選択肢はない
エステラが納得していないと察したのだろう。魔王はどこからか水晶玉を取り出して、その時の様子を見せると言い出した。彼女はその水晶玉に何の意味があるのかわからず、じっと見つめる。
「イポリトが説明をしに行った」
魔王がエステラの顔程の大きさの水晶玉を宙に浮かせて、彼女の目の前で止める。どのような原理で浮いているのかわからないので、彼女は水晶玉が急に落ちて怪我しないだろうかとそわそわした。しかし、彼女の不安をよそに水晶玉はまるで宙に固定されているように浮いている。
少しでも水晶玉が動いたらすぐに逃げようと妙な体勢になったエステラだが、水晶玉に見覚えがある景色が映り、そちらに集中し始めた。少ししてそれが村の広場だと気付く。それを察したように固定されていた景色が急に動き出す。
広場には村の人々が集まっていた。セルヒオとリタもいて、急誂えの歓迎会のような状況である。村人たちはセルヒオが勇者に選ばれて嬉しそうに騒いでいた。その和気あいあいとした空気の中に突如闇が生じ、その中からイポリトが姿を現す。
『勇者ノ幼馴染ノ娘ハ預カッタ。命ヲ救イタケレバ魔王城マデ来ルガイイ』
浮いているイポリトの出現を、その場に居た者達は瞬時に理解出来ず静まり返った。そしていち早く理解をした女性が声を上げる。
「娘って、まさかエステラを? あの子が何をしたって言うの!」
エステラは母の姿を見て思わず泣きそうになった。大丈夫だと声を掛けたかったが、水晶玉の映像は動き続けていて声を挟む余地はない。勿論声は届かないのだが。
『ソコノ勇者ガ途中デ逃ゲ出サナイ為ノ人質ダ』
イポリトはセルヒオを指差した。セルヒオは苛立ちを隠さずに立ち上がる。
「俺は逃げ出したりしない。エステラは関係ないだろう?」
『勇者ガ魔王城ヘ来ルマデハ殺サナイ。シカシ来ナケレバ二度トココヘ戻レナイト思エ』
イポリトの言葉にエステラの母は泣き崩れた。その隣にいた男性がセルヒオを睨む。
「セルヒオ! お前は勇者になりたいとあれだけ言っときながら逃げる気だったのか」
そう言いながらエステラの父はセルヒオの胸倉を掴んだ。セルヒオは強い眼差しをエステラの父に向ける。
「逃げない。俺は魔王を倒す」
「魔王なんかどうでもいい。必ずエステラを連れ戻せ」
どうでもいいは言い過ぎだろうとエステラは思いながら、ちらりと魔王の様子を窺う。しかし魔王は無表情のままだ。勇者以外の者に何と言われても関係ないかと、彼女は水晶玉にすぐ視線を戻す。
「おい、エステラは無事なのか?」
『勿論。丁重ニオ預カリ致シマス』
「魔王の手下の丁重なんて言葉、信じられるかよ」
セルヒオの言葉に村人達もそうだそうだと騒ぎ立てる。エステラも向こうに居ればそう思っただろう。しかし現実は綺麗なドレスを着てペットを貰っている。説明不足は否めないが、丁重の範囲内だろう。
『心配デシタラ早クオ越シ下サイマセ。オ待チシテオリマス』
イポリトは気味の悪い笑みを浮かべながら一礼をするとその場から消えた。何が起こったのかわからない村人達は言葉を失っている。エステラの母の泣き声だけが響く中で、エステラの父が叫ぶ。
「どうしてエステラが。夫婦でも恋人でもないのに、どうしてエステラなんだ!」
エステラの父はやるせない思いを込めた拳をテーブルに叩きつける。テーブルの上に乗っていた皿やコップが揺れて中身が少し零れもしたが、誰もそれを咎められない雰囲気だ。
水晶玉越しに見ていたエステラは父の言葉に頷いていた。セルヒオが勇者に選ばれたのは彼の問題であり、エステラも両親もそれに巻き込まれる程の関係ではない。
エステラの父が言葉を発した後もエステラの母の泣き声しか聞こえない。気まずそうに村人達はセルヒオの方を見ている。宴の最中だっただろうに空気は重くなってしまっていた。セルヒオは下唇を噛み締めている。
「セルヒオ様が魔王を必ず倒しますので、何ら問題はありません」
