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最後のクリスマスプレゼント

作者: 大河 亮

 12月1日。なんでこんな日からニコラスは遠い中東に派兵されるのだろうか。前から決まっていたことだが、昨日はそのことを考えるとおかしくなりそうで、お酒が止まらなくなり、勢いに任せてニコラスに怒りをぶつけてしまった。

『もうすぐマシューが産まれるのにどうしてそんな所に!』『クリスマスに家族のみんなが集まるのになにもしないのね!』『あなたには夫としても父親としても自覚が足りないわ!』『私と一緒にいたくないのね!』『クソ野郎!くたばれ!』最後のは失言。

 そんな私が投げつけた文句の数々を、彼は黙って聞いていた。

 昨日は別々の部屋で寝てしまったので、彼の出発前に謝りたい。私は意を決して彼に「ごめんなさい、少し言い過ぎたわ」飽くまで彼を全肯定はしない。するとニコラスも「こちらこそ」これでいい、これが《私たちらしい》のだから。

 ニコラスがミリタリーブーツの紐を結び、リュックを背負うと振り返り、「じゃあ行ってくるよエミリー。マシューのことを頼む。できるだけ連絡するよ」そう言って私にキスをした。

 12月10日。家の電話が鳴った。家に来てくれているママが電話に出ると、「エミリーあなたによ」軍の連絡係だった。「ご主人が戦死されました。お悔やみを」聞き間違いか、ジョークなのか、簡単に言うな、いや、そう聞こえただけか。本当は重い口調で言っていたのかもしれない。とにかく何もかもが他人事のようで、なんの感情も浮かばなかった。

 気が付くとニコラスの葬儀が行われていた。米軍式の葬儀だ。空に向けて銃を撃っている。すばらしい。綺麗に揃っている。そんなことばかり思っていた。

 ニコラスの棺は空だった。彼の乗っていた車両は、ロケット砲の直撃を受け、木っ端微塵。ドッグタグが見つかり死亡が確認された。用を足すために車両を降りていて、直撃を免れた生存者が1人いるらしいが、今も意識不明の重体らしい。

 私の家族、私の友人、彼の家族、彼の友人、彼の同僚、彼の上官いろんな人から哀悼の言葉を掛けられた。どうでもいい。なんとも思わない。空っぽ。そうだ空っぽだ、それが私に相応しい言葉だ。

 それからも毎日がなんとなく過ぎて行った。なにも感じないのが良かった。でもそうもいかなかった。少しするとある感情が芽生えていった。悲しみではなく後悔と自己嫌悪だ。

 どうしてあんなに酷いことを言ってしまったんだろう。私はいつもそうだった。私はいつもニコラスのやることに文句をつける。

 ニコラスが入隊したのは、私と知り合うより前だった。訓練場の近くの店で友達と飲んでいた私は、偶然居合わせた彼に声を掛けた。『コーラばかり飲んで楽しいの?』最初の文句だ。今思い出してもナンセンスな声のかけ方だと思う。でも彼は優しく微笑み『俺は酒が飲めないんだ』真面目な人だと思った。それからも私は、毎日のようにその店に通って、彼を見つけると話しかけた。そのうち彼からも話をしてくれるようになった。

 父親が軍人だったから自分も軍人になったことを聞いたとき。『父親が軍人だったからって、そんな危険な職に就く必要はなかったじゃない』

 学生の頃は父親とトレーニングはしていたが、スポーツはあまりせず、勉強をよくしていたことを聞いたときは。『学校の勉強では教われないことを、スポーツからは学べるから、もっとやるべきだった』

 恋人と呼べる人が、これまでできたことがないことを聞いたときも。『あなたの性格が悪い。奥手なのは相手を思いやっているからじゃなくて、あなたが怖がっているだけ。それは誠実さとは違う』いつも辛辣な文句ばかりだ。思い出す度に顔が熱くなる。

 それでも告白してくれたのはニコラスだった。

『エミリーと一緒に人生を過ごして行きたい』と言ってくれた。『これじゃあまるでプロポーズだよ!』とまた文句を言ったけど、ほんとはとても嬉しかった。思い出す度に顔が熱くなる。

