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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

天魔ククルカン

作者: 千歳うらべ
掲載日:2023/01/29

「本当に、君に会えて良かった」


「あんなの見ちゃったら、連れていけないさ」


 ヘリと爆炎とビッグライトが、海の闇を彩っていた。月が見下ろすそのライブ。観客はヘリの操縦者と海中の肥大化した魚達。浅瀬まで来るはずのない深海魚の一種によく似た彼らは、一心不乱に港町を目指していた。


 港には船がいくつか停泊しているのみであり、人のいた痕跡はあれど影はない。

 無線通信の連絡。


「目標は計画通りポイントαに進行中。数体が群れから外れた模様」

「そのまま誘導を続けろ」

「ラジャー」


 海軍隊は海の群体に向けて打てるものを打ち尽くす。群れが曲がろうとしたならば小型ミサイルと機雷と重機関銃がそれを阻む。大型の照明で魚達を導く。度々驚異的な跳躍力でヘリに飛びかかってくる個体も、空中で蜂の巣になるばかり。

 それは追い込み漁であった。


 どこまでも異常な光景である。二十機のヘリがその百倍は下らぬ数の魚を追い込み、さらにその魚の直径は人間と指して変わらないというのだから。


「こちら司令室。目標地点への到達を確認。第三中隊はすみやかに離脱せよ」

「ラジャー」


 操縦士はヘリの踵を返す。帰還命令を受けて、ヘリ内の人間達はやっと一息吐くことができた。機関銃の射手は手がしびれたと軽口を叩き、弛緩した空気は蔓延する。

 これで俺たちの仕事は終わり、あとは港の最新兵器とやらで一網打尽であると。


 事前に聞かされていた作戦を反芻する操縦士は、その鍛えられた視力で気付いた。港にさっきまではなかった黒い影に。それこそが六望楼の作り上げた最新にして戦略級の兵器である。

 だが、彼がそれに思い至ることはない……否、考えられない。

 何故ならそれは。


「人間……?」



 黒髪の黒コート……普通の人間であったからだ。



◆ ◆ ◆ ◆




「号外ごうがーい! 今日の記事はとびきりだよー!」


 朝を告げる鐘の音のあと、まだ夜の闇が染み付いた大通り。人と馬車と電気自動車のまだらに、朝の新聞屋がそれを知らせる。その小さな体躯は軽い靴音でリズムを刻み、人混みをかき分け、ドアに看板を掛ける大男にたったたったと近づいた。


「あ、パン屋のおっちゃんオハヨー! 今日も朝はやいね~、やっぱり美人のお嫁さん捕まえたから張り切ってるんだ」

「ははっよせやい。確かにあいつは最高だが、俺は元から早起きさ」

「ふ~ん。朝の新聞買ってくれなくなるって残念だったのに、残念!」

「……へえ、そりゃなんで」

「精が出るから」

「よせや」


 沈んだ顔でパン屋は新聞を買い、新聞屋はそれに満面の笑みを浮かべた。


「いやほんとに、今日は買ってもらえないかと思ってたんだ。今日は特別だから」

「特別?」


 新聞屋が通りの人通りを見て、パン屋もその先を見る。そこには少しの人だかりがあり、どうやら新聞が売られているらしい。


「……天魔」


 自然に背いた生命。人知を超えた存在。

 それが隣の町で暴れたらしいと新聞屋は言った。


「こ、こんなビッグニュースのせいでもあるけど、一番は逃げてきた他の街の人向けだね。いつも見ないカオがうじゃうじゃ紙切れさばいてんだ」

「……ほう」

「おっちゃんも気ぃつけなよー!」


 新聞屋の少年はそう言って雑踏の中に戻る。それは次の客を見つけノルマを達成するためであり、パン屋の沈んだ顔に気づいたからでもあった。外は薄暗く、雨も風もない曇り空であった。

