番外編:穏やかなる過去の日々
SNSで先出ししていたものを収録しました。いつかの過去の話です。
「お嬢がヤバい」
男は心底困っていた。
ヤバい、ヤバい、と繰り返す男に、頓着せず少年は持った本をずっと読んでいる。
「いつもの比じゃねえ、もう俺には止められない」
「……」
「いったいどうすりゃあ……――おい」
「……」
「この!ご飯の時は本は読んじゃいけません!」
「あっ」
結局男が少年から本を取り上げる。少年は、今何をされたかも分かっていない顔で、キョトンと男を見上げた。
「……え?」
「ご飯です!もう本はおしまい!」
「……そんなこと今まで一言も言ってねえ」
「今言った。今ルール出来た」
「……」
ぶすっと少年はテーブルの上を見た。いつの間にかパンやベーコン、卵に牛乳が目の前に置かれている。
この家で、ルールは絶対である。
男が決める。
「食え、食いながら聞け」
男が自らカトラリーを持つと、しぶしぶ少年もフォークを持った。
「でだ、お嬢がヤバい」
「いつものことでは?」
「いつも以上にヤバイんだって。あいつ、冒険者になる!とか言いやがった」
「……ボウケンシャ?」
ベーコンをフォークでつつきながら、少年は首を傾げた。その右手は、不自然なところでおかしな曲がり方をしていて、フォークすらも使いにくそうだった。
男は呆れた。
「おいおい、冒険者も知らねえのか。本当にお前何者だ?」
「さあ」
どうも、この同居している少年が記憶喪失だというのは拾ってすぐに気がついた。
とは言っても、拾ってきたのは男ではなく、お嬢と呼んでいる正真正銘のお嬢さまだが。
どこからか拾ってきた、骨と皮だけの汚らしい人間を抱えて、男の住む家に転がり込んできた。
来るなと何度も言い含めていたにも関わらず、まさか人間まで担ぎ込むとは思ってもいなかった。
犬猫と違うのだ、と、頭を抱えながら男は喚いたが、お嬢様は妙にキラキラした目で男を睨んだ。
『人間よ、それくらい分かってるわ』
それを自分の家の使用人に混じっている奴隷の前で言ってみろ、とはさすがに言えなかったが。
「まあいい、冒険者ってのはな、」
「冒険とロマン!危険と宝よ!」
バンッ!と、家の扉が開かれ、突然少女が乱入してきた。
「お嬢……ノックはしましょうね」
「声が聞こえたから、大丈夫だなって」
「何が大丈夫なんすか」
はあ、とため息をこぼした男は、立ち上がってすぐのキッチンからポットを取り上げた。
「お茶切らしてるんで。ミルクで我慢してください」
「ありがとう」
本当になんでもよさそうな顔で、身なりのいい少女は少し欠けたコップを受け取る。
「……で、どこでそんなけったいな職業聞いてきたんです」
「ケッタイ?」
「ああ、いや。ともかく、お嬢も言ったじゃないですか、危険だって」
「うん」
「なんで?危険ですよ、普通に死ぬこともたくさんあるんですよ、その日暮らしの、全然銭が貯まらず、野垂れ死なないように怖い魔物と戦う奴らですぜ」
「いいじゃない。自分の力で生きていくのよ」
「……あのですね、無理です。剣も握ったこともない伯爵令嬢が」
「そんなの分からないじゃない」
「わかってるから言ってるんですよ!」
さすがの剣幕で、男は少女に詰め寄った。
「本当に危険なんですよ!命の危険と隣り合わせです!それに鶏も絞め殺したことがないご令嬢が魔物や動物、果ては人間を殺せますか!?」
「……そうなの?」
「そうです」
驚いたような顔をした少女に、男はやれやれ、と肩を落とす。
「冒険者ってのは、金のために何でもやる奴らですぜ。犯罪者じゃないだけマシってだけで、底辺の人間なのは間違いない」
「うーん、そんな人達に見えなかったけどなあ」
「……いろんな人間がいます、たまたま、いい冒険者にあったんでしょう、お嬢は」
「じゃあ、いい冒険者になる!」
