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赤眼の彼が、異世界支配してみた  作者: ひよこ丼
第一章 『死始と死別』
33/38

第32話 『無才の男』


 



 

「……ま」


「――」


「………キ様」


「――」


「ツキ様っ!!」


「んぁっ!?」


 睡魔に負けて眠りこけていたタツキを、大声が覚醒へと引き起こした。リラの時のように直接頭に響くタイプだ。『防音効果』が付けられていて、魔法干渉しかできなかったのだろう。ならばなぜ、クロークは『魔術遮断』効果はつけなかったのだろうか。


「……」


 回らない頭で状況を整理しようと試みる。寝起きだと周囲の全てがぼやけて見えるのだ。

 頬の下に硬いものを感じる。……本だ。

 そういえば五十音を作っていたのだった。作成中にいつの間にか寝てしまったのだろう。本の下に挟まれた紙に途中まで綴られているが、文の結尾がミミズみたいになっていた。


「ようやく目覚めた様ですね、浮浪人」


「その物言いはルイだな!? 言っとくけど遊んでたわけじゃないぞ。……勉強してたんだ。フレシア達がいない間、ずっと! 一人で!」


「本人の証言だけでは……証拠の提示を求めます」


 孤独を強調するも、慰めは無く切り捨てられる。


「俺の努力の結晶を見てくれりゃ分かるさ。って、そういやなんでお前らは俺の部屋が分かるんだよ」


 文字で埋まった紙をぺらぺら漂わせながら、独言のように宙に向かって呟く。未だに他者の頭の中に【響かせる】という感覚が掴めないのだ。


 タツキは口で発信し、それをルイが受信してくれている。まぁ屋敷にきてから2、3日しかたっていないのだから仕方ない。魔法の教養もないのだし。


「機密事項です」


 ――タツキに対するルイの信頼度はゼロの様だ。秘密の一切を見せようとしない。変わらない声音で淡々と攻めてくる。いざこざが起きてもスタイルに変化はないらしい。


「へぇ。それで要件は?」


 出来る限りぶっきらぼうにつとめる。相手が心の扉を閉ざしてしまっているのだ。自ら歩み寄っていけるほど強くはない。

 カーテンを開くと、優しく朱色に染まった光が落ちてきた。タツキの全身をオレンジに染め上げている。遠くに燃え盛る夕日が見えた。……夕方だ。四時か五時辺りだろうか。


「………何でもありません。夕飯時にまたお呼びにあがりますので」


「は?」


 ――プツリ。通信が切れたことを悟った。次いでルイが遠のいて行くのが分かる。短い会話だけで取り残されたタツキは首をひねる他なかった。


 ルイがわざわざ用事もなくタツキの元を訪れるはずがない。それに対応もどこかよそよそしかった。毒舌なのはいつものことだが、他人との領域をしっかり区切ってしまったみたいだった。


「まぁいいや。今はとりあえず寝よ」


 疑問より襲い掛かる眠気に耐え切れずベッドにダイブ。最近睡眠時間が増えた気がする。何となく眠気が取れないのだ。普段使わない頭を酷使してしまったからかもしれない。時々考えることを放棄したくなる。