 すぐにパン屋は手のひらで目を覆い隠し、大丈夫だと言い聞かせ開店した。忙しくなれば気も晴れるだろうと。するとすぐに来店を知らせるベルが鳴った。

 中肉中背の黒髪にブラウンコートの男は、店をぐるりと見渡してパン屋に伝えた。


 ――1番人気教えてください。あと全種類1品ずつください。


 よりどりみどりのパンを見て、語尾にハートマークがつくのが見えるくらい幸せそうな男だった。



◆ ◆ ◆ ◆



 昼が中点に登った頃。町の皆が働いている時間。ブラウンのベレー帽とウエストコートをまとった少年新聞屋は、2枚の新聞を手に横丁の階段に座って黄昏れていた。


「売れ残っちゃった……」


 少年は大通りの人だかり、路地の人だかり、建物内の窓の向こうの人だかりを観察していた。盗み聞き、口を読んだところで読み取れるのは似たような事……(こと)ばかり。

 大陸渡り。町落とし。天魔。


「皆天魔の話ばっかり。これじゃ売れないよ~」


 新聞の内容を少年は覚えているようだ。それでも1枚なら自分の分として金を出しても良かったが、2枚は流石にいらないとして、この場に居座って客を探していた。

 だがそう都合よく、昼になって出てくるぐうたらが買いに来ることはなかった。

 時計塔の針をにらみつける新聞屋。どうやら時間が進むのが憎たらしくなってきたようだ。しょうがないからと財布を出しかけた時のことだった、横からの足音に気がついたのは。


「こんにちは。君は新聞屋さんかな」

「え? ……あ、はい、はい! そーですとも」

「ああ良かった。やっぱり僕はツイてるなぁ~~」


 笑って新聞屋の横に座ったのは、黒髪黒目の男だった。


「買ってくれるんですか? これいちおー朝のやつですけど……」

「いいよ。むしろ良いといっても良い。僕が欲しかったのも朝刊だったからさ」

「ありがとーございます! 毎度ありー♪」


 バサッと新聞を広げる男と、その横でステップする少年。小躍りして鼻歌を歌う新聞屋が微笑ましかったのか、男は新聞屋に笑いかけた。新聞屋は頬を赤らめて問いかける。


「……な、なんで朝刊が欲しかったんです? 昼の分にも似たようなのが書いてありますよ」

「買い損ねたからね。豪華な朝食にしたのは良かったんだけど、食い切るとどの新聞屋も大行列! 並んでも必ず僕の前で売り切れるし、途方に暮れていたら君を見つけたんだ。」

「ふふ、おマヌケさんですね。……あっごめんなさい! せっかく買ってくれたのに」

「いいよいいよ。パン美味しかったし」


 新聞屋は首を傾げる。


「それに、君に会えたからね。嬉しくてしょうがないよ」


 男は笑いかけた。

 少年は青ざめた。


「お、オレそういうのやってないんで!」

「あれなんか誤解してない?」

「オレは全然ノーマルだし、高身長スタイル抜群の彼女も3人いるしえっとえっと」

「誤解してるうえに嘘下手か! 違うから、良いことがあったな~って話だから」


 あ、そうなんですか。新聞屋はそう言ってスッと立ち直った。その早さにちょっと疑いの目を向ける男であった。


「新聞ありがと~」

「いえいえ、ただちょっといいですか。おにーさんって隣町から来ましたよね」

「ん? そうだけど」


 新聞屋はそう言って紙とペンを取り出した。


「じゃあ、天魔見ましたよね。色々教えてください!」

「ああ~なるほど。……配達人が記事も書くのかい?」

「お小遣いがでるんですよ」


 それでそれでと推して聞いてくる彼に、男は謝る。


「申し訳ないんだけど、見てない。僕も天魔の話を聞きに来たクチさ」

「なーんだ。同業他社か。じゃあちょっと遅かったんじゃ」

「似たようなもんだよ。遅れたのは、ごめんとしか言いようがないね」

「え?」


 それじゃ、行くところがあるからと言って男が立ち去っていく。

 新聞屋はそれを見送るのみだった。ただ見送る最中に、一言。


「最後の……」


 少年は思う。

 やたらとニヨニヨ笑う男であった。黒い目をくちゃりと潰すのが特徴的だった。少ししか話してないが、なんだか人生が幸せそうなやつだった。

 そんな人が笑って誤魔化した。

 なんだか悪い気分だった。


「オレっていつもこうだ……」


 ――なんか空気不味くなったな。

 ――お前、うっとおしい。

 ――間が悪いんだよ。


 胸がきゅうっとなって、腹が重たくなる。さっきまでの笑顔のやり方を忘れる瞬間。少年は、うつむいて落ち着こうとした。いつもこうしていれば直るからと。頭の中で、ごめんごめんと謝って許してくれる夢を見る。

