爆走軍人御一行様
光の屈折率の影響で紅に染まって見える空。
その下には、地球圏で最大規模を誇る多国籍巨大企業「Asuka‐Industries」所有の大型プラントが横たわる。
プラント全体を包むセキュリティドーム外周を、緩やかなカーブによって弧状に巡る長い道路が続いていた。道に沿って進めばドームを外苑から一望出来ただろうハイウェイを、今一台のジープが直走っている。
車体の色は深緑、天井は取り払われ、タイヤも存在しないジープは、路面から数センチ浮いてまま滑るように道へ沿って進んでいた。時速は凡そ100km、対向車も障害物もない道を只管直進している。
その後方20m辺りに、ジープを追う物があった。全高150cm、橙色の外装に身を包み、甲殻類を彷彿とさせる機動体。それはさながら機械で出来た巨大蟹だ。但しこの蟹は体の周囲を取り巻く六本の足で道路を蹴り、真っ直ぐ直進してくる。先行するジープを追うその数は六機。
完全自立型の機動兵器、通称『アーベック』と呼ばれる機械兵だ。
「いきなりアーベックに掴まるとはな。到着早々ツイてないねぇ」
ジープの後部座席に座り、ライフルのスコープから追ってくる蟹型アーベックを覗き見る男が、口許に皮肉った笑みを刻む。
「今日のラッキーカラーは緑だったのにぃ!」
それに応じるのは運転席でハンドルを繰る少女。
男の方はラウル・フォッケンマイヤー。黒い長髪を背中まで流す長身の25歳。秀麗な顔立ちの美丈夫だ。
少女の方はカーナ・ヴェルフェルディア。緑髪をセミロングにした小柄な17歳。快活な印象を受ける顔には、まだあどけなさが残っている。
二人が着ている衣服は同じものだ。ガンメタルの長袖長ズボンで、右胸に翼を広げた大鷲の意匠と、その下にCODという英字のエンブレムが刻まれている。尤、カーナの方はズボンは腿の辺りで、上着は腹部上で裾をバッサリ切り落としてしまっているが。
「予想以上に警備が固いね。もう少しで愁華との合流地点だ。そこまで何としても追い付かれるんじゃないよ!」
カーナの隣、助手席に座る大柄な女性が、その姿に見合う威勢の良い声を張り上げる。
キリエ・マクウェガー。紫の短髪に金の瞳を持つ精悍な顔、筋骨隆々恰幅のいい女傑だ。彼女も二人と同様の衣服を着用している。ちなみに御齢43歳。
「まっかせといて。カーナちゃんのドライビングテクニックを侮ってはいけないのだ」
高らかに宣言すると、カーナはハンドルを思いきりきった。それに合わせて車体は大きく蛇行し、転落防止用に設けられている道路の縁壁すれすれを駆けて行く。
ジープを追っている六機のアーベックも、うねる様にしながら同じ進路を辿った。
だが最後尾の一機は姿勢制御に失敗したらしく縁壁に激突し、そのままの勢いで壁を破壊する。飛行機能までは備わっていないのだろう、道路の外側、地上10数mの高さに投げ出された機体は自重に任せて落下していった。
「にゃはは、どんなもんだい!」
バックミラーでその様子を見ていたカーナは得意気に笑い、再びハンドルをきって車体を道路の中央へ運ぶ。
「おいおい譲ちゃん、俺達が乗ってんのを忘れないでくれよ。危うく振り落とされちまう所だったぜ」
後部座席からラウルの悲鳴めいた声が上がった。
当人はシートの上に仰向けで横倒れになっている。カーナは口の合間から少しばかり舌を覗かせ、目元を緩ませたまま謝罪の声を送った。
「ごみーん」
「頼むぜまったく。これじゃ狙いが上手く定まらねぇよ」
言いながらラウルは姿勢を戻し、手にしたままの遠距離狙撃用大型ライフルを構え直す。
黒光りする長い銃身の下腹をジープの後部装甲面に置き、両手でしっかりと固定したままスコープを覗き、後方のアーベックを捉えた。
「的があんだけデカけりゃ、外し様もないだろうに」
「隊長さんよ、俺は一発屋だぜ? アンタみたいにブチ込みまくるのは俺のスタイルじゃなくてね。この状況で一撃決めるなら、腹より脚だ」
キリエの茶々に口を薄く開き、ラウルは言うと同時に引き金を絞る。
その瞬間、銃口から一発の弾丸が吐き出され、視認不能の超速度で宙空を突き進んだ。雷轟のような発射音のみを残し、弾丸は空気を裂いて標的へ向かい飛ぶ。
漆黒の弾丸が進む軌道上には、五機の先頭を走るアーベックがあった。時間にして一秒にも満たぬ間。ライフルから撃ち出された弾丸はアーベックの前脚中央に滅入り込み、強装甲を紙屑のように貫いて、対線上にある路面を穿つ。