 ――そして盛大なあくびをしてから毛布の中に潜り込んだ。






※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※―※






「よっしゃああああああ!」


 ――時は進み、場面は見慣れた食堂へ。宣言通りルイが夕飯の時間を告げに来てくれ、今は食事を済ませた後だ。残飯や食器をメイドたちが下げてくれている。


 タツキが喜んでいる理由。それは今日の夕ご飯が特別美味しかったからではない。うるさい少年(リク)が席を外しているからでもない。


「じゃ、じゃあ俺も明日から参加していいってことだよな!?」


 『学習会』への参加が許されたからだ。除け者扱いを嫌っていたタツキは、席を立って喜びの舞を繰り広げる。

 勉強すること自体が好きなわけではない。

 この世界で、このメンバーでの《学校》というものに興味があるのだ。主にフレシアに。みんなで学び教えあい、にこやかに物事を取り込んめば、覚えが格段に良くなるはずだ。


「嗚呼、許可しよう。街に出るまでの時間を有効に過ごして欲しいからね」


「クロ様マジゴッド! 感謝感激フォーエバー!」


「タツキ君は調子がよくて素直に喜べないな……。ま、まぁ魔法式程度なら我が直々に教えてあげることもできるけど?」


「その割にはかなり嬉しそうですね、ご主人様。 クロさん直々かぁ……。でもいいのか? 魔法関連は猫様の得意分野だろ。唯一の長所を潰しちゃったら可哀想じゃね?」


「お前の顔面を潰してやろうかにゃ?」


 調子に乗ったタツキをアンが一刀両断。鋭い猫目が完全に調子に乗っているタツキを射抜いた。

 上座では仮面が左右に揺れている。こちらは多分嬉しさ表現だ。ちょろい人達の集まりの中、アンだけは一筋縄ではいかない。

 『才能がないヤツ』にはとことん冷たいのだ。まさにその言葉がぴったりのタツキには、今のところツン要素しか見せてもらっていない。


「アンの才能は魔に留まらないよ。枠に囚われた考え方はやめた方がいい。それに、アンがタツキ君に何かを説こうとするとは到底思えない」


「当たり前にゃ。あまり出しゃばるな、人間風情が」


「それ、ここにいるほぼ全員の人間を敵に回す発言だよ…?」


 長い尾を揺らしながら毒を吐くアン。小柄な彼女は武術も得意なのだろうか。クロークの言い草に引っかかりを感じる。何度も感じたことのある違和感だ。


「安心して。魔法ならマルがいるわ。私と一緒に頑張ろう?」


「フレシアがいうなら――男タツキ、頑張っちゃいます! マルセンコー、よろしくお願いシャッス!」


 花のような微笑みをするフレシアに向かって敬礼。――正しくはその髪の中に潜む生物に向かってだが。


 本当はフレシアと学べるなら先生は誰でも良かった。誰に教えられようと一生懸命こなすだけだ。


「相変わらずシアはお人好しだなぁ。コイツが僕の教授を受けるに相応しいとは思えないのに」 


「愚かなニンゲンめ! マルちゃんに負担をかけるんじゃにゃい!」


「そ、そんな酷いこと言っちゃだめよ? タツキだっていっぱい努力してるんだから」


 手厳しいマルと甘やかしのシア。心の温度差を感じる。アンの言葉はフレシアに向けたものに聞こえた。


 ―――努力。

 これほどタツキに似合わない言葉は他にない。

 継続という言葉を拒む程の飽き性。努力らしい努力をした覚えがない。楽な道があれば真っ先に折れ曲がり、本来の目的とはかけ離れた道を行く。辛いことから目を背け、楽しいことばかり考える。

 ……こんな現実逃避男、非難されて当然だ。マルはタツキの人柄を見抜いている。今まで楽な道を選択し続けてきたうつけ者だと。


「すまん、マル公。いきなり自分の願望だけ押し付けて。考えが足りなかった」


 頭を深く下げて反省の意を示す。


「うん、殊勝な心がけだ。一度出した考えを引っ込めて謝罪することは難しいことだからね」


「俺は底辺の人間だって自覚してるからな。チリ程度のプライドならあるけど」


「それで、マル公ってのは?」


「あ、それは……マル様と同格の敬称デスヨ」


 まる子と呼んで逆鱗にふれたことを思い出し、慌てて弁解する。自然とあだ名をつけてしまうのはタツキの癖でもあった。


「様だって? なんだかむず痒いなぁ」


 蔑称にもなりかねないあだ名を、様付と同等だと信じて喜ぶ生物。顔を前足(?)でくしゃりと掻いた。猫の動作に似ている。


「タツキったら、すぐ変な名前つけるんだから。リクがいたらまた何か言われてたわよ」


「さらっと変って言わないでくれる!? リクはレパートリー豊富だかんなぁ。アイツ反応面白いし」


 顔と体を使って感情を表してくれる少年を思い出し、軽く噴き出してしまった。精神年齢が低い少年はやること全てが可愛らしい。


「リクはタツキ君のお気に入りなのかい? ……羨ましい限りだ」


「いやお気に入りというかペット的な。クロさんはありえないから安心してくれ。それでフレシア、詳しい予定とかはどんな感じなんだ?」


 突然口を挟んでくるクロークから逃れるように、早口で話題をフレシアへと渡す。強引な話題転換だったが、仮面男は特に気にしていないようだ。ルイの淹れる紅茶を堪能し、小さく吐息を漏らしている。


