入団!
「ひろちゃーん、ひろちゃーん」
遠くで自分を呼ぶ声がする。
朝が来たのだ。部屋に光が射している。大翔はのろのろと布団から這い出した。大翔の左隣の布団は綺麗に上げられている。
畳部屋に近づく足音がしたと思うと、頭上から声が降ってきた。
「もう起きなさい。あんた、今日から野球やるんでしょ」
姉の珠子が顔を出した。エプロン姿で、片手に箸を持っている。
「今日はお姉ちゃんも一緒に行くんだから、早くなさい」
大翔は小学三年生。今日、四月二十九日から少年野球チームの田園タイガースに入ることになった。
大翔が少年野球チームに連れて行かれたのは三月の半ば。
「あんたも三年生になるんだから、スポーツでもしたほうがいいね」
四月から高校生になる姉の一言で、ある土曜日の朝、大翔はよくわからないまま、公園まで連れて行かれた。そこでは、ユニフォームに身を包んだ子どもたちが野球をしていた。学校で同じクラスの子もいた。
「今津ぅ」
知ってる子から声をかけられた。
「今津も野球するの」
「うん・・・わかんない」
大翔は素直に答えた。
「なんだぁ。入れよ、面白いぞぉ」
大翔は困った。姉に連れてこられただけなのだ。もじもじしていると、珠子が大翔の頭をぐっと押さえて言った。
「入るよ。よろしくね!」
突然、自分たちよりよっぽど年上の女が出てきて、大翔に声をかけた少年はどう答えていいのかわからなかった。
高校入試の結果発表があった二月末、珠子は中学に報告に戻った。
ちょうど職員室から出てきた同じクラスの元町の姿を認めると、すかさず声をかけた。
「元町ぃ、双翼受かった?」
「バッチリバッチリ! 今津は?」
珠子はにっと白い歯を見せた。
「春から、花のでんにせいー」
ひらりと体を回転させてから、親指を立てた。
「双翼」はスポーツ科のある県立高校、「でんに」は田園第二高校の略称で、旧制高等女学校の流れを汲む県立女子高。いずれも地域では名門の誉が高い。
「あ、ちょうどよかった。あのさあ、ちょっと相談あるんだけど」
「おれに? まさか告るとか」
「ばか、元町って、少年野球やってたよね」
珠子は弟の大翔のことを語った。
いつもぼっとしていて、頼りないこと。
男の子だから、なにかスポーツをやらせたいこと。
この間、一緒にテレビを見ていたら、プロ野球のキャンプのニュースを熱心に見てたので、野球はどうかなと思ったこと。
「そんなんで、元町が少年野球やってたこと思い出してさ」
元町は珠子の話を聞きながら、この利発なクラスメイトの家庭事情を思い返した。
今津珠子。
弟が生まれてすぐに母を亡くし、小学生の頃から家事をこなしていたしっかり者。
お母さん連中の受けはすこぶる良くて、褒めない人はいなかった。
家庭科の授業では「完璧主婦」と言われるほど、手際も出来栄えも良かった。
弟はと言えば。
甘えん坊で、いつも珠子の後ろに隠れていたような気がする。弟からすれば、珠子は姉というより母なんだろう。
「明日」
おもむろに元町が言った。
「八時に第三公園に来な。じいちゃんを紹介してやるから」
「じいちゃん?」
「うちのじいちゃん、少年野球チームの代表やってんだよ」
さすが、話が早い。
「ありがとう!」
珠子はぺこりと頭を下げた。
その次の日。
珠子は朝八時に第三公園に行った。
ユニフォーム姿の子どもたちが、わいわいやっている。
大人も幾人かいる。男の人は、子どもたちと同じユニフォーム姿が多い。女の人も五人ほどいる。
そこに元町もいた。
「今津う」
元町が手を振った。珠子はちょっとドキドキしながら、彼の元へ走って行った。
「あれ? 弟は?」
「朝から熱出しちゃって」
大翔は、いつも間がわるい。最初とか、肝心なときに、行けなくなったりする。
ふと気づくと、大人たちが興味深げに珠子を見ている。
場違い、だよね。
「代表」
元町が大柄な男性に声をかけた。