 それから結婚するまでに時間はかからなかった。プロポーズの言葉はなく、お互いに頃合いを感じとり結婚したという流れだった。結婚してからも文句ばかり言った。

 去年のクリスマス。ニコラスは、柄にもなく、サンタクロースの格好で家の煙突から、無理矢理入りクリスマスプレゼントを渡すという、無茶なサプライズを仕掛けた結果、途中で落下し右足を骨折、プレゼントを庇った腕も、12針を縫う大怪我を負った。しかもその衝撃で暖炉が壊れて今も使用不能。『左足も折ろうか!』当然私の怒りは爆発した。結局彼からのクリスマスプレゼントは、手編みのダサい真っ赤なニット帽だった。これを大怪我しながらも庇ったのかと思うと、心底馬鹿だと思った。この件に関しては私は悪くないと思う。

 そして今年子供を授かり、男の子だったのでマシューと名付けた。このときもニコラスは『ジェイミーにしよう』と言ったが、私が強引にマシューにした。つわりが辛いと彼に強くあたり、あらゆる食べ物を受け付けなくなった私が文句を言っても、黙って支えてくれた。

 いつもいつも私は文句ばかりだった。なのにいつもニコラスは黙って支えてくれた。今ならはっきりとわかる彼の優しさが、誠実さが。どうして彼が死んでから気付いたんだろう。どうしてもっと優しくできなかったんだろう。どうして彼が生きているうちにもっと寄り添えなかったんだろう。どうして私が生きているんだろう。どうして、どうして、どうして。日々どうしてが溢れてくるのに、どうして涙は溢れないんだろう。答えは簡単だった。私はニコラスが死んで悲しいと思うよりも、彼に対する態度を悔やんで苦しんでいるからだ。私は自分のことしか考えていない。そんな毎日だった。

 12月24日。家の電話が鳴った。今日はパパが出た。「エミリー、クレア・シンプソンという人から電話だよ」初めて聞いた名前だったが、パパから電話を受け取る。「もしもしエミリー・トーリです」「はじめまして私はクレア・シンプソンといいます。ジョージ・シンプソンの妻です」ジョージ・シンプソン。聞いたことがある。どこでだろう。少し黙って考えていると「夫はあなたのご主人のニコラスさんと、中東で同じ車両に乗っていました。大怪我をしたので帰国し、今は病院にいます」思い出した。ニコラスの乗っていた車両の生存者だ。私は驚いたが、正直今更なんの用かと思いながら「そうですか、ご主人の容態はいかがですか」形式的な質問だと思ったが、他に思いつかなかった。すると「まだ安心はできませんが、夫は昨日目を覚ましました。でも話したいのはそんなことではないんです。目を覚ました夫が最初に言ったのが、あなたのご主人のことでした」

 12月25日。パパの運転する車に乗りジョージのいる病院へ向かった。クレアによるとジョージは起きてすぐに、ニコラスはどうしたかと聞いてきたらしい。一緒に乗っていた人は全員死んだ経緯を知らせると、ジョージは泣きながら私を呼んでほしいと言ったとのことである。

 病院は家から3時間程の場所だった。電話で聞いた病室に向かうと、小さな子供を連れた、赤毛の長い髪の女性がいた。「あなたがクレア?」その女性がこちらを向くと、丁寧な雰囲気の伝わる話し方で。「そうです。あなたがエミリーですね。はじめまして。どうぞ入ってください」そう言って病室に入るように促した。「いいの?まだ起きたばかりなんだから、面会は」できないのではと聞こうとすると「夫が『どうしても会わないといけない』と言って無理に面会の許可をもらったんです」そう言ってまた促した。私は少し躊躇ったが病室に入った。