「ほんと人の話聞きやがらねえなこのお嬢」
額に青筋を立てた男が、怒りを抑えるためにため息をつく。
「……だいたい、伯爵様からお許しなんか出ないでしょう」
「お父様は私のすることを許したことないじゃない、今までも」
少し、皮肉げに少女は唇をゆがめた。
「何も変わらないわ」
「そうことじゃなくてですね……ああもう、お前からもなんか言ってやれってまた本か!」
少年を見ると、食事はとうに終えていて、読書を再開していた。
今度は男の声が聞こえていたらしく、え?と不思議そうに顔を上げた。
「俺がジュリアを止めると思うか?」
「ああそうだよなあ、お前はお嬢様バンザイだった」
深々とため息をつき、ともかく!と声を張り上げた。
「無理です、駄目です」
「じゃあどうすればいいの?」
「どうするもなにも、伯爵家の立派なご令嬢として――」
「あなたまでそんなことを言うのね」
がたん、と椅子を鳴らして立ち上がり、少女はコップをテーブルに置くと、男を睨んで走り去っていった。
バタン、と来たときと同じように、大きな音を立てて閉まる扉――
「……しまった、ギルドに駆け込むぞあのお嬢」
ぼそりと可能性をつぶやくと、静かだった少年が本をいきなりテーブルに放り出し、足を引きずりながら家の外に向かおうとする。
「おい待て俺が」
「俺が、連れ戻す」
きっぱりと言い、少年は扉を開けて飛び出していった。
「……まあ、あいつの言うことは聞くんだよな、お嬢も」
ガリガリとボサボサの頭をかき、男は食事を再開した。
数十分後、少年が戻ってきた。
「護衛がいたから預けてきた」
「あいつ、また何も言わず出てきてたんだな……」
空になった食器を下げつつ、男は呆れ返った声を出す。
「いいかげん気づかれてるから、俺の首も危ういんだよ。じゃなくても、雇われの男の家に入りびたるご令嬢って、こう、やばいだろ」
「そうなのか」
「……お前ももうちょっと常識つけような」
はあああ、と本日最大のため息をつき、それから部屋の隅の水瓶から水を汲み出した。
「しがない魔術師になんて重荷を押し付けてくれる」
「……」
「お前のことじゃねえよ」
すっと、手を差し出し、近くにあった少年の頭を撫でようとして、ふと彼が硬直しているのに気づいた。
「あ、わり。大丈夫だ、なにもしない」
少年が小さく震えるのも、見てはいるが男は何も言わなかった。
「ともかく、お嬢のことだ、何も言わずに突然家を飛び出して冒険者になることもあり得る」
「それはないと、思う」
少年が小さな声を出す。
「ん?」
「約束した。ひとりでじゃなく、俺となら、なってもいいって」
「止めて欲しかったんだがなぁ……」
ボリボリと頭をかき、男はぼやく。
「ま、案外お前がついてりゃなんとかなるかもな」
「……?どういう?」
「頭いいし器用だよな、お前っていうことだ」
眉根を寄せる少年に、男は流しの食器を手に取りながら笑った。
「ま、それまでに基礎魔法習得とその腕と脚は治さねえとな」
「……治るのか?」
驚いた少年は、むしろ戸惑ったようだった。男は苦笑した。
「知り合いに聞いたら、出来るかもってな。お前のその魔力があれば――ま、ともかく、魔法はちゃんと習得すること」
「分かった」
「しかし、なんで名前も覚えてねえのに、『星魔法』なんか――おっと」
手から落としかけた皿をかろうじて受け止め、ほっとする男。
「今日は、魔力操作のおさらいだな。うまくいけば、すぐに魔力絶縁のやり方が覚えられる。お前には必須だろう」
「……ああ」
男の言葉に、少年は真面目に頷く。
「頑張る」
「ついでに俺の弟子になれよ」
「それはいやだ」
「なんでよ」
男は苦笑し、それから洗った皿を積んで手をズボンで拭く。
「弟子でもないのに魔法教える俺っていい奴だよな。じゃあ、まずは昨日の最後に教えた――」




