『憧れのお姫様』
腹の音が鳴り、空腹を感じた俺はゲームを一旦ストップする。
気が付けばリビングを照らしていた外からの眩しい光が、いつの間にか消えていた。
ソファーから立ち上がり、窓から外を見ると、日はとっくに沈み、夜の帳が下りていた。
「何時だ? 」
俺は壁にかかっている丸時計を見上げると、午後七時過ぎだった。確か母ちゃん達が旅行に行った昼からだから、ぶっつづけで七時間もゲームをしていたようだ。
どうりで腹が空くわけだぜ。
『もうとっくに日は暮れてしまっておるぞ』
呆れ果てたヒル子の声。
「今日のところは、これくらいにしとくか」
俺はセーブをするとゲーム本体の電源を切り、両手を伸ばして固まった筋肉をほぐす。
「うっし。 さあ、飯でも食いに行くか! 」
と俺が言うと
『何をいうておる、太陽。お主の母上が、冷蔵庫とやらに食事はおいてあると言ってたではないか』
ヒル子は不思議そうに尋ねる。
「いや。これは好きなもんを食べれる滅多にねえチャンスなんだ。だから、俺は牛丼を食べに行くぜ!」
『牛丼? なんじゃそれは。旨いのか? 』
「最高」
赤いシャツを羽織ると、自転車の鍵を手に家を出る。戸締りをして、そのまま自転車を漕ぎ出す。
住宅街の一角にある自宅から国道を目指す。五分もしない内に、国道沿いのチェーン店の牛丼屋に入る。カウンターに座ると、金髪の威勢のいい店員さんが水を持ってくる。
「らっしゃいませー。ご注文は? 」
「牛丼特盛、牛ダクダク、葱抜きで」
「あいよー」
店員は注文を聞くと、奥の厨房に行く。
『お主……一体、何を言うておるんじゃ? 』
「注文だよ、注文。見てたらわかる」
すぐに俺の前のテーブルに、熱々の牛丼が運ばれる。流石だぜ。
『太陽……これは……肉しかないではないか! 』
「当たり前だろ。それがいいんだよ。牛丼に野菜なんかいらねえ。肉さえありゃそれでいい」
俺は手を合わせて目を閉じ、牛に感謝を捧げる。そして割り箸を割り、目の前の牛丼を一気に掻っ込む。
『そんなに焦って食わずともよかろう』
俺はあっという間に牛丼を平らげて会計を済ますと、店を出る。
国道沿いを行き来する車のライトが道を照らす様は、まるで夜の遊園地のパレードのようだ。
日中は蒸し暑く、焼けるような日差しだったが、この時間にもなると、多少は暑さは和らぎ、微風が吹いていた。
『で、これからどうするのじゃ? 』
「そうだなあ。せっかく外にでも出かけたし、本屋でも行くか」
『本屋? 』
「ああ」
俺は再び自転車に乗ると、市内中心部の街に通じる橋を目指す。
橋を渡り切り、電車通り沿いにそのまま道なりに漕ぎ続け、途中何度か曲がりつつ行くと、目の前にそれが見えてくる。
『ほお。なんともでかいのお』
それは、本屋というよりは、ちょっとしたショッピングモールだった。
店を囲むように五十台以上の駐車場があり、中心にある建物はかなり大きな三階建ての現代風のビル。一階にはレストランやコーヒーショップや雑貨店が並ぶ。
自転車を駐輪場に止め、入口の自動ドアを通り、店内に入る。
店の中央に据え付けてある階段を昇っていく。
二階の中央には売れ筋のマンガや文庫、そしてそれ以外の雑誌やハードカバーがフロア全体に各書棚や壁に並んでいる。
三階には児童書や参考書、子供たちが遊ぶスペースも完備されており、日中は家族連れや多くのお客さんで賑わっているが、夜にもなると、お客は少なくなっている。
俺はまず週刊漫画のコーナーに行って立ち読みを始める。一通り週刊漫画を読み終えると、漫画の棚の横、文庫本コーナーの一角にあるラノベの棚に向かう。
「お、このシリーズ遂に新刊でたのか」
とラノベの新刊をチェックする。
その流れで、アニメ、ゲーム雑誌の棚を見ると、俺は思わず声を上げる。
「これこれこれい! 」