 そうしようとしたところで気付いた。離れていった革靴音が、振り子のように戻ってきたのを。


「……ご、ごめんなさ」

「僕と来るんだ」

「え?」


 離れていった青年が、打って変わって険しい顔で少年にずかずか迫る。

 なんで? どうして? あんなに優しそうだったのに……。彼はそう思った。そしてわかった。

 僕のせい?


 彼の中で大きくなる。

 だんだんと。

 悪夢が。


「ご――ごめんなさい、ごめんなさい! 僕、そんなつもりじゃなくて、やだぁ!」

「え? あっ、待って!」


 少年は逃げ出した、青年とは逆方向に。階段を落ちるように蹴り降りて路地裏に入る。日陰の中を、運動量に見合わぬ激しい動悸が身体能力を押し上げる。

 だがそれでも近づいてくる足音。

 地元の土地勘と逃げ足。両方自信があってフルに活用しているにも関わらず、それは一定間隔で近づいてくる。


「なん、はひぃ、なんでぇ」

「待っ――ここ――ぶない――――!」


 ゴミ箱木箱を掴んで曲がると同時に横倒しにする。障害物づくりと急速旋回を繰り返してようやく、悪夢の声が遠ざかる。

 走った先には大通り。暗い路地からは日の光だけが見える。

 そこに安心感と、理由のわからない不安を感じて新聞屋は飛び込んだ。


 そこで思い至る。

 青年と話した階段のある道、建物の中、路地裏。

 どうしてこんなに人がいないんだろうと。


「う、わぁ」


 視界が二転、三転。新聞屋が大通りに抜けた瞬間に強い圧迫感と衝撃、そして浮遊感に襲われた。

 車に轢かれた? 否。


(何かに掴まれてる!)


 体に食い込む三点。そこから一点に向かい伸びる感触と獣臭と突風の理由を、かろうじて自由な右腕を風除けにして新聞屋は目にした。


 鶏だ。


 ただの鶏ではない。三前趾足の二本の足に翼。人間の指が三本ある腕が腰のあたりから伸びている。


「天魔――ヴィゾフニルっ!!」

「あん? オレっち知ってんのか。坊主」


 少年はぎょっとして声の主を辿る。それは鶏のくせに空を飛び、少年を掴んでいる化け物。

 その人面から声が出ていた。

 形はおかしくないが赤と白のラインが入っており、何よりその表情が少年の胸中をかきむしる。

 おぞましい。

 何よりおそろしいのは。


「そう! 音にも聞け! 目にも見よ! このオレっちこそが世界に照らされた光!!」


 ――天魔ヴィゾフニル様だぁ~~。


「ギャーッハッハ」「ギャハ」「ギャハハ」ハ」「ギヒ「ヒャハ」「ギャ~」「「ヒヒヒ」」「ギャハ」「ギャハハ」「ピヒヒ」「「クックッ」「ギャハッギャハ」」「キキキキ」「ク~」」「ヒヒヒ」


 百では利かないこの群体。

 全て同じ姿であることだ。



◆ ◆ ◆ ◆



 町役場の隣りにある第一シェルターは、ドロシー町西南の緊急避難場所となっている。収容人数は最大千人、全員を2週間収容可能という性能を誇る。平時はがらんどうのこの空間も、今や埋まろうとしていた。


 怒号が響く、あちこちで。それは我が子を探す母親の悲鳴であったり、施設案内の拙い館内放送である。命令指揮の円滑性を保つために静かにするよう呼びかけるも、その効果は明らかだった。

