『思い出』
「夢子? 」
夕夜から問いかけられた名前が思い浮かばない。
「誰だ、それ? 」
「本当に覚えていないのか? 」
俺は腕を組み、何とか思い出そうとするも
「いや、悪いけどまじで覚えてないぜ」
「そうか……」
それっきり夕夜は窓の外を眺めながら、黙ってしまう。
沈黙が続き、空気が重くなり、俺が誰なのか聞こうとしたら
「何でもいい。もし貴様が思いだしたら、教えてくれないか? 」
夕夜の深刻な表情に俺は
「ああ。わかった。大事なことなんだな? 」
と聞くと、夕夜は頷く。
俺と夕夜はお互いの連絡先を交換すると、会計を済ませ店を出る。
「今日はあんがとな、夕夜。まじ助かったぜ」
「あの程度、礼などいらん。ではな。明日のデート、幸運を祈る」
夕夜はそれだけ言い残し、帰っていった。
俺は自転車に乗り、家に帰りつくと、シャワーを浴び、そのまま布団に寝転がる。
『ふむ、太陽よ。お主の友とやらは、良い奴ではないか。わざわざお主にデートとやらのやり方を教えてくれたり』
「まあな」
最後に夕夜から聞かれた名前がどうも引っかかっている。思い出せそうで、思い出せない感じがもどかしい。
「くっそ。気になるぜ」
『最後にあの者が言っておった名前のことか?』
「ああ。確かに聞き覚えはあるんだが……どうにも思い出せねえ」
『まあそれは思い出せたらでよかろう。それよりお主は明日、莉々朱とのデートに集中すべきじゃろう』
「そうだな。そういえば、夕夜が教えてくれたことを忘れねえようにしねえと」
俺はケータイにメモした内容を見ながら、ファミレスで食いすぎたせいか満腹中枢が満たされ、抗えない睡魔が襲ってくる。
俺はケータイをベッド脇に放り出し、そのまま目を閉じると、意識が休息に底へと沈んでいった。
明るかった空の色がだんだんと朱くなっていき、飛んでゆくカラスの鳴き声と共に陽が沈んでいく。
象さん公園の中央にある噴水、その横にある木の机とベンチで、小学校高学年くらいの二人の少年が、机にカードを並べて遊んでいた。
「太陽の番だ」
と、整えられた服に短い髪を丁寧に切りそろえられた少年が言う。細身の体にしわのないシャツと短パンを着ていて、色白の顔に冷静沈着といった表情。どこかのお坊ちゃんのような風貌であった。
「おう。ちょっと待ってくれ夕夜」
夕夜と呼ばれた少年と机を挟んで対称的なのが太陽と呼ばれる少年だった。寝ぐせなのか爆発したみたいに弾けた黒髪に土で汚れたTシャツと半ズボンを着ている。顔と腕は真っ黒に焦げていた。
「よっしゃ。これで俺の勝ちだ!」
手札から勢いよく引いたカードを机に叩きつけ、太陽は勝負に出る。
それを見た夕夜は手札を見て何か考えるが
「ふん。今回は、お前の勝ちだ」
と夕夜は言い、山札に手を置き降参をする。
「へっ。悪いな夕夜」
太陽は嬉しそうに笑いながら、カードをひとまとめにする。
「もう一度だ。言っておくが、次は負けない」
「望むところだ! まあ次も俺が勝つけどな」
太陽と夕夜は山札を切り、再び勝負を始めようとしたところ、遠くから女の子の泣き叫ぶような声が聞こえてくる。
「んっ?」
「おい、夕夜。何か聞こえてきたぞ!」
夕夜はいぶかし気に眉間にしわを寄せ後ろを振り返り、太陽はベンチから立ち上がり、二人で声の出所を探る。
「夕夜。あの子じゃねえか?! 」
太陽が二人のいるベンチの後方を指さす。
象の形をした大きな滑り台、その隣にある砂場で、何かを取り囲むように立っている四人の大きな男の子がいた。
「夕夜! 行くぞ! 」
「仕方ない」
太陽と夕夜は彼らがいる方向に勢いよく走りだす。
