●●の物語
今思えば子供時代は恵まれていたと思う。
両親の仕事は街の一角にある小さな花屋さんだった。
母は穏やかで真面目な、父はひょうきんでお喋りが上手でお客から好かれていた。
夫婦共働きで、両親ともにお客さんの対応とか色々忙しくしていたけど、小さいながらも評判はよかったみたいで、毎日お客さんは来ていた。
母は花の中でも薔薇がとても好きで、よく私に色々な薔薇について教えてくれた。
仕事が終わった夜は、家族三人で夕食をとった。
私が学校での出来事を話し、両親がそれを笑顔で聞いてくれた。
花屋がお休みの日の朝は、父の膝でテレビを良く見ていた。
ちょうどそのころの女の子向けの魔法少女のアニメに嵌った私は、好きになったキャラの声を自分でも出してみたいと思い、色々挑戦した。
私が両親に披露すると、とても褒めてくれたのを覚えている。
家族でお出かけして、買い物や映画、旅行も連れて行ってくれた。
とても平凡だけど暖かくて幸せな日々だった。
怒号と甲高い叫び声が、家全体を震わせる。
両親の言い争いを私は、布団の中で耳を塞ぎながら、やり過ごした。
きっかけは父の浮気だった。
店の客として頻繁に着ていた若い女性と仲良くなった父は、ある時からしょっちゅう家を留守にするようになった。
不審に思った母が父に好きな人が出来たこと、その相手が妊娠したことを知って普段の母からは想像もつかないほどの怒りの表情を浮かべた。
そのころから、知らない大人が出入りするようになって、後に弁護士とわかった。
ある日、荷物をまとめるよう母に言われた私は、お気に入りの人形とぬいぐるみを詰めていたら、母に無理やり手を引かれた。
まだ荷物が詰め終わってない私が抵抗したが、母の私を見下ろすその顔で、悟った。
幸せだった子供時代は、終わったことを。
私と母は、小さなアパートに引っ越した。
母は女手一つで私を育ててくれた。昼の仕事に加え、夜勤の仕事とダブルワーク。
小学校高学年くらいから中学校まで、そんな感じだったから、学校から帰ってから、私が寝る前に母が帰ってくることはなかった。仕事で忙しい母と会話することは減っていった。
母からはとにかく勉強をしていい高校に行きなさい、と言われた私は、部活にも入らず、友達も作ることなく、勉強をし続けた。
家では、私は一通りの家事や洗濯、料理を母の代わりにするようになった。
その頃の私は、昼ご飯は給食が出たが、夜は自分で作った。といっても簡単なお味噌汁とレンジに入れて温めただけの冷凍食品くらいだった。
勉強の息抜きに、古いテレビでアニメを見て、ほんの少しでも寂しい現実を忘れるのが、当時の唯一の支えだった。
三年間、必死に勉強したおかげで、県内トップの女子高校に入学することができた。母に合格通知を見せると、何年かぶりに笑顔になった。
そして進学した私はだが学校の勉強に追いつけなくなった。クラスメイトは皆優秀で裕福なお嬢様で、塾や家庭教師を利用して、片や私は学校の授業と図書館の古くなった参考書だけ。
何より私は中学校三年間、ひたすら勉強し続けて、もう勉強のやる気が無くなってしまった。燃え尽きてしまった。
クラスメイトにも私の家庭のことは言わなかった。
裕福な家庭で何の苦労もなく育った彼女らに、理解できるとも思わなかったし、理解されたいとも思わなかった。
そんな中で学校にもクラスにもなじめなくなった私は、アルバイトを始めたいと母にいったものの、最初は反対された。あんたは勉強をして、いい大学に行けば、いい仕事について、たくさん給料ももらえるからと。
ちょうどそのころ私と同じように高校でドロップアウトした友達から、給料のいいガールズバーを紹介され、働こうとしたが、母にばれて大喧嘩になった。
私だって、普通の女子高生だ。他のクラスメイトみたいにお洒落な服やメイク道具、携帯だって欲しい。
そう叫んだら、母は渋々昼のバイトならと認めてくれた。
私はアルバイトができるようになってからは色んな仕事をした。新聞配達、ファミレスの店員、イベントの売り子。
アルバイト先には、色んな人がいた。親切にしてくれる人も、意地悪をしてくる人も。
私はお金を稼ぐため、その場その場でいかに振る舞えばいいか学び、彼らと同じ口調で、同じ声質で喋るようにした。彼らに嫌われるわけにはいかなかった。