俺は咄嗟に雑誌を手に取る。
『なんなのじゃ、それは? 』
「声優雑誌だよ」
『声優って、何じゃ? 』
「さっき俺がゲームしてた時に、色んな人間が映ってただろ。あれの声を演じてる人だ」
『なぬ!? あれは本物の人間ではないのか!? 』
「あったりまえだろ。おっ! 今月は莉々朱姫の特集号じゃねえか! 」
俺は手に取った雑誌を早速めくり始める。
『莉々朱姫? 誰なのじゃ、それは』
「今を時めくトップ女性声優の、薔薇園莉々朱姫のことだよ!! 」
薔薇園莉々朱。
一昨年にデビューしたばかりの新人声優だが、新人らしからぬその演技力、そして虹色の声とも言われる常人離れしたその声質、声幅で、デビュー当初からこの声優は一体誰なんだと騒がれていた。
はじめはモブキャラしか演じていなかったが、その実力が圧倒的だったためか、すぐに名前付きのキャラを演じ始め、知名度が徐々に広がり、そして今年、覇権アニメのメインヒロインに大抜擢され、そのアニメの最終話の神演技でオタクの涙腺を崩壊させ、爆発的に名前が広まった。
雑誌の特集号の表紙には、虹色の声を持つ可憐な美少女、その魅惑の演技の神髄に迫る、と書かれていた。
俺はページをめくるたびに、彼女の姿に惚れ惚れする。
淡い桃色と艶やかな薔薇色の混じりあった髪が首元までふわりと巻くように伸びている。
小ぶりな顔は、どことなくリスのようなかわいらしさがあると同時に、その挑発的な鋭い瞳は蠱惑的なまでに俺を見つめてくる。
彼女を象徴する薔薇の花柄のジャケット。そしてインナーからはグラビアアイドルでもいけそうな程の豊かな胸が膨らんでいる。百七十センチは優にあり、特にショートパンツから伸びる美脚はトップモデルのような脚線美を描いている。足下の真っ赤な靴も、彼女の魅力を引き立ている。
『ふむ……確かにお主の言う通りじゃのう。姫というに相応しくらい美しいのじゃ。お主は、この女に惚れておるのか? 』
「あったりまえだぜ! ってか俺だけじゃなくて、今のオタクで彼女に惚れてない人はいねえ! 声優としての演技力も半端ないのに、めちゃくちゃ可愛くて、スタイルもめちゃいいんだよなあ。天は二物を与えずどころか、全部持ってる、まじもんのお姫様だぜ! イベントにも行きてえけど、今じゃチケットの争奪戦が半端ないことなってるから、俺も応募したけど勿論外れたぜちくしょお!! 」
と俺が雑誌をめくり、彼女のインタビューを見ながら歯ぎしりする。
『ふむ。お主が何を言っておるか全くわからんが、とにかくお主がこの女に心底惚れているのは伝わってくるのじゃ』
憧れは募る一方で、莉々朱姫と偶然出会ってデートするという妄想を膨らまそうとするが、高嶺の花過ぎて、一緒にいることが想像すらできないくらいだ。
「はあ……こんなお姫様みたいな女の子と、話だけでもしてみてえなあ」
俺がため息をつくと、
『太陽。この莉々朱という女に恋焦がれているのはよいが、お主には恋人はおらぬのか?』
ヒル子が発した何気ない、無自覚な問いかけに心臓がよじれるくらい痛くなると同時に、ブチ切れそうになる。
「てめえ……言っちゃならねえこと言いやがったな」
俺の怒りが伝わってないのか、ヒル子は俺の言葉に不思議そうに
『ふむ。だってお主の言う通りじゃと、この雑誌とやらにのってるのは、どこか遠いところにいる女なんじゃろ? お主が憧れても会えないくらいの。ならば、近くにはこのような女はおらぬのか? 』
俺は我慢できず声を荒げる。
「莉々朱姫みたいな美少女が、こんな糞田舎にいるわけねえだろうが! 大体、学校にいるクラスの女子とすらまともに話すことできねえのに、恋人なんてできるかボケぇ! 」
『何を怒っとるんじゃ! 』
とヒル子と言い合っていた時だった。奥の書棚の方から叫び声が飛んでくる。
「いい加減にしてよ!! 」




