『心を開いて』
その儚い光は、まるで星が寿命を迎えた先に見せる、最後の瞬きかのようだった。
瞳の奥、その中心にある深い穴に俺の意識が吸い寄せられていく。
深淵より更に深いその場所で、今にも消えそうな微かな明かりが灯っていた。
一人の少女が俯き、しゃがみ込んでいる
「エルピス……」
今の今まで、気づかなかった。
いや、違う……
俺は、避けていた。
俺は、恐れていた。
その役割の重さ、その苦しみに。
エルピスはずっと、俺を見ていたのに……
絶望に染まった、その瞳で。
心の奥底から、言葉にできない感情が爆ぜ、炎が溢れ出す。
俺は奥歯を噛みくだき、崩れ落ちかけた足で地面を蹴り、もう一度立ち上がる。
そして、叫ぶ。
「エルピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーース! 」
俺の叫びに、樹上で吊るされて俯いていたエルピスの顔が上がる。
俺は剣を地面に突き刺し、脚を前へ一歩、進める。
ほんの一歩ずつ。
エルピスの下へ。
邪神に向かって歩いていく。
僅かでも体を動かすと、全身に激痛が走り、倒れそうになる。
それでも俺は、痛みを焼き尽くすように、大きく叫ぶ。
「君の心を……聞かせてくれ! 」
エルピスの瞳が微かに揺れる。
「俺は何にも、エルピスのことをわかっていない。いいや、知ることから避けていた。その役割の重さから、苦しみから逃げたくて。それが、エルピスにはわかってたんだよな」
エルピスは俺を見つめる。
「俺は……君を見捨てようとした! 戦うことから……逃げようとした! 本当に情けねえ……俺は……大馬鹿野郎だ! そのせいで、初恋の人を、護ることもできなかった! 」
俺は全てを曝け出す。
恥ずかしいまでに身勝手な、己自身の弱さを。
「君、何を言いだすのです? そんなことになんの意味が」
メッセンジャーが心底理解ができないような顔をする。
だが、どうだっていい。
初めて君と出会った時から、頭の片隅でずっと考えていた。
何故、俺が女神の守護者に選ばれた?
勇者に憧れたから?
町を、世界を、そして誰かを救うヒーローになりたいと願ったから?
だけど、俺には何の力もなかった。
どこにでもいる、ただの高校生で……。
挙句の果てに、初恋の人を目の前で殺された。
俺は……何にもできなかった……。
俺は一体何なんだ?
何故、俺は生きている?
こんな醜態を晒して……心が壊れそうな目にあって
生きていることに、意味なんてあるのか……
俺は俯き、両こぶしを握り締める。
後悔が蛇のように臓腑を締め付ける。
「違う……。そうじゃねえ」
俺のことなんてどうだっていい。
心臓が鼓動する。
俺に向かって、告げている。
それでも、生きろ、と。
ならば、俺の為すべきことは何だ?
運命は、俺に何を求めている?
俺は顔を上げる。
視線の先、深い絶望と諦念に呑み込まれそうなエルピスが、俺を見つめる。
「君は俺に問いかけた。希望はあるかって。あの時の俺は、答えることができなかった」
声を上げている最中、何度も意識が飛びそうになるのを、何とかこらえる。
ここで止まるわけには、いかねえ!
「今なら言える……俺は、君の笑顔を見てみたい! 君の笑顔を取り戻したい! それが、俺の希望だ! 」
エルピスが驚いたように目を瞬かせる。
『太陽、お主は……』
ヒル子が感嘆するように呟く。
「俺はまだ……戦えるぜ……だからよ、俯かずに顔を上げな」
傷だらけで満身創痍。絶望が壁となって俺を押しつぶそうとしている。
それでも俺は無理やり、笑みを浮かべる。
メッセンジャーが額に眉を寄せ、
「見苦しいですねえ。太陽君、君とそれの涙ぐましいやり取りですが、哀れで見るに堪えないよ」
メッセンジャーの言葉を無視して、俺はエルピスに向かって、もう一度叫ぶ。
「俺はなる! 女神の守護者に……君の勇者に!」
エルピスが、大きく眼を見開く。
「だから、エルピス! 君の希望を教えてくれ! どんなことだっていい! 」
喉を潰す勢いで、最後まで俺は叫びつづける。
「君の希望は、俺が守護る!! 」
さざめきと共に、黄金樹の森全体が震えた。
エルピスの固く閉じ結んでいた口が、僅かに開く。
「私は……望んで……いいの? 」
エルピスの震えるような問いかけに、俺は答える。
「ああ! 例えそれを誰も認めなくても、許さなくても! 俺だけは君の味方だ! 君の希望を守護るため、俺は、戦う!! 」
