るな 弐
「あー、楽しかった。やっぱ、ちゃんとしたキャッチャーいたら、投げやすくっていいわ」
るなが笑顔でマウンドから戻ってきた。
「川崎、高校野球でも十分通用するんちゃうか」
「でしょう。わたしも考えたんですよ。でも、高校野球って男尊女卑じゃないですか。それに、このあたりで女の子いれてくれるまともな野球部のあるガッコ、ないんですよね」
「今、どこの学校行ってるん?」
「やだ、でんにですよ。だから今日、珠子といっしょに来たんじゃないですか」
「でんにかいな。女子高やったら、さすがに野球部はないわな」
「まだね。仕方ないから、ソフトボール部にしました。でも、女子も決勝戦は甲子園でやってくれることになりましたから、そのうち野球部を立ち上げてもいいよね、とは言ってます」
そこに監督がやって来て言った。
「川崎、せっかくだから、バッティングピッチャーやってくれるか」
「わーお、やります、やりまーす」
るなは一目散にマウンドに走っていった。
「少年、いくぞー」
ずっぱあーん!
「はっええぇ」
「川崎、ど真ん中な、ど真ん中。おい、魚崎ぃ、真ん中にしか来ないんだから、思いっきり振ってけよ」
マスクをかぶってミットを構えた新在家に、そう言われた六年生の男の子は、「はいっ!」と元気よく返事すると、二球目を強振した。
ギンっ!
ボテボテのサードゴロ。
「少年、よく当てたなあ」
るなが楽しそうに振りかぶる。軽く投げているけど、子どものタマよりよっぽど速い。でも、子どもは子どもで嬉しそうだ。
キンっ!
いい音。ボールがショートの頭を越えて、レフト前で弾んだ。
るなが打球の行方を見届けた後で、振り返ってバッターに笑顔を見せた。
「ナイスバッチン! いい振りだったぞ、少年!」
褒められた魚崎君は照れたような顔をした。かわいい。
「あの子がでんにに入ったとはねえ」
珠子のすぐ横で、いきなり声がした。三宮ママだった。
いつからそこにいるんですか、三宮さん。
「去年の南中はホントに凄かったのよ。全国大会まで行くんじゃないかって言われてたし」
珠子は当時、野球にさほど興味がなかったから、そんなこと、まるで知らなかった。
「南中のWエースの一人とかって、監督言ってましたね」
「そう、男の子の強打者をバッタバッタと打ち取って行くんだもん。もう胸がすくって言うか。みんなできゃあきゃあ言ってたのよ。打つ方でも、すごい当たりをかっ飛ばしてたし」
練習が終わった。
「川崎さんに、礼!」
キャプテンの大きな声に、グラウンドに一列に並んだタイガースの子どもたちが、一斉にるなに頭を下げた。
「ありがとうございました!」
るなは笑顔で言った。
「今日はとても楽しかった。みんな、ありがとう! また来てもいい?」
子どもたちが叫ぶように「来てー、来てー」と答えた。
「じゃあ、また来るねー! いっしょに練習しよーね!」
「やったあ」
六年生の魚崎君や青木君、三宮君、西灘君が「今度は絶対に打ってみせるからね」と、るなを取り囲んだ。
「おー、その意気だ、少年! わたしのタマ打てるようになったら、どんなピッチャーが来ても怖くないぞ」
「本当?」
「ホント、ホント。どんどん投げてあげるから、毎日しっかり素振りするんだぞ。バッティングはね、毎日毎日、振り込んだ分だけ上手くなるんだから」
子どもたちの目がきらきらと輝いた。
珠子は、るなといっしょに家路についた。
「すっかりアイドルだね」
「少年野球はいいね。素直に野球楽しめばいいんだから」
「るなって、エースだったんだね」
「へっへー、見直した?」
「いつから野球始めたの?」
「小学一年からだよ」
「そんな小さいときから! やっぱ、それくらいから始めるべきだったのかな」
「なんの話?」
珠子は大翔をちらりと見てから言った。
「この子さ、ついこの間、入ったばっかなんだけど、もう三年生なんだよね」
「それで?」
「もっと早くから入ったほうがよかったのかなって」
るなは、あはははははと笑った。
「始めたいと思った時が入り時だよ、そんなの。五年生から始めてプロになった人だっているんだから。始めるのに遅すぎるなんてことないよ」
そうして、しゃがむと、大翔の目線に合わせて、
「なー、やってみたくなったんだよなあ、少年」
と言って、その頭を撫でた。
始めるのに遅すぎることはない・・・か。そうかもね。
「でもさ、珠子もなかなかいい線いってるよ」
はい?
「珠子、ぜったいに野球のセンスあるよ」
るなって、なに言ってるの?
「じゃあね、わたし、こっちだから。またタイガースにも顔出すわ」
るなが右手を高々と上げて、夕陽に向かって走ってゆく。その姿が見えなくなるまで、珠子はぼんやりと眺めていた。