国王不在の間に聖女をクビにしてやった!~元に戻そうとしたってもう遅い~
「マリア・ローズ。君を聖女から解任する」
なんの前触れもなく神殿に現れたかと思ったら突然、そう言い出したのはこの国の第一王子。太い眉に深緑色の瞳が印象的な美青年、ギルバート殿下だった。
ギルバート殿下は眉目秀麗、頭の回転が速く語学も堪能、剣の腕もある立派な王子だ。その優秀さは他国にも認められていて、即位の日を待ちわびている者も多いという。
そんなギルバート殿下だが、欠点もあった。論理的に物事を考えるあまり、感情がなく冷徹に見える。一度、決めたことを何がなんでもやりとげる頑固さを持つ。とはいえそれも見方を変えれば、長所になりうるところなのだが……たった今、聖女の座を奪われた私は溜め息をつく。
こんな日が来るのではないかと思っていた。
この国の全ての女子が受けなければならない聖女認定試験をただ一人、突破した私は汚い孤児院からここに連れてこられそれからずっと、聖女として働き続けていた。国王から一度、聖女に任命されたら生涯その役目から逃れられないのだ。周囲の者は私のことを「成り上がり」「とんでもない幸運の持ち主」だなんて言うが、仮に聖女にならなかったとしても私は適当に働く術を探してのほほんと生きてきただろう。職業が「侍女」や「針子」ではなく「聖女」になった、というだけで私自身は何も変わっていないのだ。それを特に幸せとも不幸だとも思ったことはない。淡々と仕事をこなし、何の面白みもない人生を送る。私はそれで、別にいいと思っていた。
だがギルバート殿下の方は、そうでもなかったのだろう。国の平和を担う聖女は民からの支持も厚く、時に王族より強い発言権を持つこともある。それを忌み嫌い、聖女を目障りだと思う人間も一定数いるのだ。加えて、私自身の地味な顔立ち――貴族の女性たちのように華やかに自分を飾ることなく、ぱさついた茶髪を短く切り込んだその姿は世の男性たちから軽んじられても仕方がない見た目をしている。陰で「あんなブスが聖女だなんて」と笑われたことも、一度や二度ではないのだ。ギルバート殿下のような美しい人間にとって私はさぞかし惨めで、暗い存在に見えるのだろう。
そんな私と正反対の美少女が、最近ギルバート殿下の心を射止めたらしく……眩しいピンク色の髪が目を惹く侯爵令嬢フローラ・ブロッサム様が反聖女派なのを知った時、私はギルバート殿下にこう言われる日が来るのではないかと思っていた。
現国王陛下は不在。国民はフローラ様の美貌に夢中。今は私という邪魔者を排する絶好のチャンスなのだ、これを逃すほどギルバート殿下はお人よしではない。
平民に戻れたら適当に働き口を見つけなきゃな、国外追放になったら外国語は通じるかしら。あぁ、でも謂れのない罪で処刑とかなったらどうしよう――そんなことをあれこれ考える私に向かってギルバート殿下は冷たい声音で、言葉を吐く。
「マリア・ローズの聖女の務めはまず朝から清めのために何度も体を洗い、それが終わると息つく暇もなく国全体を覆う結界を張らされる。その後は国内に侵入してくる魔物がいないかを監視するのが聖女の仕事、で間違いないな?」
なんでそんなに私のことに詳しいの?
