『夢』
莉々朱さんの唐突な問いかけに、俺は戸惑いながら、
「夢、っすか? 」
戸惑い、咄嗟に誤魔化そうとするが、莉々朱さんが、俺の目をまっすぐ見ている。真剣な眼差しで。
俺は躊躇していた。
夢なんて、これまで誰にも話したことなんてない。
なぜかって。
あまりにも馬鹿げている夢だと、自分でも分かっているからだ。
だから、誰にも話したことなんてない。
例え、友達、家族であっても。
「……その、どうして夢なんて聞きたいんすか? 」
と聞くと、莉々朱さんは
「あなたのこと、もっと知りたいって……そう思ったから」
曇りのない真っすぐの瞳が、脅えていた俺の心を照らす。
「笑わないっすか? 」
と尋ねると、莉々朱さんは頷く。
逡巡したものの、俺は
「俺の夢は……」
俺が全て話し終わると莉々朱さんが目を丸くし、
「すごい……」
と、驚いたように呟く。
「そんな壮大な夢を、想い描いていたのね」
莉々朱さんの驚きように慌てて
「いや、そんな。今のところ、ただの妄想で、具体的に何も形にできてなくて」
俺は慌てて答える。
莉々朱さんは微笑んで、
「ううん。誰だってそうよ。最初は憧れだけ。何にもない零から始めるの。私も。あなたも。それに、まだ何もできていないからって、焦る必要なんてないわ。これからあなたの夢を、あなたのやり方で描いていけばいいのよ」
優しく微笑む莉々朱さんは俺に向かって言う。
「あなたがその夢を抱き続けて、そしてその夢を追いかけ続ければ……いつかきっと、夢があなたを抱きしめるわ」
夕陽を背に、莉々朱さんが俺を慈しむような目で見て、微笑を浮かべる。
神々しいその様子に、俺は目を瞬かせる。
莉々朱さんのその言葉は、どこか詩的で、すぐには理解できなかった。
だけど、背中を押してくれているってことは、馬鹿な俺でもわかる。
俺は決意する。
「莉々朱さん! 」
「ん、なあに? 」
「明日、最後に俺と会ってくれませんか? 最初に出会った、あの本屋で 俺、あなたに伝えたいことがあるんです。」
莉々朱さんは瞳を逸らさずに頷く。
「いいわ」
莉々朱さんはうーんと伸びをし、
「それじゃ、この夕焼けの海を目に焼き付けないとね。せっかくの君との思い出の海だもの」
俺と莉々朱さんは、並んで海を見る。
夕映えに染まる空の下、地平線を眺める莉々朱さんを、俺は目に焼き付ける。
明日、俺は莉々朱さんに告白する。
バスに乗って街に戻る。
道中疲れていたのか、莉々朱さんは俺の肩に頭を乗せ、こっくりとしていた。俺は莉々朱さんを起こさないよう、地蔵となって固まる。
街についた俺はタクシーに乗る莉々朱さんを見送ると、駐輪場に止めておいた自転車に乗り、ある場所を目指して漕ぎ始める。
『ふむ。太陽よ。どこに行く気なのじゃ? 』
「見てりゃあわかるぜ」
俺は街の中央を横断する十字路の信号を渡り、アーケード街へ向かう
夕方五時を過ぎていた。
数日前まではこの時間帯は全く人通りがなかったアーケード街だが、今は買い物客や通りを行く人々が戻っていた。
アーケード街を歩き、お目当ての店を見つけた俺は、その店を眺める。
入口から香しい匂いが漂ってくる。
色とりどりの花が、店の前に並んでいる。
『ここは……何なのじゃ。花がたくさん並んでおるが』
「花屋ってんだ」
花屋に着いた俺は自転車を降りると、深呼吸して店に入る。
「いらっしゃいませ」
ほんわかとした声が聞え、エプロン姿のおっとりとした雰囲気の優しそうな細身のおばちゃんが話しかけてくる。
「こんにちは。どのような目的でお花をお探しですか?」
「あの」
告白のために花を欲しいと言おうとしたが、無性に照れ臭くなり、もごもごと言う。
そんな俺の様子に何かにピンときたのか
「ふふふ。彼女さんに、ですか? 」
優しそうに訪ねてくる店員さんに
「いや。彼女じゃなくて、その……」
と言うと、察したように
