食べろ
エステラは何不自由なく魔界で生活していた。ロミと散歩したり、ルフィナと一緒に各地にある都を観光したり、出てくる料理について正直な感想を述べたり。不満などは一切ないのだが、毎日動き回っていた彼女にしてみると与えられた仕事だけでは物足りない。
『エステラ?』
魔獣のいる牧場を散歩している途中で立ち止まったエステラに、ロミは首を傾げて声を掛ける。しかしエステラはロミを見ようともせず、魔獣を見渡していた。
牧場には色々な種類の魔獣がいる。毎日歩いていても、数が多すぎて増減はわからない。小さいものからエステラの二倍の背丈がありそうなものまで幅広く、どれがセルヒオへと送られているのだろうと思案する。
「どうかしたか」
背後から声を掛けられ、エステラは振り返った。そこには餌を手にしたバルドゥイノが不思議そうな表情をしていた。彼女は困ったように微笑む。
「退屈だなと思ってました」
『ロミと遊べばいいよ!』
「ロミと遊んでも退屈かな」
ロミはこの世の終わりのような表情を浮かべたが、エステラはそれを一瞥しただけで視線をバルドゥイノに戻す。
「ペットが気に入らないなら別の魔獣に変えるか?」
バルドゥイノの発言にロミは必死に首を横に振って拒否の意を示す。しかしエステラの足元で動いていても、長身であるバルドゥイノの視界には入らない。
「ペットはロミで十分です」
エステラはしゃがむとロミに手を差し出した。ロミは嬉しそうに飛び乗る。エステラも笑顔でロミを抱きかかえると立ち上がった。
「面倒臭いけど、そこがいいみたいな」
『エステラ、悪口良くない!』
「一応褒めてるんだけどな」
ロミは不満そうだが、バルドゥイノの目にはじゃれ合っているように見える。適当に選んだ魔獣だったが、相性が良かったようで何よりだと彼は思う。
「一緒に餌やりをするか」
「いいんですか?」
ロミを抱いたままエステラは嬉しそうにバルドゥイノを見る。餌やりにここまで喜ばれるとは思わず、バルドゥイノは少々戸惑うが、表には出さなかった。
「魔獣が怖くないのなら」
「大丈夫です。襲ってこないと理解出来ましたから」
「そうか」
平坦な声でそう言うとバルドゥイノは歩き出す。エステラもロミを抱えたまま彼の後をついていく。そして彼に言われたようにそれぞれの魔獣に餌やりをした。襲ってこないとわかっている魔獣は大きくても別段怖くなく、彼女は楽しくて笑顔を浮かべる。
「魔力で何でも出来るのに、餌やりは手ずからなんですね」
「魔力で餌入れに置くのは簡単だが、こうやって直接見て話さないとわからない事があるからな」
エステラにはロミの声しか聞こえないが、バルドゥイノは魔獣全てと会話が出来る。愛情をこめて魔獣を育てているのだろうと彼女には思えた。実際目の前にいる魔獣はどれも彼に懐いており、嬉しそうに餌を食べているように見える。しかしこの大人しそうな魔獣がセルヒオを今後襲うのだろう。そう思うと彼女の心境は複雑だった。
「聞きたい事があれば言え。答えよう」
バルドゥイノの表情は無であるが、エステラは心の不安を悟られたような気がした。しかし折角向こうから尋ねてくれたのだ。質問をするべきだろうと彼女は彼を見据える。
「セルヒオの旅は順調ですか?」
「いや、始まっていない」
「逃げたのですか?」
「出立出来ない、が正しい」
エステラは怪訝そうな表情を浮かべた。あれだけ勇者になりたがっていたセルヒオが出立出来ない理由が彼女には思い当たらない。バルドゥイノも困ったような表情を浮かべる。
「勇者に落ち度はない。今回は聖女側の人間が良くなかった」
「イノ様は聖女と言うんですね」
「ん? あぁ、ルフィナか。我には拘りなどない」
男神とバルドゥイノの関係は、周囲の者が想像で理解出来るものではないだろう。エステラも無理に聞き出したいとは思っていない。ただ彼女もあまり聖女の名前を呼びたくないだけだ。
「それでは当分私は退屈なままなのですね」