王家の影とかに調査させたのかな、と考えながら頷く私に向かって、ギルバート殿下は続ける。
「君は侍女の一人もつけず、全てをたった一人でこなしているな。魔物と戦えば膨大な魔力を消費するが、それでも休むことは許されない。食事といえば聖女業務の片手間に食べられるサンドイッチや手の平に収まるほどのパンばかり。はっきり言って、平民の方がまだマシなものを食べている。現に君は栄養失調で肌は乾燥しているし体全体も痩せこけている。これも、また事実だな?」
「……仰る通りです」
なんかストレートに見た目をディスられたんだけど。
え? 何この人、私を貶しに来たの? 普通に「聖女クビ、出ていけ」の二言じゃダメなの? と心の中でツッコミまくる私をよそに、王子の後ろから麗しい見た目の少女が現れる。
「ちょっとギルバート様ぁ、女の子の外見を貶すなんて最低の最低、クズ・ゴミ・カスですよ? 今度、同じことをしたら鼻の穴にユニコーンの角をぶっこんじゃいますからね?」
さらっと恐ろしいことを言ってのけたのは、噂の美少女であるフローラ様だ。二人して私を嘲笑いに来たのか? と眉をよせる私の前でフローラ様は完璧な淑女の礼をしたかと思うと、急に鋭い顔つきになりしゃん、と背筋を伸ばす。
「ご存知かと思いますが我が家、ブロッサム侯爵家は反聖女派として長年この国の聖女制度に苦言を呈してきました。そこに『侯爵家である我が家の立場』という私的な事情を挟んでいることは否定できませんが、それでもこの国の聖女制度は穴が多い。そこで私どもブロッサム家は聖女制度に代わる新たな国防の手段を長年、考案し続けてきたのです」
……なんかこの人、急にイメージが変わったな。
春の陽気を閉じ込めたようなふわふわなピンク色の髪なのに、その可愛らしい顔からはものすごい知的な話し方が飛び出してきて……そのギャップに驚いていると、ギルバート殿下が再び口を開く。
「フローラの言う通りだ。国防は国家として果たすべき重大な任務だが、それをたった一人の聖女に押し付けるのは無責任かつ危険すぎる。聖女が自らの任を盾に権力を振りかざし、民を虐げるようになったら? 何らかの事情で聖女が不在となり、国を守る力がなくなったら? そのような問題を全て放置し、『聖女』という肩書きで神秘性を持たせ国としての体裁をとっている。これは非常に旧時代的で危険性も高く、好ましくないことだ」
「は、はぁ……」
そんなこと、ちっとも考えたことないんだけど。
私はずっと聖女として 働いていて、勉強していないからなのか殿下の言うことはよくわからない。ただ難しい顔で、じっくり考え込むような仕草をしているところを見るととにかく真剣な話をしているようだ。そんなギルバート殿下に次いで、フローラ様がまた美しい居住まいで言葉を紡ぐ。
「我がブロッサム家の人間は男女を問わず、聖女制度に代わる新たな方法――複数人による結界の形成、並びにその維持を可能とする技術の研究開発に心血を注いできました。ちなみに私の髪がピンク色になったのはその計画の最中に行われた実験で、爆発に巻き込まれたからです」
そんなことある?
フローラ様以外でピンク色の髪の人なんて見たことないけど、これからは「ピンク色の髪の人はみんな爆発で髪の色が変わった」と考えていいのだろうか……たぶん違う気がするけど、もはや呆然と二人の会話を聞くしかできない私にギルバート殿下は告げる。
「そうしてブロッサム侯爵がついに新たな国防の方法――聖女の力の代わりに、聖なる力を授けた石を中心とし結界を張ることが可能であること、それによって聖女制度を廃しても問題ないほどの力を所持することが可能であると証明された。だが父上……現国王陛下はそれを良しとしなかった」
苦虫を嚙み潰したような表情のギルバート殿下に代わり、フローラ様がいきなり淑やかな態度を解いて人差し指を頬に当ててみせる。
「えーっとぉ、ざっくり言うと私みたいな反聖女派の貴族が力を持つとそれを嫌だ、って思う人たちも出てくるんですよね。特に今の国王陛下はものすごーく頭が固いですし……その人たちは今の聖女であるマリア様を担ぎ出すと思うので、そうなると国がぱっかんって割れちゃうかもなんです。だから今、国王陛下がいないこのタイミングでマリア様には『解雇』という形でここから消えてほしいのです。あ、今のはそんな物騒な意味じゃないので気にしないでくださいね?」
見ていて気持ちが良くなるほどのぶりっ子っぷりは、先ほどの知的な言動が嘘のようでそのギャップに私は戸惑ってしまう。一体どっちがこの人の本音なんだろう、なんて逡巡しているとギルバート殿下がふいに柔らかい声で私に話しかける。
