どこか寂しい
「まだ飲むか?」
そう言ってバルドゥイノは手を振って水差しをテーブルの上に置く。エステラの持っているグラスは確かに空になっていたが、彼女はもっと飲みたいとは思っていなかった。ただ出された物は残したくなかったので飲んだだけである。しかし水差しになみなみと入っている果実水を飲みきる自信はない。彼女はどう答えるべきか困惑した。
「要らないなら戻すが」
「それは捨てるのですか?」
「保冷庫に戻す。十日は持つから」
エステラは保冷庫がどういうものか知らない。しかし十日は持つという言葉から、飲食物を保管しておく場所なのだろうと想像出来た。捨てられないとわかって彼女は安心する。
「それなら戻して下さい。今は大丈夫です」
エステラの答えを聞いてバルドゥイノが手を振ると、水差しだけでなく彼女の持っていたグラスも消えた。相変わらずどういう仕組みなのか彼女にはわからないが、聞いた所で魔力のない自分にわかるはずもないので受け流すしかない。
「話が途中だったな。どこまで話したか」
バルドゥイノの言葉にエステラは首を傾げた。セルヒオが無事に出発した、到着まで百日前後かかるだろう。それで終了だったと思っていたのだ。むしろそれ以上の話があると彼女は思っていなかった。
「セルヒオが来るまで百日前後かかる、ですね」
「あぁ、そうだった。長い人質生活になってしまうが、こちらも出来うる限り対応するから遠慮せず何でも言うがいい」
「十分よくしてもらっています」
一人で過ごす夜が寂しいと思うだけで、生活には困っていはいない。むしろ衣食住は整い過ぎていて、村に戻った時に物足りなさを感じないだろうかという不安さえある。また、戻った時に村人達からどのような対応をされるかも不安である。両親は受け入れてくれるだろうが、セルヒオが魔王を倒した勇者となりリタと王都で暮らすとなると、皆に妙に気遣われてしまうような気がした。
「不安そうな顔だな」
「戻った後の生活は不安ですね」
「勇者が我の魔力を封印しても生活はすぐに改善されない。それは我々も長年の課題だ」
バルドゥイノは悩まし気な表情を浮かべている。エステラは自分の不安よりも大きな話ではあるが、大人しく頷いておく。天候が落ち着いて豊作になったとしても、徴税が厳しいままなら生活は決して豊かにはならない。
「勇者が出た村は徴税が免除されたりするのでしょうか」
「それは国王次第だろう。あぁ、トレスの叱責はその辺りを考慮しての発言か」
「平民に叱責されたら国王は怒りますよね?」
エステラの問いにバルドゥイノは神妙な表情を浮かべる。
「どうだろうな。スィンコは元々優秀だったはずだが。男神がスィンコの所の女性を連続で狙ったのが偶然なのか、狙っているのかもわからぬ」
「今まではどうだったのですか?」
「法則性はない。だからこそ手が打てない」
「ちなみに、そのスィンコさんとはどれくらい仲が良いのですか?」
「トレス以外は面識がないから仲良くしようがない」
バルドゥイノの答えにエステラは戸惑った。まるで知っているような話し方であったのに、面識がないとは思わなかったのだ。
「我の言い方が誤解を招いたな。我が水晶を通して知っているのは人間の五王国であり、それを統べている神の行動はあくまでも想像に過ぎない」
「水晶で神を見られないのですか?」
「不可能だ。こちらから天界へは一切干渉出来ない。トレスは移動出来るのだから我とは力が違うのだろう」
バルドゥイノの声色は寂しさを含んでいるようにエステラには感じた。先程トレスとの会話で六番目を否定していたが、力の差を気にしているのかもしれない。
「イノ様の名前は――」
そこまで言ってエステラは口を噤んだ。いくら疑問に思ったからと言って、聞いていい事と悪い事がある。しかし出した言葉は戻らなければ、声にしてしまっただけで何を聞きたいかは伝わってしまっただろう。気まずそうな表情の彼女に、バルドゥイノは柔らかく微笑む。
「我の名は母が決めた。男神は関与していない。幼くして引き離されたが、生まれる前からの記憶はある」
「生まれる前ですか?」
「胎児の頃からだ。故に母が男神を一般男性だと思っていた事も、我を望んで出産した事も知っているから母を恨んでいないし、名前も変える気はない」
バルドゥイノは落ち着いた様子で話す。エステラもなるべく同情しないように気を付けながら聞いた。男神を父と呼ばないのだから、そこには確執があるのだろう。
「ルフィナに一人で育ったみたいに聞きましたけれど、本当ですか?」
「我は飲食せずとも生きていける。気付けば成長していて、襲ってくる魔獣や魔族を倒していたら王になっていた」
「襲われたのですか?」
エステラは驚いて聞き返した。魔界での生活は穏やかだ。誰かが襲ってくるなど想像も出来ない。
「ここは元々神から見捨てられた地。神の匂いがする我が敵に思えたのだろう」
「よく王になれましたね」
「我は暮らしやすくするために色々と力を使っているからな」
「暮らしやすく?」
「あぁ、我はどうやら不死らしい。歴代の勇者の中には猛者もいたが、我の命を脅かした者はおらぬ。それならば快適に暮らしたいではないか」
バルドゥイノの言う事はもっともだとエステラは頷いた。永遠の命があるのならば、常に襲われるより自分の力を使って平穏を手に入れた方がいい。しかしいくら自分の為とはいえ、常に力を使うのは大変だろう。やはり不憫だなと彼女は思う。
「全てを投げ出したくなりませんか?」
「今の所はないな。他の者には生に限りがあるが、それ故に長く生きていても同じ生活にはならない」
「楽しいという事ですか?」
「考えた事もなかったが、楽しいのだろうな」
バルドゥイノは本当に楽しそうに微笑んでいる。その笑顔を見てエステラも思わず微笑みを浮かべた。彼女が勝手に不憫だと思っているだけで、本人が楽しいのならそれでいいはずだ。
「魔獣についての改善も楽しくやっている。獣臭い問題に関しては与える餌を変えている所だ」
「好みの餌を与えなくていいのですか?」
「いずれ食べられてしまうのだから、それまで好きな物を食べさせようと思っていた。しかし食べてもらえなければ意味がない。勿論、嫌いなものは与えていない」
バルドゥイノの対応がエステラには良く思えた。人質の意見をすぐに取り入れる柔軟性は素晴らしい。このような王に統べられていれば、きっと村での生活も楽しいだろう。
「私もイノ様のような王のいる国で暮らしたかったです」
「それではスィンコに働きかける方法を考えるとしよう。現状で戻っても辛いだろうからな」
バルドゥイノはエステラを思っての発言だろう。彼女はそれを理解出来るのに、どこか寂しかった。水晶でセルヒオが魔王を倒したら戻ると言ってしまった手前、戻らなければ両親達は彼を恨んでしまうかもしれない。そもそも人質という立場がなくなってしまったら、彼女が魔界に居続ける理由はない。
「はい、よろしくお願いします」
エステラは笑顔を作ってバルドゥイノにそう告げる。無意識のうちに抱っこ紐を抱きしめ、その中でずっと大人しくしていたロミが呻いたが彼女は聞き流した。




