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第29話 夏休みの課題

 日守家で決起集会のようなことをしてしばらく、梓たちの周囲は静かなものだった。しかしいつ何時近衛倭が仕掛けて来るかわからず、梓たちはそれぞれに注意を払っていた。その時間が長くなる程、精神的に疲労していく。

 来週からは夏休みという時期になり、高校二年生の梓たちのクラスも浮足立っていた。しかし当然、そろそろ夏休みの課題も発表され始め、計画性のある者は先に始めていこうとする。大輝も例に漏れず、暑さでへばる梓は彼に背中を押され、放課後に大輝の家にやって来た。少しずつでも課題を進めておこうという話になったのだ。


「来年は受験だし、課題も多い。オレたちにはそれだけじゃないし、早めに進めておくぞ」

「そういや、夏休みの課題っていうのもあったんだよな。別のことで忙し過ぎて、忘れてた」


 素直にテキストを開き、ノートに必要事項を書き込んでいく。日守家に通ってもいたため、なかなか学生の本分だけをするわけにはいかない。それでも「受験」が待っていてくれるはずもなく、梓は大輝に教わりながら勉強を進めた。

 課題を始めて一時間後、不意にトントンと大輝の部屋の戸がノックされる。大輝が誰何すると、廊下側からかわいらしい声が聞こえて来た。


「お兄ちゃん、お母さんがこれ持って行けって」

咲季さきか。待ってろ」


 スッと立ち上がり、大輝が戸を開けてやる。するとその向こうには、ツインテールの可愛らしい少女がお盆を持って立っていた。両手が塞がっていて、戸を開けられなかったらしい。

 大輝は咲季からお盆を受け取ると、ふと梓を振り返った。


「梓、咲季。久し振りに会うよな」

「ああ。咲季ちゃん、元気そうだな。前に会ったの、半年は前だね」

「そうだね。元気だよ、梓くん」


 ふわっと笑った咲季に、梓は軽く手を振った。

 学区が同じであったこともあり、梓と大輝は小学生の頃から互いを知っている。共に過ごすようになったのは中学生になってからだが、その頃から梓と咲季も知り合いだった。幼い頃程兄や兄の友だちと遊ばなくなった咲季だが、時折こうやって顔を見せてくれるのが梓は嬉しい。


「お兄ちゃん、あたし友だちのとこ行って来るから」

「ああ、いってらっしゃい」

「いってらっしゃい」

「いってきまーす」


 うさぎのぬいぐるみをつけたショルダーバッグを肩から掛け、咲季は笑顔で兄の部屋の戸を閉じた。パタパタという足音が遠ざかり、大輝がへらっとした顔でテーブルの前に戻って来た。


「可愛いだろ、うちの妹」

「咲季ちゃんが可愛いのはよく知ってる。けど大輝」

「何?」

「顔、緩み過ぎ」

「……マジか」


 指摘されるまで気付かなかったらしく、大輝は頬をペチペチ叩いて表情を戻そうとする。その仕草を眺めながら、梓は咲季が持って来てくれた炭酸のペットボトルを開けてコップに注いだ。


「《《あんなこと》》があったから溺愛してるんだろうし、止めはしないけどさ」

「ああ。でもそろそろ妹にうざがられないかが心配だから、自制はする」

「……頑張れ」


 気を引き締め直す大輝の分の炭酸も注いでやり、梓は笑いながらコップを差し出す。それをばつの悪そうな顔で受け取った大輝は、一口飲んで「よし」と気合を入れた。


「今日の分、さっさと済まそう。梓、次は理科な」

「了解」


 二人はシャーペンを動かし、二日分の課題をきっちりと終えた。この調子でいけば、休みの半ばには全て終えられるはずだと大輝は笑う。

 その後大輝の家を後にした梓は、母親からのメールで頼まれた買い物をするために近くのスーパーへ足を向けた。


 ***


 同じ頃、咲季の姿は友人宅の玄関にあった。同じクラスで仲の良い女の子の家に遊びに来ていたのだ。


「じゃあ、また明日ね」

「うん、バイバイ」


 手を振って戸を閉め、咲季はマンションのエレベーターに乗った。そこには先客がおり、彼は背が高くがたいの良い男だった。

 一階のボタンは既に押されていたため、咲季はエレベーターに入って何となく上を見上げる。今いるのは、六階。一つずつ階が下りていく中、男が突然口を開いた。


「首尾はどうだ」

「……」

「マスターからだ」


 マスター。その単語を聞き、《《咲季》》はため息をついて表示板を眺めたままの姿勢で応じる。声は咲季の可愛らしい声のままだが、どこか冷めた印象をまとう。


「すぐには仕掛けられない。けれど、時間はそれ程かからない」

「わかった。期待している、とマスターが言っていたぞ」

「わかった」


 ポーン。その時、エレベーターが一階に到着した。咲季の横を大柄な男が通り過ぎて行き、咲季自身もエレベーターから出る。マンションの外へと出れば、まだ暗くなり切らない夕焼けが空に広がっていた。


「……あ、気付かなかった」


 親との連絡用に持たされているキッズ用スマートフォンを見れば、母親からの着信が数件入っていた。伝えていた時間より遅くなったため、心配させてしまったらしい。早速メール画面を開き、今から帰ると送った。


「よし、早く帰らなきゃ」


 これ以上、家族に疑われるわけにはいかない。鞄にスマートフォンを入れ、咲季は好きなアニメのオープニングテーマ曲を鼻歌で歌いながら家路を急いだ。

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