My Baby grand
その日は、クリスマスだった。
大会場のアリーナ、満員のファンの前で歌を歌う。
盛り上がったアニメイベントも無事終わり、関係者とも挨拶を交わし、早めに帰路に就く
今夜は彼氏とディナーの予定だったので、少し早めに上がれた私は浮かれて家に帰る。
「ただいまー」
とドアを開けた途端、寝室の奥から物音がする。
耳の奥がチリチリとざわめく。
私は靴を脱ぎ棄て、廊下を歩き、寝室のドアの前で一瞬怯むも、そのまま一気にドアを押し開く。
裸の彼氏と裸の女が私のベッドの上にいた。
頭の奥の何かがちぎれる音がした。
その女は、ある女性声優だった。
オーディションでよく一緒になる声優で、巷では私とライバルと言われたりしたが、最近は殆どのオーディションで私が役を勝ち取っていた。
どこで知ったのか知らないが、その女は私と彼氏が付き合っているのを知って、奪ってやろうと思ったらしい。
土下座して言い訳する情けない彼氏と女に罵詈雑言を叫びながら、既視感を覚える。
幼い時に見た両親と同じだったことに愕然として、吐きそうになった私は、呼び止める彼氏を振り切って、部屋を飛び出た。
凍るような空気が歯を震わせる。
靴も履かずに飛び出たが、戻るくらいなら、このまま歩き続ける方がましだ。
街をひたすら歩き続ける。
怒りと悔し涙で、頭が爆発しそうになる。
どうしてなのよ。
ようやくここまで来れたのに。
こうなるはずじゃなかった……。
見返してやれると思った。
母を捨てた父を。
絶対裏切らない、そう思える彼氏だって見つけた。
なのに……。
「なんでこうなるのよ! 」
私は街を歩きながら、声をかけてきたキャッチをふりきり、あてどなく歩く。
街ゆく人たちはみな幸せそうだった。
腕を組み、肩を寄せ合い、笑顔で話すカップル。
街路樹には装飾が施され、駅前には大きなクリスマスツリーがたっている。
高級ブランドの店が立ち並ぶ通りで、私は店のガラスに映った虚ろな目をした自分の顔を見る。
私は、薔薇園荊々朱。
今をときめく大人気声優でモデルで歌手で……。
鋭い足の痛みに思わず下を見る。靴下は破け、足裏から血が流れていた。道行く人たちの視線を感じ、私は近くのコンビニに駆け込む。
ようやく冷静になった私は、イラストレーターになった友人に電話をかける。
タクシーを呼び、何とか彼女のマンションまで向かう。
「●●ちゃん?! 大丈夫?! 」
玄関前で、卒倒しそうな顔で見る友人に、苦笑いする。
「大変だったね」
部屋に入って、足裏に消毒液を塗ってもらいながら言われたその言葉に、私は思わず涙が零れそうになる。
内気な彼女のその優しい励ましに泣きそうになるも、なけなしのプライドが邪魔をする。これ以上恥ずかしいところは見せたくなかった。
「こんなもの平気よ。すぐに治るわ」
友人は気遣ってベッドで寝ていいと言ってくれたが、私はソファで寝ると言うと、呆れたような哀しいような顔をする。
ソファで横になり、照明が消える。
悔し涙が流れる。嗚咽を漏らすまいと唇を噛む。
そして眠りにつく。
例え心が惨めな時であっても、私は薔薇園荊々朱として在り続けた。
それこそが、私に残されたたった一つのプライドだったから。
ぼろぼろのプライベートに反して、仕事は順風満帆だった。
アニメのレギュラーを複数持ち、アニメのイベント、そしてファッション雑誌のモデル、歌手としてのライブと、活動の幅を広げていった。
アニメ業界だけでなく、モデル業界、そして音楽業界の仕事もどんどん増えていき、知名度もどんどん上がっていった。
そうして仕事に没頭しているうちに、いつの間にか寒かった冬が過ぎ、暖かくなっていく。
春になり、そして気づけば夏を迎えていた。
新しく住み始めたマンション。
日の当たるベランダに花を植え、室内の花瓶には、薔薇の花を活ける。
一人暮らしには少し広い部屋だった。
猫でも飼おうかと、最近は仕事帰りにペットショップを見て回っていた。
1ヶ月ぶりに、何もない休日だった。
休みも入れずに何か月も連続で仕事をしていた私を見かねたのか、マネージャーから無理矢理休日を取らされた。
休日なんてものはこの仕事にはなく、普段の休みでも次の仕事の準備をしたりしてたからか、何だか心が落ち着かない。
気分でも変えるために、少し片付けでもしよう。
そう思って、引越し前のマンションから持ってきた古いダンボールを漁っているとDVDが出てきた。
「何かしら? 」
気になった私はそれを見てみる
それは家族みんなが揃っていた時に録画したものだった。
私はソファに横になって、DVDプレイヤーに入れて見る。
