『Lilith』
「あんたさあ、何か勘違いしてるんじゃないの」
俺は聞き間違いじゃないかと思った。
だけど、そんな俺の甘えた考えは、寸刻違わず打ち砕かれる。
「もしかして、自分が好かれているなんて、思ってた? 人気ナンバーワンの声優でモデルでもあるこの私、薔薇園莉々朱が、あんたみたいなただの高校生のガキを? 」
莉々朱さんが極寒零度の響きで告げる。
「そんなわけないじゃない」
俺は呆然と、見上げることしかできない。
莉々朱さんが頭を振り、うんざりしたように髪をかき上げる。
俺は、震える口で、何とか言葉を絞り出す。
「でも、俺と、行った……あの、デートは……」
「あんたはただのガイドよ。都合がよかったから、遊んであげただけ。そしたら、あんたは勘違いした。本当に見ていて恥ずかしくなるくらい、滑稽だったわ」
莉々朱さんの言葉が杭となって、俺の心臓に突き刺さる。
痛苦が俺を襲い、そして妄想が砕け散ったと同時に、視界を覆っていた靄は消え去っていき、鮮明に見える。
見たくもない現実が、俺の前に姿を現す。
夢見ていた憧れの人が、俺を罵倒し続ける。
「この私のファンってだから、ちょっと優しくしてあげたのよ。あんたみたいなガキは、ほんっとうに、簡単ね。言っておくけどね。こっちは仕事で優しくしてるだけなの。そんなこともわかんないなんて、心底おめでたいわね」
汚物を見るかのような目で、俺を睨み付ける。
止めようのない罵詈雑言が機関銃のように放たれ、俺の心はズタボロになる。
「花まで用意して告白とか、本当にウケる。いつの時代の告白よ。それに、何よりむかつくのは、この私と付き合えるって思われてることよ。心底反吐が出るわ! 」
莉々朱さんの目がつり上がり、唾棄するように俺に言葉を投げかけ続ける。
「あんたのことなんか、好きになるはずないでしょ」
俺はその言葉で、何とか立っていた両ひざから力が抜け、地面に膝を着く。
気づけば、俺は地面に吐いていた。
胃の中にあるものが全て空になるまで、吐き続ける。
莉々朱さんが最後通牒のように、言い放つ。
「あんたみたいな、情けない男に、好きになってもらいたくなんてないの! わかる? あんたのことなんて、大っ嫌いなのよ! 」
これがとどめとばかりに、莉々朱さんが言い終わる。
メッセンジャーが大笑いする。
「くっくく。あはははははは。哀れなものですねえ、太陽君! まさかこんな悲劇を見せてくれるとは思ってもいませんでしたよ! いや喜劇ですかねええ! 」
心底愉快に、まるでショーを見ているかのように、メッセンジャーが両手で拍手を叩く。
『太陽、太陽! しっかりせぬか! 今は落ち込んでる場合ではなかろう! 』
ヒル子の励ましも、今の俺にとっては意味などない。
俺は呆然と地面に膝をつき、ただ俯いていた。
もう力が入らない。
憧れだった。
大好きだった。
そして、あの海のデートで、確かに思いが通じ合ったと思った。
「は、はは、ははは……」
とんだ勘違い野郎だった。
俺が勝手に舞い上がってただけだった。
俺は手にした花束を見る。
見事に咲いた真っ赤なバラを見て、俺は自嘲する。
こんな花、何の意味もなかった。
違う……意味がないのは、俺だった。
俺が生きている意味なんて、あるのか。
「いやあ。本当に愉快でしたよ。いやはや」
とメッセンジャーが話しているその時だった。
「卑怯者は黙ってなさい」
空気が凍り付く。
俺はゆっくりと顔を上げると、莉々朱さんが険しい目つきでメッセンジャーを睨みつけていた。
メッセンジャーが半笑いで首を莉々朱さんに向ける。
「よく、聞こえなかったですね。今、何とおっしゃいましたかね? 」
「卑怯者って言ったのよ。聞こえなかった? 」
莉々朱さんが嘲笑うかのように、口角を歪ませ、メッセンジャーに向かって言う。
「私が、ですか? 」
何を言っているのかわからないとでもいうように、メッセンジャーがとぼける。
「お前は彼を恐れている」
莉々朱さんの放った一言により、空気が一気に変わる。
「何を……言っているのです? 」
メッセンジャーが、莉々朱さんに問い返す。
ようやく莉々朱さんを認識したかのように、メッセンジャーが目を細める。
「もう一度言ってあげるわ。お前は太陽君を恐れている。」
メッセンジャーは愉快そうに
「私が、恐れている? 今そこで、あなたの言葉で打ちのめされている哀れな彼を? 」
「だってそうでしょ。だから、こんな卑怯な真似をするしかない。私とあの子を人質に取るっていうね」
莉々朱さんが、反対の枝で吊るされているエルピスに顔を向ける。
今まで余裕を持っていたはずのメッセンジャーの顔が、徐々に歪み始める。
「たかが人間の女如きが。何をもってそんなことを」
「わかるわよ。これまでお前みたいな男、何人も見てきたんだから」
莉々朱さんは、確信めいた響きをもって言う。
メッセンジャーにも動じず、その黄金の瞳を爛々と光らせて。
『た、太陽。あの姫は、一体何を言っておるのじゃ? 』
