コスモス~君といつまでも~※加筆修正版
「コスモス」という小説を過去に書いておりまして、そちらを加筆修正して投稿しようと考えたのですが、その前に後日談であるこちらの文を投稿しようと思いました。よろしくお願いします。
フェイズ01
エレンと僕は宇宙服を着せられて、月から旅立った。
あれから二週間たった。
宇宙船の窓から月と地球を交互に眺めると、月はやはり生命の育まれる星とは言いがたかった。
しかし、地球は有機物だらけで、得体の知れない生物でごった返している。
移民した人間が、人間以外の生物をシャットアウトした衛星である『月』。
そして、生命の塊のようなところに人間がやっとこびりついて生きている惑星『地球』。
人間にとってどちらが幸せなのか・・・結論を出さずに、僕はエレンと地球を目指す。
僕は、ヘルメットのガラスの表面を、エレンのヘルメットに当てて声をかけた。
「大丈夫?」
エレンは眠そうな顔で応えた。
「ちょっと酔ったかな。」
決してアルコールではない。無重量に酔ったのだ。僕はもう一度「大丈夫?」と聞くと、彼女はもう一度「ええ」と応えた。
フェイズ02
ナイロビ宇宙港はたくさんの人でごった返してゴチャゴチャとしているかと思いきや、度重なるバイオハザードの結果だろうか、人々は非常におとなしく、整然としていた。
皆が月面やそれ以外の宇宙のコロニーへの移住のために並ぶ中、僕とエレンは月から地球へ戻ってくる珍しい側の渡航者だった。
宇宙服を脱がずに僕らはナイロビで飛行機に乗る。
彼女の家に帰るためだ。
僕らは宇宙服の上から消毒される。
僕らが宇宙服を脱げないのには事情があった。
エレンは一ヶ月ほど前、地球から月へ拿捕されてやってきた。
今、月への移民は恐ろしい量で、その理由がアーマゲドンスピロヘータという狂犬病に近い新種の感染症の流行だった。
現在、その死亡率は100%、そして今や感染者は全世界を覆い尽くす勢いだ。
ところが無菌状態の月ではアーマゲドンは発生していない。
多くの地球人たちが安全な場所を求めて世界最大の宇宙港「ナイロビポート」を目指した。(ただし多くの人間が月へ行く船を目の前に、検査で陽性を宣告され、地球脱出を断念させられている。)
僕らは保菌者なので旅客機の規約で、宇宙服を脱げなかったのだ。
宇宙服を着ている限りは菌をばらまく心配も無い。
「どうせ、乗り降りするたびに機内を徹底消毒するんだから、宇宙服ぐらい脱がせてくれてもいいじゃない。」
機内でエレンが抗議した。
「ニューデリーの乗り換えで宇宙服脱げるって。」
「ニューデリーで一泊できないかしら?体が疲れたのと、体が臭いのと・・・あと、実はトイレを我慢しているの。」
僕は呆れた目でエレンを見た。
「二日我慢してたの?オムツはいてるだろ?」
「・・・我慢は大きいほうだけよ。」
僕とエレンは乗り換えのついでにニューデリーで一泊する事にした。
機内の端末を使って、予約を取る。
「空港のホテルは『保菌者お断り』だけど、隣接するホテルは泊めてくれるらしい。使えるよ。」
「ありがたいわね。」
二人が納まっている宇宙服はエンジニアの創意工夫で人間用の椅子に座れるように設計されているが、座り心地は決してよくない。
ニューデリーについたらこの宇宙服を粗大ゴミにすると誓って、ひとまず仮眠を試みた。
フェイズ03
ニューデリーの空港内を移動する。
荷物は「消毒殺菌」をした上であとから届く予定だ。
見慣れない宇宙服の来訪に人々は驚くかと思いきや、近い形をした耐菌防護服で見慣れているらしく、そんなに驚かれなかった。
空港では出口と入口が別になっていて、保菌者はさらに別の出入り口を利用する。
僕らは保菌者用の出口を通過すると、真っ直ぐホテルへ向かった。
