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『甜言蜜語』


 土砂降りの中、路面を何度も滑りかけながらも、俺は全力で自転車を漕ぐ。


 視界が雨で濁り、赤信号を無視しては、車からクラクションを鳴らされる。


 それでも、俺は止まることなく、ただひたすら漕ぎ続ける。



 公園に辿り着いた俺は、自転車を入口に投げ捨てる。


 いつもエルピスに会いに行く際に門が開く噴水の前まで行くと、小さな動物が倒れている。



『太陽! あれは?!』


「レグルス!? 」


 俺は雨でずぶぬれになったレグルスの下に走る。


 レグルスは泥だらけになって震えていた。

 俺が抱きかかえると、その全身に、血のようなものがこびりついていた。


「レグルス、誰にやられたんだ?! 」


 レグルスはよわよわしく震え、傷ついた甲高い声で何度も何かを訴えるように鳴く。



『もしや、エルピスにも何かあったのではないか?』



「エルピスに何かあったのか?! 」


 俺の言葉に反応するように、レグルスは俺の腕から離れ、傷だらけの体で動こうとする。なんとかレグルスを引き留めながら俺の心臓が一気に早鐘を打ち始める。

 

 莉々朱さんがあの男に掴まった。そしてどうやってか知らねえが、あの森に辿り着き、エルピスの下へ向かった。


 でもレグルスをこれだけ痛めつけることができるのは、


「あいつ、なのか……」


 異界の洞窟で襲い掛かってきたあの異形の巨人が、脳裏に浮かぶ。


 考えようとしなかった、最悪の想像が現実となってしまった。


「俺が、あの時……倒すことができなかったから、なのか」


 俺は地面に拳を打ち付け吼える。


『太陽! しっかりせぬか!』


 ヒル子が俺を叱り飛ばす。


『後悔なんぞしとる場合か! 今為すべきことは、なんじゃ!』



「っつ。ああ! レグルス、ここで待ってろ! 俺が助けに行く」


 レグルスは震えながら立ち上がり、身体を無理やり立たせ、俺を見る。俺に向かって訴えるように唸る。


 レグルスは震えながらも一声大きく唸る。


『ふむ。レグルスは戦う気まんまんじゃのう』


 ヒル子の言葉、そしてレグルスのその意志のこもった強い瞳を見て、俺は諦める。


「ったくしょうがねえ。一緒にエルピスを助けに行くぞ」


 俺が言うと、レグルスは大きく唸る。


 俺は左手首のイマジナイトを掲げ、渦を開き、レグルスと一緒に飛び込む。


 辿り着いた暗闇の森を一気に走りぬけ、黄金樹の広間に辿り着く。


「莉々朱さん! エルピス!」


 レグルスもとなりで、主を探すように傷だらけの身体でも吠えた。

 

