『Fortes fortuna adjuvat』
目覚めると、俺は闇の中で揺蕩っていた。
何も見えず、何も聞こえない、深く昏い闇の中。
そうか、俺は死んだのか。
自然にそんな考えは浮かんだが、恐怖を感じることはなかった。
闇に飽きた俺は、どこかに出口はないのだろうか、と考える。
すると目の前に、ふわふわと揺らめく光の玉が現れる。
その光の玉は、俺を導くかのように飛んで行く。
俺は導かれるまま、歩き出す。
どれくらい俺は歩いたのかもわからない。
時間の感覚もあやふやな中、先導する光の玉が急に止まる。
そしてその球の中心から閃光が走り、俺は思わず目を閉じる。
その光は俺を包み込み、そして全てが光となる。
不意に全身に風を感じる。
穏やかに包み込むような、春の優しい風を。
目をゆっくりと開ける。
緑あふれる小高い丘の上に、俺は立っていた。
見上げると、雲一つない青空が、どこまでも、どこまでも続いている。
丘から見下ろすと、草原が広がっていた。空の遥か彼方先には、大山脈が連なるように続いていた。
あまりにも雄大なその景色に、俺は言葉を失う。
このどこまでも続く景色を見続けたいと思ったその時、どこかから歌が聞こえてくる。
俺は後ろを振り向く。
丘の斜面を下った先にも草原が見え、そこからずっと向こうに高く聳え立つ門のようなものが見える。
俺は丘を降り、聞こえてくる音色を頼りに草原を通り抜け、門に向かって歩いてゆく。
眩い日の光に照らされながら歩き続けると門の近くに何かオブジェが見える。
遠くにあった扉が段々と近づくにつれて、それが見えてくる。
それは膝を付いて鎮座する、大きな錆びた鋼の巨大な人型像だった。
鎧を纏っていたが、頭部は無く、両肘から先が欠けていた。
背中の鎧から翼の生えた跡のような箇所が見える。
俺はそれを横目で見つつ、通り過ぎてゆく。
扉の前まで漸くたどり着く。黄金でできた巨大な扉の前に。
見上げると首が痛くなる程の高さで、俺はぽかんと口を開く。
俺は試しに開けてみようと扉を押してみるも、扉は固く閉じられており、びくともしない。
少し残念な気持ちになり、門に背を向けて帰ろうとしたその瞬間、目の前の門がゆっくりと音を立て内側から開いてゆく。
門が開き、開いていくうちに光が溢れ出し、俺は思わず眼を閉じる。
目を開けた俺の目に飛び込んできたのは、まるで天国のような風景だった。
色とりどりの美しい花が咲き乱れている。
赤、青、黄色、白、そして虹色。
ありとあらゆる色の花が、眼に映る風景一杯に広がっている。
近づきたい、そう思ったが、中に入ることを躊躇う。
こんな美しい場所に、俺が入っていいのか。
罰当たりなんじゃないか。
そう逡巡したその時、俺の背中を押すように風が吹き、俺は前に一歩踏み出す。
何も起こらない。
俺はそのまま花畑の中心にできた道を歩き出す。
少し歩いていくと視線の奥、咲き乱れる花の中心。
一振りの剣が浮かんでいた。
煌めく黄金の炎が、剣の周囲を回転している。
その剣を見て、俺は不思議な感覚になる。
俺はゆっくりとその剣に近づいていく。
すると、何かに躓きかけた俺は、朽ちた根っこが伸びていることに気づく。
剣が目の前まで見える位置に来る。
浮かんでいる剣の後ろに、切株が見える。
根元から折れたような切株。
そして気づく。
切株の中心から若木が生えている。
細く伸びている若木、そこから伸びる枝には今にも芽吹きそうな蕾が見える。
黄金の炎は若木を護るかのように、燃え盛っている。
剣と若木を見ていたその時、奥の方から回転する黄金の炎越しに、歌声と共にゆっくりとこちらに向かって歩いてくる人影が見える。
近づいてくる人影が光り輝いていて、歌声に心が圧倒されて動くことができない。
近づくにしたがって輝きがましていき、もはや俺は目を開けることができないほど眩しさだった。
心揺さぶるその歌声に俺の心は天にも昇るかのような心地よさを感じると同時に、涙が溢れて、止まらなくなる。
『ありがとう』
その言葉を最後に、俺の意識が彼方へと飛んでいく。