「あら。ではもしかして、告白、ですか? 」
と言われ、その通りだったので俺は頷く。
「あらあらあら! それはとても素敵ですね! 」
優しそうな店員さんに店の中を案内される。
店内では赤、青、オレンジ、白、黄色等々、見眼麗しい花々が、花瓶やガラスケースの中で咲き誇る。
『太陽。とっても綺麗じゃのう! こんなに色とりどりの花は見たことないのじゃ! 』
ヒル子が感嘆の声を上げる。
「どんな花をお贈りしますか? 」
店員さんに尋ねられた俺は
「そうっすね、バラを探してて」
「まあ、素敵! とってもいいと思いますわ! 」
店員さんの持ち上げに俺は恥ずかしくなってくる。
「いや、その、好きって、聞いていたので、バラが」
店員さんが熱心に説明しだす。
「バラって言っても色んな種類があるんですよ。例えば」
店員さんが薔薇の花を指さす。
「定番の赤から、黄色、白、その他にも青といったものまで。勿論、どの色も素敵ですけど、それぞれ花言葉もありますの」
それぞれの色の薔薇を手に取りながら、
「赤薔薇は愛、白薔薇は純潔、黄色の薔薇は友情、他にもピンクは感謝、青は奇跡といった感じで、たくさんあります。大事なのは、あなたがその方にどんな思いを伝えたいかですが。ちなみに、その方はどんな色がお好きですか? 」
俺は莉々朱さんの話を思い出す。
「赤、だと思います。だけど、他の色もいいですね」
「ええ。組み合わせるのもとてもいいと思いますわ。あと、本数も大事です。プロポーズの時は特に。だけどまあ、告白でしたら、そこまで多くなくてもよいとおもいます 」
「それなら……」
たくさんの本数で、と言おうとした時、肝心のことを思い出す。俺は財布を慌てて見ると、千円札一枚しかない。
しまった。ここ最近のデートや外食で散財しすぎた。
「その、恥ずかしいんすけど、予算が千円しかなくて」
頭をかきながら言うと、店員さんは
「なるほど」
と思案顔でガラスケースを見ると
「ご心配なさらず。大丈夫ですよ。少しお待ちくださいね」
と言って、ケースを開ける。
バラの花を何本か手に取り、見比べた後、それを取り出す。
「では、この三本はいかがですか?」
立派な花びらをもつ三本の赤いバラだった。
目の前の赤いバラは、眼を虜にするような赤色と、天にも昇るような香りが漂う。
「本数でそれぞれ異なる意味を持つのです。そして三本のバラは、告白を意味します。あなたの愛情を、このバラで伝えてみてはいかがですか? 」
「あ、ありがとうございます」
と言いながら、値札を見ると、やっぱり千円じゃ足りない。
「いや、その、俺千円しかなくて」
と言うと
「それで構いません」
「へっ? 」
俺はわけがわからず戸惑う。
「花を贈ろうとするあなたのその素敵な心に、サービスさせていただきます」
「本当に、いいんすか? 」
「ええ」 」
店員さんは気にしないで、と手を振る。
「その、ありがとうございます! 」
俺は頭を下げると
「いえいえ。ではお包み致しますので、少しお待ちください」
と言うと、店員さんはにっこりと笑ってレジカウンターの奥に下がる。
『お主、告白ということは、あの者に好きと伝える、ということか? 』
「ああ。もちろんだぜ。なんだ、何か文句あんのかよ?」
『そんなわけなかろう。お主がどれだけあの姫のためにがんばってきたのかは、我が一番知っておるからの』
そう言って、ヒル子は珍しくそれ以上は何も言わなかった。
「お待たせしました」
店員さんが丁寧にラッピングされたバラの花を手にレジまでもどってくる。
「花はいつ贈られるんですか?」
「えっと明日っす」
「なるほど。では、今は暑い季節ですから、ご自宅に帰られたら、直射日光の当たらない場所で、花瓶に移してくださいね」
会計を済ませ、店員さんが包んでくれた花を受け取り店を出ようとすると
「お客様」
俺が振り向くと
