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竹取奇譚 ~冓物語~  作者: 累々 蛍垓
第一章 大和編
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第八話


「竹千夜様っ、宿に到着しましたよ! 起きてますか!?」

「……すまないが、貴殿の声が頭に響く。もう少し声量を抑えてもらえないだろうか……?」

「貴方様はうつけ者ですか!? こんな状態だと、意識を失った瞬間に御陀仏かもしれないでしょ!?」


 それは流石に心配し過ぎだ。

 竹千夜は言葉を発しかけ、胸部を一直線へ横切る刀傷の疼きに悶えた。

 人斬りから逃げる道中、哥刈の協力もあって傷口を布で縛って止血したが、溢れ出た血液がすでに足元まで垂れている。実際、哥刈が声を掛け続けてくれなければ、竹千夜の意識は飛んでおり、彼の生死も不明だっただろう。

 宿の女将は、血塗れの竹千夜と返り血を浴びた哥刈を迎えるなり、悲鳴を上げて尻餅をついた。しかし、竹千夜の容態を把握するなり、水を張った結桶と手拭いを持って来た。

 急いで部屋へ運ばれた竹千夜は、女将から血塗れになった着物をはぎ取られる。

 当初は、裸の殿方を直視できず、破廉恥さから己が視界を遮る哥刈だった。しかし、やや時間が経過するなり覚悟を決め、濡らした手拭いで竹千夜の全身を丁寧に拭いた。


「ぃてっ」

「す、すみません! もう少しで終わるので我慢して下さい!」


 傷口の沁みた竹千夜が苦痛に顔を歪ませる。

 哥刈は傷だらけの体を見て不安になると同時に、竹取之翁として修行を重ねた彼の肉体に触れ、温かくも無骨であることへ安堵した。

 その後、女将が夫の着物を譲ってくれるとのことで、竹千夜を着替えさせると、ようやく哥刈は一息ついた。


「女将様、先刻の助力、大変感謝します。ありがとうございました……!」

「いいってことさ。アタシもここ数日、能面翁の旦那に道具やら設備を修理してもらったんだ。世の中は助け合いさ。それで……誰にやられたんだぃ? まさか、巷で噂の不死身の人斬りじゃないだろうねぇ?」


 女将は元気付けようと冗談交じりに言うが、深刻な表情で沈黙した哥刈の様子を見るなり、驚きの表情へ移ろう。


「はは……冗談で言ったつもりだったんだが……、まさか当たっちまうとはねぇ。奴と戦った者は生きて帰れないと聞くが……本当かぃ?」

「はい、誠に遺憾ながら我々はご覧の通り、為す術なく大敗を喫しました」

「どんな姿だったんだぃ」

「布で全身を覆っていたのではっきりとは……。ただ、あの体躯と剣術は、紛れもなく由緒ある生まれの者です」

「なるほどねぇ……どういうわけか、アンタと能面翁の旦那は人斬りに勝たなきゃいけないわけだね? ふぅむ、あまり客の事情に深入りするのは、営業として御法度だがぁ……」


 すると、女将は哥刈を厨房まで案内する。


「アンタは旦那に勝ってほしいかい?」

「────はい、もちろん」

「いい返事だ。なら、アタシらは男どもを支えてあげないとねぇ! さ、精のつく飯でも作るよぉ!」

「よ、よろしいのですか?」

「おうさ! アタシも不死身の人斬りには迷惑しててねぇ。最近は客も減って商売上がったりなんだ」


 女将は腕まくりすると、机に食材を並べる。

 米、稗、大豆、筍、茶葉、そして『乾燥した栗』。

 哥刈は乾燥した栗を不思議そうに見つめた。


「一体何を作ろうというのですか?」

「『茶飯』だよ。茶や醤油、旬の野菜を一緒に炊き込む料理さ。特に大和では、その『搗栗(かちぐり)』が必要不可欠なのさ」

「搗栗……?」

「おうさ、臼で『()つ』と『勝つ』が掛かった縁起物でねぇ。アンタ、三献(さんこん)の儀って知ってるかい? 起源は室町時代とされる、出陣前に執り行う武士のゲン担ぎさ。搗栗はその時食べられた栄養満点な携帯食料でね。戦国の世を駆けた織田信長、ましてや徳川一代目将軍の家康様さえ食べてたなんて話もある」