一瞬の沈黙の後、エルピスが呟く。
「……うみ……」
か細い声が、言葉を一つ一つ、紡いでいく。
「うみ……見て、みたい……」
エルピスの瞳に、光が宿る。
「海を……見せて……太陽! 」
切ない叫びが、森に響き渡る。
俺はエルピスに大きな声で答える。
「ああ! 」
左手の親指を上げ、叫ぶ。
「必ず連れていってやる! 」
樹上にいるメッセンジャーが、大きなため息を吐き、首を振る。
「茶番は終わったかな」
メッセンジャーがさっきまでの上機嫌な様子から一転、不愉快そうに俺を見下ろす。
「君の役割はもう終わったんだ。そろそろ退場したまえ」
メッセンジャーの言葉を受け、邪神が動き出す。
『太陽! 動くのじゃ! 』
ヒル子が必死に言う。
「あ、ああ……わか、ってるさ」
と虚勢を吐くも、俺は両手で剣を握りしめ、体を支えるので精いっぱいだった。
「おやすみ、八剣太陽君」
邪神の背から放たれた何十本もの触腕が、目の前まで迫るのを、ただ俺は見ていた。
それは、まごうことなき、死の一撃だった。
衝撃と共に俺は宙を舞う。
意識を失う刹那、脳裏に蘇るのは、煌めく星のような思い出。
輝く真夏の日差しの下で、俺に向けられた天真爛漫な笑顔を。
夕暮れに染まる海を背に、俺に向けられた儚い笑顔を。
目覚めた時、私には何も無かった。
何か大事なものが欠けている気がする。
ぽっかりと胸に穴が空いて、大事なものを失くしたような。
だけど、それがなんなのか、わからない。
だから私は此処で眠り続けた。
あの人の言う通り。
それだけが、私のすべきことだったから。
そして、あなたがわたしの前に現れた。
あなたに連れられて、私は初めて見た。此処とは異なる、外の世界を。
あなたがくれた食べ物を口に入れて、私は初めて感じた。美味しさというものを。
あなたがくれた本を読んで、初めて知った。私以外の色々な生き物が、外の世界に存在していることを。
あなたが笑顔で話してくれて、初めて想った。外の世界にある、たくさんの喜びを。
今にも倒れそうなのに、それでも必死に叫ぶあなたを見て、胸の奥がざわめき、微かに震える。
あなたが私に問いかける。
私は、何を望んでいるの、と。
胸が苦しくなる。
私の望みって……何?
何も無い私が、希望むものなんてないはず……なのに……
胸の奥底から溢れ出る何かが、私の口を開かせる。
自分でも驚きながら、自然と言葉が口をついて出る。
そして……あなたは……微笑んだ。
倒れたあなたを見て、私の何かが、身体を動かす。
身をよじり、痛みに抗いながら、私は右手を鎖から抜け出す。
その手を黄金の樹の枝に向かって伸ばす。
枝先にある、たった一つの希望を掴むために。
鈍い音と共に、俺は地面に激突する。
うつぶせに倒れた俺には、もう何の力も残っていなかった。
『太陽、目を覚ますのじゃ、太陽! 』
意識は今にもかき消えそうなほど薄れてきており、ヒル子の呼びかけに答えれそうにない。
体を動かす心臓の音も、徐々に徐々に静かになっていく。
『これで終わってよいのか、太陽。エルピスを置いて、お主このまま死ぬつもりか?! 』
地面に倒れ伏す俺の前に投げ出された左手首に、かすかに光るものが見える。
左手首につけていたイマジナイトは、敵の攻撃をもろに食らったせいか、外枠は砕かれ、中の紋章の部分にも罅が入って、今にも壊れそうだった。
それでも、何度も何度も呼びかけるように、紋章は赤く点滅し続ける。
『起きよ、太陽! お主はなるんじゃろう? あの娘の、エルピスの……勇者にっ! 』
ヒル子の放った最後の言葉が、俺に最後の力を与える。
「そう、だ。俺は……」
せめて頭だけでも動かそうと首に力を入れる。
「なんともあっけないですが、これにて終幕ですねえ」
メッセンジャーが名残惜しそうに言ったその時、雷鳴のような咆哮が轟く。
俺は樹上を見上げると、いつの間にか樹上に昇っていたレグルスが、吊るされたエルピスの鎖を切り裂く。
「っち。小癪な獣風情が! 」
レグルスはエルピスを背負いながら、樹上から邪神の触手を躱しつつ、地面に着地する。
その背中から下りたエルピスが駆けだす。
真っすぐ、迷うことなく、俺に向かって。
「何をしようと無駄だとわかりませんかねえ」
エルピス目掛けて放たれた触手を、レグルスが遮るように雷を纏った爪で切り裂く。