太陽達が砂場に着くと、男の子達が大声でわめいている。
「おい、何やってんだよ! 」
太陽は男の子たちに向かって怒鳴る。男の子達はやってきた太陽達に気づき振り向く。
「あ、お前誰だよ?」
四人の中でも腹が出ていて、ひと際図体のでかい男の子がいた。太陽達に向かって舌打ちしながら睨みつける。夕夜は太陽に小声で言う。
「太陽。こいつら最近よくここらで暴れてるやつだ。特に真ん中のボスはPTAでも問題になってる。親父が話していたのを聞いたことがある」
太陽がボスを見ると、ガムを噛みながら意地汚い表情を浮かべる。
太陽の身長も小学生にして160㎝を越えていたが、目の前の男も同じくらいの身長でより太く、その取り巻きの三人はひょろ長いものから小さい奴までいたが、どれも意地汚い表情をしていた。
太陽は、ふと視線を感じて、彼らの後ろを見る。そこで女の子が座り込んでいた。おさげが揺れていて花柄の帽子をぎゅっと頭にかぶり顔がよく見えない。可愛い絵柄のワンピースが見るも無残に砂で汚れていた。
「おい、てめえ、何無視してんだ! 」
「そうだそうだ! 無視するんじゃねえ!」
太陽は真ん中のボスに向かって
「何でその子をいじめてんだよ?」
太陽の問いかけに、ボスは歯をむき出しにして笑う。
「なんだよ。こいつが独りで寂しそうだったから。遊んであげてるだけだよなあ」
とにたにたと笑いながら、取り巻きを見る。
「それに、こいつがぴーぴー泣いてるのを見るのは楽し……」
「黙れ」
太陽は震える拳を何とか握りしめて呟く。
「あ、何て言ったおめえ」
「黙れって言ってんだよ、この豚野郎が! 」
太陽は目の前の彼らに向かって吼える。
太陽の一言に、彼らは頭に血が昇ったのか、拳を握って近づいてくる。
「これは貸しだぞ」
後ろにいた夕夜は太陽の横に並びながら言う。
「わかってんよ」
「おいおい、おめえらで俺たちを何とかできると思ってんのかよ?」
「やってみねえとわからねえだろうが!」
お互いに顔と顔が正面からぶつかるほど近づく。
「豚野郎がっ! かかってこいよ! 」
「痛てて、くっそ」
砂場に寝転がって、全身の痛みに顔を歪ませながら太陽は呟く。太陽のTシャツは破れ、ところどころにあざが見える。全身砂だらけだった。
「まったく、貴様に付き合うとろくなことにならんな」
夕夜は涼し気な表情で立ち、太陽を見下ろしていた。服に汚れは見当たらず、ケガもしてない。
「俺もお前みてえに何か武道でも習っとけばよかったぜ。だけどよ。見たか? あの豚野郎。俺が髪をひきちぎったら、泣いて逃げてったからな」
太陽が自慢げに言うと
「私が周囲のやつらを抑えていなければ、貴様は袋叩きだったぞ」
「だからよ。感謝してるって」
俺はにやっと笑い、それにつられて夕夜も笑う。
すると、二人の傍でしゃがみながら黙っていた少女が、太陽に向かって近づく。
「よっ。大丈夫か?」
少女に気づいた太陽は、にかっと笑って声を掛ける。
少女は震えながらもうなずき、太陽に向かって手を伸ばすと、太陽の髪や顔についていた砂を払う。
太陽はくすぐったそうにしながらも女の子にされるがままになっていた。
女の子は俯きながらも、意を決したように顔をあげ、太陽に言う。
「た、助けてくれて……ありがとう! 」
少女の言葉に、太陽は少し恥ずかしそうに髪をかきつつぶっきらぼうに
「おう」
と答える。
少女はそんな太陽の照れくさそうな顔を見て、夕夜の方を向き。
「ありがとう! 」
「気にしなくていい。この馬鹿に付き合っただけだ」
「んだと、この野郎! 」
