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氷の魚

作者: 高橋 光太


 前日から冷蔵庫に入れておいたペットボトルの麦茶は冷気の吹き出し口に近かったせいか、底のあたりが凍っていた。飲めないわけでもないしこの炎天下、逆に都合がいいと思いながらそれを鞄に入れ、家を出る。


 小学生たちが行儀よく一列に並び、プールバック片手に歩いていた。きっと夏休みに解放されている学校のプールに行くのだろう。今日は暑い、午前中の今はまだいいが午後からは30度を余裕で超えるとニュースでいっていた。


 けのび、クロール、ビート板。懐かしい単語が聞こえる。俺はプールが、水泳が好きではなかった。理由は単純だ、泳げなかったから。泳げない数人で集められて、プールの端っこで先生に手を引かれながら息継ぎの練習をする日々は実にみじめだった。なんで水泳なんて存在するんだろう、人は将来魚になるんだろうか。真剣にそう考えたこともあった。大人になったら魚にならなければならないのなら、俺は大人になんてなりたくない。子供会で作った七夕の短冊に「大人になっても人間でいたい」とまで書いた。


 小学校の校門に消えていく子供たちを見送りながら、今はうらやましいと思う。だって女子の水着が合法で見放題である。ビキニもいいがやっぱスク水こそ至高だ。当時はただただ水泳を嫌うだけで女子に目を向けている余裕なんてなかった。そんなことを思ってしまうあたりもう俺は純粋だったあのころには戻れない、なりたくなかった大人というものになっているのだろう。



 路地をぬけ大通りに出るとクラスメートが目の前を通り過ぎていった。


 「小松さん」


 声をかける。向こうは気づかなかったのか速度をゆるめることなく遠ざかっていく。


 なおも声をかけようとして、彼女が持っているものに気づいてやめた。心の底の部分が凍ったように冷たくて、痛い。


 彼女は水泳部だ。部で毎日校門前に集まり、学校からバスに乗って近くの公営プールで泳いでいる。そして彼女が好きな異性のタイプが、「泳げる人」であることも知っている。


 大人になっても人は魚にならない。小さい頃の誤解はとうの昔に解けている。けれど本当に魚になる人もいるのだということは、彼女に出会ってから知った。


 小松さんは人魚だ。陸にいるときよりもずっと、自由自在に水の中を移動する。


 黒いスポーツバックを持った彼女が角を曲がり、見えなくなる。


 時計を確認すると、もう少しで補習が始まりそうだった。走りだそうとしていったん足を止め、鞄から麦茶を取り出して飲む。ついさっきまで凍っていたそれはもうすっかり溶け、結露して鞄の中をぬらしていた。


 ゆるゆると走りながら流れる汗を手の甲で払う。俺の心の底の氷は溶ける気配を見せないのに、結露のように汗ばかりが吹き出す。ああ、嫌だ。


 普段の授業とは違う、補習に合わせた時間に鳴るチャイムと同時に校門をくぐると、水泳部の仲間なんだろう男子と談笑していた小松さんに「おはよう」と声をかけられた。



 ああ、今日は暑い。


お読みいただきありがとうございました。

※昔書いた小説を再投稿しています。

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