキに、私の崇高な目的など理解出来ないだろうな」
「もとからする気もない! 誰もいないたった一人の世界なんて、そんなものが幸せであるはずがない」
「幸せ、か。決して血で血を洗う争いが起きぬのなら、それは安寧ではないか」
「そうかもしれない。だけど、それでも俺は、たった一人は寂し過ぎるって思う。俺は仲間がいたから、こうやってお前の前に立っているんだ!」
「ぬぅっ」
梓は渾身の力で近衛倭の剣を弾いた。近衛の手を離れた剣が、くるくると回って地面に突き刺さる。
「――っ、はっ……はっ」
肩で息をする梓は、剣を引き抜こうとする近衛倭がそれを抜いた瞬間、剣を振り下ろした。