あれが元町のおじいさんなのか、と珠子は思った。恰幅がよく、日焼けした大きな丸顔が、穏やかな笑みを湛えている。
元町が珠子を紹介してくれた。
「昨日、話した今津さんです。弟さんの件でご相談です」
ぴっと背筋を伸ばして話す元町の姿は凛々しかった。けれど、自分のおじいさんに向かって敬語を使う姿は、珠子には少し変な感じがした。
代表が珠子の方を向いた。
なんて優しげな目。
「今津珠子といいます。今日はお話を聞かせていただきたくて、お邪魔しました。よろしくお願いいたします」
「今津さん、話は悠一郎から聞いていますよ。立ち話もなんだから、あちらのテーブルに行きましょう」
珠子は倉庫の前に置かれた組み立て式のテーブルにいざなわれた。女の人たちが「どうぞ」と、椅子を持ってきてくれた。
「じゃあ、おれはこれで」
元町が珠子に手を振った。
「ありがとう!」
珠子は大きな声を出した。大人たちが「悠一郎、また来いよ」と笑顔で元町を見送った。
代表と向き合った珠子は、弟の大翔のことを話した。
甘えん坊で、男の子なのに活発でないこと。話の仕方もハキハキしないこと。次は三年生になるので、ちょっとは逞しくなってほしいこと。
そう言いながら、ついさっきの出掛けのことを思い返していた。
赤い顔に涙目の大翔が「お姉ちゃん、本当に出掛けちゃうの? ぼく、ひとりぼっちになっちゃうよ」と死にそうな声を出した。
「お留守番ぐらいできるでしょ。もっとしっかりなさい」
そう叱り飛ばしてマンションから出てきたのだった。
「あの、そもそものことをお聞きするんですけど」
珠子は代表に尋ねた。
「そんな頼りない子でも、入れていただくことってできますか」
代表は大きな声で笑った。
「今津さん、小学生なんてね、頼りない子ばっかりですよ」
・・・
「頼りない子に、野球を通じてチームプレーを学んでもらうことで、だんだん頼りある子になってもらえればと、私たちは思ってます」
「じゃあ」
「歓迎です。熱が下がったら、いつでもいいから、連れていらっしゃい」
「ありがとうございます!」
熱が下がった大翔を連れて行ったのは、三月半ば。
その後、入るの入らないので煮え切らない大翔を、「いい加減になさい!」と叱りつけ、入団届けを出したのが四月の頭。四月は珠子の「でんに」入学やら、父親が長期出張で不在がちになったこともあって、結局、初めての練習参加がゴールデンウィーク初日に至ったのだ。
すでに夏の気配さえ感じさせる陽の光だった。
珠子は明るい水色のラインが入った白のジャージ姿でマンションを出たが、第三公園に着いた頃には、額にうっすら汗が滲んでいた。大翔は落ち着きのない足取りで、姉のあとをトテトテついてきた。こっちは真新しいタテジマのユニフォーム姿。胸に「Tigers」と黒で書かれている。
公園では、お母さん連中が出迎えてくれた。
「今津さんね」
色白の落ち着いた雰囲気の人が声をかけた。
「はい、今津です。今日から弟がお世話になります。よろしくお願いいたします」
珠子は大きな声で答えると、深々と頭を下げた。その姿にお母さん方から「お〜」と声が漏れた。
「初々しい」
「かわいい」
頭を上げた珠子は、なにか要らぬことでも言ったかと戸惑った。
「お話は代表からも聞いているわ。今日からよろしくね。私は三宮。このチームの役員やってるの。わからないことばかりでしょうけど、なんでも聞いてくれたらいいから」
ハキハキものを言う。わかりやすい。三宮は、そばにいたお母さんひとりひとりを紹介してくれた。
杭瀬さん、御影さん、西灘さん。
「ねえねえ」
杭瀬と言った人が親しげに声をかけてきた。童顔でふんわかした雰囲気の人だった。
「高校生?」
「はい、高一です」
「じゃあ、高校入ったばっかなんだね」
「はい」
三宮さんが「じゃあ今津さん、監督のところに行きましょう」と言った。グラウンドでは子どもたちがラインカーで白線を引いたり、ベースを置いたりしている。幾人かの大人もメジャー片手に作業している。
