禁術(4)
そのオハイニの何気ない言葉に――
心臓が止まるかと思った。
ただこちらを見ているだけのはずの、彼女の目が肌に刺さるような錯覚を覚える。
「俺の……」
――原初の記憶になったのは、真円の球体に、いくつもの輪をくぐらせたモニュメント。
雑多な机の上に置かれたそれに、目が引き寄せられた。
それを、あの人が、笑ったのだ。
――興味があるのか?
遠い記憶から、囁いてくるあの人の――
「……ヴィーオ!」
はっと、我に返った。
正面に、オハイニの訝しげな顔が映る。
袖が引かれ、小さな手で握ったラクエが見上げていた。
「どうしたの?いきなり黙っちゃって」
「ああ……なんでもない」
「あんましつこくするなよな」
イルゲが裾を払いながら立ち上がった。
「答えたくない魔術師もいるだろ」
「そんなんじゃないんだけど……気に障ったなら謝るよ」
「いや……」
どう答えればよかったのか。
なるほど、答えたくないというのは、こういうことか。
「あまり……考えたことがなかった」
「へえ」
オハイニは興味深そうだったが、それ以上は追求する気がないようだ。
「まあ、お詫びと言っちゃなんだけど、アタシの専門はね、空間術だよ」
「空間術……?」
聞いたことがない。
「結界魔法のようなものか?」
「それも含むよ。実演は……」
「はい」
イルゲが身につけていた装身具を一つ彼女に渡した。
「いいの?」
「再会のプレゼントかな」
「なにそれ」
オハイニはぶつくさ言いながら、それに封入された魔力を……使った。
大量に。
異常な量を引き出している。
魔力が溢れ、周囲が輝くくらいに。その魔力が宙の一点にたぐまるように集まる。
そうして、そこに、何か、『出来た』。
目を凝らさないとわからない『それ』は、風景に溶け込んで手のひらほどの大きさの『ゆらぎ』だった。
「なんだ……?」
ほんの少し、異質な気配がそれから漂っている。ラクエも居心地が悪そうに身動ぎしている。
「見ててね」
近くに落ちていた石を拾って、オハイニは『それ』に向かって軽く投げる。
と――
「消えた?」
ふっと、その石が影も形もなくなった。
とたんに、ふっと『それ』も消失した。
「どういうことだ?」
物体が消えるなど。
オハイニは薄っすらと笑った。
「今のは別の空間につないだ入口さ」
「別の空間……?」
「そ。この世界は、いろんな形態の可能性の重なりで出来ている」
「可能性?」
「たとえば、絵が世界だったら?」
「どういう意味だ?」
「例えばの話だよ。ペラペラの紙に描かれている人物だったり動物だったり、風景だったり、見ればわかる。それは、アタシたちが生きている世界と何が違うのか」
「何が違うのか……」
「難しく考えなくてもいいよ。立ち上がらない。動かない。質量がない。時間がない」
「それらが『ない』世界が存在すると?」
いや、存在したから、オハイニはその入口を作れたのだ。
存在しないものは、魔法では作れない。
「逆にいうと『ある』世界もある。この世界はそういう可能性をひとつずつ足して出来上がっている。それがいくつもいくつも増えていく。でも、それら世界をこの世界のアタシたちは触ることができない。可能性が存在しないからね」
「さっきのは可能性の理を破って世界を強引に繋げたのさ」
イルゲがこともなげに言う。
「投げた石は向こうの世界に行ったはずだ。誰かに当たってなきゃいいけど」
くすりと笑うと、イルゲはオハイニが手に持っていた空っぽの装身具を取り上げ、彼女の帯に付けた。
「それは、『知識の峰』で?」
「識らなければ、できないだろう?」
オハイニが髪をかきあげ、ゾッとするような笑みを浮かべた。
「アタシが古い知識の山からこの概念を掘り出し、失敗とされて放棄された魔法を、もう一段階引き上げて可能性として存在させた」
「天才だよ、君は」
イルゲがオハイニの手を取り、うっとりとそれに口づける。
「やめろって」
ていっと振り払われた手を、イルゲは大げさに悲しんでみせる。
「ひど……」
「あ、ちなみにこれ禁術なのでよろしく」
さらりと付け加えられたそれに、面食らった。
禁術。
『知識の峰』に秘匿される、世界の真理に近いとされる魔法だ。
「……だろうな」
これが明るみに出れば、全ての概念が覆ってしまう。
なんてものが存在するのだ。
「……あ、笑った?」
オハイニがものすごく驚いたような表情になった。
「えっうそ、笑ったとこ初めて見たかも!」
「そうか?」
「そうだよ、いっつも何考えてるんだか分かんない顔してさー!もっと笑いなよめちゃくちゃ良かった!」
グランヴィーオにまとわりついてはしゃぐ彼女を、なんともいえない、捨てられた犬のような目でじっとりとイルゲは見ていた。
「でもさ、似てると思わない?」
だが、オハイニはグランヴィーオに近寄りこそすれ、触れることはない。
まるで禁忌だというように。
「そこにあるはずがないのに、存在する、ダンジョン。初めて空間術が成功したとき、アタシはおんなじだなって思ったんだよね」




