『逃走』
暖かな温もりが伝わってくる。
意識が遠のきかけたが、温もりが俺の意識を取り戻し、それと同時に全身に力が湧いてくる。
振り向くと、少女が俺のすぐ後ろで、ぎゅっとしがみつくように俺の背中に腕を回し、額を当てていた。
顔を上げた少女の翠の瞳が、俺の顔をじっと見つめる。
俺はすぐには言葉が出なかった。それでも、この少女のおかげで何とか正気を取り戻せたことは分かった。
「ありがとな」
俺は少女の頭を撫でると、少女は眼を閉じる。
凍え切った全身に血流が流れ出す。視界がクリアになった俺は、再び前を見る。
異形の怪物との距離はもう5メートルもない。眼前に迫ってくる脅威。
けれど、先ほどまで感じていた絶望と恐怖から来る体の震えは収まっていた。
俺と怪物との彼我の距離、そして怪物の緩慢な、じっくりと様子を伺うような動きを見て、俺は咄嗟に行動に出る。
しゃがみこんだ態勢のまま、両手を後ろに伸ばし、振り向き少女に言う。
「乗れ!」
少女は俺の意図を理解したのか、そのまま俺の首に腕を回し、背中にしがみつく。
しっかり捕まっているのを確認した俺は、少女を背負い、立ち上がる。
「逃げるぞ!」
怪物に背を向け、背後にある黄金の大樹の反対側に回り込むように走る。
俺は後ろを軽く振り向き怪物を見るも、俺の動きに対し、全身に生える眼だけが俺の動きを追っている。
俺は自然の広間を抜け、来た時に通った木のトンネルに入る。
「しっかり捕まってろよ!」
少女の腕が俺の首に強く巻き付く。
俺は少女を落とさないように気を付けつつも、全力でトンネルを走り抜け、暗い鬱蒼とした森へ。
何としても怪物との距離を稼ぐ。その一心で、部活の試合の時以上の全力で走る。
走って走って走り続けた俺は、公園から来た時と寸分たがわぬ位置に、浮かびつつ回転する漆黒の渦を見つける。
無事に戻れるかどうかはわからない。
けれど今はこの渦を通って、現実世界の元の公園に戻る可能性に賭けるしかない。
「絶対に、離すんじゃねえぞおおおお!」
背中の少女に向かって叫ぶと、少女がこれまで以上に強くしがみつく。
俺はスピードを緩めることなく走り続け、決死の覚悟で回転する渦に目掛けて頭から飛び込む。
その瞬間、全身が攪拌され、意識と体が捻じれだす。
竜巻のような奔流の中で、俺の背中から少女の腕が外れ、俺と少女の身体が引き剝がされる。
俺はちぎれるくらい腕を伸ばし、少女が伸ばした手を掴むと、そのまま引き寄せる。
決して離さぬように強く、俺は少女を胸の中で抱きしめる。
気を失わないために、歯を食いしばりつつ、祈る。
必ず、現実世界に戻ってみせる。