私のアルバイトで稼いだお金の入った通帳は、段々と数字が増えていった。とはいっても、たかが高校生が稼ぐお金だから、微々たるものではあるけれど。
せっかく稼いだからと、何か買おうと店に寄るたびに、躊躇してしまった。母が必死に働いているのを間近で見ていたから、例え自分が稼いだお金だとしても、簡単に使えなかった。私は本当に欲しいものができるまで貯めようと思った。
学校では、基本的に独りで過ごしていたが、一人だけ仲良くしていた友達がいた。
眼鏡をかけて三つ編みをした内気な彼女は、お嬢様が集うその学校の中では少し浮いていた。休み時間も誰とも会話せず常に絵を描いていて、陰口を叩かれたり、無視されたりしていた。
ある放課後、クラスの中でも一番勢力の強いグループの女の子たちが、彼女に掃除を押し付けて、陰口を叩いていた。
その中の一人が彼女の机に座り、机の中を漁り始める。そして見つけたノートに描いたイラストを見て、馬鹿にするように大笑いをする。掃除をしていた彼女は俯いたまま、動けなくなっていた。
私は、そのグループに近づいていく。そして、彼女のイラストを手にとって笑っていた女の前に立つ。
「何? 」
と言ったその女の頬を、振りかぶった右手で思いっきりビンタする。
教室が一瞬にして静まり返る。
呆然としたその女に向かって私は大声で叫ぶ。
「これ以上やるっていうなら、私が相手よ! 」
別に正義感でやったわけでもなく、虐められてて可哀そうと思ったわけでもなかった。ただバイト疲れもあってむしゃくしゃしていただけだった。
目の前の女はこんな経験したことないみたいに震えながら涙ぐむと、急いで取り巻きと一緒に教室から出ていく。
教室から飛び出るのを見ていると、俯いていたはずの彼女が私をぽかんと見ていた。
私が笑うと、彼女は初めて微笑んだ。
それ以来、その子と放課後仲良く話すようになった。
放課後、アルバイトまでの時間。イラストを描いているその子に付き合って喋るのが、日課になった。
「ねえねえ。その……●●ちゃんは、声優とか興味ないの? 」
唐突に言われた言葉に驚く。
「声優って、アニメの? 私の声、別にアニメっぽい声じゃなくない? なんで? 」
まっすぐ身を乗り出して、彼女はいつになく饒舌に喋りだす。
「私が虐められてた時のこと覚えてる? あの時、●●ちゃんが怒鳴った声が、まるで映画の女王様みたいだと思ったら、国語の授業で教科書の朗読をする時の声は、透き通るような声で、すごく素敵だったの! その、だから……」
と言い終わると、恥ずかしくなったのか彼女がうつむく。
「何だか恥ずいね、そこまで褒められると。だけど私、演技なんて全くやったことないよ」
「演技はこれからでも全然大丈夫だよ! ●●ちゃんの声なら、絶対に大人気声優になれるよ! 」
普段見たことないくらい輝く彼女の眼鏡を見て、私は適当に相づちを打ちつつ流すも、帰り際に渡された声優の養成所のパンフレットを鞄に入れる。
自宅近くの公園のブランコを漕ぎながら、私は考える。
進学を進める母には悪いが、高校を卒業した後は就職することしか考えていなかった。早く一人暮らしがしたかった。自分で稼いで、自分で生活できるようになりたかった。
けど、友人から声優を勧められた時、私は幼い時のことを思い出す。
夢中になって魔法少女のアニメを見ていた時のこと。
現実とは違う、別の世界の人間や動物になりきる。
何の夢も希望も望まなくなった私に、微かな憧れが湧く。
だけど、パンフレットを見ると、その学費に驚く。
自分の貯めたお金だけじゃ、どうやっても足りない。
それじゃお母さんにお願いするか。
だけど、こんな博打みたいなことに、母が出してくれるわけがない。
悶々と過ごしたある日、深夜に帰ってきた母に向かって意を決して私は言う。
「私、声優になる」
母は無言で声優養成所のパンフレットと私が見せた通帳を見る。
一分程じっと見ると、箪笥の奥から封筒を取り出し私に渡す。
「これだけは守りなさい。就職できるよう最低限資格を取ること。そして……一度決めたのなら、決して諦めないこと」
私は嬉しくて母に飛びつき、何度もうなずいた。