 怯えている。全員が、なにかに。


「これが……戦場」


 小さい声が木霊する。皆、その気持ちを持っているからだ。


 その中で一人。よく通る声で施設内トラブルの仲裁を買って出た者がいる。その者は怯えるものの不安を打ち消し、怒れる者の気力を削いだ。


「よせやい。子供が見てるぜ」


 大柄な小太りパン屋は、子どもたちにパンを分け与えた。


「いいね。その食いっぷり。お母さんも食ってくれや」

「ありがとうございます! その……今お金がなくて」

「いいよ別に。町役場に払ってもらってる」

「おいちゃん太っ腹だね!」

「おう!」

「ふくよか!」

「おう……?」


 パン屋は、余裕を見せて安心だと伝えた。

 パン屋は、警備隊の精強さを言って聞かせた。

 市民の一人として少しでもこの状況に貢献しようとしていたのだ。元々地元で有名なパン屋で面識も広かった彼の行動は、皆を鎮めることに成功する。

 彼がそうできたのは、家族で避難できたからであろう。妹と嫁。どちらも安全で安心なために、他人を気遣えた。


「お疲れ様、あなた」

「おう、ありがとな。お前にも手伝ってもらって」

「いいのよ」


 そして、彼がそうしてシェルターを回る理由は、もう一つある。


「……なぁ、儂の胸くらいの背丈で愛くるしい顔した小僧を見らんかったか」

「え? ……子供は居たけど、皆親と一緒だったわ。きっと大丈夫よ」

「そうか」


 ――おい、しい。


 パン屋は気づく。生意気で憎たらしくて抜け目ない。一人ぼっちの子供が今どこにいるのか。


 ――買ってくれるの? おじさん。


「外にいるのか。小僧」



◆ ◆ ◆ ◆



「さあて、どう料理しよっかな~」


 怪人は手の中の戦利品を愛おしむ。空中に寝転んで、群体と人間の大合唱をバックに夢想する。


「唐揚げ、ステーキ……活造りもいいなぁ~」


 どんどん悪くなる少年の血色。浮遊感と圧迫、そしてこの怪人の地獄の独り言によるものだろう。

 怪人は既に命令を下した。目標が出てきた場合の対応も仕込んである。


「よいしょっとォ! ……始まったか。」


 合唱の中にノイズが混じり始めた。連続する破裂音と群れのうめき声。そして、人間の威勢の良い避難指示が通る。眼下の狩りが、戦いへと。

 雄鶏は胸と肩のあたりに向けて撃たれたライフル弾を目で見て避け、通り過ぎた弾丸に手をかざす。すると弾丸は急激に軌道を曲げ、雄鶏はハンマー投げのように持ち主のもとへ返却した。


「見てから余裕ゥ!」


 弾着地点にもう人影はなかったが、圧力をかけることで敵の体力を減らせる事を経験上怪人は知っている。それからは銃にスタングレネード。装甲戦闘車両の機関銃など警備隊のオンパレードだ。群れのやつらも負けては居ないが、こっちとあっちのキルスコアは大方十対一くらいのもの。十体は減らされていた。

 戦車の二連装機関砲が怪人を狙う。

 手の中のぐったりした少年が射線上に差し出される。

 目標を変えようする戦車を飲み込む光の柱。ざっと人一人飲み込めるそれは一瞬の幻かとも思えるが、赤熱する装甲と何かが焼けた匂いとがそれを否定する。

 戦車をスクラップに変えた二体の天魔が、寄ってたかってその装甲を剥がし始めた。

 一連の流れにため息をつく怪人だった。戦い騒ぎに来たくせに人質見せりゃ抗いやしない。退屈、その一言だった。


「なぁおい坊主、泣け」

「はえ?」

「家族だかいんだろ。呼べよ」

「……いない。いません」

「ぼっちちゃんかよ。はぁ~~」


 いっそ群れ全員にも味わわせるかと考えたところで、怪人は気付く。


 戦車を襲っていた二匹がいない。


「っ!」

「あ、避けられた」


 怪人の背後。その路地裏から空中にいる怪人に向けて、先の弾丸よりも速い速度で飛来したモノを紙一重で避ける。それが空中で急制動し、返す刀でこちらに再接近するところで少年を投げつけた。