「がんばってくださいね」
と店員さんが入口で手を振って見送りをしてくれる。
俺は深く頭を下げた。
止めておいた自転車の前かごに、花を落とさないように置き、慎重にこぐ。
家路に向かう道中、空を眺めていると、夕焼け空が、だんだんと宵の空となっていく。
さっきまで眩しい筈だった空の光が、今はもうない。
寂寥感が心を締め付けるが、俺は振り払い、前を向いて家を目指す。
家に帰った俺は、店員さんに教えられた通り、バラの花を花瓶に入れておくことにする。
引き出しを探し、花瓶を何とか見つけだすと、俺はバラの花を活ける。
「うっし」
これであとは明日を待つだけだと考えていると、急に眠気が襲ってくる。俺は二階の自分の部屋に上がる。
昨日の夜から街を見回った疲れが出たのか。仮眠はしたものの、耐えがたいほどの睡魔が遅いかかり、俺は畳に寝転がる。
そして俺の意識は落ちていく。
その日、俺は夢を見ることはなかった。
翌朝、目覚めて窓から外を見る。
空は曇天だった。
昨日までの雲一つなかった青空は嘘みたいに消え、どこまでも続く黒雲が空を覆いつくしている。
強風が吹き荒れ、風の音が不吉な音色を奏でる。
『すごい風じゃのー』
昨日とは打って変わった空模様を見ると、俺の心に何か不吉な影が忍び込んでくる。
「台風が近づいてんのか」
俺は一階のリビングでテレビのニュースを見ながら、焼いた食パンをかじる。
待ち合わせの正午まで時間はある。
俺は二階の自室に戻り、机の前にノートを開くと、ペンを持つ。
『何をするのじゃ?』
「告白の言葉を考えんだよ」
『なんと! お主そんなことまでするのか』
「あったりまえだろうが! やれることは全部やんだよ! 」
告白なんて、生まれて初めてだ。
故に、一世一代の大勝負。
俺の想いを伝える。そのために、なんて言えばいいのか。
俺は、ノートに好きだ、好きです。あなたに一目惚れしました、付き合って下さい、などと色々書いてはぐちゃぐちゃと線を引き、ノートをちぎる。
ちぎっては書いてを繰り返すも、
「くっそ、いい言葉が思い浮かばねえ! 」
とちぎった紙をぐちゃぐちゃに丸めて、壁目掛けて投げつける。
『太陽よ』
「んだよ、ヒル子。今は話している余裕なんか」
『そんなことせずともよいのじゃ! 』
ヒル子の言葉に俺は
「いや、だってよお」
と言い返すも、
『お主の心のままに言えばよい! お主なら言うべきことは自然に出てくるはずじゃ! 心に浮かんだことを、ただ目の前の相手にむかって、真っすぐと伝えればよいのじゃ! 』
ヒル子のまっすぐな言葉に、
「それで、いいのか? 」
『そのままでよいのじゃ! お主は、下手に考えるより、その方がお主らしいのじゃ! 』
なんでわかんだよ、と言いかけたが、どうせこいつの言う事に根拠なんてんかった。
だけど、その嘘のないヒル子の言葉に、俺は笑ってしまう。
『なんじゃ、笑いおって! 我はお主のためを思ってじゃな』
「悪い悪い。いいや、なんでもねえよ」
時計を見ると、そろそろ待ち合わせの時間が近づいていた。
「うっし、そろそろ準備すっか! 」
俺はジーンズに着替え、衣裳ケースからまだ一度も羽織ったことのない、新品の真っ赤なシャツを羽織る。
一階に降り、リビングの花瓶に活けていたバラの花を取り、再び包む。
「ってか、どうやってこれもってきゃいいんだ」
俺はリュックに入れようとしたが、明らかにリュックから飛び出てしまう。
「くっそ、仕方ねえか」
俺は新聞紙を何重にもしっかりとくるみ、セロテープで止め、リュックに刺す。
玄関に向かい、ドアを開けたら、
「太兄ちゃんただいまー!」
ドアを開けた瞬間、小さな女の子が俺の脚めがけてぶつかってくる。
「おおっ! 陽芽、帰ってきたのか 」
「うんっ!! 」
妹の陽芽が俺の足下で、満面の笑みを浮かべ、俺の足にだきついていた。
「陽芽、旅行、楽しかったか? 」