「予定? そうね。私の場合、朝は昨日習った復習と次の予習、昼は毎日違ったお勉強、夜には魔法を習ってるかな」


「勉強ばっかじゃん!」


 まさかの勉強漬けメニューに気が遠くなる。だが大見得を切った手前、逃げるわけにはいかない。魔法学習=体育の授業という考え方でいけば乗り切れる。

 問題は昼だ。タツキは座学の場合、眠気に負けて昼寝をしてしまう自信がある。満腹感と朗らかな日差しの暖かさが相まって、うつらうつら――


「実は、いうほどやってるわけじゃないの。たまーに朝寝坊しちゃうことだってあるし、休みになることもあるし……。それにちゃんと、休み時間だってあるんだから」


「朝昼晩って大雑把な振り分けで休憩時間ゼロだったら死ぬよ」


「それにシアは夜に弱いんだ。僕との勉強が終わったらすぐ寝ちゃうもんね。朝は朝で、毎日寝坊しかけてるし」


 フレシアの肩の上で浮遊するマルが頬を膨らます。その態度から、本気で怒っているわけではなく、親しみのこもった愚痴だとすぐにわかった。二人の高密度の関係が羨ましい。


「ごめんね、マル。一生懸命教えてくれてるのに、いつまでも成長できなくて………それに私が寝ちゃったら、マル寂しいもんね」


「寂しくなんてないさ! 僕は一人でも平気。余計な気遣いはしないで欲しいな。――シアの重荷にだけはなりたくないんだ」


「……ほんっと素直じゃねぇよなぁ」


 赤い顔をぷいと背けるマルに苦笑。二人の会話は互いを想いやってのものだ。その会話を聞いている立場からすると……正直こっ恥ずかしい。素直になっちゃえよー、と笑い飛ばしてやりたい。敵に塩を送る行為など断じてしないが。


「ん? 僕の言葉に偽りは無いよ」


「ツンデレマル公、可愛いな。でも寂しいならちゃんと言葉にしろよ? フレシアが心配する」


「だから寂しく無いって言ってるだろ! 僕は神聖なる獣の王なんだから……」


 言葉尻が下がっているあたりに、マルのツンデレ気質が察せられた。素直になれない王様。冷たいことを言っているように見えて、要は構ってほしいだけなのだ。ここには変に意固地になる人たちが多い。それだけ『自分』という存在を確立させているのだろうか。

 

「フレシアに甘えたいのが本音なくせに」


「そんなこと―――無くはないけど」


「マル可愛い……! どれだけでも甘えていいんだからね。全然負担なんかじゃないから」


「当たり前でしょ、小娘。マルちゃんは世界一可愛いのにゃ」


 フレシアに冷ややかな眼差しを送り、次いでデレデレの顔つきでマルを捕獲しようとする。アンは相変わらずマル以外の人間にはなびかない。

 魔力を行使したのだろう。マルが宙に向ふわふわと浮き、アンの手の中にすっぽり収まった。頭で帽子的な何かが揺れている。


「にゃう、簡単に魔力干渉しないでくれよ。別に僕は可愛さなんて求めてないし……」


 アンに弄ばれながら必死の抵抗。スネたようにタツキから小さな顔を逸らした。


「照れんなよ、マル公。お前のもふもふボディは最高だぜ。王の名に恥じないくらいにな」


「全然嬉しくない」


「あれぇ!? なんか本気で嫌がってない!?」


 最高級の褒め言葉を一蹴されてしまった。そこにツン要素は少しもなく、心の底から嫌がっているのが分かった。汚物を見るような目つきだ。


「ふふ。まるでタツキとリクみたい」


「全然違うよ!?リクは元がいじられ体質なの! ……あ、そーいや三人は魔法授業受けてんの?」


「彼等を教えるのは我の役目だよ」


 当前のように首を突っ込んでくるクローク。魔法分野に高い適性があるらしい彼自ら教鞭をとっているのか。


「クロさん直々とか、俺だけじゃなかったん?」


「おや、そんなに我を独占したいと? ……屑虫を見るような目はやめてくれよ。軽い冗談じゃないか」


 発言の気色悪さに、思わず本音が顔に駄々漏れになってしまった。表情筋を総動員し、必死に笑みを作る。その歪な笑顔にフレシアが微かに笑っている気がする。


「そんで、クロさんから見てどう? ぶっちゃけあいつらは強いの?」


「おやおやぁー、やけにその件に執着するね」


「………」


「ハハ、すまない。いささか不粋だったようだ」


 繰り返した問に不愉快な笑い声が返ってきて、思わず睨んでしまった。……図星だったからだ。

 『彼らの魔力が強いか?』という問に対して、タツキの望んでいる答えはノーだった。

 理由は簡単だ。タツキは生物三角ピラミッドの底辺にいる。だから自分と同レベルの人と傷を舐めあって安心したいのだ。周りが強者ばかりだと居心地が悪い。わずかな自尊心が消えてしまう。

