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封じられた部屋  作者: 水沢ながる
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2.Teacher

 ピンポーン。

 その家のチャイムが鳴らされたのは、久し振りのことだった。

「はーい」

 その家の主婦である須田永津子は、ゆるゆると立ち上がった。誰だろう、こんな時間に。セールスマンか、それとも宗教の勧誘か何かだろうか。

 永津子は上を見上げた。下の息子の部屋が、視線の先にあるはずだった。宗教やセミナーの勧誘であれば、きっと息子がこんな状態であることを知っているに違いない。どうしてああいう人達は、人の不幸を敏感に嗅ぎつけて来るのだろう。神を名乗っているけど、その実不幸にたかっているだけじゃないの?

 ピンポーン。チャイムが再び鳴った。

 永津子は仕方なく玄関に向かった。ドアの覗き穴から覗いてみると、若い男がにこやかに微笑んでいる。何処かで見たような気もするが、何処でだったか思い出せなかった。永津子はドアを開けた。

「ああ、こんにちは。……えー、須田くんのお母さんですよね?」

 そこにいたのは長身の青年だった。何処かいいとこのお坊ちゃんのようなおっとりした感じの笑顔が、黒縁の眼鏡の奥にあった。

「あの、どなたでしょう……?」

「あ、すいません、申し遅れました。僕は星風学園高校の教師で、芦田風太郎といいます」

 星風学園高校と言えば、息子達の通う学校だ。それでこの青年を見た気がしたのか。しかし、永津子には目の前の青年と息子の学校とがどうしても結び付かなかった。授業参観や三者面談などで息子の学校には何度も行っている筈なのだが──こんな教師がいただろうか? 覚えがない。

「芦田先生!?」

 いきなり驚いた声がした。そこにいたのは、永津子の上の息子である直樹だった。青年は直樹に向かってにっこりと微笑みかけた。

「やあ、須田直樹くん。こんにちは」

 直樹が知っているということは、やはりこの芦田という青年は星風学園の教師なのだろう。

「何やってるんだよ、こんなとこで」

「君の弟──須田弘樹くんに会いに来たんです」

「会いに……って、弘樹は……」

「弘樹は、もうずいぶん前から自分の部屋に閉じこもったままです」

 直樹の言葉を奪うように、永津子は言った。

「母さん……」

 余計なことを言うな、と言いたげな視線を、直樹は母親に向けた。芦田はにっこりと笑った。

「はい、そのことは知ってますよ。それだからこそ、僕は弘樹くんに会いに来たんです。──いえ、会わなければならないんですよ」

 謎のようなことを青年は言った。

「というわけで、ちょっと上がらせてもらっていいですか? ちょっとで済みますから」

 永津子が返事をしないうちに、芦田はずかずかと玄関を抜けて中に入って行く。その姿は飄々としていながら妙に有無を言わせぬところがあり、永津子も直樹もこの無遠慮な来客を止めることは出来なかった。

「直樹、あの芦田先生って、どんな人なの?」

 永津子は息子に小声で訊いた。直樹が答えようとした時、芦田ののんびりした声がした。

「あのーお母さん、弘樹くんの部屋はどちらですか?」

 ぬけぬけと訊いて来る。

「あ、はい。二階の、右手の奥の部屋です」

「どうも」

 にっこり笑うと、芦田は階段へ向かった。直樹が、先程の質問の答えを口にした。

「なんつーか……変な先生だよ。型破り、っての? へらへらしてるようで意外と食えないとこあるしさ。まあ、女子には人気あるし、教え方も上手い人だよ。──でも変だな。あの先生、別に弘樹の担任でも何でもないのに」

「クラブ活動の先生とかでもないの?」

「弘樹は部活、してなかっただろ?」

「そう……だったかしら」

 覚えていなかった。今更ながら、自分は息子のことをよく判っていなかったのだと思い知る。もっと判ってやれたら、あんなことにはならなかったのに。──そう、自分の部屋に閉じこもることなんて。

 二階へ上がると、芦田は既に弘樹の部屋の前で二人を待っていた。

「では、入りましょう」

「駄目……です」

 永津子は不意に恐怖を覚えた。このにこやかな青年は──危険だ。教師だろうが何だろうが、この男をこの部屋に入れては……いけない。何か、取り返しのつかないことが起こりそうな気がする。永津子は長身の青年の腕にすがりついた。

「駄目です! 弘樹は、私達でさえ部屋に入れようとしないんです! 私がちょっと覗いただけでも、ひどく荒れるんです! あなたを入れたりするとどうなることか!」

「母さん!」

 半狂乱になった母を、直樹がなだめようとする。だが息子の言葉さえも、彼女の耳には入っていなかった。

「それでも僕はこの部屋に入らなければならないんです」

 芦田は対照的に冷静だった。青年は、静かにかけていた眼鏡を外した。

「悪いようにはしないさ。彼にも──恐らくはあなたにも」

 青年の笑顔が微妙に変化した気がするのは気のせいか。不思議な輝きを放つその瞳を見た途端、永津子は魂が引き込まれたような感覚を感じた。激情が去って行く。永津子はへなへなとその場に座り込んだ。芦田はにっこり笑うと、ドアのノブに手をかけた。

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