「監督う、今津君来ましたよ!」
監督と呼ばれて顔を向けたのは、メガネをかけた小柄な人だった。四十くらいだろうか。目がギョロっとしている。
「梅田です。田園タイガースの監督やってます」
「今津です。弟がお世話になります。よろしくお願いいたします」
珠子は緊張気味に頭を下げた。監督がしゃがんで大翔の目線に合わせて言った。
「よく来たね。今日からタイガースの一員だ」
大翔はよくわからないまま、大きな目を見つめながら頷いた。
やがて、子どもが一人駆けてきて、「監督、グラウンド整備終わりました」と大きな声で言った。袖に「主将」と赤字で書かれたワッペンが貼り付けられている。子どもたちは二列になってグラウンドに並んでいた。女の子もいる。
監督が子どもたちの前に立った。ユニフォーム姿の他の大人たちは横に立っている。
「おはよう」
監督の声に「おはようございます」と子どもたちがすかさず大きな返事をした。
「今日から新しい部員が入りました」
監督は「今津君」と大翔を呼んだ。呼ばれた大翔は、不安気に珠子の顔を見た。
「早く行きなさい」
姉から小さな声で言われ、大翔は監督の元へ歩いた。整列した子どもたちの視線が大翔に向いた。
「じゃあ、名前と学校名と学年を言って」
大翔はもじもじしながら、弱々しい声を出した。
「今津大翔です。えーと・・・」
「学校と学年」詰まった大翔に監督がフォローした。
「田園小学校、三年、です」
「ということで、三年生は五人になった。これからももっと友だち呼んで、仲間を増やしてゆこう。じゃあ、いつも通りアップから」
子どもたちが「いっち、に」と言いながら、走りはじめた。大翔も子どもたちの列に加えられ、声を出して走った。
「この別嬪さん、どなた?」
大柄な人が珠子を見ながら三宮に声をかけた。
「今津君のお姉さん、高校一年なんですって」
「高校一年! ほっほー、今風に言うたら、JKかいな」
おじさんは珠子の方を向いて「新在家です」と挨拶した。頬から顎にかけて黒々と髭が生えている。黒縁の大きなメガネをかけている。珠子は威圧感を覚えた。
「今津珠子です」
「珠子ちゃん。ええ名前やなあ。ガラシャ夫人みたいや。で、どこの高校行ってるの?」
このおじさん、すごい関西弁。と思いつつ
「田園第二高校です」
「田園第二って、でんにのこと?」
「はい」
「ええとこ行ってるやん! でんに言うたら、このあたりの女の子で一番頭のええとこやろ」
新在家が大仰に言うと、そばにいた三宮が「あなた、でんになの?」と驚いた顔をした。
「は、はいっ」
「なんだあ、それなら早く言ってよー」
三宮は珠子の前で胸を張った。
「あたしもでんによ!」
え? こんなことにOGが!
「あたしもでんにだよー」
今度は童顔の杭瀬が「やっほー」という感じで、右腕を珠子に伸ばした。
「えー、たまちゃん、部活なにしてるの?」
え? いきなり「たまちゃん」呼ばわり?
この瞬間、あたしは新入部員の姉から、でんにのイチ後輩になったってこと? この調子で行くと、ここでは、この先輩方に頭が上がらないのかなあ。なんてことがさっと頭をよぎり、珠子はのんびりした雰囲気の杭瀬の顔を見つめた。
「・・・部活は、やってません」
「えー、高校は部活入ったほうがいいよ」
「ひろちゃんにごはん作ってあげないといけないから」
「ごはん?」
珠子はでんにOGに家庭事情を正直に語った。
「そっかあ。ごめんなさいね、余計なこと言って。でも、たまちゃんって偉いんだね。弟さんのこと、ちゃんと面倒見て上げてるんだね」
珠子は下を向いた。本当は部活だってしたいんだ。でも、大翔を放って、放課後遅くまで学校に残っておくわけにもゆかない。だから、中学でも部活はしなかった。
「じゃあさあ」
新在家が口を挟んだ。
「タイガースでコーチやったら?」
コーチ?