もう帰ることのできない始まりの園から……。
俺は息苦しさを感じる。何かが俺の胸の辺りに重しを乗せているようだ。
目を開ける。
「何だ、レグルスか。それに、ここは……」
せっかくいい夢を見てたってのに。とても暖かくて心地よい。けれどどんな夢だったか思い出せない。
レグルスは俺の胸の上に乗り、俺が起きたのを知ると、顔を俺の真横に向ける。
俺の顔の横で、エルピスが座り、俺をじっと見ていた。
「エルピス」
俺が呼びかけると、エルピスの手が俺の頬に触れる。その冷たさが心地いい。
俺は起き上がり、傍らのエルピスを見る。
「悪い。心配かけたな」
「……うん……」
エルピスの心配そうな顔を見て、俺は体を起こすとエルピスの頭をぽんと撫でる。
「ようやく目覚めたかっ、太陽! 」
喧しい声が上から響き、ヒル子が下りてくる。
「ヒル子か」
「まったく心配かけおって。まあ、我はお主なら大丈夫と信じておったがの」
大きく笑いながら腕組みをする。
「太陽、ところでお主。なんで泣いておるのじゃ?」
「はっ? 」
俺は顔に手をやると、いつの間にか涙がながれていた。
「そんなに我がいることが、嬉しかったのか! 全くしょうがないやつじゃの」
にやにや笑うヒル子に
「うるせえ。んなわけあるか」
と俺は裾で涙を拭う。
エルピスは、そんな俺を不思議そうに見つめる。
俺はその瞳に、何かを思い出しそうになるが思い出せない。
そして地面を見たその時、傍らに、光るアクセサリーを見る、俺は息が止まる。
ゆっくりと手を伸ばし、俺はそれを手に取る。
金色のチェーンに小さな赤いバラのネックレス。
莉々朱さんが胸元につけていたネックレスだった。
「莉々朱、さん……」
嗚咽が漏れそうになるのを必死に我慢する。
俺はそれを手にとって、強く握りしめる。
思い出が逃げぬように、必死に
「太陽……」
俺は顔を上げると、ヒル子が目の前まで降りてくる。
そして両腕で俺の頭を抱きしめる。
「大丈夫じゃ」
俺はヒル子の慈愛の籠った声に心が震える。
「お主はもう一度、立ち上がることができる男じゃ。じゃから、今はそれでよい」
俺はヒル子が頭を撫でるのを黙って受け入れる。
俺の左手を温もりがそっと包む。
ヒル子が俺から離れる。
エルピスが俺の手を両手で握って俺を見ている。
俺は右腕のシャツの袖で顔を拭い、立ち上がる。
「情けねえところを見せちまったな。」
エルピスは首を振る。
その時だった。
「むっ」
ヒル子が頭上を睨むと、空間が音を立てて割れる。
「八剣太陽」
そこから、白髪の老人が降りてくる。
俺は息を吐き、そして腹に力を入れる。
「待っててくれ、エルピス」
俺はエルピスに言うと、エルピスは頷き、レグルスを抱えて大樹の根元に行く。
俺は降りてきたノーデンスに向かって、歩く。
「我も行くのじゃ」
ヒル子が俺の横を浮かびながらついてくる。
俺の身長の倍はありそうな長身のノーデンスの前まで、行く。
威圧感を感じるも、俺の意思は決まっていた。
「ノーデンス。お前っ! 」
俺が叫ぼうとした瞬間。
「まずは、お主に謝らせてほしい」
俺より大きいノーデンスが、頭を下げていた。
「なっ、あっ」
戸惑う俺に頭を下げたままノーデンスが言う。
「そして聞かせてくれぬか。お主がこれまでどのような戦いをしてきたかを。そうすれば、儂が話せることは話そう」
出鼻をくじかれ、俺は拳を握りしめたまま頷く。
「っち。わかったよ」
ヒルコが俺を見る。
「よいのか? 」
「仕方ねえだろ。そうしねえと話が進まねえってんならよ」
ノーデンスがヒル子を見る。
「そうか……お主だったのか……」
「? 何じゃ? 何か文句でもあるのか! 」
ノーデンスは答えることなくヒル子から視線を俺に移す。
「聞き入れてくれたこと。感謝する」
ノーデンスが頭を上げ、右手の銀色の籠手を地面に伸ばすと、黄金樹の根が伸び、椅子となる。
俺とノーデンスは座り、向かい合い、俺は話し始める。
これまでの戦いを。
メッセンジャーの話が出た辺りでノーデンスの銀色の籠手が震えるも、ノーデンスは口を一切挟まなかった。