本当は保菌者用の通路なので、もう宇宙服を脱いでもよいのだが、宇宙服の中には僕らの体臭と、尿パックとオムツが詰まっている。
何も往来の真ん中で自分の人生に汚点を作るような真似をする必要はない。
「どっちが先にシャワーを浴びる?」
エレンが熱いシャワーに期待を膨らませている。
「どっちが先も何も、君は一人で宇宙服を脱げないだろう?」
「・・・」
ホテルに飛び込むと、携帯端末をロビーの読み取り機にかざしてチェックインする。
そのまま、滑り込むように部屋に入った。
「シャワーどっち?」
「焦るなよ。」
エレンを先にシャワールームに追い込むと僕も続いた。
「早く脱がせてよ!」
「分かったから両手を下ろしてじっとして。」
エレンのスーツを引っぺがすとバスタブに放り込む。
エレンは宇宙服の下に着る、体にフィットした長袖のアンダーウェアを丸めて脱ぐと、バスタブに放り込んだ。
浴室は狭くなかったが、大人二人が宇宙服を着て入るにはさすがに狭く、エレンを脱がせたあとに、今度は僕が苦労した。
1Gは学校を出て以来久しぶりだったからだ。
「あー、やっと脱いだ!」
僕も宇宙服をバスタブに放り込むと、バスタブは二人の脱ぎ捨てたブツで一杯だった。
エレンが派手に泡を立てながら体を入念に洗っている。
「ダメ、限界!」
そして、泡だらけのままなのに僕にシャワーノズルを押し付けるとバスルームの中の便器に座った。
「俺、出てようか?」
エレンはバツが悪そうな顔をしながら、
「いいから、貴方も体早く洗っちゃいなさいよ。」
と言った。
そもそもバスルームの中は悪臭が充満していた。
宇宙服と、その下に着ていたアンダーウェアと、オムツと、尿パックと・・・そして、お互いの体がとにかく匂うのだ。
エレンの用便なんてそれに比べたらどうってことない。
「地球は水の勢いが強い。」
僕はシャワーを浴びながらそう呟いたが返事はなかった。
こんな状況で気の効いた会話なんて必要ないのだ。
フェイズ04
ホテルは快適だった。
まず、自分の体臭と一緒に密閉されたスーツではなく、外気を呼吸できる事。
月面の腐ったような空気清浄機臭い空気ではなく、インドの雑踏とスパイスの香りがする空気を胸一杯吸い込めたこと。
サラダチキンのレトルトパックではなく、骨と焦げ目のついた鶏肉を食べられた事。
そして、背の高いエレンと僕が並んで寝ても苦痛じゃないサイズのダブルベッドがあったことが何より良かった。
残念ながらその面積や形や高さを充分に吟味するほど体力は残っていなかったし、1Gでどうやって動けばいいのか、いまいち体が理解していないせいで色々と難しかったが、ホテルは楽しめた。
ルームサービスに粗大ゴミの始末を頼んだ時はさすがに気が引けたが、僕とエレンはチップとしては破格の金額を事前に提示する事で、その良心の呵責から逃れることにも成功した。
そして翌朝、僕は昨夜のタンドリー料理に含まれていたカプサイシンで僕の肛門がバカになっていることをトイレで確認し、地球を満喫している感動に打ち震えた。
月面ではアルコールも含めて無用な刺激物を過剰にとる発想が稀有だったので、月面の生活が長かった僕としては隠喩でもなんでもなく感動だったのだ。
エレンも同じくトイレで災難に遭っていたようで、朝は少々のヨーグルトとフルーツを食べることにした。
ホテルには2泊3日滞在した。
遅れて届く荷物を待っていたのだ。
ニューデリー到着、3日目の朝、部屋に届いたばかりの旅行バッグの「消毒済」の札を引っぺがして、空港へ向かう。
そして、一昨日とはうって変わって晴れやかな気持ちで「保菌者」ゲートをくぐり、ごった返す人ごみの中を進んで飛行機に乗り込んだ。
偏光ガラスのヘルメットが付属しないタイプの清潔な衣服で座る旅客機のシートは格別だった。
二人で機内食のかわりに買っておいた胃腸薬を飲むと、しばらく映画を見て、疲れを取るべく眠った。