  病室に入るとジョージの顔が見えた。ジョージの目には包帯が巻かれている。「はじめましてニコラスの妻のエミリーです」あまり驚かせないように、静かに言った。するとジョージがこちらを向いて言った。「はじめましてエミリー。僕はジョージだ。よろしく」素敵な笑顔を向けてくれた。そのままジョージは続けた。「僕とニコラスは今回の派兵で、初めて知り合ったんだが、すぐに彼とは仲良くなった」女性には奥手だったニコラスも、男性とは打ち解けていたのかと驚いた。「僕はニコラスといろいろな話をしたが、1番話したのは家族の話さ。僕の子供は3歳なんだ。『俺もそろそろ子供が産まれる』そういう話をしている間だけは、紛争地帯にいる恐怖を忘れられた」ほんとに楽しそうな顔で話している。包帯で隠れた目が輝いて見えた。ところが笑っていたジョージの顔が曇った。

「だがあの日敵に襲われみんな死んだ。僕だけ生き残ってしまった。エミリーすまない、本当にすまない」ジョージの声が震える。私は「いいえ、あなたは悪くない。悪いのは私なの。ニコラスのことを全く理解しようとしていなかった。いつも文句ばかり、ずっと彼を否定してたの」ジョージは驚いた顔をしている。

「きっとニコラスは、私の悪口をたくさん言っていたんじゃないかしら。家では私の文句を受け入れてくれてたから、あなたにはほんとの気持ちを打ち明けていたんじゃないかしら」「そんなことはない!」ジョージが大声をあげた。私もムキになって「私は悪口を言われないといけないの!私はいつも勝手に《私たちらしい》つもりで《私らしい》を押し付けてただけだったんだから!」「ニコラスは君の悪口を一言も言っていない!妊娠している君をいつも心配していた!」そう言うとジョージが激しくむせ返った。それと同時にジョージに繋がった機械が警告音を発した。病室に医者と看護師が飛び込んでくる。私は病室を出された。病室の外でクレアの横に座って待っていると。「いつが予定日なの?」自分の夫を危険な目に合わせた私にクレアが聞いた。「来週なの」私の答えに黙ってクレアは頷いた。それ以降はなにも話さなかった。

 しばらくするとジョージの容態が落ち着いたらしいが、もうあまり話すなと医者に言われた。私はもう一度だけ話して帰ることにした。病室に入るとジョージはかなり具合が悪そうだった。

「ごめんなさいジョージ」私が謝ると「僕の方こそすまない。ただ君は勘違いをしているんだ」さっきと同じような内容。もう話すことはないだろう。私のせいでジョージは体調を悪くしたんだし、早く帰ろうと思った。「じゃあジョージ、あなたと話せて良かったわ。元気でね」そう言って私は病室を出ようとすると「ちょっと待ってくれ」ジョージが引き留めた。「ニコラスは遺書を残していなかったが、僕にした話の中に、君へのメッセージがあったんだ」私は振り返ってジョージの目を見つめた。ジョージもこちらを見ている。「ニコラスは去年のクリスマスのことを話してくれた。サンタクロースの格好で、煙突から入り、途中で落ちて大怪我したこと、その拍子に暖炉が壊れたこと。プレゼントはダサい真っ赤なニット帽」そこまで言うとジョージは呼吸を整えてから言った。

「その壊れた暖炉の中に、今年のクリスマスプレゼントが隠してある」

 ニコラスは最後の言葉をジョージに伝えていた。一緒にいた時間は短くても、2人の絆は深かったようだ。私はジョージに言った。「ありがとうジョージ。お腹の赤ちゃんの名前はマシュー。いつかあなたが元気になったら、きっと抱いてあげてね」ジョージは黙って頷いた。

 私が病室を出るとクレアと子供が立っていた。クレアは私のお腹を見つめて「この子の名前はアーサー。仲良くしてあげてねマシュー」そして私を見て「元気な子を産んでね」私は「ありがとうクレア。またねアーサー」と言って病院を出た。

