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望郷

作者: 紫 媛

五年間の結婚生活に幕が降りた。離婚の際に生じた前夫との金銭的な問題を解決すると、私は勤め先に有給休暇を申請し、大学時代を過ごした京都に向かった。しばらくの間、現実逃避がしたかった。


幸か不幸か、前の夫とは子供を設けなかった。そのことが、私の行動を身軽にしてくれていた。私は、自分の身軽さをポジティブに捉えていた。ところが、友人からその身軽さを指摘されると、なんとなく、嫌味や皮肉、あるいは彼女より下に見られているような気がして仕方がなかった。私がそう感じてしまったのは、彼女が二人の子宝に恵まれ、自分のパートナーと幸せな家庭を築いているように見えるからかもしれない。


ありきたりで面白味はないが、平穏な家庭。結婚生活に対する、そのようなイメージにずっと憧れを抱いていたが、その憧れが憧れのままで終わってしまった今となっては、失望が私の心を苦しめていた。


雨が降りしきる7月半ばの夜、私は東京の駅から夜行バスに乗り、京都に向かった。バスに乗り込んですぐに、私は自分の選択を後悔した。「現実逃避」と言いながら、旅行の経費を少しでも抑えようと現実的な行動を選択したことが仇になっていた。もっとも、雨が降っていなければそうは思わなかったかもしれない。



駅に向かう途中、傘はさしていたが、バスに乗り込み自分の席に座ってみると、スカートや靴下が雨でじっとり濡れ、太腿や足首がやたらと冷える。そこに、乱暴に冷風を吹きつけるエアコンが、私の体に追い打ちをかける。まもなくバスが動くと、私はバスに備え付けてある、薄手の丈の短い毛布を体にギュッと強く巻きつけ、目を瞑り眠くなるのを待った。


バスの中は静かだった。私の隣の女性-学生のように見えた-は、バスが動く前から携帯電話の画面に夢中になっていた。恋人や友人と連絡を取り合っているのだろうか。私が起きている間は、終始、嬉しそうな表情をして画面を見つめていた。私は孤独だった。


ジメジメと湿度が高く、気が滅入るほど蒸し暑い夏の京都。私は火の中に飛び込む虫のような気分だった。


朝の六時、バスは京都駅に着いた。雨は降っていなかったが、東京より蒸し暑く、空はどんより曇っていた。ひどく空腹を感じていた私は、バスを降りるとすぐに、学生時代に頻繁に通っていた駅の近くのマクドナルドに足を運び、朝食を摂ろうと考えた。空腹を満たし、昔の懐かしい思い出にどっぷり浸れる。一石二鳥を図れることこの上ない。その場の思いつきにしては我ながら名案だった。


故郷でもよく口にしていたこのファーストフード店は、中国から日本にやってきて間もない頃は、特に行きつけにしていた店だった。

思い返せば、私が学生だった頃、日本では「グローバル・スタンダード」という言葉が流行っていた。マクドナルドやマイクロソフト、ナイキと言った、世界中で商品が消費され、人々の間で認知されているアメリカ発の企業が、この言葉を体現し、国境を越えて世界中の人々に大きな影響をもたらしていた。

私個人も、例外ではなかった。当時から、私は、故郷から遠く離れた日本の、その日本の文化を象徴する京都と言う都市で、「グローバル・スタンダード」に広まったハンバーガーを、まるで故郷の味のように感じて頬張る自分自身が、何となくおかしくて仕方なかった。


駅から数分歩くと、昔と変わらず、マクドナルドの看板が私の目に写った。自分で計画した通り、私の胸は既に懐かしさでいっぱいになっていた。足早に店内に入る私。内装は、学生の頃からほとんど変わっていない。客もほとんどおらず、並んで待つことなく店員に商品を注目することができた。プレートにハンバーガーとフライドポテト、それから烏龍茶を載せて、私は外の景色が見える窓側の席に陣取った。そして、ハンバーガーとフライドポテトを交互に口に入れながら、遠い昔に過ぎ去っ日々に思いを馳せていた。



私と亮の初めてのデートの場所もこの店だった。彼との出会いは、日本に来て二年目の頃だった。大学の小さなゼミで知り合い、向こうから熱心にアプローチをしてくれた。私のことを可愛い、一目惚れしたと熱心に口説いてくれた。

