日常をお届け(1)
リリアの最近の朝はとても穏やかだった。
少し前まではゴツゴツとした岩と岩の間で痛む節々をなだめて、冷え冷えとした空気にうんざりしながら体を起こしていたものだけれど。
今は、柔らかい寝床に手触りの良いシーツの間で、とろとろと目が覚める。
家族を失い、自分自身のねたましい感情に振り回されて満足に眠ることもできなかった数年間が、うそみたいだった。
ゆっくり起き上がり、ベッドに座ったまま伸びをする。
与えられた部屋のカーテンの隙間から漏れる朝日は、今日も晴れていると教えてくれる。
この荒れ地で雨が降るのは、実は稀だということをつい数日前に知った。
「……今日は大丈夫だったみたいね」
つぶやきながら、熱くなる頬に手を当てた。
3日ほど前、盛大に寝坊をしてこの館にいる男に鼻で笑われた。館の主ではなく、居候している若い方の男だ。
自分も居候の身だが、立場は圧倒的に悪い。少しでも挽回をしたくて色々としているが……ともかく寝坊はすることではないだろう。
身支度をするために、今度こそ床に降りた。
衣服は数もないし、昔のように着飾るわけでもないからさっさときれいなものを選んで身につける。
小さな鏡を壁にかけてもらっていて、それに顔を映す。
プラチナブロンドの、アイスブルーの瞳を持つ、美しい女性の顔がそこにあった。
「……おはよう、お姉様」
自分の顔でありながら、もはやそれをただの顔とは思えない。
髪を結んでいると、部屋のドアをノックする音が。
「おはようございます」
「おはようございます、リリアさん」
入ってきたのは、前から連れていた少年と、館にいる幼い兄妹の妹の方だった。
「おはよう。いつもありがとう」
「おしごとなので!」
水が入った洗面器を持ってきたカーヤが、にこにことローテーブルにそれを置いた。使用人のお仕着せを着て、館じゅうの雑用をこまごまとしている兄妹だ。
リリアが来て間もないとき、さすがに10歳にも満たない子どもを働かせているのを見て唖然としてしまった。言える立場ではないと思いながら館のあるじに苦言をもう少しで口にしてしまいそうになったが――どうやら、率先して子どもたちが雑用を買って出ているらしい。それに、やることといえば子どものお手伝い程度のようだ。
カーヤがメイド服なのは、領主の使い魔の格好がそれで、幼い彼女が何やら気に入ってしまったとか。
外には着替えていけ、と、領主も何か思うことはあったようで、安心はしている。
洗面器の水で手早く顔を洗い、それを持って揃って厨房へ。
「おはようございます」
「あらおはよう」
厨房にいたのは、朝に食事の面倒を見てくれる村の年配の女性だった。野菜を切りながら気負わず挨拶してくれる。
水は洗濯用の桶に入れて、リリアは彼女を振り返った。
「何かすることはありますか?」
「そうねえ、薪を持ってきてくれるかしら。あ、カーヤはこっちに来て手伝ってくれる?」
「はい!」
「分かりました」
ウーノとふたりで、家の裏手にまわる。
質素な一軒家で、真新しいが領主の館と言えるほどのものかは首をかしげる。まあ元貴族のリリアの感覚も普通の村の感覚とは違うだろうというのは自分でもわかっている。
ともかく、厨房から出てすぐの裏の勝手口を使って外に出る。
薪が積んであり、そこからふたりで持てるだけ持って厨房に戻ると、居候の男がいた。
「……今日はちゃんと起きたのか」
「く……」
水をもらいに来たらしい男は、名をトールといった。背が高い、鍛えられた身体の、年は少し上くらいか。短い髪に、不機嫌そうな目。
色々あってリリアをあからさまに敵視しているが、この村の実力者だという認識だ。村にいる武器を持つ人たち――兵隊ではないらしい――の上官にあたるとか。
「せいぜい働くんだな」
棘のある言い方だが、それも仕方がないことだ。ぐっとこらえて、うなずく。
「……ええ」
「こらトール!」
厨房の女性が、それを見咎めてトールを叱りつけた。それにビクリと肩を震わせ、そそくさとトールは厨房を去っていく。
「なんだろね、あの子は」
「大丈夫です、ネイマさん」
……どうやら、リリアがしでかしたことを詳細に知る人間は少ないらしい。余計な混乱を生むとかなんとか。
トールは現場にいた上に、村の責任ある立場であるため、リリアにはひたすら疑いと敵意の目を向けている。監視、だろう。それは当たり前のことだが。