目を覚ますとエレンの住む街だった。
フェイズ05
僕は今さら気にもしていなかったが、条例に従って再検査を受けたら陽性だった。
ニューヨークのビルの16階にある小さな礼拝堂で挙式すると、月へ移住して住む人のいなくなった、かなり大きなフロアを賃貸する書類にサインして、そこへ荷物を運び込んだ。
富裕層は次々に地球を脱出しているため、今や貸す側も借りる側も高級住宅に対する敬意を一切払わない人種ばかりで、賃貸の価格は下落し続けていた。
月面を出てきたときに引き払った自分のアパートは貸借権ですら競売にかかっているような状態だったので住むには困らなかった。
数日後、エレンの部屋にあった大型テレビも新居に運び込むと、ニュースではドバイが完全無菌のコロニー化を目指して行なっていた工事の進行状況が報道されていた。
あとは、月面で発生しているインフレだ。
無謀な貯金を抱えて月面に転居する富豪たちが問題化していた。
エレンと僕は向かいのビルの壁を眺めながら乾杯すると、窓全面を高層階のカメラから送られる夜景の映像に切り替えた。
「いつまで、この夜景が見れるかしら。」
「分からない。最近は病気の進行を穏やかにする薬が見つかったからね。少しは長持ちするんじゃない?」
今、この街のほとんどの人間が感染者だ。
感染して発症すれば必ず死ぬ。
為す術はない。
「寿命がね・・・」
「何?」
エレンがそう言いながら寄り添ってきた。
「寿命がね短くなっただけなの。」
「分かってるよ。」
エレンは僕に力いっぱい抱きついてきた。
「だから、貴方、浮気してるひまなんてないでしょう?」
「僕、元々、浮気したことないよ。」
「あと、寿命が短ければ、私のこと一生離さないのも簡単よね?」
「君にとってもそうだね。」
「でもね、時間が短いと欲求不満で死んじゃうかも。」
「どうすればいいの?」
「私のことだけ見てて・・・」
呼び鈴が鳴る。
ピザが届いたのだ。
「届いたピザはだめ?」
「ダメ・・・」
「キミがセットで頼んだルートビアーは?」
「ダメ・・・」
「じゃあ、壁にかかってる君の写真は?」
彼女のポスターが貼られている。
「一番ダメ・・・ホンモノはコッチ・・・」
アーマゲドンウイルスが地球の人類を滅亡させるシュミレーションはこのあとすぐに発表された。
人類は総人口の10%を月面やその他の宇宙ステーション、スペースコロニーで存続させる事ができるということも判明した。
エレンは息を僕に吐きかけながら言った。
「私が死んだらお墓に『スマリ・タチバナを愛したエレン・リトバルスキ』って刻んでね?最後のときもこうして抱きしめていてね?最後まで貴方を愛した私でいたいの・・・」
「・・・俺が先に死んだら、何て刻んでくれるの?」
「『エレン・リトバルスキに愛されたスマリ・タチバナ』に決まってるじゃないの。」
「不公平だな。」
エレンは口を尖らせた。
「不公平じゃなかった事なんてこれまでなかったでしょう?もし、公平だったら、私が女で、あなたが男に生まれる事もなかったじゃない?そうしたら、スマリちゃんは寂しいでしょ?」
そういうとエレンは僕の頭を両腕で手繰り寄せ、抱擁した。
「それでも不公平じゃないか。」
エレンは悪戯っぽく笑うと両目をパチパチさせた。
「不公平な分は二人が生きてるうちに、幾らでも埋め合わせていいわよ。」
エレンは映画女優だという設定が元になった作品にはありますので、是非皆さんの好きな女優さんを思い浮かべて呼んでいただければと思っております。普段、女性の話し言葉を書くときに「~かしら」「~だわ」という文体が不自然なので避ける傾向にあるのですが、この作品は恐らく二人は英語で会話していると言う前提で、特にエレンの話し言葉については、洋書の翻訳っぽかったり、吹き替えっぽい台詞回しを意識して書いています。