 怪人は少年を受け取った男をオーバーキックで地上に打ち落とす。


「どうしようかな」


 天魔ヴィゾフニルは三メートル強はある。その半分にも満たない背丈の人間だ。

 天魔ヴィゾフニルは百体以上いる。眼の前の人間はたった一人だ。

 天魔ヴィゾフニルはだがしかし、その人間の圧力を感じ取った。

 自分よりも大きな力を。


「人間……いや、魔人か?」

「さあね~」


 それは、黒髪黒目。黒コートの若い男だった。



◆ ◆ ◆ ◆



 さて、本当にどうしよう。

 黒髪は悩んでいた。少年を取り返したのはいいが、このままでは膠着状態に陥ると。少年をシェルターに預けた上で戦えればそれでいいが、初撃を外したことで包囲網が敷かれている。肉体性能でゴリ押しも不可能ではない。むしろ普段であれば簡単だったが、少年を守りながらであれば難易度が跳ね上がるのだ。


「ぐえ」

「あ、ごめんねボク」


 これだ。新聞屋を抱えながらでないと守りきれないが、力を込めると手の中で潰れたトマトになってしまう。割りと繊細なのだ。

 繊細な魔法使いもできることはできるが。


「さっきのでアレ落としちゃったからな~」


 新聞屋は青年の視線の先を見る。雄鶏達に阻まれ好きには通れぬ隙間に、ゴーグルのようなものが確かに見える。それは、自分がいる限り取れないのだろうと思った。


「っ! 離せ」

「わわわ、どうしたのさ君。危ないよ」

「それでいい! オレはもう死んでるんです!」


 あほを見る目が少年に向く。段々と優しい目になってきた。


「大丈夫! ここ地獄みたいだけど地獄じゃないから!」

「勘違いしてないです!」

「現実みよう!」

「聞いてオレの話!」


 雄鶏達が挟撃してくるが、どれもを躱して一息つく黒髪。


「……オレにはもう、待ってる人は一人も居ない。家族は解散して、友達は離れていきました。新聞の皆も、配達しかできないオレを内心疎んでる。ツケを払うためにヌかれるなんてしょっちゅうですよ」


「どうやっても台無しにして……逃げちゃう。もう疲れた」


「ゆるして……」


 雄鶏の包囲網が完成する。じりじり張り詰めた糸が、今にもはち切れそうだ。

 青年はわかっている。この状況は打開できないことを。少年が言うように、このままではなぶり殺しだ。隙を作ってはくれないだろう。援護は期待できない。人質救出のために単身来てしまったし、ゴーグルの紛失なんて予想外も良いところだ。

 そしてこれもわかっている。


「君は一人じゃないよ。ライト君」

「へ?」


 オレの名前? 少年は不思議に思った。


「朝パン屋の店主に、顔が暗かったから聞いてみたのさ」


 その理由を。それを少年はわかっている。天魔に家族を奪われたパン屋のおじさんに、少年はニュースだと得意げに言ってしまったのだから。トラウマを刺激され、軽い気持ちで言われたおじさんは、さぞ怒って。


「天魔に全て奪われた子供の前で、その話を出してしまったってね」

「……え?」


 悔やんでいたよ。その言葉がうまく聞き取れない少年だった。なんで。だって。悪いのはボクで、どうしてあっちが悔やむんだと。


「君が心配だからさ」


「守れなかった弟によく似てさびしんぼうで、怖がりだから」


「ライト君。逃げても良いんだ。でも、戻ったって良い」


「自分を大事にね」


 空白。一瞬、二人の動きが止まる。心の空間を埋められた者とその時間を見守る者。

 その一瞬を鳥の目は逃さない。


「うわ!」


 まず、黒髪を空中へ蹴り上げたのは少年を捕まえた天魔であった。その際、少年を巻き込む位置にいたのは偶然ではなく、二人が話し込んだのを見た雄鶏が調整する狡猾さ故であった。

 次に、少年を投げ捨てた黒髪に組み付いたのは戦車を破壊した二体であった。そのたてがみに隠れた淡紅色の肌が発光するのと、二体が大きく息を吸い込むのはほぼ同時であった。

