おもてなし
エステラは水晶に向かって話すのがどうにも抵抗があった。両親を安心させるような笑顔で話しかけなければいけないのだが、水晶に向かって話していると頭がおかしくなったような気分になる。そもそも水晶に映った娘を見て両親が安心するのかさえ不安になってきた。
「ロミと遊んでいる映像を撮って送りますか?」
エステラが上手く話せないのを察してルフィナが提案をする。エステラの膝の上で大人しくしていたロミも瞳を輝かせて彼女を見上げる。しかしエステラは首を横に振って拒否をした。魔獣と遊んでいる娘を見たら両親は混乱するだろう。ただでさえ水晶が宙に浮くというありえない現象を目の前にするのだ。冷静に現状を伝えるべきだとエステラは思っていた。
「それでは休憩にしませんか? 食事を用意致しますよ」
「食事?」
ルフィナの提案を受けて、エステラは急に空腹を思い出した。セルヒオの治療を終わらせてから食事にしようと思っていたので、拉致された時には既に空腹だったのだ。よく考えれば飲み物さえ口にしていない。そう思い出すとエステラは急激に喉の渇きが気になった。
「食事ってどういう感じ?」
魔族の食事が自分の口に合うのか、エステラは不安だったので尋ねた。ルフィナは笑顔を浮かべる。
「勿論、エステラ様に合わせたものをご用意致します」
「わかった。食事にする」
「では準備致しますので少々お待ち下さい」
ルフィナは笑顔のままそう言うと部屋から出ていった。
暫くして目の前に用意された食事にエステラは驚きを隠せない。今までの人生でこれほど豪華な食事など見た記憶がないのだ。
「エステラ様は線が細いので少なめにしたのですが、量を増やしますか?」
ルフィナが不安そうにエステラに尋ねる。エステラが痩せているのは小食だからではなく、食糧事情が厳しかったからだ。しかし昔からその量に慣れているので、ここで増量されても食べられる気がしない。目の前の食事でさえ全部食べきれるか微妙な量なのだ。
「大丈夫。むしろ少し多いくらい。ここは食糧が豊富なんだね」
エステラは複雑な気持ちを抱えたままルフィナに答えた。ここは襲う魔獣がいないのだから当然だ、と考えた所でエステラに疑問が生じる。先程の魔王とのやり取りでは、魔王の力が及ばないと言っていた。本来の魔獣は人を襲ったり農作物を荒らしたりはしないのだろうか。
「こちらの農作物を人間界へ持っていけると宜しいのですけれど、何故かどれも枯れてしまうのです」
「枯れる?」
「えぇ。人間界は神の祝福を受けし大地なので、魔界の植物が根付けないのです」
「人間界と言うのは私が暮らしていた場所? ここは違うの?」
「ここは魔界です。私達は神の領域を天界、人間が暮らしている世界を人間界と呼んでいます」
魔界と聞いてエステラは思わず窓の奥を見つめる。外はいつの間にか暗くなっているものの、月が浮かんでいた。いつも見ていた月の光よりは白い気がするが夜にしては十分明るい。しかしわざわざ言い分けているのだから直接繋がってはいないのだろう。エステラの視線の動きでルフィナは疑問を察する。
「魔界は元々暗いのですが、ご主人様の魔力によって昼も夜も光が維持されています。私共は夜目が利きますけれど、明るい方が動きやすいので」
「そうなの?」
魔王達は暗い方が好きなのだろうと、エステラは何となく思っていた。最初に訪れた魔王の部屋があまりにも暗かったせいかもしれない。今の部屋も燭台の蝋燭に火が灯っているだけなので、彼女にしてみると少し暗い感じである。
「皆が黒い服を好むので、暗いと神経を使うのですよ」
「それなら白い服を着れば?」
「白色はどうにも神を連想させるので、皆が避けるのです」
エステラも神など崇拝していないが、確かに白色という印象がある。だからこそリタが村に現れた時、真っ白な服を見て聖女だと思ったのだ。
「魔王は神を倒したいの?」
ルフィナの言葉の端々には神に対する嫌悪感がある。それが彼女だけなのか、この場所に暮らす全員の総意なのかまでエステラにはわからない。故に真っ直ぐ質問をした。それに対しルフィナは難しそうな表情を浮かべる。
「ご主人様の本心はわかりません。ただ、それが不可能なのは間違いありません」
「でも勇者も魔王を倒せないのよね?」
「えぇ。一時的に魔力を封印されるだけで、命は奪えません」
魔王は神を倒せない。そして神が差し向ける勇者は、魔王の魔力を一時的に封印するだけで倒せない。この行為に何の意味があるのか、エステラには理解出来なかった。
「ちなみに今までどれくらいの勇者が来たの?」
「私がご主人様に仕えてからは九人ですが、総計ですと百人は超えていると思います」
「ひゃ――」
ルフィナの言葉に驚き、エステラは言葉を発する途中で開いた口が塞がらなくなった。百回以上同じ事を繰り返して一体何の意味があるのか。
「それよりも食べて下さい。お口に合うといいのですけれど」
ルフィナが勧めてくるので、エステラは疑問を一旦横に置いて食べる事にした。非日常的過ぎて忘れていたが、空腹なのは間違いないのだ。水を飲んで喉を潤しながら何から食べようと迷う。そして村では見た事もないサラダを口に運んだ。
「美味しい。野菜が美味しいのかな、このかかっている液体が美味しいのかな」
未経験の美味しさにエステラは上機嫌になる。その様子を見てルフィナも笑顔を零した。
「野菜もドレッシングも美味しいなら良かったです。料理長も喜びます」
「料理長?」
エステラは聞き慣れない言葉だったので思わず聞き返した。小さい村ではあったが、個人食堂は存在する。しかし店主を料理長などとは呼ばない。
「ご主人様に仕える者です。エステラ様を餓死させるわけにはいきませんから」
「村の皆は食糧が少なくて苦しんでるのに、私だけいいのかな」
エステラは視線を伏せた。セルヒオがいなくなれば村の食糧事情はより厳しくなるだろう。魔王が弱体化させるとは言っていたが、簡単に仕留められるものなのか彼女には判別できない。
「エステラ様は人質になっているのをお忘れですか? 人質として魔界に拘束されている対価で宜しいのですよ」
「待遇が良すぎない?」
「こちらも人質を取るのは初めての経験なのです。今後何が起こるかわからないので、せめておもてなしをさせて下さい」
人質をもてなすという表現がエステラには違和感しかない。何か事情があるのは察したものの、果たしてこの待遇が対価として正しいのか判断出来ない。
「ねぇ、ここで暫く暮らすしかないのなら、そっちの事情を教えてくれる?」
「一から説明を聞いて頂けるのですか?」
エステラのお願いにルフィナが嬉しそうに問う。そこまで喜ばれる理由がエステラにはわからないが、とりあえず頷く。
「ありがとうございます。それでは今日はゆっくり休まれて、明日詳しく説明させて頂きますね」
帰る方法がないのなら、せめて現状を理解しておくのは大事だろう。エステラはルフィナにもう一度頷くと食事に戻った。