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第20話 リアルデビル

 さて、作戦から外れてしまい、ここからどうしよう。と竜樹が思案していると、やっと挑発されたと思い至ったのか、健司がさらに襲いかかってきた。

 竜樹のコートを左手で掴んだまま、右腕を大きく引いてフックを繰り出そうとしている。竜樹は焦らなかった。健司のパンチなど、かわすのは楽勝だ。膝を軽く曲げて健司に空振りさせると、そのまま背後に回って健司の腕を背中にひねり上げた。


「痛ってえな! 離せよ、この野郎!」


 竜樹に腕をとられて暴れる健司は、体勢を崩して床に倒れた。

 そのまま竜樹も床に膝をつき、右腕を掴んだまま健司の肩の下に腰を入れ、両脚を健司の首と胸の上に置く。そして腕を思いきり伸ばして引いた。腕ひしぎ十字固めがきまり、健司は悲鳴を上げながら竜樹の脚をタップする。健司の肘がギシッと軋むのが竜樹の脚に伝わった。力は緩めたが、掴んだ腕を放すことはなかった。


 襲いかかってきた健司の暴力から逃れ、逆に関節技をかけて拘束する竜樹。周囲の人からは、健司が加害者に見えるようにしたつもりだが、これではどちらともつかない、かなり微妙な光景だ。

 喧嘩と思った人もいるだろうが、もしかしたらバラエティ番組の撮影だと思われているかもしれない。スマートフォンを構えた人が何人か、初めは遠巻きだったが、ひとりが近づいてくると、その数は徐々に増えてくる。


――隊長! 俺、どうすればいいすかね? 


 竜樹がじりじりと焦り始めたとき、近くで成り行きを見守っていた藤倉がやってきた。


「おい、これでわかっただろう。俺たちは野村彩をお前に会わせることは決してない。もう付きまとうのはよせ」


 静かに諭そうとする藤倉に、健司はなおも悪態をついた。


「うるせえんだよ! お前らに俺の何がわかるんだよ!」

「……他人にわかってもらえるような何かを、お前が持っているとは思えんがな」


 いきり立つ健司に対し、藤倉は眉ひとつ動かさずに答える。


――隊長、超かっこいいです!


 竜樹はブリクサを見ているような気持ちで藤倉を見上げる。そろそろ健司をはなしてやろうと思った時、周囲の人だかりの中の誰かが話す声がはっきりと聞こえた。


「ねえ、あの人マティアスに似てない? で、立ってる方の人はブリクサにそっくりじゃん」

「やだやだ、ホントだ! もしかしてこれって『片翼の悪魔』の実写の撮影? 実写化の話なんかあったっけ?」


 マティアスとは、いま連載しているパートで最近登場した、新人のデビルだ。「俺ってマティアスに似てたのか」と、竜樹は内心で喜んでいたが、ギャラリーからそう見えてしまうなら、そのように振る舞った方がいいのだろうかとも考える。


――そういえば、こいつのオフホワイトのピーコートって、エンジェルっぽいかも。


 つい先ほどまでの人だかりは、喧嘩ではないとわかると、興味を失って立ち去る人がほとんどだった。今は、おそらく『片翼の悪魔』のファンと思われる男女が二十名ほど、遠巻きに見ているだけだ。

 竜樹は昨日からずっと続いていた緊張状態からやっと解放されたような気になり、つい注目されたことを意識したアドリブを繰り出す。


「隊長、こいつは例の亜種かもしれません。ここで殺さずに連行した方がいいでしょうか」


 竜樹のなりきりぶりに、藤倉は一瞬こたえにつまる。


――お前、作戦からずいぶん外れた上に妙なアドリブをぶちかましやがって……。


 藤倉はうつむいたまま素早く周囲を見回した。もうそれほど目立ってもいないようだ。竜樹と健司との三人で、「ごっこ遊び」をしていると思われるなら、それもいいかもしれない。


――いや、いい訳がない。俺はお前らと違って大人なんだぞ。


 藤倉は逡巡しながらも、ブリクサとしては迷うべきシーンではないと、腹をくくる。


「そうだな。そのまま連れて行け」


 言いながら顔が熱くなるのを自覚するが、身体を駆け巡る謎の高揚感に、公共の場にいることを忘れそうになる。彩の哀しげな横顔を思い出し、この健司を何とかして彩に近づかせないようにするには、エンジェルを隔離する施設に入れるしかないような気がしてくる。


「了解です。ほら、立てるか」


 さわやかな笑顔で、健司に手を差し伸べる竜樹。「お前、この後どうするかビジョンはあるんだろうな」と、やや心配になりながらも、とりあえず駅に隣接した交番に連れていくしかないと、藤倉は考えた。