私の原点ともいえる魔法少女のアニメ。
それを懐かしい気持ちで見ていると、その番組が終わり、次のアニメが始まった。それはとある男の子向けのアニメだった。
その主人公を見ていたら、はっとなる。心臓が鼓動し、恥ずかしいくらいに顔が熱くなる。
思い出す。
それは私の初恋だった。
主人公の少年は、暑苦しいくらい元気だけれど、女の子に対しては不器用で面と向かって喋れなくて、勝気なヒロインに馬鹿にされる。だけど、悪の手先に襲われそうになるヒロインを護るために、勇気を振り絞り、体を張って悪に立ち向かう。
そんなギャップがたまらなく好きで、主人公のことが好きなのに素直になれないヒロインに対して、自分のことのように応援していた。
どうして忘れてたんだろう。
真っ赤なシャツを着たその主人公が、ロボットに乗って、怪物と戦う姿に、幼い少女の頃に戻ったように、応援しそうになる。
「バカみたいね」
我ながら恥ずかしくなるも、そのアニメを見続ける。
気づいたらうとうとした私は、眼を閉じる。
暗闇の底にいた。
けれど恐怖は感じない。
全身を揺りかごに包まれたかのような心地よさの中で、私は揺蕩っていた。
まるで母に抱きしめられているような感覚に、涙が零れる。
その時だった。
『薔薇園荊々朱』
遠くから響いてくるその声は、神々しい声。
それは母のような、そして心の奥にまで届く荘厳な声に、私の心が揺さぶられる。
「誰? 」
震える声で発した私の問いかけに答えることなく、声の主は話し続ける。
『選択の時は来ました。あなたの真の望みに至るための』
「私の…望み? 」
『そうです。しかし、それを叶えるために、あなたは決断をしなければなりません。そしてその決断には犠牲が伴います』
声の主は私の問いに答えず、しゃべり続ける。
『あなたにその覚悟はありますか? 』
私の望みを、どうしてわかるのか?
理性がそう疑問を投げかけようと囁くも、私の心は不思議と
わくわくしていた。だって、何だか本当にアニメの登場人物になったみたいだから。
「ええ、いいわ。もしも願いが叶うっていうなら、どんな犠牲だって払ってやるわ! 」
そう言い返すと、輝きが増していき、眼を開けていられなくなる。
『苦難の旅路の果て、扉は開かれました。薔薇園荊々朱。後はあなたの選択に委ねます』
あまりの眩しさに私は目を細める。
『最後まで、あなたを見守っていますからね』
うだるような暑さに目覚める。
いつの間にかエアコンが切れていたみたいだ。
時計を見ると、正午だった。
ふと、片づけの時に散らばった雑誌を手に取る。
それは旅行雑誌で、忙しくて行けないものの、想像で楽しんでいた。
私はそれを手に取りめくっていると、目にとまったあるページを見た途端、衝撃で呆然となる。
吸い込まれるように、そのページを見つづける。
「そういうこと……」
私は携帯を手に取り、マネージャーに電話をかけると、一秒も待たずに繋がる。
「おはようございます、荊々朱さん! 今日は休日ですよ、ちゃんと休めてますか! どうされました?」
「私、ちょっと旅行行ってくるから、スケジュール調整よろしく」
「え? 」
ぽかんと口を開けたマネージャーの顔が目に浮かぶ。
「今、スケジュールちょうど空いてたわよね。それにあたしに休みをとれって散々言ってたから、いいわよね? 」
「え、あの……でも、そんな旅行にいけるような何日もは……、それにただでさえ明日以降もオーディションの予定もぎっしり詰まってますし」
「いいから! あとよろしく! 」
そう言って何かいいかけたマネージャーとの電話を切ると、ノートパソコンを開いて、飛行機のチケットを予約する。
チケットが無事購入できた私は、飛行機の時間に間に合うように急いでスーツケースに荷物を詰める。荷造りをする。
子供の時の遠足のように、心がウキウキする。
マンションの入り口に呼んだタクシーに乗り込んで、空港までと言うと、運転手のおじさんは一瞬目を丸くするも、頷いて、車を発進させる。
どう考えても頭がおかしくなったとしか思われないだろう。
人気絶頂のいまだからこそ、仕事をしなければならないのに。
最悪、血の滲むような苦労をしてつかんだチャンスが、私の声優としてのキャリアが終わるかもしれない。
だけど……私は行かなければならない。
誰にも理解されたいなんて思わない。
向かうその先に何が待ち受けているのかわからないけれど……。
幼い時から願っていたものが……。
ここではない何処かにあるそれが手に入るなら、私は……。
「死んだってかまわないわ」




