第三話
◇江戸時代の距離を測る単語◇
一間…1.8182m。一間=六尺
一尺…30.303m
大和中央にて高取山の高取城、その城下町にあたる土佐町が発展していた。
『土佐』と聞けば、南海道に位置する土佐国を想像する者もいるだろう。しかし、土佐国と土佐町はかけ離れた土地に位置し、成り立ちにおいては親密な関係を持つ。
その歴史は今からずっと過去……六世紀まで遡る。当時、都造りのため土佐国から労働者が招集された。しかし、彼らは土佐へ帰ることができないまま定住し、故郷の名を付けたことが土佐町の起源だとされる。
現在、土佐町は高取藩の支配下にあり、寛永十四年の藩主は本多 俊正が倅、第二代藩主・本多 政武であった。
「人里は栄えてますね!」
「これでも堺や中之島と比べたら全然だ。むしろ四十になる政武様が未だ無嗣なため、土佐町……高取藩の活気は良くない状態と言えるだろう」
「殿方の世継ぎが必要だなんて、人間の長は大変なのですねぇ」
目を輝かせる哥刈と対照的に、竹千夜は慣れた様子で案内する。
彼は『活気が良くない』と説明するが、野菜や着物売りの店がちらほらと確認でき、間違いなく商業の芽が育まれつつある町なのは間違いない。
中には囲碁を打ち合う者もいたが、政武様が囲碁の名人故に影響されたんだろう、と竹千夜が隣から捕捉を入れた。
「そもそもなのだが、貴殿は人界を知らないのか? 天人なら森羅万象を把握していそうなものだが」
「うふふ、天人も万能ではございませんよ。仮に竹千夜様の想像通りならば、我々は己が手で『かぐやの遺産』を蒐集しているはずですから」
「これは一本取られた。だが、自信満々に言えることではないだろ」
人々の生活に目を奪われる哥刈だったが、ふと思い出したのか竹千夜の顔を指差す。
「ずっと気になっていたのですが、まさかその面を付けたまま旅をされるのですか? 事情を知らぬ者が見たら、奇人変人だと指を差されませぬこと……?」
「これは家宝であり、竹取之翁の意志でもある。そう易々と手放せるものではないよ。それに────」
彼が視線を投げた先には、老若男女問わず人だかりが出来ており、竹千夜の存在に気付くな否や駆け寄った。
「よぉ、竹売りの坊主! お前さんの竹籠が欲しいって奴がいるんだよぉ!」
「水筒を作ってるんだって? 旦那が畑仕事であちぃ喉乾いたぁと五月蠅いのよぉ」
「竹売りの兄ちゃん、おらに竹とんぼ売ってくれ!」
竹千夜は能面越しに哥刈へ視線を向けた。
翁の能面は彼を竹取之翁たらしめる物であり、顔を覚えてもらうための商売道具でもあるのだ。
哥刈は彼の商魂逞しさに感嘆する。
「皆、申し訳ないのだが、今日は竹売りに来たわけではない。私用でしばらく休業することになったから知らせに来たのだ」
「あらら、そりゃ残念ねぇ」
「もしかしてよぉ、隣の別嬪と新婚旅行だったりすんのかぁ!? あの小さかった坊主が遂になぁ!」
男性客の発言に対し、竹千夜は否定しようと身を乗り出すが、哥刈が静止させた。
「お初にお目にかかります。先日、竹千夜様と結納を交わした哥刈と申します。この度は婚姻を祝し、江戸まで旅に出ようと計画しておりますの」
哥刈は釘付けになるほど綺麗な角度のお辞儀をする。
その場にいた者は男女問わず見惚れ、我に返るなり「こんなに出来た嫁、どこで見つけたのか」と盛り上がった。
だが、竹千夜はその光景から視線を外し、声を潜めて哥刈に話しかける。
「……貴殿と邂逅してまだ一日だが、婚姻を結ぶなど聞いてないぞ!? それに貴殿は俺とそのような関係だと思われて良いのか?」
「……むしろ、恋仲もとい夫婦でない男女が共に旅するなど、周囲から疑いの目を向けられる可能性がございます。今後の旅から不都合を少しでも排斥できるなら、偽りの関係など気になりませんよ」
「むぅ……そうか、貴殿が納得しているならいいんだ」