重い空気の中、リタは凛とした声で言い切った。しかし村人達はそんなに簡単な話だろうかと猜疑の眼差しを向けている。エステラの父は表情を歪ませた。
「あんたなんか来なければよかったんだ! そうしたらエステラは、エステラはっ」
エステラの父はリタに詰め寄ろうとした。それに気付いたセルヒオが二人の間に入る。
「と、まぁ、このような感じだ」
そう言うと魔王は水晶玉を瞬時にどこかへと消してしまった。エステラはあまりにも中途半端な所で映像を切られた事に不満しかない。
「不安しかないんですけど」
「悶着はあったが勇者とリタはこちらに向かっている。百日以上はかかると思うが、それまでここでゆっくりするといい」
「私の両親がどうなったかが不安だと言ってるんです!」
エステラは怒りを隠さずに魔王を睨む。安心させる為の映像だったはずだが、彼女には母の悲しみと父の怒りしか伝わってこなかった。これで安心しただろうと言われても頷けない。
魔王にエステラの気持ちは伝わらなかった。しかし納得していないのは感じ取った様子で、少し思案してから口を開く。
「手紙を書くなら届けさせるが」
「書けませんし両親も読めません」
エステラが育ったのは山間の小さな村だ。商人から買い物はするので簡単な計算は出来るが、読み書きは必要ない。しかし彼女の言葉が意外だったようで、魔王もルフィナも驚いた顔をしている。
「それなら声を届けさせよう。それでいいか?」
「声を? どうやって?」
「鳥を飛ばす」
端的な説明にエステラは眉を顰めた。どのような鳥かはわからないが、鳥が話した声を両親が娘のものだと認識するとはとても思えない。少なくとも彼女は逆の立場なら認識する自信がない。
「鳥が話すなんて不自然だから怖がられるだけだと思います」
「ふむ。人間とは不自由だな」
魔王はどこか憐みの眼差しだが、エステラは今まで不自由だとは思った事がない。何故か言葉は問題なく通じているが、人間ではないのだから常識の違いは当然あり、その溝は埋まらないのだろうと彼女は思う。
「ご主人様、その水晶玉にエステラ様の映像を入れて見せればいいと思います」
黙って話を聞いていたルフィナが声を上げる。水晶玉が急に現れて映像が流れるのもエステラにとっては恐怖でしかないが、映し出された人物が家族ならば鳥よりはましに思えた。
「それでいいか?」
「私を帰してくれないのなら、それでいいです」
エステラは投げやりに答えた。先程は衣食住完備、労働不要という言葉に惹かれてしまったが、両親の姿を見た今では村に帰りたくて仕方がない。ルフィナは困ったように彼女を見つめる。
「ここでの生活は決して不自由させません。どうか旅行だと思って楽しく過ごしてくれませんか?」
「楽しく?」
エステラは訝しそうな視線をルフィナに向ける。そんな彼女にロミは身体をこすりつけた。
『ロミと遊ぼう。楽しいよ!』
エステラはロミに視線を移す。ロミのつぶらな瞳で見つめられると、彼女は現状をどのように捉えるのが正しいのかわからない。
「今すぐ信じるのは難しかろう。だが約束する。我等は人間を傷付けない」
「けれど魔獣は私達に襲い掛かってきます」
「それは我の力の及ばぬ所。無力で申し訳ない」
魔王はそう言うと頭を下げた。予想しない行動にエステラは混乱する。暗い部屋で面会した時はもっと尊大な態度で魔王らしかった。しかし目の前にいる男性は王という風格は何処にも見当たらない。自分の力不足が悔しいというような様子に見える。
「ルフィナ、後は任せた」
居心地が悪かったのか、魔王はそう言うとエステラの前から姿を消した。確かに彼女は瞬間移動を経験していたのだが、このように一瞬で消えるとは思わず呆気にとられる。
「エステラ様。先程の部屋で映像を撮りましょうか」
この場所から村へ自力では帰れないとエステラもわかっている。ここにいる以外の選択肢など彼女にはない。ルフィナの優しい声色の誘いに頷くのがエステラの精一杯だった。