俺の話が終わると、ノーデンスは深く息を吐き、俺の眼をまっすぐ見つめる。
「八剣太陽。お主は見事あれに打ち勝った。神々でさえ敗れ去ったあの邪神を。そして謝らせて欲しい。儂はお主に伝えることができなかった。」
「……てめえ、何で突然消えやがった! 」
「こちらに来る際に想定以上に力を使い過ぎた。世界の移動には相当の力を使う。儂は邪神の封印を維持するための最低限の力を残さねばならなかった。そしてあの時、限界を超えた儂は神話世界に戻らねばならなかった」
言い訳めいたことを言い出したノーデンスにキレそうになったが、それ以上に聞きたいことがあった。
俺は胸の内で燻っていた疑問を問いかける。
「あいつは、奴はなんなんだ!? 」
ノーデンスが顔を上げて俺に向かって言う。
「お主が対峙した男、其の名はニャルラトテップ」
「ニャルラト、テップ……」
「神話世界を襲った凶悪な邪神をも超える存在。神を外れし神。我らはこう呼んでおる。外なる神、と」
メッセンジャーの歪んだ笑みが脳裏に浮かぶ。
思い出すだけでも、憎悪が溢れそうになり、俺は歯を食いしばり我慢する。
「あいつがニャルラトテップっていう名前で、外なる神とかいうやべえやつだっつことはわかった。だがそれ以上に知りてえのは、ニャルラトテップは……どうしてこの異界に入ることができたんだ! この前会った時、てめえはこの黄金樹の異界を修復したっていったよなあ?! 」
俺が問い詰めると
「太陽よ。前回、お主にはこう言った。神々は異界を通して限定的にしか現実世界に干渉できぬ、と」
「ああ」
「それは無論、邪神にも当てはまる……。だが、例外がある。」
「例外って……」
「それが奴。ニャルラトテップだ。奴には、他の邪神にはない力を持っておる。それは化身と呼ばれる力じゃ」
「なんだよ、それは……」
「奴は自らの存在の欠片、それを他の存在に入れることで、それを自らの分身とする力だ」
俺は唖然とする。
「そんなことが、あやつにはできるのかっ?! 」
ヒル子の叫びに、ノーデンスは頷く。
「そうだ。無論、全てが全て、奴の化身となるわけではない。だが、奴の存在の欠片と上手く嵌ったものは、ニャルラトテップの化身となる。神話世界での戦いにおいて、奴は数多の化身と共に儂ら神々と人々を襲い、殺してきた。故に彼奴はこう呼ばれている。千の貌を持つ者。と」
「千の貌……」
俺が呟くと、ヒルコがあっと言う。
「そうか! だからあの怪物は、それで邪神に変わったのじゃな?! 」
「そうだ。お主が戦った怪物は、奴によって造り替えられていた。本来持ちえない再生能力。それによって、奴の欠片に耐え、そして邪神にも変貌することができたのだろう。」
俺は話が長いことにもどかしさを覚える。
「邪神でもあり人間でもあるお主がメッセンジャーと呼んだ化身は、本体の命を受け、現実世界で探っておったのだろう。この異界にどうやって侵入するかを」
「だから、どうやって侵入したんだよ! それを早く言えよ」
俺が急かすと
「お主がこの異界に入るための扉を見つけられた」
俺は絶句する。
「ノーデンス! 一体どういうことじゃ! 」
「儂の想定以上にニャルラトテップの化身が力を持っておったようだ。太陽よ。お主の左手にあるイマジナイトは、この異界の通路へと通じるを開くことができる。謂わば鍵だ。だが奴は鍵を使うことなく、扉を無理やり開けた」
俺はこみ上げる怒りで、拳をわなわなと握りしめる。
「どうして……見つかったんだよ」
「尾行されていたのだろう」
「尾行って、いつから? 」
ノーデンスは答える。
「おそらく、お主と最初に出会った時から奴は動きだしたのだ。奴は多くの眷属を率いる。怪物、そして人間にも。お主の動向は見張られておったのだ」
俺はメッセンジャーと会った時のことを思い出す。
「あいつが最初に俺の前に現れた時、あいつは俺に警告した……。この戦いから手を引け、と。そうしなければ。俺は死ぬ、と」
