勇者と聖女の旅立ち
村人達に見送られ、セルヒオとリタは村を後にした。彼は馬に乗れない。馬は高級品なのでこの村にはいないからだ。その代わりに魔獣退治に村の周辺、主に山々を歩き回っていたので体力には自信がある。しかし、暫く歩くと立派な馬車が停まっていた。御者席に腰掛けていた男性が二人に気付き、席から飛び降りてリタに一礼をする。
「無事に見つかったようで何よりです」
「光が見えると言ったでしょう? 彼が勇者セルヒオ様よ」
男性はセルヒオを頭の先から爪先まで一瞥すると、無表情で彼を見つめた。しかしその視線には何処か馬鹿にしたような雰囲気がある。彼が着ているのは麻で出来た襤褸服。一方、男性は綺麗な軍服に身を包んでいた。
「流石にその格好では国王陛下の元へご案内は出来ません」
「国王陛下なんて関係ない。魔王を倒すだけだ」
「関係ない? あなたは本当に勇者なのですか?」
「やめなさい、オダリス。聖剣が見えないの?」
リタにオダリスと呼ばれた男はセルヒオの腰に視線を向ける。そこには立派な鞘に納まった剣がある。剣を扱う者ならば、その剣が纏う雰囲気が尋常ではないと気付くだろう。しかもオダリスはリタと共にここまで来たのだ。その聖なる力も感じ取った。
「確かに聖剣のようですね」
オダリスは悔しかったものの、極めて冷静な声で答えた。彼もまた勇者に憧れた者だが、聖剣を手に出来なかった。どうしてこんな田舎者に与えられたのかと、神を詰りたくなる気持ちを何とか抑える。そんな彼を気にせずリタはセルヒオに微笑みかけた。
「さぁ、セルヒオ様。馬車で王都まで向かいましょう」
「魔王は王都にいるのか?」
魔王が王都になどいるはずがない。そのような常識もない男が勇者だとオダリスは認めたくなくて厳しい視線をセルヒオに向ける。
「おい、貴様。まず言葉遣いに気を付けろ。次に考えてから話せ。もし阿呆な物言いしか出来ないのなら黙っていろ」
「あぁ?」
セルヒオは苛立ちを隠さずオダリスを睨む。しかしオダリスも負けじと睨み返す。
「オダリス、いい加減にしなさい」
「しかし」
「私達の関係は勇者と聖女。出自なんて関係ないの」
リタにきっぱり言われてしまうと、オダリスに返す言葉などない。勇者と聖女が一緒に立ち向かわなければ、魔王は倒せないと伝わっている。聖女は勇者に聖剣を与えるが、それを扱えるのは勇者だけで他の誰もが振れない。また魔獣によって傷付いた勇者を一瞬で癒せるのは聖女の持つ聖なる力だけ。二人が協力しなければ魔王は倒せない。
オダリスが悔しくて黙ると、馬車の扉を開いて中から女性が一人出てきた。お仕着せのような服を纏った女性は、一礼をするとリタに視線を向ける。
「リタお嬢様。そろそろ出立致しませんと今夜の宿に間に合いません」
「それ程遠かったかしら?」
「はい。それにこの辺りは魔獣が出るようですから、早く立ち去りましょう」
女性の言葉がセルヒオは引っかかった。魔獣は彼が生まれる前から村の周りに出没している。だから何処もそういうものだと思い込んでいたのだ。しかし女性の口ぶりだと出ない場所があるように聞こえた。
「魔獣は何処にでもいるんじゃないのか?」
「街道には魔獣除けの聖石がないので、いつ遭遇してもおかしくありません」
「魔獣除けの石?」
馴染みのない言葉にセルヒオは不審そうに尋ねる。王都で暮らす者にとっては当たり前の聖石を知らない彼に、女性はこのままでは埒が明かないと判断をする。
「その話は後にしませんか。とにかく急ぎましょう」
「そうね、ドゥルセの言う通りだわ。まずは移動しましょう」
「移動って、魔王の所に行くんだよな?」
「まさか。まずは国王陛下に挨拶をせねばなりません」
「だが俺はエステラを助けなきゃならないんだ」
セルヒオはエステラの両親の姿が頭から離れない。一人娘を理不尽な理由で誘拐されるなど本来起こってはいけない事だ。しかし村のどこを探しても彼女は見つからず、人質として連れて行かれたのは間違いないだろう。彼は自分がゆっくりしている間に幼馴染が殺されてしまうのが怖かった。心配なら早く来いという言葉は、遅ければ殺すと言われたように思えたのだ。
しかしリタはゆっくりと首を横に振った。
「旅には先立つものが必要です。セルヒオ様は魔王に会いに行くまで、どのように旅をするおつもりですか」
「魔獣を倒して食べながら行けばいい」
セルヒオの言葉に、リタは困惑の表情を浮かべ、ドゥルセは蛮族を見るような視線を向け、オダリスは完全に見下した視線を向けた。しかしセルヒオにはその意味がわからない。しばらくの沈黙を破ったのはドゥルセだった。
「魔獣を食べるなんて野蛮ですわ。体調を崩したらどうするのですか」