ヒル子が訝しげに言う。
俺も理解できなかった。
さっきまで俺に向かって放たれていた言葉の刃が、今はメッセンジャーに向けられている。
それをただ、今の俺は黙って聞いていることしかできない。
「状況がわかってないようですねえ。今あなたがどういう」
メッセンジャーの言葉を無視して、莉々朱さんは尚も喋り続ける。
「他人を欺き、脅し、都合よく操る。他人のことなんて思い遣りもしない。いくらお前が偉そうに振舞おうが、その行動でお前の性根が見えてくる。腐り果てたその性根が」
莉々朱さんの舌鋒は止まることなく、メッセンジャーに向けて放たれ続ける。
冷酷に、そして冷たい怒りを纏ったかのように、メッセンジャーをその言葉で追い詰めてゆく。
「ははは、この状況で、よくもまあそれだけ囀るものだ。この私がだれだかわかって」
とメッセンジャーが喋るのを遮るように莉々朱さんが言葉を重ねる。
「お前みたいな奴のこと、なんて言うかわかる? 」
心底軽蔑するかのように、莉々朱さんが言い放つ。
「畜生っていうのよ」
莉々朱さんのその言葉で、遂にメッセンジャーの口が止まる。
メッセンジャーは張り付けたような笑顔を浮かべていたが、背後から何かが漏れ出る。
黄金の大樹から放たれる光すら歪ませる、黒い瘴気が。
「卑怯者で畜生、本当に哀れね。人間やめたら? 」
『いかん、やりすぎじゃ! 姫を救うのだ、太陽! 』
ヒル子の焦りの言葉でようやく俺は気づく。
この先に待っているであろう、最悪の事態を。
莉々朱さんは小馬鹿にしたような笑みを浮かべながらメッセンジャーを罵倒し続ける。
「お前みたいな人でなしが、よくもこんな真似してくれたわね。恥を知りなさい。この私を出しにしようったって、そうはいかないわ」
メッセンジャーの手がゆっくりと動き始める。
「だめだ……」
俺は何とか膝に力を込め、立ち上がろうとするも、ふらつく。
「だめだ、だめだ、だめだっ! 」
俺は拳を地面につき、震える膝を叱咤し何とか立ち上がる。
「それと、お前のそのわざとらしい話し方、一体なんなの。役者の真似でもしてるみたいだけど、下手糞すぎて本当に見ていられないわ。大根役者もいいところね。出直してきなさい」
莉々朱さんが嘲けるように高い声で笑うと同時に、メッセンジャーの白い手袋をした手が彼女を指さす。
俺は駆けだしながら、変身しようと左腕を突き上げ、叫ぶ。
「イマジ……」
刹那、メッセンジャーの手から黒い光が放たれる。
そして、その光は、莉々朱さん目掛けて飛んでいく。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! 」
俺の叫びは空しく木霊する。
黒い光が莉々朱さんを貫く。
莉々朱さんが揺れると同時に、莉々朱さんを縛っていた鎖が消える。
「莉々朱さんっ!? 」
莉々朱さんが地面めがけて真っ逆さまに落ちていく。
変身した俺は、落下する莉々朱さんを受け止めるべく、全力で加速する。
地面に落下する寸前で、莉々朱さんの体を何とか受け止める。
「莉々朱さんっ! 」
俺は胸の中で抱えた莉々朱さんを呼ぶ。
「太陽、君? 」
莉々朱さんが掠れた声で俺を呼ぶ。
莉々朱さんのお腹を見ると、そこには、日食のような黒い穴が開き、血がとめどなく流れ出し、俺は息を呑む。
「ごめ、ん、ね……ひどい、こと言っちゃっ、て……」
「もう喋らないでください! 俺が絶対、助けるから! 」
莉々朱さんが震えながら笑みを浮かべる。
「やっぱり、太陽君、は……かっこいい、ね……」
「もうちょっとだけ我慢してください!! 今から俺が連れて帰ります! だからっ! 」
俺は何とか莉々朱さんを助けようと、抱きかかえ立ち上がろうとすると
「太陽、君……」
莉々朱さんの口の端から血が流れ出し、その震える唇で俺を呼ぶ。
「あなたの顔、見せて……」
「そんなこと、してる場合じゃ」
「お願い……」
莉々朱さんの強い意思のこもった瞳と、振り絞るような声に、俺は手を伸ばし、何とか兜を外す。
「顔、もっと近くに……」
莉々朱さんの言葉通りに、俺は莉々朱さんをゆっくりと抱き上げ、顔を近づける。
莉々朱さんは震える腕を伸ばし、俺の顔を柔らかい両手で包み込む。
唇と唇が触れ合う。
俺は驚くも、莉々朱さんの儚くも強いその口づけを、そのまま受け止める。
吐息の甘さと血の味が、口内に広がっていく。
俺と莉々朱さんは繋がっていた。
一瞬が永遠と思えるような時間を。
莉々朱さんと俺は、ゆっくりと離れる。
莉々朱さんの瞳が揺れている。
「太陽、君……。わたし、ね……あなたの、夢を……」
莉々朱さんの震える右手を、俺はしっかりとつかむ。
莉々朱さんの腹に空いた穴から、軋むような音が響く。
ガラスに罅が入るように、亀裂が全身に広がっていく。
「そんな、駄目だ! 莉々朱さんっ!! 」
はにかんだような、淡い笑みを浮かべて、莉々朱さんが言う。
「負、けない、で……」
俺の腕の中で、最愛の人が、砕け散った。