「ああ、新在家コーチ、それいいですねえ。部活代わりにもなりますしねえ」
三宮がポンと手を打った。
え? なに? 何の話? 部活代わり?
「珠子ちゃんは野球したことある?」
珠子は新在家の顔を見た。今日初めて会ったというのに、おじさんから早くも「珠子ちゃん」などと呼ばれている。それも、「たまこ」の「ま」にアクセントを置く関西イントネーション。
「ソフトボールなら、学校でやったことあります」
「ちょっとキャッチボールやってみよか」
新在家は傍らにあったグラブをポンと珠子に投げた。珠子はそれを胸で受け止めた。新在家はとっとっととグラウンドへ出て行った。珠子も行きがかり上、後に続いた。新在家は二十メートルほど先に行くと、こっちを向いて、「ほな、行くでえ」と、ゆったりとしたモーションから、緩やかなボールを投げた。
「え? あ、あ、あ、あ」
弧を描いて飛んでくるボールを珠子はしっかとグラブで受け止めた。
「上手いなあ」
新在家が大仰に声を出した。
「野球、ほんまにやったことないの?」
「ひろちゃ・・・大翔が野球するって言ったから、三月からキャッチボールはしました」
タイガースを紹介してもらった元町から、珠子と大翔はボールの投げ方、捕り方の基本を教えてもらっていた。珠子は元町から聞いたとおり、耳の横まで肘をあげて、縦に投げ下ろした。
ボールは、パッシーンと小気味いい音を立てて、新在家のミットに吸い込まれた。
新在家はしばらく捕球したままの恰好でいたが、ミットを下ろすと、「ええタマや」と言った。新在家がビュッとボールを投げた。さっきより強いボールをパシッと音を立てて珠子は捕った。それから二十球ほど投げ合った。気がつけば、大人たちがふたりのキャッチボールを眺めていた。
「珠子ちゃん。あんた、スジがええわ」
新在家が言うと、杭瀬が「たまちゃん、すっごーい」と声を上げた。
この展開はなに?
と思いつつも、褒められて、わるい気はしない。
が、そこからが大変だった。おじさんが二人がかりで、珠子に野球指導を始めた。
「投げるときは、左肩の位置に右肩を持ってきます」
はあ、こうですか?
「そう、そのとき、胸を張って。そうそう、そこから投げ下ろす」
元町が同じようなこと言ってた。
「今度は投げるときに足を思いっきり前に踏み出してごらん」
こうですか?
あれ?
バランス取るの、むずかしい。これじゃ投げられないよ。
もう一度、もう一度、もう一度。。。
珠子は汗だくになっていた。ジャージの上を脱ぎたかったけど、下が白いTシャツだから、脱いだら中が透けちゃう。次来るときは、濃い色のシャツでないとダメだな。
でも、部活経験のない珠子には、新鮮な感覚だった。
ぶっちゃけ、面白い!