この一撃を受けた前脚の一つは中央から砕き折れ、突如脚の破壊されたアーベックはバランスを崩して前のめりに転倒した。後続の一機はそれを避けられず勢いを付けたまま激突し、予期せぬ衝撃に駆動系はショート。散った火花がエネルギー機関に引火して誘引爆発を起こすと、巨大蟹二体が纏めて吹き飛んだ。
「ま、ざっとこんなもんよ」
既に遥か後方へ遠ざかっている爆炎と黒煙の立ち昇りを眺めながら、ラウルはキザな微笑みを浮かべる。
しかしその直ぐ傍にアーベックが一機迫ってきた為、二枚目の微笑は凍りついた。
ジープの後方目と鼻の先にまで迫ったアーベックは、自由になっている二本の硬質なアームを、ラウルの頭部目掛けて振り払う。ラウルは咄嗟に頭を低くし初撃を回避した。
「あっぶねぇ〜」
危機一髪の所で即死攻撃を避けた事に安堵の息を吐く。
ただその顔は冷や汗と恐怖に濡れ、とても美男子のそれではない。
「そのまましゃがんでな。頭上げると吹っ飛ぶよ」
言うが早いか尚も走行中の車内で立ち上がったキリエは、上着の内側から大型拳銃を抜き取り左右の手へそれぞれ握る。と同時、眼前の機械蟹に狙いを定めトリガーを引いた。
二挺の拳銃から次々と特殊鋼製の弾丸が繰り出され、容赦なくアーベックを襲う。正面から降り注ぐ弾丸の斉射はアーベックのアームを砕き、装甲を散らし、前脚を捥いで、胴部を滅多打ちにした。
常人なら一発撃った衝撃だけで跳ね飛ぶか、下手をすれば腕が折れてしまうだろう大型銃の強烈な反動を、キリエは片手で押さえ込み乱射を続けている。幾つもの鋼線を束にして、捩り合わせたような強靭な筋肉は伊達ではない。
キリエの猛撃を食らい続けたアーベックは、銃撃の衝波に打たれて徐々に路面から浮き上がっていく。
「これで終りだよ」
キリエが不適な笑みを浮かべ、両銃から最後の一発を放った。
弾丸は上空を滑りながらアーベックへと吸い込まれる。次の瞬間、機体は半回転して路面から数メートル浮いた空中で爆散した。
破片が降り注ぐ頃には既に、ジープは爆心地より更に先へ進んでおり、一切の被害を被る事はない。
込められていた弾丸を全て撃ち尽くし、銃の口から昇っていた白煙を吹いて、キリエは二挺の銃を手の中で回転させる。恰も映画のワンシーンのように銃を回し、その後に懐へ戻し遣った。
「流石は元傭兵王。『撃滅女帝』の名は伊達じゃないねぇ」
シートの上に起き上がりながら、ラウルはキリエへと安い拍手を送る。
「そういうアンタだって此処へ来る前は一流のスナイパーだったんだろ? 狙った獲物は必ず落とす撃墜王ってね」
口の端を吊り上げて意味深な笑みを浮かべながら、キリエも座席へ腰を下ろした。
その後ろでラウルは頭を掻きながら、軽薄な笑みで返す。
「そんでついた仇名が『デス・ザ・フォックス』だぜ? やめてほしいよなぁ、こんな陰険な異名じゃ女の子が逃げちまう」
肩を竦めつつ、ラウルは半身を捻って後方の様子を見た。
追跡機四体を討ち、残りは二機。それでも残るアーベックは執拗に追ってくる。しかも互いの距離は先刻よりも随分と近づいていた。
「奴さん方も頑張るねぇ。働きすぎは体に悪い。てな訳でお昼寝してもらおうか」
ラウルは銃腹をスライドさせ、再びライフルを構える。
その時、運転席のカーナが叫び声を上げた。
「シュウカだ!」
ジープの前方何10mという先、道路の真ん中に佇む人影が一つある。
瞬きする間に車両はその影へ接近し、半弧を描いて影を避けた。そのまま車体は横滑りに道路を走り、反対車線の縁壁にぶつかる直前で動きを止める。
「愁華、構うこたぁない。バッサリやっちまいな!」
助手席のシートから腰を浮かせたキリエが、未だ道路の中央に立ったままの人物に声を投げた。
其処に立つのは茶髪の髪をショートカットにして、額に真紅のバンダナを巻いた女性。氷室愁華である。
23歳の女性軍人はキリエ達と同様のズボンを穿き、上着を腰に巻いて、上半身は黒のタンクトップ一枚という格好。右手には黒鞘に納められる日本刀を一本握っていた。
愁華の眼は真っ直ぐ前方から走り来る二機のアーベックを捉えている。その眼が宿しているのは燃え盛る炎のような眼光。機械蟹の接近に合わせ、左手が刀の柄に掛けられた。
アーベックは両機共、センサー内に捉えた愁華を撃退対象と定め、猛然と走り寄って来る。両者の距離が限りなく零となった時、愁華は眼にも止まらぬ速度で刃を抜き放ち、抜くと同時に横薙ぎ一閃。即座に右手も柄に添えて、返す刃で逆袈裟懸けに斬り上げの斬撃を放った。
そんな愁華の両脇を二機のアーベックは抜け、道路に脚を突き立てて突進力を殺す。一方で愁華は振り返らず、手の内の白刃を鞘の中へ納め戻していった。