「うん! すっごく楽しかったよー! お魚さんがとってもたくさん泳いでたのー! 太兄ちゃんも一緒にこればよかったのにー」
とほっぺを膨らせながらも、俺が抱きかかえると、向日葵のような笑顔で俺の胸に顔を擦り付ける。
「ほらほら、陽芽、早く入りなさい」
「母ちゃん」
スーツケースとボストンバックを持って、疲れた顔をした母ちゃんが入ってくる。
「今日帰ってくる予定だっけか? 」
と聞くと
「早めたって言ったじゃない。心配してたのよ。あんな事件があっても、あんたのことだから、遊びまわってるんじゃないかって。ほら、荷物、家に入れて」
「あ。ああ」
俺は荷物を預かり、玄関に運び込む。
「親父は? 」
「仕事よ仕事。出張の準備をしないといけないからって。あの人の夏休みももう終わりよ。ん? あんた、鞄でも待って、これからどっか行くの? 外すっごい天気悪いわよ。台風も来るし」
「いや、ちょっと。その用事があってよ」
「用事? あ、あんた。置いていった参考書は開いたんでしょうねえ? 」
母ちゃんの機嫌の雲行きが怪しくなり、俺はこのままじゃ捕まってしまう流れだと悟る。
「帰ってから聞くから! 俺はどうしても行かねえとなんねえんだ!」
と俺は母ちゃんに止められないように急いで家から出る。後ろから母ちゃんが呼ぶ声を無視して、自転車に飛び乗る。
待ち合わせの本屋目指して自転車を漕いでいる内に、雨粒が頭に当たり、、そしてだんだんと本降りになってくる。
「くっそ! 」
俺は悪態をつきながら、折り畳み傘を取り出し、片手で傘を差しつつ、自転車を飛ばす。
傘は差していたものの、本屋についたころには、びしょぬれになっていた。
俺は本屋に入ると、店内は人でごったがえしていた。
雨ということもあるのか、いつもより多い感じがした。
時間を見ると、待ち合わせの正午一分前だった。
俺は店内を見回し
「莉々朱さんはどこだ? 」
『ふむ。まだ来てないようじゃのお』
ヒル子とと話しながら俺は歩いていると、店内の壁にかかっていた時計が、一斉に正午を告げる。
まるで壊れた出来の悪い楽器の音が木霊し、歪な不協和音が心を軋ませる。
「ちょっと君? 」
建物の一階、待ち合わせ場所であるカフェに着き、辺りを見回していると、恰幅のいい男性の店員に話しかけられる。
「はい? 」
「君がええと、八剣、太陽君かい? 」
「はあ、そうっすけど。なんです? 」
俺は莉々朱さんがいないかを探しながら、適当に返事をする。
「君宛てに手紙を預かったんだよ。渡してくれって」
「は? 手紙? 」
莉々朱さんか?
待ち合わせに遅れているのか。それなら手紙じゃなくてメールでも電話でもいいのに、と考えながら。
と、その時、自分の考えのおかしさに気づく。
遅れているのなら、手紙なんて渡せるはずがない。
俺は急いで真っ白で何の宛先も書かれていない封筒を開けると、折りたたまれた白い紙が出てくる。
俺はそれを開き、中を見た瞬間だった。
全身の毛が逆立ち、思わず叫ぶ。
「おい、この手紙は誰が!? 」
俺が勢いよく詰め寄ったからか、男はびっくりしたように
「誰って。男だよ、渡してきたのは。君に渡せば意味はわかるって言われてね。外見のことかい? 特徴的だったから覚えているよ。黒髪を背中まで伸ばしてて結んでてねえ。そうだ、夏だっていうのに暑苦しいコートを着てたよ」
「いつ渡されたんだ!? 」
「いつって、十五分くらい前かな」
俺を呼び止める店員さんの声を無視して、本屋を飛び出ると、土砂降りだった。
『太陽!? 一体どうしたのじゃ! 』
「莉々朱さんが……捕まった」
『なぬっ!? 誰にじゃ! 』
「そんなもん、決まってるだろうが! 」
『もしや?! あやつか! 』
真っ白な紙に、無機質な筆跡で書かれたその文字が、俺の心臓を凍らせる。
『薔薇の姫は預かった。黄金の森にて、君を待つ』