「なんと……名だたる先人たちも食していたとは」


 不死身の人斬りに敗北した彼らにとって、なんと心強い食べ物だろうか。

 女将は調理しつつ、茶飯についてこう語った。

 本来は僧侶が東大寺の練行衆の献立で、庶民が日常的に食べるものではない。しかし、どこから情報が漏れたのか、栄養満点とのことで庶民も食べるようになったと。


「さぁ、これで完成だよ! 早く旦那のとこに持ってってやりな」

「あ、ありがとうございます! 貴女様のおかげで、大変なご馳走が完成しました」

「いやいや、アンタが手伝ってくれたおかげで、こんなにも早く出来ちまったよ!」


 哥刈は女将に頭を下げると、急いで竹千夜の元へ茶飯を持っていく。はやる気持ちを抑え、盆に乗せた茶飯を落とさないよう、途中から慎重になりながら寝室に到着した。

 室内に優しい茶の香りが広がり、竹千夜の重たかった瞼がゆっくり開く。


「……良い匂いだ」

「竹千夜様、精の出る料理を持って参りました。冷めない内にいかがですか?」


 哥刈から盆ごと茶飯を受け取る────寸前、竹千夜は彼女の指先の変化に気付く。

 陶器の如く滑らかな指が、傷だらけになっていた。


「もしや貴殿が作ってくれたのか……?」

「女将様もですが、私が全て作ったわけではございませんよ

。ほんの少し野菜を切っただけです。私は女将様の手伝いを……いえ、手伝いにすらなってませんね、あはは……」


 無力な自分を卑下するが如く、苦しそうに笑う。

 しかし、憂い表情を浮かべる彼女の小さな手が、竹千夜の無骨な手で包まれた。茶飯をすぐ隣へ置き、彼の鼻孔を醤油で燻した茶葉の匂いが掠める。


「貴殿がどう関与したか、は些細な問題ではないよ」

「どういうことですか?」

「俺ほど治癒力が高くないにもかかわらず、天人の貴殿は俺のために艶やかな指先を傷つけてまで食事を用意してくれた。俺にはそれが、とても嬉しくてたまらないのだ」


 理解できない哥刈は首を傾げる。


「貴殿は人斬りから俺を逃すために光を放った。そして、快復のために慣れぬ料理を振る舞ってくれた。どうしてだろうか? 天人としての情けか? 遺産集めに俺の力が必要だからか?」

「もちろん、貴方様の言う通りです……が、そんなことよりも竹千夜を心配したからに決まってます! ────あ」

「そういうことだよ」


 哥刈は考え込んでしまった。

 その様子へ見惚れそうになるが、せっかく己がために作ってくれた料理が冷めては申し訳ないと思い、竹千夜は茶飯を口の中にかき込んだ。

 醤油の塩気と茶の苦味や清涼感が混ざり、しつこくない後味の軽さが癖になる。また、豆や筍の食感が心地よく、搗栗の甘みは満腹感を底上げした。

 無意識に食べ進める竹千夜は、一度息継ぎするため箸を置き、「美味い」と呟いて、再度食べ始めた。


「哥刈、大変美味しかったよ」


 そして、怪我人であることを忘れる速さで平らげてしまい、感謝を述べながら竹千夜が笑う。普段、能面翁で隠れた彼の素顔は、哥刈の瞳に輝いて映って見えた。

 我に返った哥刈は、頬を赤くして笑い返す。

 そして、空になった土鍋を盆ごと持ち上げ、「では、女将様の元へ戻してきますね」と言って立ち上がろうとした直後────



「──お取込みのところ申し訳ありません」

「……何奴っ!?」


 女将の声とかけ離れた、冷静で抑揚のない男性の声が囁き、竹千夜たちは警戒した表情で、寝室の入り口へ視線を移す。そこには行燈で照らされ、障子に一つの人影が浮かび上がっているではないか。

 竹千夜は、いかに今の自分が全快でないとはいえ、男の気配を察知できなかったことへ頭痛を感じた。

 すると、男は竹千夜が抱く不安を感じ取ったのか、敵意が皆無だと証明するため、静かに障子を動かす。

 現れた男は、太平の世になって滅法見なくなった忍び装束姿だった。


「驚かせてしまい申し訳ない。私は柳生家にて雇われた忍者です」

「……どうして柳生家の名が出てくる? それに忍者だと? 俺たちはずっと監視されていたというのか」


 平常心を取り繕う竹千夜とは反対に、警戒を解かない哥刈だったが竹千夜が彼女を制する。


「彼に敵意がないのは本当だ。忍者にとって姿を現すことは死と同義。ましてや、雇い主の名まで口外するなぞ、一族郎党皆殺しにされるほどの行為だ」

「かたじけない……。私は最初から、貴方たちを監視していたわけではないのです。貴方たちなら人斬りを倒せると思い、先程から監視させていただいておりました」

「何故柳生の人間が人斬りを監視する必要がある?」


 少し思考し、竹千夜は深呼吸する。


「……まさかとは思うが、不死身の人斬りは『柳生家』に所縁があり、唯一生き残った俺たちへ討伐依頼をしたい。そのため、忍の尊厳を捨てる情報を吐き、商談に持ち込んだ……と?」

「その通りです。どうか……三厳(みつよし)様を止めてほしいのです」


 三厳。

 竹千夜が首を傾げると、忍者は捕捉するが如く付け加えた。

 柳生 三厳。大和柳生藩の藩主である柳生 宗矩(むねのり)の倅であり、またの名を────柳生 十兵衛と。




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