アーベックが両機同時に反転し、再び愁華を正面に捉えるのと、愁華が刃を鞘へ戻し終え、切羽を鞘口に当て小さな音を立てるのは同時。直後にアーベックの一体は胴の中心から上下にずれ、もう一体は胴体から斜めにずれる。両切断面は異様な程に鋭く、全くの正確無比な等分であった。
両機械蟹は切断面から僅かな電光を走らせ、次には同じタイミングで爆発する。
「ケッ、つまらねぇモン斬っちまったぜ」
炎に包まれ破裂する機動体を尻目に愁華は言った。爆風で髪とバンダナの尾が靡く顔は、猛者を思わせる凛々しさを湛えている。
「ポン刀一本で鋼鉄装甲を寸断とは、何度見ても凄ぇな」
「イェーイ、さっすがシュウカ。勝利のVだぜ!」
「見事なもんだ。相変わらず惚れ惚れする腕だね」
口々に賛辞を述べる一同を乗せ、ジープは愁華の横に遣って来て動きを止めた。
愁華は三人の顔を一瞥してから緩く首を振る。
「こんなモン自慢にもならねぇよ。この世にはもっと凄ぇ奴が居るんだ。全てを断つ最強の剣士が」
一同の賞賛を他所に、愁華は何処か遠くを見るような目で言った。
その目には子が父へ抱くのに似た、先駆者を超えんとする輝きがある。
「へっ、今は関係ねぇか」
愁華は目を閉じて浅く笑うと、ジープの側面に手を掛けて後部座席へと飛び乗った。
それと共にカーナはアクセルを踏み込み、ジープを再び走り出させる。
数km先にドームを望む道は、弧を描きながら螺旋状に巡っていた。道伝いに走ればドーム近辺に下りられる造りだ。そんな道路をドーム目指してジープは走っていく。
「それで防衛システムの方はどうだったんだい?」
助手席から首を回してキリエが問う。
「どうもこうもねぇさ。あのプラントに近付けば近付くほど、セキリュティレベルは高くなってく。さっきの連中なんざ話にもならん中堅・大型が犇いてやがるぜ」
愁華は失笑しながら肩をすくめた。
部下からの報告にキリエは腕を組む。両目を閉じて低く思案の唸り声を吐き出す。
「やっぱ世界のアスカって事だな。機密保持のセーフティネットは万全て訳だ」
ラウルは片手で目の上に庇を作り、側方へ聳え立つ巨大なドームを眺め見た。
Asuka‐Industriesは各種ソフト及びハードウェア、医療、製薬、食品、衣類、通信・インフラから果ては軍事兵器まで、手広く取り扱う地球圏最大のメガ・コングロマリットである。同社の保有する莫大な財力を以って月の占有権を買い取り、多額の費用を投じて月を改造、そして自社運営のプラントを幾つも打ち建てた。
だが現在、前線を支える補給物資の製造は宇宙に浮かべた大型資源衛星で行っており、月では新兵器の研究・開発が中心に進められている。
業界最大手のアスカが誇る最新技術を狙う輩は少なくない。設備には強固な防衛システムが設けられているのはその為だ。
「タイチョー、これって絶対違法行為だよね」
ハンドルを握ったまま、カーナは隣に座るキリエへ言った。
自分達の現行を問題視する発言の割に、後ろめたさや罪悪感といった物は皆無である。それどころか、悪戯に没頭する子供じみた笑顔さえ浮かべ実に楽しそうだ。
「それだけずじゃねぇぜ。不法侵入、器物損壊、命令違反、軍務協定違反、おまけにこれからやるのは産業スパイと窃盗だ。へっ、今日日の犯罪者でもここまで罪は背負い込まないだろうよ」
「軍人のやるこっちゃねぇよなぁ」
愁華は自分達の犯した、そしてこれから犯そうとしている罪状を指折り数えながら愉快そうに笑う。
その隣でラウルが気の抜けた溜息を吐いていた。
「何言ってんだい。あたし等は軍人だからこそ戦う為の武器が要るんだよ。なのに上層部はあたし等に武器を寄越さない。だから自分達で調達しようってんじゃないか」
キリエは目を開けて、顔に豪快な笑みを刻む。
そこに苦汁も後悔もなく、自分の行いが何処までも正しいという確固たる正当性が光っていた。
「どうせ頂くなら一番イイのを貰わないとね」
「それでアスカの最新機を狙うんだから、隊長さんも無茶するぜ」
不敵に笑うキリエを見ながら、ラウルは嘆息する。
この上官が一度決めたら簡単に曲げない事、行き詰ったら強行手段も辞さない事は三年前から判っていた。だから何を言っても無駄だという事も承知している。ラウルは半ば諦めの境地で、徐々に近付いていくドームをもう一度見遣った。
目の当たりにする実物大のドームは巨大である。それは夕焼け空の下に座す、山のようにも見えた。圧倒的な存在感を持って座するドームは、近付く者を拒んでいるようでさえある。それでもジープは進んで行った。