「ゆっくりすればいい。貴族などは遊んでいる者も多いぞ」
「そんな見知らぬ世界の話をされても困ります」
毎日遊んでいても困らない人生は確かに聞こえがいい。しかしエステラは性格的に向いていないと魔界に来て知った。セルヒオも毎日のように魔獣退治に出掛けていたのだから、出立出来ないのは辛いだろうと思いを馳せる。
「セルヒオは元気ですか?」
「あぁ。気になるなら見るか?」
バルドゥイノはそう言いながら手を振って水晶を取り出した。エステラは一瞬迷ったものの首を横に振る。リタと仲良くしているセルヒオを見るのは気が進まなかった。
「こちらに向かう意志があるなら、それでいいです」
「あぁ、君を助けに勇者は来る。イポリトの読みは当たっていたらしい」
エステラはバルドゥイノの言葉がすんなりと理解出来なかった。二人の間にあったのは腐れ縁だけで、それ以上のものはない。
「私がいなくても勇者に憧れていたセルヒオはここに来ると思いますよ」
「どうだろうな。聖女側の人間のせいで諦めたかもしれない」
「何かあったのですか?」
水晶で映像を見せた方が早いが、エステラは見たくなさそうだと判断をしたバルドゥイノは手を振って水晶を消した。そして彼はセルヒオとリタが村を出た後で一旦別れた事、二人を会わせる為にリタ達に向けて魔獣を放った事、それをセルヒオが退治した際にリタの連れが怪我をした事、聖女の治癒能力ではその怪我が治せず治療の為に出立出来ないでいる事を伝える。
「治癒能力って完璧なものだと思っていました」
「まさか。女神はそこまで優しくない」
バルドゥイノの言葉にエステラは納得するしかなかった。人間の事を考えているのなら、天候不順を放置しておくはずがない。あくまでも男神の浮気相手が魔王を倒しに行けばいいのであり、それ以外の余分な力など与えないだろう。
「その神々を倒して、イノ様が人間界を治める事は出来ないのですか?」
「出来ないな。我に神を倒す力はない。そもそも男神は創造神故に誰も倒せない」
「女神や神の子でも?」
「その六名で襲い掛かっても男神は倒れない。だから女神は回りくどい憂さ晴らしをしている」
「いい迷惑ですね」
「あぁ、本当に飽き飽きしている」
バルドゥイノはため息を吐いた。エステラは心から彼に同情をする。倒す事も出来ず、浮気も防止出来ないとなると、この無駄なやり取りを永遠に繰り返すしかない。
「飽き飽きしながら人間の為に魔獣を育てるのですか?」
「私は人間に祝福を与えられない。せめて胃くらい満たしてやりたい」
バルドゥイノはそう言いながら近くにいる魔獣を撫でる。魔獣はもっと撫でて欲しいと言わんばかりに頭を彼の掌に押し付けた。人間界にいたならば絶対に知る事のない長閑な風景だ。
「私が人間界に戻ったら、この苦労を村の人達に話しますよ」
「話しても無駄だ。勇者が私を倒せば魔力は封じられ、魔獣は送れなくなる。それを人間達は平和になったと喜び、勇者と聖女、そして神に感謝をするだけだ」
バルドゥイノの声には何の感情もない。期待などとうの昔に失ってしまったのだろう。エステラは何だかやるせない気持ちになった。
「それでも魔獣を送るのですか?」
「あぁ、罪のない人間が飢えるのは見ていられないから。君も食べろ」
「十分食べてます」
「少しずつでも食べる量を増やせ。痩せて帰られては魔界で酷い仕打ちを受けたと思われかねない」
バルドゥイノの口調はきつめだが、エステラには優しく聞こえた。確かに少し肉付きが良くなって帰った方が、良い生活をしていた証明になるだろう。
「わかりました。無理のない範囲で頑張ります」
『ロミも食べる』
「ロミは十分丸いじゃん」
『だから悪口良くない!』
エステラとロミのじゃれ合いをバルドゥイノは無表情で見ていた。魔族や魔獣が彼の前でこのように戯れる事はない。初めての状況に、許可なく行動をしたイポリトに褒美をやろうと彼は考えていた。