部活に命をかけているかのような子がいたけど、その気持ちが少しわかったような気がする。あたしもふつうにお母さんがいれば、部活やってたんだろうな。
「じゃあ、最後三球で終わろうか」
向こうからおじさんがそう言って、珠子にボールを投げた。隣で新在家が「全力で行ってみよう」と言ったので、珠子は大きく足を踏み出して、腕を振り下ろした。パッシーン。
いい音を立てて捕ってくれる。二球目、ラスト。
「ナイスボール」
珠子は笑顔で汗を拭った。
練習は夕方五時までみっちりあった。珠子は最後まで付き合った。
代表は今日はいなかった。監督以外で指導に当たる大人はコーチと呼ばれている。子どものお父さんがやっているそうだ。お母さんは当番制で、日によって、来る人が違うらしい。てことは、大翔の母代わりという立場なら、あたしも毎回来る必要はない。
本当はお父さんが来てくれたらいいんだけど、土日は土日で仕事に出てるものだから、大翔の少年野球チームのコーチになんて、期待できるわけもない。今日も帰って来ないと言ってた。
チームの子どもたちで目に付いたのは、女の子。二人いる。ひとりは大柄で気の強そうな顔をしている。もうひとりは小柄で利発そうな、それでいて穏やかな表情をしている。二人とも、珠子には興味があるようだった。でも、今日は話す機会がなかった。
マンションに戻ると、時計の針はもう六時前を指していた。
大翔の真新しいユニフォームは、汗と土にまみれている。珠子も汗と砂塵で全身どろどろだった。
珠子は大翔を裸にすると、自分も全てを脱いでシャワーを浴びた。二人の体から砂が流れてゆく。髪がごわごわしてる。あんな練習するんなら、髪切ったほうがいいかも。
大翔は石鹸をつけたタオルを撫でるように動かしている。のろのろ、のろのろ。。あー、もどかしい。珠子は大翔からタオルを奪うと、耳の中、首筋、腋の下、足首、足の指の間などを丁寧に洗ってやった。くすぐったくて、大翔はキャッキャッ言ってるけど、全然洗えてない。まだ本当に子ども。
あんたねえ、女子高生とお風呂に入れるなんて、ホントは願ってもないことなんだからね。・・・たぶん。
大翔の体を洗い終わると、今度は汚れたユニフォームの下洗いを始めた。けれど、洗っても洗っても、桶には黒々と砂が溜まる。特に厚手の靴下が最悪だ。この砂、そのまま排水溝に流したら、絶対詰まるよね。砂だけ集めて、ベランダの植木の土に混ぜちゃおうか。
「お姉ちゃん」
「なに?」
「お姉ちゃんもコーチになるの?」
「ならないよ」
「みんなコーチになるって言ってたよ」
はあ? みんなって、誰のことよ。
「そんなことより、練習はどうだった?」
「うーん、あんまりうまくできなかった」
「なにが難しかった?」
「あのね、うんとね、ボールが思ったとこに行かないの」
「最初は仕方ないよ。練習したら、そのうち行くようになるよ」
「どのくらい練習したら?」
「いっぱい」
「いっぱいかあ」
「プロの選手だっていっぱい練習してるんだって、監督も言ってたでしょ」
「ぼく、うまくなれるかなあ」
ずっと手を動かしていた珠子は大翔の顔を見た。
「なれるさ」
「でも、ぼく、下手だよ」
出た。
大翔の「僕できない病」。これを変えさせたくて、野球をさせたんだ。
「大丈夫。最初からうまくできる人なんていないから」
「でも、お姉ちゃんは最初からうまいでしょ。みんな褒めてたよ」
「あのね」
大翔の目を見ながら話しかける。やさしく。そこが肝心。珠子は自分に言い聞かせながら、ゆっくりと喋った。
「お姉ちゃんはもう高校生なの。小学生のひろちゃんとは違うの」
大翔の瞳には不安が満ち溢れている。
「お姉ちゃんだって小学生のときは下手だったよ」
「お姉ちゃん、小学生のとき、野球やってたの?」
「やってないけど、やってたとしたらだよ」
「お姉ちゃんは、ぼくと違って、なんでもできるもんなあ」
そういう話をしてるんじゃなくって。こういうときは、話題を変えるに限る。
「ひろちゃん、おなか空いたでしょう。早くユニフォーム洗ってごはんにしよう」
その日、大翔は驚くほどよく食べた。ごはんのおかわりを二回もした。
珠子もよく入った。
食べ終わると、大翔はあくびを始めた。目が沈んでいる。
大翔にお布団を敷くように言って、珠子は洗いものを始めた。心地よい疲労があった。
洗いものを終えて、寝室に行くと、大翔は敷いたお布団の上で寝息を立てていた。珠子はうつ伏せの弟の背にタオルケットをかけてやった。食事中に回していた洗濯機から洗濯物をひとつひとつ取り出して部屋干しすると、パジャマに着替えて、寝息を立てる大翔の隣で横になった。
睡魔はすぐに珠子を夢の世界に落としていった。