星は見ている
数時間降った雨は、夜になる頃には止んだ。
多少は地面に水が溜まったらしく、少しぬかるむ場所もあったが、明日にはほとんど乾いているだろうということだった。
そして、気温が下がった。
夜はもともと冷えるらしいが、今日は雨でさらに冷え込んだようだ。
雲は消え、今は夜空に星が散っている。
月は細く、周囲に何もない荒れ地は真っ暗だ――だが、村のどこかでひっきりなしに物音や声がする。明かりもつけているらしく、おぼろげな光が窓から漏れて、外にいるグランヴィーオの足元も薄っすらと見えた。
実に1年ぶりの雨が降ったため、祭りのような騒ぎになっていると聞いた。歓迎の宴を、と言われたが、断った。
今は、グランヴィーオはラクエを連れて、村の端に来ている。
バ・ラクエが出来てから忙しくて、ろくに彼女を見てやれなかった。
愛らしい顔立ちだが、相変わらず表情が乏しいのもそのためか。
「記憶はあまり戻っていないようだな」
悪神バ・ラクエは、かつて栄えた荒れ地の土地神だ。
神霊――大昔にこの世界に住んでいたとされる物質にとらわれない存在は、今はほとんど姿を見せない。ただ、今なお残った彼らは、人々の畏怖を集めながらひっそりと生きている。
バ・ラクエは、その自身の念の強さにこの地に縛り付けられていた。
変質し、通常の『神』とは違った、悪意と邪気の塊になっていた。
気配や力に引き寄せられた死霊は、長い年月荒れ地を彷徨っていた。
そういった歴史はあるものの、グランヴィーオの使い魔となった今のバ・ラクエに、多少は記憶にあるようだが、まだ完全とは程遠い。
それと、もうひとつ、別の記憶の問題もある。
バ・ラクエを召喚し、安定化させるために媒介に使った死霊の記憶だ――この少女の外見の持ち主である。
死霊は、だいたいは死んだときの姿で彷徨うものだ。
青いドレスを着た、黒髪の10歳にも満たない、少女――『彼女』は、バ・ラクエをのぞけば、荒れ地でもっとも強い死霊である。
その記憶ともなると……
(今はまだ思い出せていないが、戻ったときにどんな反応となるか)
まったくわからない。
だが、調べてみる必要があるだろう。
この少女は、一体何者なのか。
「あれ?こんなところでどしたの」
つらつらと考えていたところに、数日で聞き慣れた女の声が後ろからかかった。
振り返るより先に、女……オハイニが横に立っていた。
東の村に帰るのを面倒くさがって、一晩泊まるというのは聞いていた。
「どっかで呼ばれてるのかと思ってたのに、こんな外れに寂しくいるなんてねー」
「寂しくはない」
「いーや、こう、背中が見た目寂しいの」
くつりと小さく笑って、それから彼女はラクエを見た。
「ラクエちゃんは特に異常なし?」
「ああ」
「よかった」
ほっと息をついたので、目で問うと、オハイニは肩をすくめた。
「バ・ラクエだよ?アタシはどんなのか知ってるから、不安になるのも普通だと思ってよ」
「……記憶について検証していた」
「ふうん」
「ほとんどまだ思い出せないらしい。消えているということはないだろう、この土地に根付いた神だ」
「そう。『女の子』の記憶は?」
気づいていたのか。
オハイニは探るようにグランヴィーオを見つめる。
「妄執の強い死霊だ、何かのはずみで思い出すこともあるだろう。その時になってみなければリスクは分からん」
「そっかー……」
オハイニは天を仰いだ。
「そのまま忘れてればいいんだけどね」
「ああ」
「おや、アンタもそういうこと思うんだ」
「……客観的にも、忘れたほうがいい記憶はないとは言えない」
死の瞬間など、忘れたほうが良いだろう。
「そういうのに限って忘れないもんだけどね」
苦く笑って、オハイニは軽く頷いた。
その彼女に体ごと向き直ると、ぎょっとしたようだった。
「えっ?」
「お前、俺に言いたいとこがあるんだろ」
「あ、あー……そうね、そうだったわ、うん」
跳ねた髪を揺らし、ああでもないこうでもないと悩んでいるようだったが、意外とすぐに決めたようだった。
「そうね、いくつか聞きたいことあるんだけど……まず、なんでオルトロスに出くわしたときに、ラクエを戦わせなかった?」
じっと、暗がりから視線が突き刺さる。何かを暴きたいというような、強い意志を感じる。
「それは、」
理由を口にしようとしたとき、ふと、オハイニとは別の視線がさらに強く飛んできていることに気づく。
バ・ラクエが、じっとこちらを見ていた。
まるで、彼女もグランヴィーオの答えを気にしているかのようだ。
「……間に合わなかったからだ。オーダーするにしても、具体的な行動を示さなければならない初期段階だ」
そのオーダーを考えられるほどの余裕がなかった。
「そうじゃなくって」
オハイニはもどかしげだ。
「ラクエを投げてよこしたろ。もともと戦わせる気がないように見えたけど?」
使い魔も大きな攻撃を受ければ一時的に損壊を受けるだろうが、死ぬかもしれない人間よりはマシだ。
使い魔は、マスターがその気になればほとんどの場合で復活は可能だ。
「無事だったから良かったものの、アンタが大怪我負って、使い魔が安全にいる。本末転倒だろ」
「合理性を考えれば、そうだろうな」
「じゃあなんで……ひっ!?」
言い募ろうとしたオハイニが、びくっと震えて言葉を止めた。
グランヴィーオも同じようなものだ。突然、近くで膨大な力が膨れ上がるのを肌で感じる。
こんな力を出せるのは、バ・ラクエしかいない。
「ちょ……どうしたのかな!?」
風もないのに、ラクエの髪や、ドレスの裾がたなびく。
濃密度の力に、オハイニは声をひっくり返して怯えた。
ラクエの表情はあまり変わっていない……いや、
(怒っている?)