「トールさんはその、ご自身の仕事をしているというか」
「余所者だって他にいっぱいいるだろ、なんでリリアちゃんにだけなんだい」
いきなり館にズケズケ入り込んだ女に当たっていると思われているらしい。それはそれで困った誤解だ。
ウーノが慌てて女性に話しかけた。
「と、ところで、今日は朝ご飯はなんですか?」
「ん?ああ、今日ビルスがやっと実をつけたって喜んで持ってきてさ……」
見たこともない野菜だ。丸くて、オレンジ色の。
興味をそそられて、カーヤと並んでネルマのお手伝いをする。
毎日こうやって、リリアは信じられないほど穏やかな朝を迎える。
領主――グランヴィーオは食事をめったにしないらしい。
魔術師で大きな力を持っているため、説明されたがよくわからない。たまに使い魔という少女が食事の席にいることがあるが、それも気が向いたら、だという。
今日は、すでに朝食の時間にはふたりとも館にいないようだった。
朝食を終えたあと、村の男が訪ねてきた。
「村を案内してなかっただろ、ってよ」
男はゼルという名で、たしか冒険者崩れで数年前から村にいる、と。年は40を過ぎた頃だろうか、無精髭を顎に残し、擦れたような雰囲気の男だった。
そこにトールが無言で通りかかった。彼に、ゼルは指を差す。
「……こいつがな」
「え?」
「黙れ」
聞き逃がせなかったらしく、一度ゼルとリリアを睨みつけてから立ち去るトール。
「……ま、自分の口から素直に言えなかったようだな」
にやにやと顎を撫でるゼルに、どう返せばいいか分からずリリアは黙ったままだった。
リリアのしでかし……領主であるグランヴィーオを襲い、大怪我を負わせたことを、村の上役と自警団という武装集団は知っている。
特に、村長であるトールの祖父のロドリゴには常に冷ややかに見られ、トールや自警団の面々はリリアの動向を見張っている。
それは普通の反応だろうと思う。グランヴィーオの許しがなければ、リリアはさっさと首を切り落とされていたに違いない。
けれど、その罪人とも言うべきリリアに、村の案内?
「……お手を煩わせるわけには……」
「なんかトールもあれで考えてるみてぇだし。まあ領主の許しも貰ってる、っていうか、別に軟禁しようってんじゃねえんだろ」
「それはそれで問題なのではないかしら」
怒りに我を忘れていた頃のリリア自身の行動を、正気を取り戻した今になって思い返すと、このまったりしすぎた生活は不相応だ。
それを許すグランヴィーオの考えが理解できない。
よくよく考えれば、領主であるグランヴィーオのことはまったくと言っていいほど知らない。以前は憎しみにかられてその痕跡だけを追い求めていて、極悪人だと思い込みたがっていた。
姉を信じれば、その恋人だった男は悪い人間ではないのだろう。ただ、もともととっつきにくい性格らしく、何度か話してもさっぱりなのだ。
ゼルはあくびをしながら、
「さぁな、俺はよくわからん。あんたから目を離さないようにするっていうのしか聞いてねえし」
「……貴方だって知っているのでしょう」
「ま、誰しも恨みつらみはないわけじゃねえしな。そのへんは人による。さらに、油断するつもりはねえが、今のあんたは丸腰だ」
「……そうね」
「じゃ、行くぞ」
本当にどうでもよさそうに、ゼルは背を向けて歩き出した。
荒れ地の西の村と呼ばれるこの集落は、かつてはなにもない、小さな寒村だった。
そもそも荒れ地に住む人はいないという通説だった。死霊がさまようこの世の果て。そんなところに人間が住めるはずがない――と、忘れ去られた土地だった。
それが誤りだったと世間が知ったのは、魔鉱石という希少な鉱物がそこから発見され、市場に出たことがきっかけだった。
そこに住んでいる人間がいて、それらを掘り出した――その前に、同じ鉱山から出た鉄があって、それを狙った周辺国が戦争を始めたことはそこそこは知られていた。
が、それどころではない、と魔鉱石に目の色を変えたのがどこぞの大きな商会と、隣接したレイモアという国だった。
そうして、荒れ地は新しい土地として認識され、そこの東西南北に分かれていた村のうち、東と西の領主によって発展を始めた。
今では多くの人が行き交い、家が次々と建ち、周囲は何もなにもない平地とは思えないほど賑やかな場所になっている。