「もしかして、この雅なる私に意識してほしか────」
「うわあああああああぁぁぁ!!!」
その時である。
突然民衆を切り裂く悲鳴と共に、破壊音が鳴り響いた。火薬が暴発したのか……それは否である。
何事かと竹千夜たちが声の方角を見れば、逃げ惑う民と破壊された長屋の一部が宙を舞っていた。
「一体何が起きたのですか!?」
「あれは……『一本踏鞴』ッ、物の怪の類だ!」
一本踏鞴。
大和と紀伊の間に位置する果無山脈に出没する妖怪である。八尺余りの巨体を支える筋骨隆々な一本足。猪の如き顔立ちから覗かせる充血した一つ目。
本来ならば、十二月二十日のみ姿を現し、人里よりも山に生息する物の怪のはず。何故、ここにいるのか。
「人界は斯様な物の怪が溢れているのですね! 竹千夜様が近辺に結界を張っていた理由が理解できました!」
「冷静に納得している場合ではないだろ! 早く貴殿も民と共に避難するのだ!」
「主に避難しろって……竹千夜様はどうなさるつもりですか!? 貴方は刀さえ所持していないのですよ、死ぬつもりですか!?」
哥刈は共に逃げようと竹千夜の腕を引っ張る。
しかし、能面越しに見える彼の眼差しは、恐怖でも諦念でもなく────自信であった。
「この程度の物の怪、容易に討伐できなければ遺産所有者の兵共に勝てまいよ。致し方ないが、貴殿が俺の実力を測る良い機会だろう」
彼はそう言い放ち、能面の目元を押さえたまま俯いた。
すると、能面の目から“血”が滴り、流れ、やがて夥しく零れ落ちる。血液が土に触れ、染み込む────と思った矢先、血液が集合して一つの物体を形成した。
その形状は天人の哥刈でさえ思い当たるものが一つある。
凝血して顕現した深紅の日本刀。翁の血涙から生まれた武器だった。
竹千夜は血の刀を掴み、剣先を一本踏鞴へ向ける。
「竹千夜様……、これは……」
「讃岐造はかぐや姫の強制帰還に対し、苦痛や遺憾が籠った血涙を流した。だが、その時に己が変化へ気付いたと聞く。二十もの歳月、月の力を間近で浴びたことが原因で、血液を操る妖術が備わっていたのだ」
「なるほど……道理で一般人と思えぬ力を宿していると思ったわけです」
「かぐや姫が再び現れた時、今度こそ彼女の帰還を阻止できるよう先代たちが模索し、研鑽し、研究に研究を重ねて到達し、現在俺が継承している。その名も────【血継剣】ッ」
一本踏鞴は足が一本しかないため、跳ねながら移動する。しかし、強靭な脚から放たれる移動幅は、目測にて約二間。滞空時間こそ遅く感じるが、一歩による移動距離が大きいため、油断すればあっという間に距離を詰められるだろう。
跳ねるたびに地面が僅かに揺れ、田んぼに張る水面が揺れ歪む。
徐々に接近する振動は、双眸を閉じていても物の怪の存在を知らせた。
『■■■■■■ッッッ!!!』
「こっちだッ」
一本踏鞴は、竹千夜を充血した眼球で捉え、腹の底から咆哮した。涎を撒き散らす姿は、最早物の怪というより獣に近い。
そして、竹千夜と距離が迫る────と、一本踏鞴は大きく口を開いて彼の捕食を試みる。悪臭と唾液が竹千夜の頬を掠め、寸でのところで回避した。
『■■■■ッ!?!?』
一本踏鞴が狼狽えたかと思えば、口を開いたまま涎と血の混ざった液体を流している。
一体何が起きたのか、民衆が困惑の眼差しを浮かべるが、哥刈だけ理解していた。竹千夜は捕食攻撃を回避すると同時に、一本踏鞴の顎の腱を斬ったのだ。
哥刈は瞳を輝かせる。
物の怪へ冷静に戦える彼との、遺産集めの旅路への希望を垣間見て。
「お前の強みは凄まじい跳躍力が上乗せされた、一撃必殺とも言える攻撃力だ。だが、同時に攻撃の一つ一つに隙が大きく、跳躍の滞空時間が長いということは────」
口を使った攻撃が封じられ、一本踏鞴は跳ね、丸太の如く太い筋肉質な脚を振り回す。
