魔界への拉致
エステラは急に闇に覆われ、足を引っ張られたように感じた。しかし彼女は両足で立っており、視界も開けている。ただ、立っている場所が自分の部屋ではない。何が起こったのかわからず、彼女は首を傾げた。
「ようこそおいで下さいました」
声のした方へエステラが視線を動かすと、真っ黒な衣装に身を包んだ男性が立っていた。彼女の記憶にはない男性である。
「ここはお店か何か?」
「随分と冷静な反応ですね」
「悪かったわね。黄色い声とか出せない性格なの」
エステラは昔から可愛げがないとよくセルヒオに言われていた。しかし、可愛げなど何の役にも立たないと彼女は思っている。不作続きの世の中を生きていくのに必要なものは他に沢山あるからだ。
「いえ、むしろその方がこちらとしては助かります。それではまず身支度を整えましょう」
男性がパチンと指を鳴らす。その瞬間どこからか風が吹き抜けた。室内に風が吹くとはどういう事だろうとエステラが辺りを見回すと、いつからいたのか不明な女性が大きな鏡を差し出した。
「いかがでしょうか」
鏡に映るのはエステラ自身のはずだが、彼女には違和感しかない。綺麗に化粧をされ、今まで着た事もない上質な服を着ていた。聖女とは違って黒色であり、妙に露出度が高い。
「これは私に対する嫌味?」
魔獣を食べていたとはいえ、村の食糧は決して多くはなかった。エステラの身体は痩せ細っており、ドレスを着こなせる体型ではない。完全に着せられている感がして、彼女には嫌がらせとしか思えなかった。
「だから言ったでしょう? 私が勧めたものに着替えさせて」
女の鋭い視線を受けて、男は渋々指を鳴らす。するとまた風が吹いた。エステラが一体どういう状況なのかと考える暇もなく服が変わる。今度は上半身がしっかりと覆われ、その代わり足首丈のスカートに右側だけ太腿の半ばほどまでスリットが入っている。
「やはり。足が綺麗でしたからこちらの方が似合うと思いました」
鏡を持っている女性は満足そうにしているが、指を鳴らした男は不服そうだ。エステラはスリット部分が気になったものの、それがないと歩きにくいので許容範囲だと判断をする。
「こっちの方が好き」
エステラの答えに鏡を持った女性がふふんと聞こえてきそうな視線を男に送る。男は心底悔しそうだが、エステラにとってはどうでもいい。何故自分が着せ替え人形状態なのかを説明して欲しかった。勝ち誇っていた女性は視線をエステラに向ける。
「さぁ、ご主人様の元へ参りましょう」
「説明もなく何処へ連れて行くつもり?」
エステラは不信感をあらわにした。説明もなく着替えさせられた上に、ご主人様の所へと言われて、わかりましたと頷けるはずがない。確かに目の前にいる二人は人間にしては肌が黒すぎるし、一瞬で着替えさせたのだから妙な力を持っているのだろう。対抗出来る力など彼女は持ち合わせていないが、素直に従う気にはなれない。
女性は手を振って鏡を消すと男性を睨む。
「イポリト、彼女に何の説明もしていないの?」
「召喚してまだ間もない。ルフィナが勝手に押しかけてきたのだろうが」
エステラを無視して、二人は言い合いを始めた。エステラは女性がルフィナで、男性がイポリトと名前を覚える。召喚がどういうものか理解は出来ないが、何となくすぐには帰れない気がした。奴隷として誘拐されたのかもしれないが、その割には着せられたドレスが高級に思えて、彼女は自分の立場が一向にわからない。
「まぁ説明するより会わせた方が早いわよね」
「いや、ご主人様の許可は取っていない」
「はぁ?」
ルフィナが綺麗な顔を歪めた。折角の美人が台無しである。しかしイポリトはそれを何とも思っていないのか平然としていた。
「許可が下りると思うか?」
イポリトの言葉にルフィナは表情を戻した。そしてしばらく考えた後、急にエステラの手を握る。血が通っているのか不安になるほどの冷たさに、エステラは肩を震わせた。
「もしかしたら怒られるかもしれないけれど、頑張って下さいね」
「何を頑張ればいいの?」
今までの会話だけで、現状を理解するのはエステラには不可能だった。そもそもルフィナがイポリトに説明をしていないのかと尋ねたのだから、多分説明なしに理解出来るような状況でもないのだろう。彼女は現状を理解するのを一旦諦めた。ルフィナに握られている手が冷たすぎて集中力を削がれているのだ。
「歩くと少し遠いので一気に行きます」
一気にとはと質問する間もなくエステラの身体が浮く。漆黒が現れてルフィナと共に包まれる。先程のような引っ張られる感じにエステラは目を瞑った。
「さぁ、目を開けて下さいませ」