エルピスは躓きながらも、懸命に走る。
そしてエルピスが俺の頭の前へしゃがみこむ。
「太陽……」
「エルピス……」
エルピスが胸に大事そうに抱えているものを、俺の顔の前に差し出す。
それは、煌めく黄金の林檎だった。
「食べて……」
口の前に差し出されたそれを見て。
「ありがてえけど、今は」
食えねえと答える前に、エルピスが首を何度も振る。
今までにない、真剣な眼差しで俺に言う。
「食べて……お願い……」
「……ああ」
俺は残った僅かな力で、首を伸ばしエルピスの差し出した林檎に顔を近づける。
顎を開き、歯をたてる。
最後の力を振り絞り、一気に噛む。
果汁が溢れだし、それが口の中に入った瞬間
ドクン、と心臓が大きく跳ね、鼓動する。
全身に稲妻が走る。
血液が沸騰と冷却を繰り返す。
意識が断絶と覚醒を繰り返す。
刹那の狭間で、生と死が繰り返される。
あまりの衝撃に意識が虚空の果てに飛びそうになった瞬間、声が聞こえてくる。
『立て』
深淵より響き渡る声が、俺の頭に響く。
死ぬ寸前の俺にむかって、立てと告げる。
『立て』
邪神が、ゆっくりとその巨体を動かし、歩き出す。
『立て』
邪神の頭部、その虚空へ通じる巨大な穴から、狂気の叫びが迸り、黄金の大樹が震える。
『立て』
傷だらけの体で、それでもなお邪神に立ち向かおうとレグルスが雄叫ぶ。
『立て』
邪神の頭部に開かれた虚無に、再び暗黒が形勢されてゆく。
エルピスが、細い両腕をめいいっぱい広げ、俺を庇うように、邪神の前に立つ。
『立て』
罅が入り、今にも壊れそうなイマジナイトの紋章が、青く輝き始める。
『立ち上がれ、八剣太陽! 』
心臓が爆発したように鼓動する。
俺は目を見開く。
拳を地面に打ち付け、一気に立ち上がる。
全身に、力が漲る。
ゆっくりと深呼吸をする。
死にそうな程の痛みは搔き消えて、どこまでも飛んでいけそうなくらい、身体が軽い。
「たい、よう? 」
俺を見上げるエルピスの頭をくしゃっと撫でる。
「ありがとう、エルピス。俺はもう大丈夫だ」
エルピスは変わらず無表情だが、もうわかる。
その瞳に、光が宿ったことを。
俺はエルピスを背に、邪神に相対する。
「まさか……もう一度立ち上がれるとは。だが、もはやこれまで。お別れです」
邪神の収束する暗黒が今にも放たれようとしたその時
『太陽! よくぞ……よくぞ、再び立ち上がったのじゃ! 』
ヒル子が嬉しそうに叫ぶ。
「ああ。俺は、もう二度と逃げねえ! 諦めねえ! どんな相手が来ようとも、戦う! そして、勝つ! 」
決意と共にヒル子に答える。
『ならば、太陽! 想像せよ! この我を! 今のお主なら、できるはずじゃ! 』
俺は左手首のイマジナイトを見て、点滅する赤の紋章に、ヒル子
の確かな意志を見る。
「わかったぜ! 」
俺は眼を閉じる。
「くくく。死ぬ覚悟が出来たようですね。それでは」
死が濃密な気配を持って、膨れ上がっていく。
恐怖はまだ、心にある。
それでも俺は、恐怖を超える勇気を持って、想像し、祈る。
どんな闇をも照らす、至高の輝きを持つ女神を。
「さようなら」
メッセンジャーがほくそ笑み、邪神から、最後の一撃が放たれる。
空間を歪めながら、星さえ呑みこまんとする絶対の虚無が迫りくる。
『さあ、我の名を呼ぶのだ、太陽! 』
眼を開け、俺は左腕を伸ばし、拳を打つ。
「来い! ヒル子おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
イマジナイトから幾筋もの閃光が走り、紋章が俺たちの頭上に浮かび上がる。
破滅の星が、俺たちの頭上に振りそそぐその寸前で、紋章が割れる。
眩しさに俺は思わず目を閉じる。
一秒、二秒、三秒と。
時間が過ぎていく。
生きている……のか?
その疑問も束の間、瞼の上から眩い光を感じる。
微かに目を開ける。
俺は眩しさに目がくらみながら、手庇で頭上を見上げる。
純白の衣が大きくはためく。
空を照らす陽の光の如き橙色の長髪が風に靡く。
その小さな背中に、燦然と輝く光の輪を背負っている。
腕組みをした少女の目の前に張られた、輝く壁に、邪神から放たれた破滅の一撃がぶつかり弾け飛ぶ。
そのあまりにも信じがたい光景に目を奪われ、俺は呆然としていると、目の前に浮かんでいる少女が振り向く。
弾けるような満面の笑みを浮かべて、少女が言う。
「待たせたのう……太陽! 」