「空中で攻撃された時、回避するための方向転換が取れないということだ」
『■■■■■──ッ、■■■■■■────っ!!!』
蹴りを避け、血継剣で足の腱を斬る。回避したが、突風が如き砂埃が舞い上がり、直撃すれば四肢が木っ端微塵になっていた未来が容易に想像できる。
そして、一本踏鞴は跳躍の勢いが乗ったまま、着地できず倒れ込んだ。
機動力を失った者が辿る末路はただ一つ。
竹千夜は一本踏鞴の心臓目掛けて血継剣を突き下ろし、動かなくなったことを確認して引き抜いた。
「竹千夜様っ!」
一息つく彼の元へ哥刈が駆け寄った。絹の如く美しい髪が乱れた姿も、また艶やかである。
血継剣を解除すると、逆再生するが如く能面の目から血液を逆流させ、あっという間に収納した。
「怪我はございませんか!?」
「心配をかけたな。俺の本業は竹売りだが、同時に物の怪退治もしている。不定期ではあるが」
ホッと安堵する哥刈をよそに、竹千夜は不穏な様子でお得意様の男性客に話かけた。
「竹売りの兄ちゃん、さっきはありがとな!」
「礼ならいい。それよりも……あの物の怪は、ここよりずっと南かつ冬にのみ現れるはず。何か最近変わったことはあるか?」
「桜井から来た商人から聞いた噂だが……、どうにも物の怪の動きが活発らしいぜ。しかも、鬼が扇動してるなんて話もある」
「鬼……か」
桜井は土佐町からもっと北上した町で、発展具合は土佐町よりも上である。また、大和最大の町・奈良町にも近いため、発展の影響が大きい。
流石に堺・中之島ほど人や金は集まっていないが、商業の町と言って差し支えないだろう。
「政武様も物の怪の対処に追われてて、不調気味だと聞く。無嗣の件や物の怪で手いっぱいなんだろうよ。藩士も人間相手ならともかく、物の怪相手の戦いが多くて士気が悪ぃよ。おかげで年貢が上がってとばっちりだ」
「なるほどな……情報提供に感謝する」
「おぅ! 兄ちゃんも嬢ちゃんとの新婚旅行を楽しんでこいよ! まぁなんだ、兄ちゃんの腕なら物の怪騒ぎも大丈夫だろうが、気を付けろよぉ!」
竹千夜は男性客に手を振り、その場を後にした。
一連の話を聞いていた哥刈は、彼の隣を歩きながら質問する。
「何かわかりましたか?」
「確信に至るほどではないよ。ただ……鬼や物の怪の活性化と『かぐやの遺産』に関連性はあるのかと考えてな。この仮説が正しいならば、遺産の所有者も何かしら能力を得ているはず……杞憂に終わればいいのだが」
「理由を訊いても?」
竹千夜の指が能面翁に触れる。
「讃岐造は月の力の影響を受けた。ならば、彼の力と同じものが宿る遺産は、果たして周辺に異変を及ぼすのか、と疑問が浮かんだ」
「確かに、月の力が生態系へ影響を及ぼす可能性は否定できません。実際、平安の世でも鬼が活動しており、かぐやの影響だと聞き及んでおります。ただ、歴代の竹取之翁の如き【月の力を持つ人間】はありえないでしょう」
彼女が自信満々に言い切ったものだから、竹千夜はやや食い気味に尋ねた。
「どうして言い切れる?」
「例えば、血を操る能力なら、讃岐造殿は血涙を流す前に気付くはずです。二十年もの時間の中で、一切無傷の人間などいないでしょう? 偶然指を切ったり、擦りむいて血を流すはずです。つまり、人間が天人の如き力を授かるには、『月の力を浴びた土台』と『狂気に近しい強力な感情』が必要なのです」
「なるほど……九百年近く存続する竹取之翁など、狂気に等しい妄執だと言えよう」
竹千夜は、特殊な兵と戦わない安心感と同時に、実力で天人を退けた所有者たちを想像し、喉元に刃先を突き立てられるが如き悪寒を感じた。
「考えても解決しないな。急いで摂津へ向かおう」
「ふふっ、良い旅路になることをお祈りします、旦那様」
「…………、二人の時は勘弁してくれ」
哥刈が笑う時はろくでもないことを考えているのだ。
旅の相方に対し、一つ学んだ竹千夜であった。