「ニャルラトテップにとって、太陽。お主は目の上のたん瘤じゃった。最初はお主が脅しに応じ、戦わずに済めば、それでよかったのだろう」
俺は呟く。
「だけど、俺は怪物と戦った」
俺は両手を握る。さっきの戦いで邪神を倒した高揚感もいつの間にか消え失せる。
「太陽よ、これは慰めにもならぬだろうが。奴にとってお主は脅威であった。神話世界では強大な力を振るったあ奴も、人間界ではそれは制限される。それでも、例え現実世界であったとしても、邪神の化身である奴に対抗できうる者などいないはずなのだ」
「それはどういう意味なのじゃ?! 」
ヒルコの問いかけに
「薔薇園莉々朱、といったか。その姫が言った言葉は、正鵠を射ておったのだ。お主は奴にとって唯一の障害であった。お主は人間の身でありながら、怪物に対抗しうる力を持っておるからだ。故に奴はお主が敵対するとわかった瞬間から、お主にとっての弱点を探し当て、そしてあの姫を攫ったのだ」
俺は犯した過ちと後悔で悔しさで吐きそうになる。
「俺が巻き込んでしまった……俺が戦うことを選んだから、莉々朱さんは……」
これ以上取り返しのつかない過ち。
ノーデンスが首を振る。
「仕方なかったのだ」
ノーデンスが言った瞬間
「ふざけるでないわ!! 」
ヒル子の叫びに、ノーデンスは目を向ける。
「太陽は、たった独りで戦ってきたのじゃ! お主が課した女神の守護者という役目を果たすべく、常人じゃ耐えきれぬ恐怖と痛みに襲われてもめげることなく! 人々を、街を護るため、何よりエルピスを護るために! 」
ヒル子が拳を握り、ぎりぎりと歯を食いしばり
「その果てに、愛しの姫を殺されて……それを仕方なかったじゃと! よくも抜け抜けとそのようなこといいおったな! 」
「ヒル子……お前」
ヒル子の額の玉が燃えるように真っ赤に輝き、烈火のごとく髪を逆立てて、激怒する。
「ヒル子よ。何が言いたい」
ノーデンスの問いかけに
「あのような強大な力をもった邪神相手に、太陽たった一人で世界を護れというのが、そもそもの無茶なのじゃ! ニャルラトテップとやらは自由に人間世界を動き回れて、人間の手下もおる。そんな奴を相手に! お主らは太陽に丸投げしたのじゃ! お主らがすべきことを! 」
ノーデンスは
「儂らも何もせんかったわけではない。イマジナイトを、怪物と戦う力を与えた」
「だからといって、全てを太陽独りに背負わせるというのか! 二つの世界の行く末を! 」
ヒル子の剣幕に、ノーデンスが圧倒される。
「そもそも、ニャルラトテップがどれだけ危険かを、お主が最初から伝えておりさえすれば! 犠牲はでなかったのではないか! どうじゃ、何とか言うてみよ! 」
そうだ、その通りだ。
俺の中で怒りが渦巻く。
立ちあがり、吼え、目の前の賢しらぶったじじいを血祭りにする。
例え神々の王だろうが、知ったことか。
こいつのせいで。こいつのせいで、莉々朱さんが。
心の中で溢れ出しそうになる憎悪。
微かな声が聞こえる。
違う。
俺は胸を抑え、荒い息を吐き何とかこらえる。
「ヒル子! 」
俺はヒル子に言う。
「俺のために怒ってくれて、あんがとよ。でも……もういい」
俺の言葉に、ヒル子が俺にも叫ぶ。
「もういいじゃと! お主にとって、あの姫はっ!」
「ああ! 分かってるさ! だけどよお!」
俺は手の中にある薔薇のネックレスを強く握りしめる。
「俺は、莉々朱さんに言われたんだ……負けないでって! 」
莉々朱さんの微笑みが、何度も蘇る。
俺は目の前の白髪の老人姿の神に溢れ出る憎悪と悲を封じ込めるように拳に握り、前を見る。
「太陽……」
「莉々朱さんの言葉を、想いを、俺は裏切るわけにはいかねえ」
俺は顔を上げノーデンスを見る。
「ノーデンス。俺自身、あんたのことは許すことはできねえ。だけど、これは俺の過ちだ。俺が背負うべきものだ。それを、お前なんかに渡さねえ」
ノーデンスは黙って俺の話を聞いていた。
不意に視線を感じ、後ろを振り向くと、黄金の大樹の根元で、エルピスがレグルスと座りながら、俺たちの様子をじっと見ている。
俺はそんなエルピスに、手招きして呼びかける。エルピスは頷き、歩いて俺の傍まで歩いてくる。