ルフィナに言われて目を開けると重厚そうな扉がエステラの視界に飛び込んできた。あまりの大きさにどうやって開けるのかわからない。そもそも扉など人が通れれば十分であろうに、何故自分の背丈の倍以上の高さが必要なのか理解出来ない。
エステラは昔祖母から聞いた話を思い出して身震いをした。悪い事をすると巨人に食べられる。あれは祖母の脅しだと思っていたのだが、巨人はここに存在するかもしれない。セルヒオを祝福しなかったのは良くないと彼女自身わかっている。
「大丈夫ですよ。ご主人様は背の高い方ですが、巨人ではありません」
ルフィナがエステラの心を読んだように微笑む。
「人間でもありませんけれどね」
そして衝撃の言葉を口走る。エステラは人間ではない何かを考えようとしたが、そもそも人間以外など思いつかない。確かにルフィナとイポリトも人間とは違う何かに見える。彼女の知らない存在が世の中には色々あるのかもしれない。
「ご主人様にお目通りをお願いします」
ルフィナはエステラの疑問を一切気にせずに扉へ話しかける。扉の前には誰もおらず、本当に扉に話しかけているようだ。エステラが扉に話しかけてどうするのかと尋ねる前に、重そうな音を響かせて扉が開いた。エステラは混乱し過ぎて何も考えられない。
「さ、参りましょう」
ルフィナはエステラの混乱など気付きもせず、中へ入れと促す。エステラは覚悟を決めて部屋の中へと歩き出した。そもそもここに連れてこられた状況が、彼女の常識の中にはない移動方法だ。抵抗してもどうせ連れて行かれるとしか思えない。
部屋の中は暗く、蝋燭に火が僅かに灯っているだけ。窓がないのか確認しようにも暗くてエステラにはよく見えない。ルフィナは夜目が利くのか慣れているのか迷いなく前へと進んでいく。エステラは見えなくならないよう必死にルフィナの後を追った。
「ご主人様。例の女性をお連れ致しました」
ルフィナの言葉で目の前で何かが動いた気配をエステラは感じたものの、暗くてはっきりとはわからない。
「頼んだ覚えはない」
とても低い声が部屋に響いた。声だけで威圧されそうである。エステラは死を覚悟した。
「ですが勇者セルヒオが来ないと困るのではありませんか?」
馴染みのある名前にエステラは眉を顰める。
「それは困るが、その娘で誘き出せるのか」
「えぇ。私の見立てでは彼女を人質にすれば必ず助けに来るでしょう」
エステラの目はまだ暗闇に離れていなかったが、目の前にいると思われる人物が手を振ったような気がした。すると部屋が少し明るくなる。それでも日光の明るさではなく、蝋燭の灯が徐々に強くなっただけ。ゆっくりと明るくなったので彼女は眩しさを感じる事無く、目の前にいる人の顔が見えるようになった。
そしてエステラは先程のルフィナの言葉が腑に落ちた。透き通るような白い肌。艶やかな黒い髪。血のような赤い目。腰掛けているが、組んでいる足が長いので背は高そうである。外見は明らかに彼女が知っている人間からかけ離れていた。
「この娘にそのような価値があるとは思えぬ」
「それは勇者セルヒオに知らせてから決めても遅くはないかと」
ギロリと音がしそうな視線がエステラを貫く。彼女はその視線を真正面から受け止めた。人間でないのは間違いないだろうが、怯える気にはならない。先程から現実離れし過ぎていて、恐怖の感情が行方不明になっていた。
「娘。いい度胸をしているな」
鋭い視線を向けられたまま、ご主人様と呼ばれた男性が低い声で続ける。エステラは褒められているのかわからず、無表情のまま男性を見据えていた。
「暫くルフィナに預ける」
「勝手に連れてきて預けるって何?」
エステラは意識せずに言葉を発していた。しかし後悔などせずに目の前の男性を見据え続ける。彼女は相手が誰であろうとも関係なかった。自分は被害者のはずなのに、見知らぬ者達だけで話が進むのが面白くなかったのだ。
「我は頼んだ覚えはないと言った」
「私は何の説明もされずにここにいるんだけど」
「ルフィナ?」
今まで以上の低い声に、エステラは戻ってきた恐怖に震える。聖剣の力はわからなかったが、先程の声には圧力をひしひしと感じたのだ。
「説明はこれから致します。彼女がここに滞在する許可を頂けたという解釈で宜しいでしょうか?」
しかしルフィナはその圧力をものともせず受け答えをする。ここは長居していい場所ではないとエステラは瞬時に判断をした。
「私はここに滞在する気がないので帰して」
「暫く様子を見て、役に立たなさそうだったら帰してやる」
「え、何様?」
エステラは思わずそう返していた。恐怖は消えていないが、自分の処遇を目の前の男性に握られるのには納得がいっていなかったのだ。男性は何が面白いのか、口角を上げた。
「魔界以外の者は我を魔王と呼ぶ」
エステラは魔王という言葉を理解するのに、暫くの時間を要した。