友達に報告すると、彼女はどこからか色々な養成所のパンフレットを探し出して教えてくれて、私は色々体験入学して、その中で事務所に所属できるルートのある養成所に通うことにした。
そこでは、色んなクラスメイトがいて、私よりも芝居がうまく、子役時代から演技の経験もあるクラスメイトもいた。
だけど、私は負けなかった。
家に帰ってからも、演技の練習をした。
当時出たばかりの携帯音楽プレイヤーに自分で声を吹き込んで、それを自分で聞いてを繰り返し、さらにもっとキャラそのものの声を出せるよう、何度も何度も頭がおかしくなるくらいキャラの心情を想像して、声に出して聞いてを繰り返した。プロの声優の声と比べると絶望的だったが、それでもめげずにやり続けた。
高校三年生となった私は、養成所の授業がない日の放課後、アルバイト先の喫茶店で、勉強していた。
お客さんも来ないから店長から資格の勉強をしてもいいよと言われたので、勉強をしていると近所に住んでいて、いつもおかずを分けてくれる独り暮らしのおばあちゃんが血相を変えて飛び込んできた。
「おばあちゃん、どうしたの? 」
「●●ちゃん! お母さんが倒れたって!」
私は急いで母が入院している病院へ向かった。
父と離婚して、六年以上、ほとんど休まず朝から夜まで働いていた母は、脳出血で倒れた。
入院してから、母の容態はどんどん悪化していった。
「絶対諦めないで、●●ちゃん。あなたの……夢を」
それが母が発した最後の言葉だった。
母の胸で泣き叫ぶ私は、父を呪った。
父の浮気がなければ、家族はばらばらにならず、母もこうなることはなかった。
幸せだった家族の時間だけでない。
父は殺したのだ。私の母を、そして私の幸せを。
母の葬式にも、父は来なかった。
祖父も祖母もその時にはいなかった私は、天涯孤独になった。
高校卒業と同時に、養成所の試験を首席で合格した私は、上京して事務所に入った。
そして名前を変えた。
声優として人気になるには、名前も重要だそうで、事務所の社長からは、名前が地味だから、新しい名前をつけようと。提案された名前はどれもピンとこず、私は狭いアパートに帰って、考える。
薔薇にしようと思った。大好きだった母と私の絆の花。
あれこれ考えて、苗字を薔薇園にする。
名前はどうしようかと考え、私と一緒に上京して、イラストの専門学校に入った友達に聞いてみる。
彼女が色々な本から名前を調べてくれた中で、気に入った名前を見つけた私は、それにするというと、彼女は目を丸くする。
「本当に、その名前でいいの? 」
「ええ。これからの私の名前は、薔薇園莉々朱よ」
髪も黒髪から、薔薇色に染め直した。
事務所に入ったなんていっても、私はまだ新人。アフレコやオーディションが向こうから飛び込んでくるわけでもなく、だから自分から色んな仕事に飛び込んだ。
何とかスケジュール調整できるアルバイトを見つけ、深夜までもらった仕事の台本をチェックし、もらった役を全力で演じた。
そしてセクハラ紛いのことをしかけてくる業界の人にも負けず、地道に役を演じ続けた。
一年目は、名前もない登場人物A。そして二年目、まだまだ無名の新人だったが、私の演技を気に入った関係者の指名から、少しずつ名前のあるキャラの役も与えられた。
そして、今年初めてもらった主役のヒロインを演じたアニメが大ヒットとなった。
私が歌った主題歌も売り上げがとても良く、声優雑誌の表紙にも乗り、名実ともに、人気女性声優として名をあげた。
そして、そのアニメでヒロインを演じた私は、その年、最も活躍した若手の女性声優として表彰された。
プライベートでは、色んな男達から告白された。有名な男性声優や業界関係者に食事に誘われたりした。
だけど、それらを断った私は、ある男性声優と付き合い始めた。
人気は私とは比べ物にならないくらい無い。けれど性格も父とは正反対で内気な彼は、私のことが好きで、私に尽くしてくれて、私の言うことは何でも聞いてくれる。そんな彼氏だった。
付き合っていることは、誰にも内緒で彼氏も同じように内緒にしてくれた。
仕事も増えてきた私は、彼氏と同棲を始めた。
公私ともに順風満帆。
父に言ってやりたかった。あなたが見捨てた私は、ここまで上り詰めたのだ、と。
こんなに幸せなのだと。
もう何も心配することはない、そのはずだった。




