『異形群泳』
一瞬にして、視界が塗りつぶされた俺はパニックを起こしそうになる。
恐怖で膝から崩れ落ちそうになり、必死に首を振り周囲を見渡すも、何も見えない。
俺は今一体、どこにいるんだ?
どこに、連れてこられた?
「おい、どうなってんだよ! 何にも見えねえよ! 」
優男が、半狂乱になってすぐ傍でわめいている。
あいつらも一緒に巻き込まれたのか。
俺は暗闇の中で、何とか手探りで動こうとした、その時だった。
『うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ』
どこからか、声が聞こえてくる。
それは幼い女の子の甲高い、不気味な笑い声だった。
『あはははははははははははははははははははははははははは』
『いひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ』
それも一人ではない。複数の笑い声が、遠くからゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。
そしてその声は、前後左右、全ての方向から聞こえてくる。
嘲り、蔑み、狂気を纏った少女の笑いが、全身の皮膚を剥ぎ、心を錐で貫くように響き渡る。
歯茎が砕けそうになるくらい震える。
俺は両手で耳を抑えるも、声はどこまでも響く。
「やめろ、やめてくれえっ! 」
『太陽! 落ち着くのじゃ! 』
ヒル子の声が聞えた瞬間、俺は僅かに平静を取り戻す。
「ヒル子! ここはどこなんだよ?! 一体どうなってんだ?! 」
『こうも暗闇では我も何もわからぬ! 太陽、左手のイマジナイトをかざして照らすのじゃ! 』
「あ、ああ!?」
俺はイマジナイトに祈る。
頼む、もう一度、光を!
光を求め祈ったその瞬間、再びイマジナイトが輝きを灯し、光線が周囲に放たれる。
イマジナイトから発せられた光が暗闇を照らす。
そして目に見えた景色に呆然とする。
そこは確かにさっきまでいた本屋の敷地内だったが、全てが様変わりしていた。
世界全体が、黒と紫の交じり合った禍々しい色で覆われていた。
毒のように空気が淀み、光すら通さぬ暗雲が空全体を覆う。
眼に見える景色全てに、引き裂かれたかのような罅が入っている。
そして頭上を見上げた瞬間、呆然とする。
『何じゃあ、こいつらは!? 』
それは、否、それらは飛び回っていた。
その頭部は丸く、烏賊の脚のようなものが頭から生えつつ、それをうねらせながら、浮かんでいる。
全身が銀色に醜く染まり、その大きさは大人の倍はある。
脚の先端は鋭く尖っており、槍のような形状をしていた。
それらはまるで水族館の魚の群れのように、暗く濁った空を泳ぐかのように飛んでいる。
それらは、狂気じみた少女の声を辺り一帯に響かせ、上空を漂っている。
空全体を覆いつくすそれらが発する声は、脳、そして心を壊すように木霊する。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああ」
横を見ると、男達は耳を両手で抑え、目を剥き、泡を吹きながら、地面をのたうち絶叫していた。
彼らは完全に恐怖に呑み込まれていた。
そして俺自身も。
地面に足が縫い付けられたように、動くことができず、頭上に浮かぶそれらを、ただ呆けながら見ることしかできない。
『太陽、太陽! しっかりせぬか! 』
ヒル子の声に答えようとするも、声を発することができない。
空を飛び回る銀色のそれらを見た瞬間から、脳から心臓、つま先まで全身が凍り付いてしまっていた。
『お主は女神の守護者じゃろ! エルピスを護り、世界を護るのじゃろ! 』
そうだ。俺には、やるべきことがある。
エルピスを護り、街を護り、そして世界を護るため、変身して、あの怪物と戦わないといけない。
なのに、どれだけ頭で念じても、俺の体は微動だにしない。
それらは空を蠢きつつ、俺が発狂するのを待ちわびているかのように俺を見下ろしている。
逃げたい、いますぐここから逃げ出したい。
なのに、身体は全く反応しない。
口の端から涎が垂れる。
目を閉じたいのに、目を逸らすことすらできない。
頭に靄がかかり、視界全てが歪み始める。
『ええい、このバカ者が! 太陽! お主の好きな女は誰じゃ! 』
ヒル子の言葉にノイズがかかって、上手く理解できない。
『想像せよ! お主が恋焦がれる女は誰なのじゃ!! 』
ようやく届いたヒル子の言葉で、俺は何度も夢見て憧れた莉々朱様の顔が脳裏に浮かぶ。
「それは……莉々朱、様……」
『そうじゃろう! 言っておったではないか! お主の理想のお姫様じゃと! お主が生きていたら、いずれ会えるかもしれぬ。じゃが、このまま恐怖に呑み込まれ、死んでしもうたら、決して会うことはできぬのじゃぞ! 』
俺の凍り付いた心臓が、僅かに鼓動を響かせる。
『会いたくないのか! 会いたいんじゃろ!! 』
そうだ。俺は、あの人に、一目でも会いたい。
死ぬまでに、一度だけでも……
想像した莉々朱様のその顔が、何故か本屋で出会ったお姉さんの微笑みと重なる。
頭上で群れとなって動くそれらは、渦を巻くように飛んでいたが、その動きがぴたっと止まる。
それは前触れだった。
一瞬の静止の後、それらは濁流となって俺目掛けて、一斉に押し寄せてくる。
『生きるために、戦うのじゃ! 』
ヒル子の叫びが電流となって、俺の全身を駆け巡り、身体の自由を取り戻す。
『目覚めよ、太陽!! 』
「がっ、ぁあああああああああああああああああ」
俺は意思を総動員し、両手を思いっきり広げ、雄たけびを上げる。
勢いで噛んだ唇から、口内に溢れだす血の鉄の味と痛みが、俺の脳を呼びさます。
俺は左手で拳を握りしめ、迫りくるそれらに向かって振り上げる。
「イっマジ……ナシオン!! 」