 家に着いたのは夜だった。コートも脱がずに暖炉に向かい中を探した。掃除していなかったので灰だらけになった。ママは驚いて「どうしたのエミリー!」と言って私を止めようとしたが、パパがママに説明し別の部屋へ行った。暖炉の灰を掻き分けるとビニールの袋に入れられ、綺麗なリボンで結ばれた紙袋を見つけた。わざわざこんな所に隠すなんて少し腹がたった。私は汚れた手を洗ってコートを脱ぐと、リボンをほどいて紙袋を開けた。すると中には真っ赤なマフラー、真っ赤な手袋、真っ赤な靴下が大小2つずつと小さくて真っ赤なニット帽が入っていた。全て手縫いでできている。彼が最後に残した物が結局、ダサい真っ赤な手縫いの防寒着とは、なんとも言えない気持ちにさせられる。私は少し笑った。

 これで今年のクリスマスも、ニコラスとの思い出も終わりだと思い、彼の最後のクリスマスプレゼントを片付けようともう一度紙袋を開けると、中に手紙が入っていた。『エミリーへ』と書いてある。急いで封筒を開け私はその手紙を読んだ。

『メリークリスマス。エミリー。君と生まれてくるマシューにダサい真っ赤な防寒着のクリスマスプレゼントを送るよ。君が大変な時期に傍に居られないこと、君の両親がクリスマスパーティで家に来るのに何もしないこと、夫としても父親としても自覚が足りないこと。本当にごめん。父さんがそうだったからなった軍人も、今はエミリーとマシューのためにと思って続けているつもりだったけど、エミリーを不安にさせているだけだと気付いた。俺はいつも考えが足りない。いつもエミリーに我慢をさせて助けてもらってる。だから今回の派兵から戻ったら、退役して普通の職に就こうと思ってる。今の俺の夢はマシューと一緒に、野球やフットボールをすることなんだ。君は気付いてないかもしれないが、君の文句が俺を強くしてくれる。君が俺に初めて文句を言ってくれた日から俺はずっと幸せだ。だから本当はずっと一緒に居たいんだ!これ以上は手紙でも恥ずかしいから勘弁してくれ。とにかくこれからも文句を言ってくれるエミリーでいてほしい。マシューと《私たちらしい》3人で暮らしていこう。慣れない手紙で下手な文章だけど、最後に言わせてほしい。いつもありがとう。愛してる。ニコラスより』

 私はニコラスからの手紙を読み終えると彼が死んで初めて泣いた。悲しさと感動で胸がいっぱいになった。

「どうして死んじゃったのニコラス…私だって愛してるよ…」

 ニコラスが編んでくれた、あたたかい真っ赤な防寒着を抱いて一晩中泣いた。

 2ヶ月後マシューと一緒に車で3時間程の場所に来ていた。まだ寒いので親子で真っ赤な防寒着に身を包んでいる。マシューもあたたかそう。

 クレアが車椅子を押してきた。アーサーも一緒に押したいのか、クレアの手に自分の手を添えている。車椅子に乗っているジョージが、素敵な笑顔を向けている。残念ながら目はもう見えないらしい。「久しぶりだね!」ジョージが元気に言った。「あなたも元気そうでよかった」私が言うとジョージが笑った。「さぁ約束だ、抱かせてくれ」ジョージが手を広げて待っている。私はジョージに近付きマシューをそっと手渡した。やはり抱き方が上手だ。「結構重いじゃないか、元気な子でよかったよ!」ジョージが自分のことのように喜んでくれる。するとクレアが「ほらアーサーあなたも、マシューに挨拶して」アーサーは恥ずかしそうにマシューの顔を覗き込むと、マシューもアーサーを見つめ返した。そして「こんにちは、マシュー」アーサーが挨拶をした。するとマシューはとびきりの顔で笑った。

 家に帰ったのは夜だった。マシューを寝かしつけた後、ふと綺麗なリボンで結ばれた紙袋が目に入った。紙袋を開けてニコラスの手紙を読み返した。書いてある内容は変わってなかった。彼との思い出はもう増えることはない。もう彼はいない。少し涙が出た。でもすぐに笑顔になった。私にはマシューがいる。ニコラスと私の大切な子供が。もう一度手紙を見た私は、1人呟いた。

「なによ、『文句』なんて書いちゃって、ひどいじゃない。でも、ありがとう。メリークリスマス」

 彼の最後のクリスマスプレゼントから、2ヶ月遅れのメリークリスマスだった。

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