一
「……さま、……姫様?……千桜様!」
肩を揺すられハッと目を開ける。
「あ、えっと……」
頭がボーっとする。
座って寝ていたらしく足が痺れて痛い。
きょろきょろと辺りを見ると薄暗い室内に落ち窪んだ床が目に入った。
日本家屋風の部屋に障子はなく、渡り廊下に面した入り口からは中庭が見える。
手元には縫いかけの着物。
ああ、いつもの私の部屋だ。
「ごめんなさい阿漕。ちょっと寝ちゃったみたい。」
中庭に注ぐ陽はまだ高い。ほんの数分うたた寝してしまったらしい。
昔の夢を見るなんて久しぶりにみた。
「いいえ。大丈夫ですか?」
傍で一緒に縫い物をしていた阿漕が心配そうに聞いてくる。
阿漕は幼い頃から仕えてくれている女房で私の乳姉妹でもある。
栗色の長い髪にクリッとした目の可愛らしい顔立ちだが、なかなか勝気な性格で遠慮がない。
私にとっては姉のような親友のような大切な存在だ。
彼女を心配させまいと、微笑んでみる。
「ええ。陽気のせいかしら。今日はめずらしく暖かいわね。」
「いえ。絶対それだけじゃありません。この縫い物の量!このところ徹夜続きじゃないですか。姫様が倒れてしまいますわ。」
そう言って恨めしそうに手元の着物を睨みつけた。
「姉上が結婚なさるそうだから。仕事が増えるのは仕方ないわ。」
「仕方なくありません。どうして三の君の結婚が姫様の仕事につながるんですか!あー!悔しい!」
イライラをぶつけるように手元の着物を握り潰す阿漕に苦笑がもれる。
「そうねぇ。生きて行くため、かしらね。」
ここは平安時代だ。
厳密には不明だが、少なくとも前世の私の知っている平安時代そのものだ。
そして私はその平安時代を生きている。
タイムスリップでもなく、前世の、つまり21世紀で女子高校生をしていた記憶を持ったままこの平安時代に転生したのだ。
タイムリープって言うんだっけ。こうゆうの。
過去に生まれるなんて訳がわからない。
転生ってゆうのは異世界とか乙女ゲームの世界とかに生まれるもんじゃないのか。
おかげで10歳の頃、前世の記憶を取り戻したときはひどく混乱したし、数日間放心状態になったが、あれから6年も経った今では考えてもしょうがない、と受け入れている。
私の父は中納言という中流貴族だ。
母は元皇族の血筋らしいが、側室で私が10歳の頃に流行病で亡くなってしまった。
私は父の屋敷に引き取られたが、父の正妻である“北の方”から疎まれ、こうして日陰の部屋で暮らしている。
恐ろしいことにこの時代、母が死ぬということは生活全ての援助が断たれて野垂れ死ぬことを意味している。
一夫多妻制のこの時代では、夫婦になっても一緒に住むとは限らない。
娘は母方の家で育てられ、結婚し婿を取り、婿もそこでお世話する。
そして婿が一人前になると夫婦として別に邸を構えて出ていくのだ。
もちろん婿が一緒に住もうと言わなければそのまま母の家に住み続けることになる。
男女平等とは程遠い、なんとも胸糞悪い制度である。
そんな中で野垂れ死ぬことなく父の屋敷に引き取られた私はラッキーなんだろう。
あの人さえいなければ……。