「しっかり焼けばお腹を壊したりしない」
「そのようなものをリタお嬢様に食べさせるわけにはいきません」
セルヒオは目の前にいる三人が、本当に同じ人間なのかわからなくなった。自分の常識が一切通じない。確かに魔獣を食べるのは苦肉の策ではあるが、魔獣を食べずに生き延びる方法など彼の村にはなかった。
「野蛮なお前をリタお嬢様と同じ馬車に乗せる訳にはいかない。馬車の後ろを走ってついてこい」
「は?」
あまりにも理不尽な要求にセルヒオは呆れた。いくら彼が馬に乗れないとはいえ、一人だけ走れと言われる筋合いはない。
「流石にそれはセルヒオ様が可哀想だわ」
「いいえ、勇者ならそれくらい出来て当然です。馬車にもついて来られない人が魔王を倒せるものですか」
オダリスだけではなく、ドゥルセも味方ではないのだとセルヒオは思い知る。だが彼は馬車の速度がわからない。彼は村の外に出るのが初めてなのだ。
「それは人間の足でついていけるものなのか?」
「普通は難しいだろうが、神に選ばれし勇者なら可能でないとおかしい」
オダリスの口調は明らかにセルヒオを馬鹿にしている。セルヒオはオダリスと共に旅をするのは無理だと決めつけた。三人にとってみればエステラの命など何の意味もないのだろうがセルヒオは違う。彼は重いため息を吐いた。
「魔王のいる場所だけ教えてくれ。一人で行く」
「勇者と聖女が揃っていないと魔界には辿り着けません」
「それなら何故遠回りをする。さっさと行って倒せばいいだけの話だろうが」
「国王陛下に挨拶をしてから旅立つのが、魔王退治に向かうしきたりなのです」
セルヒオは明らかに不満そうな表情を浮かべた。やたらと国王に会わせようとしていたのは、くだらないしきたりの為らしい。そのしきたりに意味など彼には見いだせない。三人にとっては常識なのかもしれないが、彼はこの話を初めて聞いたのだから。
「魔獣が次々出現しても助けてくれない国王に挨拶をする意味が見いだせない」
「不敬な事を言うな。国王陛下は国民の為に日々努められている」
「お前、俺の見た目だけで見下しただろ。この村が貧しい原因は不作でも一切徴税をやめない国王のせいだ。何故あいつらは毎年魔獣に襲われず取り立てに来るのか不思議だったんだが、聖石とやらを持っていたんだな」
セルヒオは長年の疑問が解消されたものの、気分は最悪だった。聖石に守られた都でぬくぬくと暮らしている奴等の為に、苦労して育てた穀物を根こそぎ持っていかれる絶望をこの三人は知らない。むしろ三人はその根こそぎ持っていったものを、努力なく手に入れて食べていたのかと思うと吐き気さえした。
「聖剣はありがたく頂いていく。じゃあな」
「待って下さい。セルヒオ様だけでは辿り着けません!」
「過去に誰も試してないだけかもしれない。あんた達は聖石に守られた所でゆっくりしてればいい」
セルヒオは片手を上げると背を向けて歩き始めた。村の外に出た事はないが、行商人から道筋は聞いた記憶がある。口煩い奴らがいるよりは一人の方が断然魔王の所へ辿り着くのが早いはずだと、彼は謎の自信を持っていた。
しかし勇者と聖女が揃わなければ魔界に辿り着けないと知っているリタはセルヒオを追いかけようとした。それをドゥルセが腕を引っ張って止める。
「ドゥルセ、離して」
「あのような野蛮な者は捨ておきましょう。他に勇者を探せばいいではありませんか」
「それは出来ない。セルヒオ様でないといけないの」
リタは今にも泣きそうな表情をドゥルセに向けて訴える。リタは最初、王都内で勇者を探したのだが一向に聖剣を手にする者が見当たらなかった。見つからないかもしれないと諦めかけた時に、この村の方向に光が見えて三人でやってきたのだ。セルヒオ以外などリタには考えられない。
「リタお嬢様は今もあいつの光が見えていますか?」
オダリスに冷静に問われ、リタは視線をセルヒオが歩いていった方向に向ける。まだたいして時間が経っていないはずなのに、既にセルヒオの姿は目視出来ない。しかしここへ来る途中と同じ光は確かにその先に見えた。
「えぇ、見えるわ」
「それでしたらその光から離れないように移動しませんか。どうせ魔獣に襲われますよ」
「そ、そうね。セルヒオ様も傷を負えば私の存在を思い出すわ。私が癒せば一緒に行ってくれるはず」
正直オダリスとドゥルセは一緒に行きたくないが、これはあくまでも勇者と聖女の旅。リタがセルヒオでなければいけないと言うのなら、二人は従うしかない。
こうして勇者セルヒオと聖女リタは少し離れながら移動を開始したのである。その様子を水晶を通して魔王バルドゥイノが見ている事など、知るはずもない。