 最後に、赤熱する二体と一人の塊を取り囲んだのはこの場で立体的な包囲網を築いていた無数の天魔であった。彼らはお互いの射線が重ならず、かつ最速で移動できる位置につき、胸の放射器官から先程の光の柱を塊に向かって打ち出した。


「うっ」


 蜃気楼の発生。肺を焦がす空気。それらよりもライトの気力を削いだのは時間だ。光線が照射されている時間は一生にも思える一瞬であった。

 だが真に恐怖するべきは怪物たちの恐るべき冷酷さでも放り出された少年の恐るべき未来でもない。


「あ~」

「え!?」「ナン……だと!?」


 その太陽の中心から聞こえる黒髪の生存報告だ。


「これほど暑いのは久しぶりだね。う~ん……帝都ホテルにあった個室サウナ以来だ」

「化け物めっ!」


 気の抜けた返事に気を取り直す少年。気付く。今なら逃げられるのではないかと。

 今全天魔の注意はあの黒髪に向いている。恐らくあの光線は彼らの切り札だ。おにーさんを仕留めない限りやめることはないだろう。脱兎の如くなりきれば、シェルターにだって逃げ切れる。

 少年は逃げ出した。


 ――自分は、あの人の邪魔になる。


 息を殺して走り出す。足元をネズミのように駆け抜けろと自分を励ます。向かう先はシェルター……そのはずであった。


「こらこら」

「え?」


 ぬるりと出てきたのは、少年を掴み黒髪を蹴り上げた雄鶏。

 彼だけは光線を発さず、状況把握に努めていた。

 すぐに踵を返し逆方向に。

 だが。


 ――追いつかれる。


 少年がそう思ったのは、怪人が一息に四メートルは距離をつめてきたためだ。一心不乱に走る、奔る、疾走(はし)る。

 光線の出力が上がる。

 熱波が少年の追い風になり押し出して、ちょうど掴んできた腕を飛び越える。


「これは……うっ」

「何……してんだ~?」


 天魔の大きな腕が、再度少年の胴体を掴み上げた。

 少年の手の中には、ゴーグル。黒髪があれさえあればと呟いたもの。

 奇跡的に取れたそれは少年にとって何ができるとも思えない。黒髪は未だ囚われている。詰み。


「もっかい人質なァ」


 ライトは気付く、眼の前の天魔の姿に。自分を縛ったあの右腕は今や失われ、黒髪の打撃で羽毛や髪がぼさぼさである。少し面白かった。その姿と言葉を頭で理解して、自分の中でふつふつと滾る熱にも気付いた。


「――ぇなぁ」

「あん?」

「獣臭えかと思ったら、小物臭もすんのかよ」

「……ア?」


 どうしようもない詰みの状況。打開する術はなく、命の終わりを実感させるもの。

 灯火消えんとして光を増す。


「……死にてェのか?」

「ハッビビリにはわかんねぇだろ! オレがなんで挑発するか!」


 故にこそ、こいつに恐怖したままでは終われないと。ダメな自分に別れを告げるには、ここしかないと。人質がいれば、またあの人の迷惑になるからと。

 灯火が光を増す。


「オレは殺されるだろう、握りつぶされるだろう! だけど怖くなんてないぜ! それより怖いもんがあるからな。お前には無理だろう?」


「フレスベルグのしたっっぱで! 弱い者いじめばっかりの、オマエにはだっ!!」

「このガキがァ~っ」


 光 が。


 ――オレは、逃げない


 まばゆい光が、世界を照らした。

 なんだ、と天魔と少年はすぐにその光源を探り当てた。少年の手に持った、そのゴーグルである。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。手や髪に当たっても熱くはないが暖かい。