妙に眉のあたりに力が入っている。
「ちょっと……グランヴィーオ!」
オハイニがこちらの袖を引っ張ってどうにかしろと訴えてくる。
強制的にラクエをコントロールできるが、あまりしたくない。
「バ・ラクエ……『怒って』いるのか」
「……」
「なぜ?」
グランヴィーオの問いに、むしろ、力が増した。
「――っ!あ、あのさ!ラクエちゃんを戦わせるつもりないって言ったからかな!?」
「……そうなのか?」
「……」
わずかに揺れる力に、どうやら当たりらしいと分かる。
「ほら!ラクエちゃんも戦いたいって!使い魔だからあるじの役に立ちたいってことじゃないかな!?ねえ!?」
かすれた悲鳴のような声でオハイニがまくし立てて、目では頼むから!と必死になっている。
「……ちゃんと、歩けるようになってからだ」
「………………」
力が増した。
「うむむ」
「これ、もうやばいってぇ……!」
密かに、村の危機が訪れようとしている。
暴走寸前だ。
グランヴィーオには、なぜそこまでラクエの機嫌が悪くなったのか、疑問ではあるのだが――
「……分かった。今後は手伝ってもらうことにしよう」
渋々頷くと。
ふっと、プレッシャーが減った。徐々に収まっていく力に、ほっとした。
表情にやっぱり変化はなく、ラクエはゆっくりと近づいてきて、グランヴィーオの正面に立ってマントを握る。
オハイニも大きく息をついている。
「あー……どうなることかと」
「予想外だ」
こんなに早く、マスターのコントロールが必要になるほどの感情が呼び起こされるなんて。
普通なら徐々に学習し、思い出していくものだ、ここまで激しい反応はまだまだ先だと思っていた。
「何故……?ダンジョン、いや敵と何度も遭遇したせいで刺激されたか?」
「じゃあ、色んなこと体験させればすぐに思い出すことになるんじゃない?」
「……あり得るな」
「まあ、いいけど、ちゃんと面倒見てあげなね」
髪をかきあげながら、オハイニは笑った。
「もしアタシの手が必要ならいつでも言いなよ」
「――いや」
「えーっ冷たいね!人の親切無下にするなんて!」
そういう意味ではないのだが。
怒っているが、彼女はどこか嘘くさい。
と、突然背後から気配がして、振り返ると人影があった。
「あれ?お邪魔した?」
暗がりでよく見えないが、声はグリウだった。
「いいところだったらごめんなー」
「アンタも混ざる?」
「いーやけっこうっす」
軽く笑って、すぐ近くまで来た彼はラクエをちらりと見る。
「もしかして兄さんたちまたなんかやらかしたっすか」
「なんで?」
「さっき、なんかこう……ざわざわして」
「魔力ないはずなのに、分かっちゃったの?」
「勘ってやつなんだろうなー」
たしかに、敏感な人間もいる。明確な説明はつかないが。
ところで、と、グリウは手を打ち鳴らし、
「姉さんちょっと来てくんねえ?酔っ払ってすっ転んだバカがいてさー」
「なあに?よっぽど悪いの?」
「いや、コブができてる」
「そんなのツバつけときゃ治るじゃんよー」
ぶつくさ言いながら、オハイニはその転んだ人間に会いに行くようだった。
グリウに案内させ、少し行ったところで、また戻ってきたが。
「もう一つ聞きたいんだった」
そっと、まるで秘密ごとだというように、息すら潜めて。
「ラクエの浮遊術、オルトロスを抑え込んだ力場。――あれは、『星魔法』……だな?」
じっと、近くで強い光を宿して、オハイニの目がまばたきもせず、グランヴィーオを凝視する。
グランヴィーオの声も表情もすべて見逃してはならないというように。
「……ああ」
そっと、答えた。
グランヴィーオもまた、この魔術師の反応が気になった。
「それを知って、お前はどうする」
「……」
オハイニは答えず、ちらりとラクエを見て、それから離れていった。
その背を見送っていると、くい、とマントが引っ張られた。
ラクエを見下ろすと、あの黄金の目が何かを語っている。
「……お前は、戦いたいのか」
人間の魂を媒介にしたのだから、思考は同じレベルのはずだ。
だから、今はおぼつかないとはいえ、色々考え、ゆくゆくはこの外見通りの言動になるはずだ。
けれど、今この段階で、怒って要求をするとは。
信じられないが、グランヴィーオの言葉に素直に頷くのだ。
「ヴィーオのおてつだい、する」
「お前には傷ついてほしくない」
「バ・ラクエも、いや」
むっとまた不穏な気配をさせたが、表情に力が入っただけだった。
「いやって、なんだ」
ますますぎゅっと細い眉を寄せるので、ほとんど睨むようになっていた。
「何が不満だ……?」
不思議な顔をするものだ。
物珍しさに彼女の頰を撫でると、手のひらに感じるのは、滑らかであたたかい、柔らかい肌だった。




