英国
次に目を覚ました時、私は鹿児島の病院のベッドの中だった。鹿児島の漁港の堤防の上に寝ていて、漁港の人達が声を掛けても起きなかった為、救急車を呼んだらしい。
幕末に1ヶ月くらいはいた気がするのに、私が発見されたのは叔父さんの家を出て、漁港の堤防に着いてから2時間後くらいだった。
それから、着ている服も叔父さんの家を出た時のままだったし、バッグもあった。
私は、夢を見ていたのだろう。
とてもリアルな夢を。
夢の中だけど、龍馬さんとおりょうさんに沢山の愛をいただいた。
私の心に沢山の色を付けていただいた。
これは、愛を知らない私に神様がくれた優しい夢だったの。だから、私はもう私自身を死神だと思うのを辞めた。
辞めた代わりに、自分に出来る努力を決して怠らない事を決めた。
それが、例え夢の中のお話しであっても、龍馬さん達を傷つけてしまった事に対する、私なりの償いだから。
それから、すぐに私は東京に戻り練習を再開した。
そして、海外のコンクールに出場し、運良く入賞する事が出来た。
副賞として、海外のバレエ団で一年間研修生として参加する事が出来たので、私はイギリスのバレエ団にお世話になる事にした。
東京のマンションは、叔父さんにお願いして売却してもらった。
バレエ団では、毎日英語とフランス語を勉強しながら人一倍練習した。
研修期間が終わり、そのままバレエ団に正式にバレエダンサーとして契約して頂ける事になり、5年後バレエ団の顔となるプリンシパルに選んでいただいた。
舞台に立たせて頂く時には、毎回客席に龍馬さん達の姿を思い出しながら踊った。
日本から、私の踊りを観に来てくれる家族はいなかったけど、私の目の前にはいつも龍馬さん達の笑顔があった。
それから、イギリスのお客様達も私の踊りに沢山の温かい拍手を下さった。
同じバレエ団の皆も、龍馬さん達の様に優しくしてくれた。
その度に、私が涙を浮かべるから皆ハグしてくれて、それが嬉しくて、また泣いちゃって皆をよく困らせてしまった。
ある日、日本のバレエ団の公演にゲスト出演する事になり、私は何年かぶりに日本に帰国した。
東京での公演後、高知県のバレエ団の方からのお願いで高知のイベントに出演する為、高知に向かった。
イベント出演後のホテルで、テレビを付けていると信じられない光景が目に入った。
おりょうさんが私を描いた絵がテレビに写っていたからだ。
有り得ない。
だって、あれは夢だったんだから。
何で?どうして?
おりょうさん、龍馬さん・・・
小春は、テレビ画面の前で泣き崩れた。