「つまり、君はこれから先この国の火種になりかねないんだ。身勝手な要求であることは重々承知している。私を好きなだけ罵ってくれてもいい。だがどうか、この国のために聖女の任を退いてくれないだろうか」
穏やかに言い含めるようなその口調に、私はしばらく考え込む。
要するに、「聖女」としての私はいらなくなったが、だからと言って私をほったらかしにしていくわけにはいかないらしい。フローラ様とギルバート殿下の人気を考えればぶっちゃけ私にそこまでの価値はないと思うんだけど、「やっぱり聖女がいた方がいい!」と思ってくれる人もいる、かもしれないということだ。だから今、私を「解雇」という形で追い出そうとしている。それ自体は正直、理不尽だし怒るべきなのかもしれないが――私はその怒りすら湧かず、呆然とするしかできなかった。
「私は、これからどうすればいいんでしょうか」
淡々と尋ねれば、ギルバート殿下が深緑色の瞳を困惑に染める。だけど、私は聖女を辞めさせられるという事態になってもそれぐらいの言葉しか出てこなかった。ただ漠然とした不安と、空虚感に苛まれる私はそのままぽつり、ぽつりと喋りだす。
「私は孤児院にいたので家族がいません。ずっと聖女だったので勉強もできません。聖女の仕事以外に何ができるか、何がしたいか私は自分自身でもわからないのです。ギルバート殿下、私はこれからどうすれば良いのでしょう」
子どもの時に「聖女」と認定され、ずっと働き続けた私は何もわからない。貴族のお嬢様方が豪華なドレスを着ていたり、平民の少女たちが楽しそうにきゃっきゃとはしゃいでいるのを見ても私にとっては全て遠い世界のことのようで現実感が湧かなかった。だから聖女でなくなった今、私はとにかく自分のこれからが見えなかった。……私はそれだけ空っぽの人間なのだ。中身のない、平坦な自分に呆れることしかできない私へ「それならぁ」と能天気なフローラ様の声が聞こえてくる。
「色々やってみるといいと思いますよ。どの道、あなたの身柄は我がブロッサム侯爵家が保障するつもりだったのでとりあえずウチのお屋敷に来てください。美味しいものを食べて、ゆっくり寝て、オシャレすればきっと気分も上がりますよ。だからやりたいことを見つけてみましょう。聖女だけが、マリア様の生きる道じゃありませんから」
その言葉に、私は一瞬きょとんとする。それから暗い道にふと、明かりが差し込んだように自分の視界が開けていくのを感じた。
聖女だけが、私の生きる道ではない。そんなことを誰かに言われたのは初めてだ。だけど、気がつけば当然のこと。私は聖女じゃなくたってどうにかして生きてきただろうし、そうなればそうなったできっと今とは違う道があったのだろう。ただ、今はずっとしがみついてた聖女の立場から解放されて戸惑っているだけで――きっと私にも生きる道があるのだ。フローラ様のような貴族の令嬢になれなくても、どこにでもいる普通の人間になることはできる。私には、私の生きる道があるのだ。その事実で急に力が抜けた私は――気がつけばその場にへたり込んでいた。
「マリア、大丈夫か!?」
「マリア様!?」
心配そうに尋ねるギルバート殿下とフローラ様に、私は大丈夫と頷き立ち上がる。それからゆっくりと深呼吸をし、フローラ様に頭を下げる。
「ありがとうございます、フローラ様。私、しばらく自由に色々やってみたいと思います。できれば勉強もしてみたいです。だから、よろしくお願いいたします」
フローラ様みたいに頭がピンク色になるのは正直嫌だけど、私は実は色んな物事を学んでみたいと思っていた。だからフローラ様の元で、新たな国防についての知識を得られるのならそれはとても面白いことだと思う。いきなり転がり込んできた「自由」はなんだかよくわからなくて、不安も大きいが期待もある。これからどうなるかわからないが、聖女を辞めるのは私マリア・ローズの新たな人生の門出として捉えてみても良いだろう。
今まで希望なんて抱いたことはなかったけど、これからはそんな希望を抱けるチャンスがある――そう考えながら私は「全然大丈夫! むしろ大歓迎!」と喜ぶフローラ様にそっと、微笑みかけるのだった。
◇
「ところで、ギルバート殿下はなぜ聖女の仕事に詳しかったのですか? 事前に情報を仕入れていたのでしょうか?」
「あー、それは王子がマリア様をスト……ストイックに観察してるヘンタ……大変、素晴らしい方だからですよ」
「フローラ、何か言いかけようとしなかったか?」
「いえいえ! 何も!」
……ギルバート殿下とフローラ様が恋仲という情報が実はフェイクで、全ては聖女制度を撤廃するために動いていたと知るのはもう少し先の話。
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