『風の中のプリズム』
「うーみじゃあああああ!! 」
ヒル子が大声を上げながら、巫女服の上から羽織ったマントをはためかせ、真っ先に目の前に広がる海に向かって飛んでゆく。後を追うように、レグルスが鳴きながら、駆けてゆく。
俺は呆れながら、それを見守る。
燦燦と降り注ぐ眩い日の光が砂浜を照らし、海が煌めく。
エルピスがとことこと俺の横に歩いてくる。
水色のワンピースに、麦わら帽子を被ったエルピスは、眼をぱちくりとさせ、目の前の景色に見惚れるように固まっていた。
「どうだ? 初めて来た海は?」
エルピスは目を何度も瞬きをし、鼻をすんすんとさせる。
「これが……海……」
エルピスは眩しそうに空を見上げ、俺も一緒に見上げる。
青空に浮かんだソフトクリームの形をした入道雲が、どこまでも高く天に向けて伸びている。
八月ももうすぐ終わりとはいえ、まだまだ残暑が続いていた。
俺はあの日、エルピスと交わした約束を果たすべく、ヒル子と一緒にエルピスを海に連れてきていた。
「おーい! エルピス、太陽! 早く来るのじゃ! とっても冷たくて気持ちいいのじゃ!」
ヒル子は波打ち際で裾をまくり、レグルスと水をかけあっていた。
「ほら、行ってきな」
と俺が言うと、エルピスが俺を見上げ首を傾げる。
「俺は眠いからよ。ここで寝とくわ」
俺はすぐ傍にあった岩に背を預けて、背もたれにし、寝転ぶ。
エルピスは頷くと、砂浜をゆっくりと踏みしめながら、波打ち際ではしゃぐヒル子とレグルスの元へ歩いていく。
三人が合流し、水と戯れはしゃいでいる姿を見ながら、俺は微笑ましくなるも、その光景にズキンと心が痛む。
「荊々朱さん……」
莉々朱さんと一緒にこの砂浜で、はしゃいだことが、遠い昔のように思える。
あの戦いから、二週間経った。
この夏に起きた連続失踪事件の最後の行方不明者として、荊々朱さんの名が各種メディアで報じられると、突然のニュースに関係者や彼女の多くのファンが衝撃を受けた。
インターネットの掲示板では、荒唐無稽な噂がはびこった。駆け落ちしたとかスキャンダルを起こしたから逃げたとか、果ては話題欲しさの自作自演だのといったコメントを書き込む輩もいて、怒りに燃えた莉々朱さんのファンとの間で論争が繰り広げられていた。
心底反吐が出て見るに堪えなくなった俺は、パソコンを閉じ、調べることを止めた。
誰もが彼女の真実を知りたがり、そして、俺は荊々朱さんの最後を見届けた人間として、真実を言うべきじゃないかと考える。
だがそう考える度に、例え真実を話したとしても信じられるわけがない、と思いなおすことをずっと繰り返していた。
薔薇園莉々朱は邪神に殺された、なんて一体誰が信じる?
馬鹿な高校生の妄想扱いされるのがオチだ。
それでも、せめて荊々朱さんの家族だけでも伝えるべきじゃないか。
父、母、兄弟姉妹、それに恋人だっていたかもしれない。
その人達は、莉々朱さんがいなくなって心配しているはずに違いない。
はしゃぎまわるヒル子やレグルスの声で、俺は物思いから覚める。
エルピスもレグルスと一緒にヒル子のかける水を浴びていた。
「太陽ーー! お主も来んか! 楽しいのじゃ! 」
「後で行く! 」
手を振ろうとしたヒル子の頭の上にレグルスが飛び乗り、浮かんでいたヒル子がふらふらとバランスを崩し海に落っこちる。
「レグルスーー! 許さんのじゃ! 」
ずぶ濡れになったヒル子は海面から再び浮かび上がると、砂浜を駆けだしたレグルスを追いかけ、エルピスはゆっくりとついていく。
俺は笑いながら眺めて、再び物思いに耽る。
家族について、莉々朱さんは何も話していなかった。
ふと思う。俺は莉々朱さんのことを、どこまで知っていたのだろうか。
荊々朱さんは、俺にとっての憧れの声優であり、出会うはずのない人だった。
だけど、何の因果か巡り合わせか。あの夜の本屋で、俺と莉々朱さんは出会った。
出会ってしまった。
第一印象はテレビや雑誌で見たまんまで綺麗で美しく、そしてどこか悪戯心をもった気さくなお姉さんという感じだった。
デートを重ねる内に、段々と素の部分が見えたような気がした。
夕暮れの砂浜で俺に向けた淡い微笑み、黄金の森で俺を振った時の、冷酷な魔女のような高笑い。
そして……キスをした後、俺に向けた最後のあの笑顔。
締め付けるような胸の痛みに、俺は自分の胸を押さえる。
俺と関わってしまったせいで、あの人は殺された。
俺と出会わなければ、あの人は生きて、大人気声優として活躍し続けたのに。色んなアニメに出て、たくさんのファンを魅了して……。
変えようがない過去を思うたびに、自分を殺したくなる程の後悔に苛まれる。
「情けねえ」
自分に腹が立った俺は頭をかきむしる。こんな姿、エルピスやヒル子に見せられない。
俺は左手首に装着している腕輪、邪神や怪物と戦うため、神から授けられたイマジナイトの表面に刻まれた紋章を見る。
星型の紋章のその奥。今は見えないが、彼女の胸につけていた薔薇のネックレスが宿っている。
毎夜押し寄せる後悔と慚愧の念で押しつぶされそうになりながら、それでも俺は願ってしまう。
青空を見上げ、呟く。
「莉々朱さんに……会いてえなあ……」
心地よい海風が俺に微睡みを運んでくる。
最近眠れてなかったせいか、やけに眠い。
押し寄せる波の音を聞きながら、俺は目を閉じ、莉々朱さんのことを思う。
せめて夢の中だけでも、あの人の笑顔を見れるように。