俺の傍でじっと俺を見上げるエルピスと目が合う。
俺は決意を胸にノーデンスに言う。
「俺の怒りより大事なことがある。俺には為すべきことがある。あんたは言ったな、俺にエルピスの守護者になれと」
ノーデンスは黙って俺を見る。
「エルピスを、ここから連れていく。この森に独りで置いておくことなんかできねえ」
その言葉を言った瞬間、空気が変わる。
「それはできぬ」
先ほどまでの神妙な雰囲気とは打って変わった、冷徹な声が響く。
「エルピスはこの森から離れることは許さぬ」
抑えに抑えこんでいたものが、破裂して俺は立ちあがる。
遂に我慢していた堪忍袋の緒が切れ、俺は叫ぶ。
「ふざけんじゃねえ! てめえにもわかるだろうが! エルピスは……殺されるところだったんだぞ! 」
俺の激昂も意に介していないように
「故にだ。猶更ここから出すわけにはいかぬのだ」
「理由を言ってみろ! 理由を! 」
どんな理由があろうと、必ずここから連れ出す。そう決意をしていたが
「ならば言おう。その理由を。何故なら、この黄金樹がないと、エルピスは生きることができぬからだ」
言っている意味がわからない。
理解が追いつかない。
「どういう……ことだよ? 」
「言葉の通りだ。この黄金樹こそエルピスの生命を繋ぐものであり、ここを離れると、エルピスの体が保たないのだ」
「ノーデンスよ。詳しく説明せよ! 」
ヒル子の言葉に
「神話世界に現れたエルピスは、儂らが理解しえぬ謎の力を持って、邪神共を瀕死の状態に追いやった。」
「それは前回聞いた、それが一体」
「だが、戦いの後のことだ。力を使いすぎたのか、エルピスは存在が崩壊しかけておったのだ」
ノーデンスの言葉を聞きながら、俺はエルピスを見る。エルピスはただじっとノーデンスを見ている。
「封印を免れた邪神に対抗するためには、エルピスの力が必要だった。儂を含めた神々は、エルピスを生き残らせるため、異界を作り上げ、滅びかけていたエルピスを異界に入れたのだ」
ノーデンスが黄金樹を見上げ、俺たちも見上げる。
「この異界は、はじめは何もない空間であった。だがエルピスが入った後、異界に変化が現れた。それがこの樹だ。この黄金の大樹が生えてきたのだ」
俺は合点がいく。
「この樹はじゃあ……」
「ああ。この黄金の大樹こそ、エルピスの揺籃であり、生命を繋ぐ楔なのだ」
俺は呆然とし、エルピスを見ると、諦めたかのように顔を俯かせる。
「故に、ここから彼女は出ることはできぬ。そもそも不可能なのだ。この黄金樹があるからこそ、エルピスは生きていることができる。だが、現実世界に行けば、遠からずその体は崩壊する」
俺は何とかならないか頭を振り絞る。
「なら、この樹の枝を切って、一緒に持っていけば!」
「無駄だ。仮に枝を切り持っていったとしても、異界のものは現実世界では存在を保てぬ。神々と同じように。いずれ消滅するじゃろう」
ノーデンスは俺を見下ろし言う無慈悲に俺たちに言い放つ。
「故に彼女が真の力を取り戻す然るべき時が来るまで、ここの異界を完全に閉じる」
衝撃を受け俺は叫ぶ。
「閉じるって、どういう意味だよ! 」
「文字通りの意味だ。ニャルラトテップの力を甘く見ておったことを此度の件で痛感した。故にエルピスの安全を確保するため、異界に通じる扉を全て閉じる。誰も入ってくることができないように。無論、それはお主も例外ではない。お主でさえも入ることはできぬ」
「然るべき時って……いつだよ!? 」
「わからぬ。今回の戦いで、エルピスはかつての力を取り戻しつつあるのはよい兆候ではある。が、いつになるかは……」
ヒル子も俺の横で叫ぶ。
「それまで、ここに閉じ込めるというのか! いつになるかわからぬその時まで?! 」
ヒル子の叫びにも、ノーデンスは動じることはなかった。
「ざけんじゃねえぞ! ノーデンス! エルピスは……てめえらの道具じゃねえんだぞ!」
俺は悔しさで歯を食いしばる。
エルピスの希望を俺は背負ったんだ。
ここで負けるわけにはいかねえ!