 俺は黄金樹の根元に向かいながら、


「どこかに連れて行っ」


「いえいえ。ここにいますよ」


 頭上から聞こえてきた声に、俺は顔を上げる。


 そこには、黄金樹から伸びるひと際太い枝に座っている男がいた。


「久しいですね、八剣太陽君。お元気でしたか? 」


「メッセンジャー! 」


 漆黒のコートを垂らしながら、メッセンジャーが、枝の上で俺たちを見下ろしていた。


「莉々朱さんはどこだ! エルピスは!」


「安心してください。彼女達は無事ですよ。ほら、そこに」


 メッセンジャーが両手を左右に広げ、その両手のそれぞれ指さした枝の先には、莉々朱さんとエルピスが鎖のようなもので括られて吊るされていた。


 エルピスは俯き、わずかに顔をあげ、無表情にこちらを見る。


「太陽君! 」

「莉々朱さん! 」


 その真逆の枝に、莉々朱さんは縛られていた。


 二人とも見る限り、けがは無さそうで一安心する。


 莉々朱さんは嬉しそうにするも、パチンという音と同時に鎖が強く縛られ、莉々朱さんとエルピスは悲鳴を上げる。


「てめえ! 」


 俺が叫び、その隣にいたレグルスは、一声大きく唸ると、その巨体がばねのように弾け、エルピス目掛けて飛び上がる。


「レグルス!? 」


 跳躍したレグルスがエルピスの元へ、あとほんの僅かで届きかけたその時だった。


 頭上から巨大な影が降ってくる。


「危ねえ、レグルス! 」


 飛来した影から伸びた巨腕がレグルスに向かって殴りかかる。

 空中にいたレグルスはその攻撃を防ぐことができず、そのまま地面に衝撃と共に落下する。


「大丈夫か?! 」


 俺はレグルスの元に駆け寄ると、唸りながらレグルスは何とか立ち上がろうとする。


「手癖の悪い獣風情が……。ちゃんと躾けてあげないとねえ」


 メッセンジャーがその口を耳元まで開き、凄惨な笑みを浮かべる。その傍らには8本腕の異形の巨人が枝の上からこちらを睥睨している。



「てめえが、そいつを操ってるってわけかよ! 」


 メッセンジャーは嬉しそうに答える。


「ええ。少々おつむは足りませんが、力は十分に役立つ眷属です。ただ、その力を維持するために、少々餌が必要になりましたが、まあ大した問題ではないでしょう」


 さも愉快そうに話すメッセンジャーに湧き上がる怒りのまま叫ぶ。


「てめえの糞下らねえ御託を聞きに来たわけじゃねえんだよ。さっさと莉々朱さんとエルピスを放しやがれえ! 」


 俺の言葉に対して、メッセンジャーは涼しげに答える。


「つれないですねえ、太陽君。もう少し仲良くできないものですかねえ」


「どの口がほざきやがる……いいからさっさと!」


 と俺が言った瞬間、怪物の手が伸び、莉々朱さんの顔に両手の鋭い爪を突き立てる。


「太陽、君……」

 莉々朱さんが震えて息を呑む。


 俺が歯ぎしりして怒りを抑える様子を見て、メッセンジャーが嘲笑う。


「ふふふ、いいですねえその顔」

 

 人を食ったかのような表情と声にぶち切れそうになるのを、俺は唇を噛む。


『落ち着くのじゃ、太陽! 今は、あ奴の目的を聞くことこそ先決じゃ! 』

「何が……、目的だ?」


 ヒル子の言葉に従い、自身を落ち着かせるため息を荒く吐き出した俺は、メッセンジャーに目的を尋ねる。



「ふむ、目的ですか。そうですね。では、少しおしゃべりしましょう、太陽君。なあに、彼女は傷付けさせませんよ。ほら」


 メッセンジャーは右手を上げると、怪物は莉々朱さんに伸ばしていた爪を引っ込め、跳躍し上の木の枝に陣取るように八本の腕で捕まる。


 一触即発のこの場に相応しくないほどにこやかな笑顔で、メッセンジャーは喋り出す。


「まずはこの再会を喜びましょう、と言いたいところですがねえ。君には警告をしたはずだ。手を引き給えと。なのに君は私の忠告を無視してしまった。私はとても悲しかった……」


 わざとらしくうなだれるメッセンジャーに、ブチ切れる。


「だとしても、莉々朱さんは、関係ないだろうが! 」


 俺は言い返すが


「残念ながら、そういうわけにはいかないのですよ。私が都合よく彼女だけを見逃してくれると思ったかい? 」


 メッセンジャーは首を振りながら


「これは、罰だ。忠告を無視した君に対しての。愚かにも、我々の警告を無視し、戦うことを選んだことでこうなったのだ。君なら、どうなるかは想像がついたはずだ。だから、この状況は君が招いたことなのだ! 」


 メッセンジャーは演説でもするかのように、大きく手を動かしながら、喋り続ける。


「ふざけんじゃねえぞ! その怪物が街の人を浚って、殺しておいて……そんなことを、放っておくわけにはいかねえだろうが!」


 俺が頭上の怪物を指さすと、怪物が大きく口を左右に開き、残忍な歯を見せる。

 メッセンジャーのあまりにも理不尽な理屈に対し、言い返すも


「ふむ。君は何か勘違いをしているようだが。我々は、君達の住む現実世界をどうこうするつもりはないのだよ。我々の目的は、それだけだ」


 と、縛られているエルピスを指さす。



「そんな言葉、信用できるかよ! 何人も人を殺しておいて! 」



「仕方ないのだ。我々はその少女を見つけだすために、この怪物を動かす必要があった。不幸な事故なのだよ。そんなことより、君こそどうなんだい? 」


 急に尋ねられたわけがわからず、俺は聞き返す。


「俺? 」



「そうだ。君はあの老いぼれの神に唆された哀れな被害者に過ぎない。偶然、その場に居合わせたというだけで、巻き込まれただけの君にはこの娘のために戦う必要などないはず。そうだろう? 」


「そ、れは……」


 言い返そうと思っても、言い返せない。


 言い返すべきなのに、俺の中から言うべき言葉が出てこない。



「私は君に対して、哀れみを覚えるよ。君はこのままだと、あの老いぼれに都合のいい駒として扱われ、役に立たなければ、ボロ雑巾のように捨てられるだけだ。そう。君こそ被害者なのだ! 」