その彼自身も非常に可愛らしい、綺麗な顔をした男の子だった。優しい目、癖毛のない黒髪、鼻筋の通った綺麗な鼻、ふっくらとした唇。一つ一つの顔のパーツは整っており、それらが合わさった顔は、年齢よりも若く見え、十四、五歳ぐらいの中学生に見えた。もっとも、学内での成績は優秀だった。彼は、どんなにつまらない講義にも毎回欠かさず出席する生真面目な子だった。そして、誰よりも気立てが良く、優しい男の子だった。

しかし、その頃の同年代の若い女の子が憧れるような、男の色気や振舞いというものを全く持ち合わせていなかった。私達は間もなく「付き合った」が、男女の交際というよりは、ままごとのそれに近いものだった。


彼は、いろんなところでアルバイトをお金を稼いでいたが、お金を手に入れると、すぐに漫画やアニメの鑑賞にほとんど使ってしまっていた。

ファッションには無頓着で、春、秋の冬いずれの季節も、数種類の無地のパーカと、紺か黒のジーンズをそれぞれ組み合わせて着回し、夏は数種類の無地のTシャツに同じ短パンの組み合わせという、いつも同じよつな格好で大学に現れていた。当時の私は、それがたまらなく嫌で、よく彼に貧乏くさいからやめてほしいと、文句を言っていた。彼にしてみれば、しっかり洗濯して不潔でなければ、服は数着あれば充分という性格だったから、私の言葉に聞く耳を持とうとはしなかった。

一方で、成績優秀で面倒見の良かった彼は、交際していた期間は、絶えず私の学業の心配をしてくれ、その面倒を見てくれた。そして、いつも不慣れな日本語で学業を修めようとする私を絶えず励ましてくれた。その姿はまるで私の保護者そのものだった。


一方で、一人の「女」として、「男」の彼と関わることは退屈極まりなかった。

彼とのデートは、いつもインドアだった。彼は、学業とアルバイトの合間を縫って、部屋に籠って漫画を読んだり、アニメを鑑賞することが大好きだった。私は、いつも彼のアニメ鑑賞に付き合わされた。京都のお寺を拝観しようとこちらから誘ってもなかなか応じてくれなかった。彼の数少ない欠点の一つが、自分の趣味に対して傾倒し過ぎることだった。もっとも、これは私の我儘な解釈かもしれないが。

ほどなく、私は彼との寺社拝観を諦め、拝観は一人で行うか、もしくは同じ中国人留学生数人の友人と行うことに決めた。友人から彼氏を連れてこないかと尋ねられると(これは、からかいの意味が多分に含まれていた)、私は決まって彼は忙しいからとその場を濁した。留学生仲間に対して格好がつかなかったことが私のプライドを傷つけたことは言うまでもない。


テレビの画面の前で夢中になってアニメを鑑賞している亮の姿は、当時の私には正に幼児のように映った。そこに、彼に対する愛らしいという感情がないわけではなかった。しかし、どちらかと言うと、退屈で子供のお守りをしているような感情が圧倒的だった。

私が女の子で彼が男の子だからか、あるいは、私が中国人で彼が日本人だからか、はたまた、個々の人間の持つ感性の違いかは分からないが、私は、彼が熱心に鑑賞している漫画やアニメに対して最後まで興味が持つことができなかった。


彼との交際は、大学一年の秋から始まり、三年の春まで続いた。

ところで、これは私自身、非常に驚いていることではあるが、その間、彼とは一度も肉体的な関係を結ぶことはなかった。彼は童貞だった。初めの方こそ私に熱心にアプローチしていたが、いざ付き合ってみると、異常とも言えるほど奥手な性格に様変わりしてしまった。あと一歩踏み込み、男女の関係になろうという勇気が、彼にはなかった。加えて、これは致命的なことであるが、私自身、どうしても彼を性的な対象として見ることはできなかった。可愛いらしい外見や、優しい性格が、この場合、彼の男としての価値を高めることにはならなかった。むしろ、その幼い外見や優しい性格こそが、私の女性としてのプライドを増長させた。つまりは、私も子供だったのである。当時の私は見栄っ張りで、自分は男の子にエスコートされて当然だと思っていた。だから、私の方から彼に肉体的な関係を求めようとする素振りを見せることなど、ついぞなかった。