かーんかーん、と建ちかけた家の柱に釘を打つ音、人々の掛け声、露店や馬車を開いて人を呼び込む商人の喧伝、当然ながら住んでいる人たちの往来、子どもたちの元気な笑い声。
栄えた村、もうそろそろ町と言ってもいいかもしれない。
リリアは行動は制限されていなかったから、館の周りで少し眺めていたこともあったが、やはり外に出るのとでは違っていた。
「本当に人が多いのね」
「んー?そうだな、あれよあれよという間に人だらけ」
呆れたように笑うゼルも、数年前からなにもない村に住んだ人間だ。最近の変わりようというものを実感している。
「なんもねえ静かで退屈な村はどこへやら。まあ美味い酒がいつでも飲めるってのは良いことだな」
「……そう」
「あんたも飲む……わけじゃなさそうだな、坊主もか?」
「そうね、お酒は何が良いのかよくわからないわ」
一時期行動をともにしていた傭兵団も事あるごとに酒を飲んでいたが、酔っ払うと品性を失うあの様も含めて、何がいいのか謎だった。
「人生損してるぜ」
「別にいいわ、どうだって」
思わずぞんざいに返してしまった。
機嫌を損ねたか、とゼルを伺ったが、表情は変わらなかった。
「ま、たしかに若い女が飲んだくれるのもなあ。いや、調子よく飲んでくれる女も嫌いじゃないがな?」
「あ、そう」
むふー、と鼻の穴を膨らませるゼルは何を想像しているのか。
……どうも、付き合いづらい男のような気する。
「と、さて、まず重要なところに到着」
井戸だ。
村の中心からやや外れた、中途半端な場所に石積の水汲み場が。ちょうど村人がつるべを落としたところだった。
「井戸というが、実際のところ不安定な水量でな、今はまだ節水が定められてる。……ああ、どーも」
村人がつるべをゼルに渡し、彼はそれを井戸へと落とす。カラカラカラッと縄を取り付けた滑車がまわり、……ずいぶんと回ってから、ぱしゃっという水音がした。
「ってな感じで、水は少ない。ああ、『雨乞い』のことは知ってるか?」
「ええ、グランヴィーオ……様から聞いたわ」
……どうやら今まで、非常識な方法で水を調達していたらしい。リリアは表情を決めかねて目を細めて、傍らのウーノは引きつった笑みを浮かべていた。
「そうか。ま、またダンジョンのあたりが物騒になっちまったから、最近行けてねえらしいんだが……俺らにはどうもできねえから魔術師頼りだな」
ゼルも肩をすくめて、つるべをもとに戻す。
と。
「あー!それ水は入ってるか!?」
聞き覚えがある声がして、男がばっと視界に入ってきた。
ひょろ長い印象の、たしかリリアが起こした事件のときにいた。
「いや、水汲んでねえし」
「そっかざーんねん。じゃ、それ貸して」
「おう。めずらしいな、グリウがこの時間に水場に用か」
グリウと呼ばれたひょろ長い男は、苦笑して滑車を鳴らしている。
「ああ、トニオのジイさんが腰やっちまって、その世話だよ。年甲斐もなく自警団の新しい連中をしごいてやる!って張り切ったのが原因だなー」
「うへえ、俺いなくてよかったぜ……引退したんだから大人しく隠居してろって」
「まあなあ。……っと、そちらさんは……」
リリアに気づいたグリウは、一瞬眉をひそめた。事件以来会ってはいなかったが、忘れられてはいないようだ。
「ごきげんよう」
「あ、ああ……どーも」
「今村を案内してんだ。文句あるならトールに言いな」
「へ?あいつが言い出したの」
グリウはまじまじとゼルとリリアを見比べ、それから頰をかいた。
「……あいつが知ってんなら俺がいうこともないっしょ」
「だな。で……オハイニが来たりしねーかな、ほら、ジジイの様子見に」
「は?本職いるのにくるわけないだろ、魔術師じゃんオハイニ」
「だ、だーよなー!?」
「それに今一番目か二番目に忙しいんじゃねーの姉さん」
「……だよ、会えねえんだチクショウ」
「知らね。じゃーなー」
桶を抱えてひらひらと手を振り、グリウは去っていった。
どうやら、トールとゼル、グリウは同じ自警団の仲間ということらしい。もう一人、ベルソンと呼ばれていた大男もだろうか。オハイニとは、たしかあの時いた魔術師の女性がそう呼ばれていたはず。
さして知りもしない村のことを記憶を確認しつつ、ゼルを伺うとしばらく肩を落としていた。
「……どうやら、オハイニさんという人が好きなんですかね?」
少し面白がるようにウーノがそっと囁いたので、リリアも頷く。
「……次行くか」
「分かりましたわ」
澄まし顔でついていく。