 メッセンジャーがほくそ笑み、その両目が妖しく猛禽が獲物を見つけたかのように光りだし、俺は目を逸らすことができなくなる。


 耳障りのよい言葉が耳朶に響く。


「聞こえるぞ。君の怯える声が」

「な、なにを……言って」


突然、メッセンジャーの声がおどろおどろしい雰囲気をもって、迫ってくる。


「君は強がっている。自分は勇敢な戦士のように振る舞っている。だが、君の真の姿は違う」


 メッセンジャーの言葉が脳を回り、視界が、世界が歪みだす。


「やめ、ろ……」


 頭が切り刻まれたように痛む。脳を無理やりこじ開けられるような感覚に襲われる。


「私には見えるぞ。今も、君の身体の中で、幼い君が怯えているのがわかる。本当は臆病なのに、分不相応な夢を見たせいで、苦しんでる」


「黙れ、これ以上はっ! 」


『太陽、あやつの言葉を聞くでない!』


 ヒル子の声に被せるように、メッセンジャーが喋り続ける。


「苦しかったでしょう、つらかったでしょう。無理やりノーデンスから重荷を背負わされて。君の儚い正義感が、自分がやらなければならないと、自分自身を追い詰めていた」


 メッセンジャーが、親身に、同情の表情を浮かべる。


「私なら、君の重荷を楽にすることができる。これ以上、君はがんばる必要はないんだよ。悪いのは君じゃない。」


 メッセンジャーが手を伸ばす。


「寛大な私は、もう一度、君にチャンスを与えよう。私の言う通りにすれば、君をこれ以上、狙わない。そして、君の想い人である、薔薇の姫は返してあげよう」


 俺は、その甘い希望に縋るように、顔を上げる。


「ほんとう、か? 」


 無意識に、俺の口は言葉を吐く。


『太陽! しっかりせぬか、太陽!』


 誰かが叫んでいるが、メッセンジャーの言葉だけが、はっきりと聞こえる。


「ええ。勿論です」


「何を、すればいい?」




「君の左手にあるそれを外すのだ」


 メッセンジャーの手が、俺の左手首のイマジナイトを指さす。


「これ、を? 」


「ええ。そうすれば、これからの君の人生を保証しよう。君を狙うことはない、おお、そうだ! 君の愛しの姫を返してあげましょう! 」


 優しく慈悲深い父親のように、ニャルラトホテプは話す。


「君は高校を卒業し、大学に行く。夢のような大学生活、そしてその傍らには、彼女がいる」


 メッセンジャーが、縛られている莉々朱さんを指さす。


「想像してごらんなさい。それが、どれだけ愉快で、楽しく、心地よく、そして幸せなことなのかを」


 俺は、莉々朱さんと並んで街を歩く姿が、眼に浮かぶ。手をつなぎ、俺に向かって、笑顔を見せる莉々朱さんを。


「君の背中にあるその花束は、そのためにあるのだろう。」


 俺は背中を見ると、巻いていたはずの新聞紙は剥がれ、薔薇の花が見えていた。

 

 言われた通り、俺は左腕のイマジナイトに手を伸ばすが、何かがそれを押しとどめる。


「ふむ。だがもしも私の言葉に従わないのであれば、君は地獄を味わうことになる。君の大切な人たちは、君の目の前で怪物の餌となる。そして怨嗟の声を君は聞き続ける。君は誰も救えず、独りになる、無残に死んでいくことになる。そうは、なりたくないだろう? 」


 想像を絶する恐怖が背筋を走り、俺の全身が震えだす。



「さあ、その腕にあるものを外したまえ。そうすれば、君はこれから幸せな未来を生きることができる。薔薇の姫という恋人と共に、夢と希望溢れる幸せな未来を! 」 


 そうだ。奴の言う通りだ。

 

 俺が頑張る必要なんてないんだ。


 あいつの言う通り、たまたまその場に居合わせただけだ。


 何の因果か、変身ヒーローになって、女の子を救うっていう、ガキの妄想がたまたま現実になったから有頂天になったから。

 

 今まで戦った怪物の悍ましい姿が、目の前に現れる。


 犠牲者の骨が散乱している。


「ぐう、っぅうううううう」


 もう嫌だ、もう嫌だ、もう嫌だ。


 こんな思いするくらいなら、妄想のままで充分。

 

 あいつに従いさえすれば、あとはもう何も問題ない。

 これ以上、しんどい目にも、辛い目にもあうことないんだ。

 

 大学に行って、莉々朱さんと一緒に、幸せな人生を生きるんだ。


「ならば、君の後押しをしてあげようか。 さあ、君の背中にあるその花を手に取り、そして告白をするのだ! 君は、幸せになるために生きているのだろう? 」


 俺の体は、メッセンジャーの言葉の通りに動き出す。背負っていたリュックを下ろし、新聞紙を剥がし、顕わになったバラの花束を手に取る。


「祝福しよう! 薔薇色の未来は、今、君の目の前にある!」


 俺は言われるがまま、操り人形のように花束を胸に抱え、


「莉々朱さん、俺はあなたのことが……」


 好きです、と言いかけた瞬間だった。


「くっ、くっ、あははあはははははははははははははははははは! 」


 甲高い笑い声が、群れ成す蝙蝠が一斉に鳴きはじめたかのように、森に響き渡る。


 今まで聞いたことのない悲鳴じみた声に、俺は誰の声だろうと周囲を見渡す。


 俺は顔を上げる。


 両目がつりあがり、爛々と光る魔性の瞳が、俺を冷酷に見下ろしていた。


 悪魔ですら脅えて逃げ出しそうな黄金の瞳。


 莉々朱さんだった。


 歯をむき出しにし、口が裂けそうなくらい開け、哄笑する。


 俺は目の前のそれが、本当に莉々朱さんなのか、わからなくなる。


 莉々朱さんが笑い終わると、俺に向けて言い放つ。


「あんたさあ……何か勘違いしてるんじゃないの? 」

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