 竜樹の手を振り払い、伸びきった右腕の腱をさすりながら、のろのろと健司が立ちあがった時、通路の向こうから制服警官がふたり、走ってくるのが見えた。


「駅から来た人に、見に行ってくれと言われたので来てみたんですが、どういう状況ですか?」


 交番勤務の警官は、竜樹の話を聞きながらメモを取り、三人それぞれに名前を訊いた。


「清水竜樹です」

「藤倉一臣」

「伊坂健司」


 健司の名前を聞いた警官の眉がピクッと反応した。手帳から顔を上げ、健司の顔をまじまじと見る。もう一人に聴取を任せて数歩後ろに下がると、無線でなにやら通信している。


「了解しました。調布駅前です。はい」


 無線を終えた警官は、「じゃあ、三人ともちょっと交番まで一緒に行きましょう」と促す。

 警察署に行くのは作戦通りだったので、竜樹と藤倉は静かに従ったが、健司は抵抗を見せた。


「なんもやってねえよ! 俺は行かねえよ」


 警官が健司の脇につき、そっと腕をとる。


「わかったわかった。話は下で聴くからね、とりあえず行こう」


 警官に伴われ、商業施設への連絡通路に向かう藤倉と竜樹は、その先で待機している萌々花と目が合った。

 交番はその通路の先のエスカレーターを降りたところにある。

 藤倉は、萌々花と並んで立つ彩の前を通過することが気になったが、その場を去るか、留まるかは、彩自身が判断するだろう。


 健司は両側から警官に腕を掴まれ、手錠こそ掛けられてはいないが、確保されたことは誰の目にも明らかだ。終始悪態をつきながら駄々っ子のように連行される健司を見て、彩は後悔するだろうか。だが、それは彩が健司という過去に決別するために必要なことなのかもしれない。


 健司があと数メートルほどの距離まで近づいてきたとき、彩はいったん萌々花の陰に身を隠すようにした。だが、すぐに背筋を伸ばして凛とした表情で前を向く。

 公共の場で醜態をさらし続ける元恋人から目を逸らすことなく、まっすぐに健司を見据えた。ぐずぐずと言い訳じみたことをしゃべり続けている健司は、すぐ近くを通っても彩に気づくことはなかった。歯を食いしばっていた彩は、一気に緊張が解けたのか、大きく息をつく。


 萌々花は目の前を過ぎてゆく藤倉と視線を交わし合い、隣で肩を震わせている彩に、「辛かったね。もう終わったよ」と言って背中からやさしく抱きしめた。




 昨夜の天気予報では、この日曜からかなり冷え込む一週間になりそうだ、と告げていた。都心部でも雪がちらつくかもしれないので、暖かくしてお過ごしください、と。


 クリスマス時季に雪が降るのはロマンチックでいいが、都会の仕組みは、気象の変化にとても弱い。大雨が降っても、雪がほんの二センチ積もっても、電車が止まってしまうことさえあるのだ。

 そして自分も含め、そういった公共の交通機関が機能しなければ、仕事にも娯楽にも、多大な影響を受ける。

 ベッドから起き出した萌々花は、そんなことをぼんやりと考えながら、窓際のオイルヒーターの上に手をかざし、カーテンの隙間から庭を眺めてはガラスに息を吐きかける。新たに出現した白い丸の中にハートを描き、パジャマの上から薄いカーディガンを羽織って階下に降りた。


 千鶴子はキッチンで何か作っているらしい。コンソメのいい香りがする。

 萌々花はそのまま玄関の沓脱に下り、新聞を取りに出ようとするが、先月いっぱいで解約したのだと思い出す。


 長年のクセで、なにも思わずに行動してしまう。幼いころから新聞を取ってくるのは萌々花の役目で、毎朝、先にテーブルに着いている父に届けるのは、ちょっぴり嬉しくて、萌々花の小さな誇りでもあった。



 千鶴子と一緒に朝食を摂り、マグカップに注いだコーヒーを持って仕事部屋に入る。パソコンを起動させ、ニュースサイトを一通り眺めてトピックをチェックする。

 若く美しい女性が主人公である漫画を連載している萌々花にとって、流行りのファッションやメイクをいち早く漫画に活かすのも重要な仕事なのだ。


 昨日のことは、彩にとって今までの人生で最大級に辛い出来事だっただろう。この十日間ほどの彩の心労を思うと、今日はゆっくりと休ませてあげたかったが、彩はみんなといつも通り仕事がしたいと言った。

 いつもの日常にいることで彩が安心するなら、きっとその方がいいのだろう。萌々花も彩の元気な顔を見たかった。

 彩と竜樹が出勤してくるまで、あと一時間。彩を喜ばせるためにも、十五話の順位はぜひとも今月号と同じ、四位前後であるように、と願った。とその時、萌々花のスマートフォンが鳴った。

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