亮との交際は、別の男の出会いによって呆気なく終わった。次の彼氏は、私と同じ中国人留学生だった。亮とは違って、女の子の扱いに長けた子だった。資産家の息子だった私の次の彼氏は、同年代の女の子に好まれるファッションをして、同年代の女の子が喜びそうな場所でデートをすることを好んだ。

もっとも、親のお金で好き勝手に振る舞っていた彼もまた、その皮が一枚剥がれると、たちまち子供の姿を露わにした。しかし、女の子として扱われているという、私の自意識を満足させるには、この上なく都合の良い男だった。

その彼とは、付き合って一月もしない内に男女の関係になった。私は処女ではなくなった。


亮に別れを切り出した時、彼は泣きじゃくって私とよりを戻そうと必死になった。私の好きなお寺に一緒に参ろうと、祈るように哀願した。だが、私は仏ではなかった。既に別の彼氏との関係をスタートしていた私は、彼の未練がましい態度が鬱陶しかった。意地の悪い、我儘な私は、彼の言葉に耳を貸そうとはせずに無理矢理に話を打ち切り、彼の前から立ち去った。

彼との関係はそれっきりで、その後は文字通り何もない。


その後、私は、大学で彼の姿をよく目にした。彼は、私の顔を見るたびにいつも悲しそうな表情を見せた。彼に対して罪悪感を負っていた私は、努めて彼を見ないようにした。当時の私は、自分が楽しければそれで良かった。ほどなくして、私は彼にまつわる物は、綺麗さっぱりに処分してしまった。

二年後、私は大学を卒業して、東京にある商社に就職した。亮の次に付き合った中国人留学生との関係も、大学を卒業してからもしばらくは続いたが、間もなくお互いに次の交際相手を見つけて自然に消滅してしまった。



私は、朝食を摂り、店を出る頃には、憂鬱な気分で苦しくなっていた。せっかく来たばかりなのに、一刻も早く京都から離れたい、そんな気持ちに駆られていた。

空は相変わらず見渡す限りどんよりと曇っている。


たまたま、京都に来てから、最初に思い出したここでの思い出が、亮に関することだった。

たまたま、男女の交際に関する思い出だった。

ところが、その後、清水寺や金閣寺、上賀茂神社や大原三千院と言った、学生時代に目を輝かせて訪れた観光名所はもとより、旧友やその他の雑事に想いを馳せても、どうも気分が優れない。


私は、年齢を重ねたことで、一人の人間として精神的に成熟できたとは思ってない。今もまだ心は根っこのところで子供のままのような気がする。


私は、東京で働き始めてから知り合った男と、二年間交際し、五年間の結婚生活を送った。相手は私と同じ中国人で会社の取引先の社長だった。

交際していた時は上手くいっていたのに、結婚した途端、喧嘩の絶えない日々を送った。日一日経つごとに、私は、自分のパートナーが自分のことしか考えないエゴイストのような気がした。元夫も私に対して同じことを日々感じていたことだろう。私は、相手が自分の思い通りに動いてくれないと感じると、すぐに不快な態度を彼にぶつけていた。最後は、元夫の浮気を理由に離婚したが、今になって考えれば、二人の関係性の行き着く先としては、当然の結末のように思えた。


私は、平穏な結婚生活に憧れていた。

だが、憧れを現実のものとするためには、継続的な忍耐と努力が必要である。私には、その忍耐と努力が足りなかっただけである。


私は、ふっと亮の悲しい表情を思い出した。私が目を背けていた、あの哀れな表情。

当時、私は「彼」に対する罪悪感からその表情を直視することができなかった。

だが、もしかしたら、彼は「私」の将来の姿を予測して私を哀れんでいたのかもしれない。

私は、仏像の柔和な表情が見たくなった。

仏像の持つ優しさに溢れた表情が、私のこれからの平穏な生活を導いてくださるかもしれない。


空を一面に覆っていた曇り空に、ほんの僅かであるが、小さな太陽の光が差し込んだ。

私は学生の頃に戻ったような新鮮な気持ちで、出発の際に東京で購入した観光ガイドを開き始めた。




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