荒れ地のダンジョン(11)
初めは、空気が風に揺らいだような気配。
グランヴィーオが気づき、はっと周囲を見回したと同時に、腕の中に大人しくいたラクエが同じように顔を上げた。
「何……?」
オハイニも気づいた。
トールたちは、気づいていないようだ。
それは、大きな魔力――
数瞬、今度は明確な『揺れ』として、足の裏から伝わってくる。
「なんだぁ……?」
グリウが強張った声を出した。
だんだんと、徐々に大きくなる揺れと……ど、ど、ど、と地響きのような音が、聞こえてくる。
「前に出ろ全員、グリウ、後ろを警戒……」
言ったそばから、前方の遠い岩壁、そこにぽっかり開いた穴から、ぬっと、何かが出てきた。
黒い。
それしか、分からなかった。
それが、瞬きをした次には、あんなに見通しがよかった風景の半分を、黒いものが埋めていた。
穴から出てきた黒いそれが、大きくて、動きが速すぎるのだと。
悟った瞬間にグランヴィーオはラクエを近くにいたオハイニに投げ。
駆け出した。
あっけにとられたままのトールよりも前方に、身体を押し出し――それが精一杯だった。
目の前が、真っ黒のそれで埋め尽くされる。
次の一瞬、浮遊感と、激痛と、全身を千切らんばかりに引き延ばそうとする力が、グランヴィーオに感じられるすべてだった。
一拍遅れて、誰かの悲鳴が聞こえた。
(……失敗、した)
腹に食い込むなにか。
目が見えないのは、おそらく衝撃で脳が迷走しているからだ。激痛で意識が飛びそうになりながら、魔力を身につけた封石から手繰り寄せる。
(防壁が、間に合わなかった)
何か、は動きが速すぎて、知覚するのがようやくだった。
敵だろう、おそらく大型で強大な魔物。
魔術は準備もできなかった。
(まだ、出来た、ほうか)
抱き上げていたラクエを離せたのは良かった。
まっさきに餌食になりそうだったトールも、どうやら飛び出したグランヴィーオが先になった。
自分は今おそらく、魔物の大きな口にでも食われている最中に違いない。
(構築……遅い)
痛みが、魔力を操る感覚の邪魔をする。気絶しかけているのを、どうにかこらえ、構築し――
結界の展開。
ごお、と唸るような音が聞こえて、身体を拘束していた何かが外れた。次に浮遊感。
(治癒魔術を)
浮遊感が消え、どっ!と、強い衝撃を全身に受ける直前、治癒魔術は完成した。
痛みはぐんぐんと消えていく。急速に治ったせいで違和感があるが、それは無視する。
「グランヴィーオ!」
誰かの声がする。だが、そちらを向く暇がない。
「アオォォオオオ!」
大きな咆哮と、バシン、バシン、と何か硬いものを思い切り叩くような音。ドスドスと地響きが連続して耳を叩いて、頭が割れそうだ。
地面に倒れ込んでいた、もとい、落ちて転がっていた状態グランヴィーオは、ようやく動くようになった身体を起こし、見上げた。
自分の周りに結界――魔力の壁を作ってたのだが、それを執拗に上から踏み潰そうとする暴れるものがある。
黒い毛むくじゃらの脚とその鋭く大きな鈎爪。
視界を覆い尽くさんばかりの巨体、そして――その巨体に生えた2つの首。
「オルトロス……?」
驚きとともに、その魔物の名を呟く。
犬の頭をふたつ持つ巨大な魔物。
(何故、こんなところに?)
あまりにも意外すぎて、一瞬呆けてしまったが、どこからかまた自分の名を呼ぶ声がして我に返る。
このオルトロスは、今は、幸いにもグランヴィーオにしか意識が向いていない。
ふらつく足を踏みしめて立ち上がる。
相変わらず結界を叩き、地団駄を踏むようにその場で暴れるオルトロス。
その2つの頭のひとつが、赤い目を剥き、大きなあぎとを広げたまま、赤い舌とよだれを垂らしている。
どうやら、グランヴィーオが強固な結界を張ったため、自分を咥えていた顎が外れたのだろう。
「なるほど」
その顎が外れた頭に向けて。
魔力を構築、凝縮して飛ばした。
ごしゃ、と音がして、オルトロスの顎下、それと脳天から血が吹き出した。首が力を失って、だらりと落ちる。
オルトロスは音にならないほどの絶叫しながら、暴れまわる。
「静かにしろ」
巨体が真上で暴れるのだ、目標が定まらない。
魔力構築、重力場の展開。
ズドンッ!と大げさな音を立てて、オルトロスは地に伏した。
唸りながら藻掻こうとして黒い巨体に力を入れてボコボコと筋肉が盛り上がる……だが、逃れられない。
魔力によるただの拘束なら、力任せで逃れられることもあるだろう。
だが、今はそれとは違い、絶対的な『理』、力場の展開だ。
続けて、複数の魔術構築。
先ほどと同じ、魔力を凝縮し、尖らせ――オルトロスのあらゆる急所に飛ばした。
残る頭、首、胸、脇腹、背中。
赤い血が吹き出し、巨体はビクビクと何度か小さく跳ねた後、完全に沈黙した。
「……グランヴィーオ!」
振り返ると、オハイニが青ざめた顔で近くに走ってきていた。返事をする前に、肩を掴まれた。
「大丈夫なの!?……げ!?」
血まみれのグランヴィーオに、ますます青くなって魔力構築しようとするオハイニをとどめた。
「もう治した、」
言い切る前に、オハイニはグランヴィーオの破れた服をべろりと剥く。
「嘘でしょ!?」
「……」
自分でも剥き出しにされた腹を見るが、汚れているものの傷は消えている。
おそらく、あのとき、口に咥えられてオルトロスの牙が腹を貫通したのだろう。
「おい、痴女」
不機嫌そうな低い声が聞こえたかと思うと、オハイニがふらっと後ろに下がった。トールが、彼女の襟を掴んだらしい。
「なにしやがってんだ」
「心配だったんだよ!アンタもだろ!?」
「心配なら勢いよく食らいつくな!」
不機嫌そうな声と同じ表情のトール。襟を掴まれながら喚くオハイニ。
それと。
「……?」
とす、と腰に軽い衝撃があって、見下ろすとラクエがこちらに抱きついてじっと見上げていた。
「何か?」
「……」
無言。だが、黄金の丸い目が、じっと強い光で見つめ続けている。
「ラクエも心配したんだよ!ったく、驚いたのなんのって……」
「心配?」
そんな感情が、この生まれて数日の使い魔にこんなに早く芽生えるとは思えないが。
ともかくなにか訴えているラクエの小さな頭を撫でよう――として、汚れていることに気がついて、手をおろした。
何やらラクエの目の力が増した気がする。
「兄さん本当に良かったぁ」
情けない声と顔で、グリウが少し離れた向こうで弓を構えていた。ひゅっと矢が放たれ、どこかでぎゃ、という断末魔が上がった。
魔物が残っていたらしい。
ベルソンも少し離れたところにいるのを見ると、警戒しているらしい。なかなか気が利く。
オルトロスは倒したが、どこかに隠れているのもいるのだろう。




