次の日 壱
次の日の四月三十日。
珠子が大翔を連れて第三公園に行くと、杭瀬ママが「やっほー」と軽いノリでそばに寄ってきた。
「たまちゃん、たまちゃん。今日は練習が昼までだけど、そのあと予定とかある?」
なになに? あたし、誘われてるの?
「別に、なにも、予定なんてないですけど」
「じゃあさあ、ごはんご一緒しない? 大翔君も連れておいで」
「ごはん・・・ですか?」
横から「裕子、それじゃ、なに誘われてるかわかんないよ」と言いながら、女の人が割って入ってきた。上品な顔をした人だった。あ、えーと、この人は。。。
「あ、ごめんね。今日ね、四年生以下のママたちが集まって、夜、ちょっとしたパーティするの。子どもたちも集まるから、一緒にどうかなって思って」
パーティ? なんだかよくわからないけど、お父さんは今晩も帰ってこないから、夜のパーティなら、家でお夕飯を作らなくてもいいってことかな。
「じゃあ、参加させていただきます」
「決まりね。じゃあ、今日の五時に。場所はあとで地図見せてあげる」
「あの」
「なに?」
「今津珠子です。よろしくお願いします」
「ああ、そうね。自己紹介まだだったわね。わたしは福島明里。よろしくね」
「知ってた? たまちゃん、でんになんだよ。後輩! 後輩!」
杭瀬が福島に言った。
「裕子、後輩が入ってきてくれてうれしいの?」
「そりゃあ、三宮先輩には頭上がらないですからねえ」
「誰に頭が上がらないってえ?」
杭瀬の後ろから三宮が声をかける。
「あれえ? 先輩、いたんですかあ?」
なんだかこのチームのママたちって、とっても仲がよさそうだ。こんな雰囲気に入ることができるのかな。
その日の練習は午前中だけだったけど、昨日より日射しが強くて、とても暑かった。中のTシャツを青にした珠子は、ジャージの上を早々に脱いだ。
昨日同様、新在家はじめコーチ数人にピッチング指導を受け、最後は子どもたちに混じって、ノックまで受けた。なんで、こんなことしてんだろと思いながら。
そのとき、初めてチームにいる女の子二人と話をすることができた。
ひとりは、石屋川萌子ちゃん、四年生。大柄でちょっと怒ったような表情をしてる。
もうひとりは、御影千尋ちゃん、三年生。小柄で口数は少ないけど、動きが軽快だ。
二人とも、野球はとても上手だ。大翔とは比べものにならない。昨日、お風呂場で「大丈夫」なんて言ったけど、大翔が二人みたいに上手に動ける日は来るのだろうか。
午前中の練習が終わって、マンションに帰ってから、姉弟二人でシャワーを浴びた。汚れたユニフォームの下洗いをした。それから、お昼にした。冷凍ピラフをチンする。大翔はハフハフ言いながら食べた。後片付け。洗濯物を干す。終わったら、二時を過ぎていた。せっかくシャワーを浴びたのに、また汗が出る。
ちょっと疲れた。
珠子は和室の畳の上で横になった。すぐに大翔が寄ってきて、横に寝転がった。暑いのに、くっついてくる。昔、甘えたがる子どもには、存分に甘えさせてあげるのがいいと聞いたことがある。まだ珠子が小学生の頃のことだ。大翔の頭を撫でてやる。安心感に包まれた大翔の表情。でも、これでいいんだろうか。この子もいつまでも子どものままじゃない。よくわからない。
気がついたら、もう四時だった。
いけない、寝入ってしまった。
大翔が珠子の胸に顔を埋めるようにして、寝息を立てている。表情はまだまだ幼い。
お姉ちゃんがうたた寝したから、あんたも一緒に寝ちゃったのね。今晩はなかなか寝ないんだろうな。大翔が夜寝ないときは、じゃれついてくるから、疲れるんだけど。今晩は、杭瀬さんちでお呼ばれだから、適度に疲れてくれたらいいんだけど。
「ひろちゃん、起きなさい。杭瀬君ちに行くよ」
大翔はパッと起きた。お呼ばれが楽しみなんだ。珠子は顔を洗って、髪に櫛を通した。どんな格好で行こうか。
「たまちゃん、かわいい!」
ふと、杭瀬ママの顔が浮かんだ。絶対、何か言われる気がした。
春っぽいスカイブルーのTシャツに、白の七分袖を羽織り、水色の水玉模様のスカートをはいて、珠子は大翔と共に杭瀬さんちの前に立った。
「ひろちゃん」
「なに」
「あんた、杭瀬君ちに来たことあるの?」
「ないよ」
「すごい家だね」
目の前に、瓦まで載った巨大な黒門があった。白塗りの壁がその左右に延々と続いている。大きな表札に、「杭瀬」と毛筆体で大書してある。
「お掃除するの、大変だね」
大翔の返事に、珠子は笑った。
「だよね」
珠子が呼び鈴を押すと、インタフォン越しに、豪邸とは似合わない軽い声がした。
「たまちゃん! 待ってたよー! 今、開けるね」
カチッと音がして、門がギギイーと開いた。二人して「おおっ」と声を出す。
門の向こうは青々とした芝生が広がっていて、奥にバルコニーのついた異人館のような家がでんと建っていた。芝生の真ん中に子どもとお母さんが集まっていた。
「お姉ちゃん、バーベキューだよ」
大翔が指差した。その指差した方から、杭瀬ママが小走りでやってきた。
「おー、たまちゃん、今日はようこそ」
「なんだか、すごいおうちですね」
「おじいちゃんちだよ。あたしんちは、ごく普通のマンションです」
杭瀬ママは「ごく普通の」を強調するように言った。こんな実家を持ってると、「すごいすごい」といつも言われるから、普通を強調したいのかな。
「さ、早くおいで。ひろちゃんもよく来たね。みんないるから、楽しいぞ」
大翔は青々した芝生の上を駆けていった。あたしも走ってみたいと、珠子は思った。