 事の真相はライトにはわからない。だが。


「オレは――ライト=シーブラック」


 答えてくれる。そういう気がした。

 ライトの右手のゴーグル。それが一層激しい光と衝撃を周囲に撒き散らす。天魔ヴィドフニルはたまらずライトから手を離した。


「これは……剣?」


 新緑の森を詰め込んだような深い緑の剣。それが、ゴーグルのレンズから出てきた。明らかにサイズ的に不可能ではあったが、あの神秘的な光はそれを肯かせる説得力があった。


「んだてめェ……それ」

「わ、わかんない」

 答えた瞬間。天魔の足元のアスファルトが爆発する。砲弾の着弾を思わせるそれは、天魔の化け物染みた脚力でなされたもの。不確定要素に何もさせないことを優先した雄鶏の判断であった。

 だが。


「さっきぶりだね」

「っ! うらぁ!」


 雄鶏の裏拳、空を切る。耳元で囁かれたのにも関わらず、下手人はそこにいない。

 下手人は既に体制を整えた。人質作戦を用いて袋叩きにし、恐らく必要な武装を盗んでまでして抑えるのがやっとだった男。

 黒髪黒目、ゴーグルを目に装着し傷一つない状態でそこに立つ。


「ふふっ……」

「おにーさん?」

「いやさ。君がすごくてすごすぎて、嬉しくてしょうがないんだ」

「……ごめんなさい! 逃げなくて」

「うん?」

「オレ、邪魔だと思ったから。でも、ゴーグルだけは持っていこうと思って……」


 あっと少年は不意に思う。俯いて見えないけどこの人、絶対ニヨニヨ笑っていると。

 それは正解で、不正解。加えて彼は、ライトの頭を撫でた。

 ひどく優しい、暖かい手であった。


「それじゃそろそろ終わらせようか。君も結構長生きだったね」

「クアァッ!」


 先程までその手を焼いた光線の一斉攻撃。だがそれは、黒髪の手のひらから生まれる深緑の暗黒の雲に吸われる……否、消えていく。そして、その力を目にした雄鶏は戦慄する。その力、誰のものかを知っているが故にだ。

 ――『小宇宙(コスモス)』、()()()()()()()()()()()

「まぁ、皆の宇宙(そら)だ。返すよ」

「貴様か。天魔――ククルカン」


 天魔ヴィゾフニル。その群体は暗黒の雲……星雲にすべてを飲まれ、消滅した。



◆ ◆ ◆ ◆



「小僧ーーっ!」

「おっちゃん! 無事だったの……ヌワーっ何、なんで抱きついてくるのぉ」


 第一シェルターに避難してライト=シーブラックが最初に会ったのは、パン屋の店主だった。彼は少年を見るやいなやそのでかい図体でドカドカ迫ってきたのだ。ライトも見つけた時は喜んで近寄ったが、近づくにつれ減速し最後はもはや逃げていた。

 捕まった胸の中でもがいてみるが効果はない。むしろ逃さないように強くなった。どうして。


「心配だったんだぞ……」

「うん。……泣いてるの?」

「泣いてねぇよ!」

「ほら、声で、わかるってばっ」

「……お前も泣いてねぇか?」

「泣いてねぇ!」


 抱き合いながら言い合って、沈黙すれば涙をのんだ。それでやっぱり我慢できなかったので二人共大泣きした。落ち着くと、今度は周りの視線が気になったのか二人はバッと離れる。案の定皆が見ていた。


「もう離すなよー」「お子さん無事でよかったな!」「グスッうう~~、見つかってよかったね」「子供にしてはデカくねぇか……?」「早速浮気かジョン!」「私は祝福するわーー!! あっ鼻血が」


「誤解ですっ!」「誤解だ!」


 周りがすっかり騒がしくなってライトは気付く。こういうのは逃げて良いのだと。むしろ逃げるが勝ちである。赤面した顔を覆いながら、見覚えのある顔が見えたのでそちらへ向かう。