「俺は、約束したんだよ! エルピスに、海を見せてやるって!」
「悪いが、諦めることだ。お主には引き続き、現実世界において、異界から来た怪物を倒してほしい。そうすることが、エルピスの助けになるのだ」
こんなこと、認めてたまるかよ。
「諦めんじゃねえぞ、俺が絶対になんとか」
と、俺のズボンがぐいぐいっと何かに引っ張られる。
顔を下に向けると、レグルスが唸りながら俺を見上げている。
「なんだ、レグルス。今は大事な」
レグルスが脚に昇り、俺のズボンのポケットを何度も引っ張る。
不意にズボンのポケットに何かが入ってることに気づく。
俺はポケットに手を入れると、指の先に、何か細い物が触れる。
俺はそれを握ると、そっと取り出す。
「これは……」
それは、金色に光る樹の枝だった。
枝の先から蕾が綻び、今にも花開きそうな。
ヒル子が近づいてきて見て叫ぶ。
「まさしく、この異界にある黄金の樹の枝とそっくりではないか! 」
俺はエルピスにその枝を手渡す。
エルピスがそれを手にした途端、枝の蕾が花開く。
エルピスは、それを大事にそっと両手に包み胸に抱きしめると、枝と花は雪の結晶のように溶けると、エルピスの胸の中に入っていく。
ノーデンスが驚愕の眼でそれを見、これまで出していた冷厳な声とは打って変わった震えるように言う。
「それを……どこで……」
何か思い出しかけたが、俺はあえて無視する。
「知るかよ」
目の前の相手に言う必要などない。
「どうだ、ノーデンス! これでも文句あんのかよ! 」
エルピスを背に、俺はノーデンスに向かって言うと、ノーデンスが左手に三又の槍を手にしながら、俺を見下ろす。
「ならぬ。それで危険性が減ったわけではない。それ以上言うのであれば……」
背筋がひりつき、空気が揺れる。
空気に電流が走り、大気が揺れる。
邪神とも違う、その圧倒的なオーラに、俺は思わず脚が震えそうになるも、
腹に力を込め、エルピスを背に俺は神々の王に向かって行く。
「何度だって言ってやるよ! てめえが何と言おうと、俺はここからエルピスを連れていく! こんなところで独りになんかさせねえ! エルピスを、独りぼっちにさせてたまるか! 」
その時だった。
俺の隣から眩い光が走り、咆哮が轟く。
「ノーデンスよ。太陽は決して一人ではないぞ! 」
俺の右側で溢れんばかりに輝く光の輪を背負いヒル子が並ぶ。
そして唸り声を上げ、成体となったレグルスが左側に。
「おまえら……」
ヒル子が腕組みをして、
「ノーデンス! お主が太陽の邪魔をするというのなら、我らが相手になるのじゃ! 」
ノーデンスがヒル子に言う。
「この儂に逆らおうと言うのか」
「そうじゃ! お主が課した役目を、太陽は見事に成し遂げたのじゃ! なればこそ、次は貴様の番じゃ! 」
ヒル子の言葉を聞いたノーデンスの背後から、大気を揺るがすオーラが放たれる。
それに負けじと、ヒル子の背後の光の輪から、煌めく虹色の炎が浮かび上がる。
ひりつくような空気の中、俺たちとノーデンスの睨み合いが続く。
その時、俺の後ろにいたエルピスが前に出る。
「エルピス!? 」
エルピスはノーデンスの前に立つと見上げながら言う。
「私は……太陽と一緒」
エルピスは静かに、だけどはっきりと言う。
ノーデンスの表情は変わらない。
だが、エルピスの一言で、ノーデンスの背後から出ていたオーラが薄れてゆく。
「……よかろう」
ノーデンスは一言。
「八剣太陽、女神の守護者よ。お主によって、再び神話世界は救われた。故に認めよう。エルピスをここから出すことを」
俺はよしっと声を上げるが
「それだけじゃなかろう、ノーデンス! 」
ヒル子の叫びにノーデンスは続けて言う。
「続けてここに誓おう。神話世界の総力をもって、女神の守護者である八剣太陽を助け、共に戦うことを」
ノーデンスの言葉に、ようやくヒル子は不承不承頷く。
「忘れるでないぞノーデンス! これはただの口約束ではない。神と神の誓いじゃ! 女神の守護者、八剣太陽を導くこのヒル子が、お主の誓約を聞き届けた。これに背くことあらば、どうなるかわかってるじゃろうな! 」
ノーデンスが無表情に頷き俺を見る。
「ほどなくお主の元に、神話世界から使いを遣ろう」
そう言うと、ノーデンスは最後にエルピスをちらりと見てから、空へ浮かぶと、現れたのと同じように空間を割り、その中へと消えていった。