と言い合う太陽と夕夜を見て、女の子は口に手を当てくすくす笑う。
夕夜が時計を見る。
「太陽。そろそろ塾の時間だ」
「やっべ! 最近さぼりすぎて母ちゃんがうっせえんだよな」
夕夜は何事もなかったかのように荷物が置いてあるベンチに向かって歩いていく。
太陽も追いかけようと駆け出すと
「あのっ!」
女の子の声に太陽は振り返る。
「また、会えるかな?」
女の子は不安げに胸に手を当て太陽を見ている。
「ああ! 夏休みはいつでもここで遊んでるぜ!そうだ、余ったカード貸すから、今度一緒にやろうぜ! やり方は教えるからよ! 」
そう太陽が答えると、女の子は花のような笑みを浮かべ
「うん! 」
と答える。
「太陽、何をしている! もう遅れるぞ!」
「今行くって! 」
太陽は女の子に向かって手を振ると、ベンチにいる夕夜に向かって走っていく。
女の子は両手を握り、二人が公園を出ていくのを見送っていた。
セミの気だるい鳴き声で、俺は目が覚める。
「もしかして、あの子か……」
直前まで見ていた夢の中の懐かしい光景を思い起こそうとする。
朧気ながらも、思い出してきそうなところで、目覚まし時計が鳴り、俺は時間を見る。
「十時半か。あまり余裕はねえな」
俺は夢の内容は置いておいて、一階に降り、シャワーを浴びる。鏡の前で髭を剃り、ワックスを付けて髪を整える。
朝ごはん替わりに冷蔵庫の林檎をかじり、二階に上がる。
『ふわぁああ。太陽。起きたのか? 』
「ああ。今日は莉々朱さんとのデートだからな。いつも通り寝坊するわけにはいかねえ」
俺はケータイにメモした夕夜のアドバイスを見返す。
「そうだ、カフェ予約しておくか。ってかカフェって予約できんのかよ?」
俺は勉強机に座ると、脇にあるノートPCを開き、今日行く予定の場所近辺のカフェを検索する。何店舗か見つけた俺は、一番写真の雰囲気がよさそうな店に電話して、席の予約をしておく。
「うっし、後は服だな」
俺は部屋の端にあるクローゼットを開ける。いつも着る赤いシャツに手を伸ばしかけるが、ぐっとこらえて、ネイビーのシャツを手に取る。
親父が買ったものの、サイズが合わなくて俺がもらったシャツだった。
「仕方ねえか。赤以外ってなるとこれしかねえもんな」
俺は来ていた無地の白Tシャツの上にネイビーのシャツを羽織る。
そうこうしているうちに、時間は十一時を過ぎていた。
『太陽、待ち合わせ時間には間に合うのか? 』
「今から行けば三十分で着くから、間に合うはずだ! 」
俺は財布とケータイをポケットに入れ、階段を駆け下り、家を飛び出る。
眩しさに目を細めつつ、空を見上げると、どこまでも伸びる入道雲が、夏の空を彩る。
自転車に乗った俺は、待ち合わせ場所のある隣街へ向かう。
俺は背負ったリュックから取り出したタオルで汗をぬぐいながら、自転車をこぐ。
三十分近く漕ぎ、待ち合わせ場所近くの街の公園に到着したころには、インナーシャツが汗だくになっていた。
俺は公園のトイレで汗を拭き、インナーシャツを着替える。
時計を見ると、十一時五十分。なんとか待ち合わせの時間には間に合いそうだ。
俺は公園からアーケードに入り、待ち合わせの橋まで急ぎ足で向かう。
日曜日ということもあり、アーケードは道行く人が大勢いた。
待ち合わせ場所に辿り着く。建物と建物の間にあるその橋とも呼べないくらい小さな紅色の橋には、まだ莉々朱さんはいなかった。
俺はケータイを見て、昨日の夕夜のアドバイスを見返そうとしたその時、セミの鳴き声を突き抜けて響く、風鈴のような涼やかな声に、俺の心臓が高鳴る。
「お待たせ、太陽君! 」