「おにーさん!」

「やークフッ。随分グッ……アツアツだったねあっはははは」

「我慢しきれてないんですけど」


 それはククルカン……黒髪の青年だった。ホントにずっと笑ってるなこの人。少年は気になるものを手にする青年に尋ねる。

 それは剣だった。あの時、ゴーグルから出てきた剣。


「ああ、これ? 僕もなんなのかわかんないのさ」

「そうなんですか? そのゴーグルから出てきたのに」

「ま、帰って聞いてみるよ」


 もうひとつ。聞いておきたいことを尋ねる。


「……隣町で、魔獣相手に暴れた天魔。あなたのことだったんですね」

「そうだよ。『町落とし』、大陸を渡ってはるばるご苦労だったけど疲れてたんだね。楽に終わったよ」

「あなたから見れば全部楽ですよ」

「……怖いかい?」

「何がですか」

「その、僕が」


 ああ、なんだ。


「いえ全然。あなたは頼もしくて笑顔の似合う、僕の恩人です。それ以下でもそれ以上でもありません」


 そう伝えると、ククルカンは今日一番の笑顔を見せた。もはや顔の周りに花が咲いている。だがそれは意外にすぐに曇った。

 青年は名残惜しいようだ。ずっと笑顔の人だったが、初めて悲しそうな表情をするのをライトは見た。


「さようなら、ライト君。願わくば君の道端に、数多の幸運が転がらんことを」

「はい。助けてくれてありがとうございました。これからもお元気で。……なんだか、絶妙に微妙な祈りの言葉ですね」

「幸福っていうのはそこらへんにいっぱいあるもんさ~。探しにいけばすぐに見つかるよ。例えばそう、道歩いてたら犬に噛まれるとかね」

「探してもないし幸運でもないです」

「犬はかわいいでしょ?」

「めっちゃポジティブですね」


 でしょ~? 青年はそう答える。つられてライトもクスクス笑ってしまった。

 最後の最後まで、笑いの絶えない人だった。



◆ ◆ ◆ ◆



 世界は回る、滞りなく。


「号外ごうがーい! 今日の記事はとびきりだよー!」


 朝を告げる鐘の音のあと、まだ夜の闇が染み付いた大通りの道。人と馬車と電気自動車のまだらに、朝の新聞屋がそれを知らせる。その小さな体躯は軽い靴音でリズムを刻み、人混みをかき分けたったたったと看板のかかったドアをくぐった。


「ジョンさんオハヨー! 今日も朝早いね、エライエライ!」

「おうおはよう。ライト、お前今日は朝早いんだな? 昨日あんなに泣いてたのによ」

「う、うるさい! ……その顔イラッとする」

「ぶはっごめん」

「何、騒がしい……あぁ、ライト君。おはよう」

「おはようミラさん。ご夫婦揃って仲がよろしいようで」

「ミラに下世話なのはやめてくれよライ」

「あら、今は朝だけど夜はもっとよろしくなるわよ?」

「ミラ……?」


 結局、あの怪人はこの街の三六五分の一日に彩りを与えただけに終わった。死傷者は数十名。捕虜として連れ去られていた人は回収され入院と調査。だいたい一週間前後で退院となる。ただそれだけで、人の往来に変わりはない。朝日が東から昇るように人は会社に通勤する。

 一人の新聞配達人の人生を変えた、大きな長い、あっという間の一日だった。


「今日までか」

「うん、いつも配達してた人達にやめますって言いたいから。最後の新聞もらってきた」


 天魔ヴィゾフニルは群体にして一体の天魔。あの怪人の目的がなんだったのかは誰も知らない。


「会社には怪我をしてあんまり歩けなくなったってことにしたよ。というか、びっくりしたよ! オレの給料ぬいてたやつが急いで金下ろしてきて、『色つけてある! 達者でな』だってさ」

「ほう!」


 この街にやってきた、友好的な天魔の目的も、誰も知らない。


「これ、最後の新聞配達だよ」

「……うむ。しかと受け取った」

「じゃ、改めまして!」


 それでも世界は回って、回り続ける。

 本日は 晴天なり。



「ライト=シーブラックです。明日からよろしくお願いします!」



 呼んでいただきありがとうございます。

 処女作で大変緊張しております次第です。プロットからしっかり作ったのにいざ書き始めると、知らない新聞屋と知らないパン屋と知らない物語が始まりましてびっくりしました。主人公のはずだった天魔ククルカンがなぜか不思議なおにーさん枠に……読み切りかな?

 好評だったら連載してみます。

 これからの千歳卜部せんせいの作品にご期待ください!

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