 

 ――とても身勝手な考えだ。姑息で卑劣。だからクロークに汚い自分をあばかれかけて、膜を張った。

 クロークの謝罪に自分の醜さに気づき、再び笑みを再開。隣でフレシアが噴き出した音がした。


「ふーむ、しかしなんと答えるべきか……。魔法というものは魔力値だけで計り知れるものではないんだ。我から言わせてもらえば、三人はそれぞれの才能を持っていると思うな」


「さい………のう」


 タツキとは縁遠い言葉に笑顔が消える。ありふれたその言葉を聞くたびに、気分は憂鬱になる。

 『才能』という言葉はタツキの手に届かない場所にあるのだ。無能、無力、無謀、無才。……こちらのほうがしっくりとくる。


「タツキ君にだって必ず存在するさ」


「はっ、バカバカしい。才能開花の予兆さえねぇよ」


「そんなことないわ。才能って……例えば悪巧みをするのがうまいことだって、立派な才能じゃない」


「それ絶対褒めてないよね」


 フォローになっていないフレシアの一撃。

 役に立たない才能なんて才能とは呼べない。人より飛び抜けて頭がよかったり運動ができたり――そういうことを言うのだ、きっと。

 フレシアは才能についての解釈の幅が広すぎる。いい事を言っているのかもしれないが、甘いだけの言葉じゃボロ切れの心には絶対に届かない。


「あ、そうだ。カルトは治癒術師なんだよな。サポート徹底の非戦闘要員ポジションって解釈でいいのか?」


「完全な非戦闘要員と言う訳ではないが……。リクから自慢されなかったかい? カルトの属性について」


「ああ……確か出会った頃に」


「そうだろう。カルトは世界で見ても珍しい《聖》の属性持ちなのさ。お偉いさん達が知れば、こぞって手に入れようとするだろうね」


「へぇ、レアなのか……」


 生まれ持っての才能。それに恵まれたカルトは誕生と同時に勝ち組決定だ。自分との差が浮き彫りになり息が詰まる。


「タツキ、怖い顔になってる。さっきみたいに笑って? ……ぷふ」


「この顔、フレシアのツボか何かなの?」


 希望通りに歪な笑顔を作ると、フレシアが相好を崩して笑い出す。嬉しさと虚しさが胸にこみ上げてきて停留する。彼女だって神に恵まれた者の一人だ。


「カルトは支援増員の中でも、更に類稀な体質なんだよ。いいかい? まずあの子が他と決定的に違うのは――」


「あー、もういい! わかった! そんでもって、リクとハルもどうせ同じぐらい優秀なんだろ!?」


「聞いたのは君の方なのに……」


 カルトの事についてもっとしゃべりたいらしいクロークは、身を乗り出して語り出してきた。その解説を無様に体を縮こませて回避。まるで弱々しい胎児だ。


 どうやらカルトはクロークに重きを置かれる人物らしい。確かに肝の座り方から別格だった。何事にも動じず常に落ち着いている。それに普段はぼんやりしているくせに、口にすることはやけに正しいのだ。


「いや、リクはともかく……ハルは元来色についての才能は無いね。彼は次元が違うんだ」


 クロークが興奮の冷めた口調でハルという少年の素性を曝け出す。急に興味を失ったようだ。

 ――次元?


「はぁ? 別次元の才能があるってか?」


「―――まぁね」


「おい、まさか説明ナシとか言わねぇよな!?」


「ハハ、さっきとは真逆の立場になったね」


 クロークが肩をすくめてタツキの追求をスルー。

 タツキは知りたい欲求の塊だ。そんなタツキの前に、餌をぶらつかせるだけぶらつかせて撤収とは……。

 悪趣味にもほどがある。タチが悪い。悪質な嫌がらせか。クロークへの不満が沸々と募っていく。


「あぁそうかよ」


 不満を態度で表し、鼻を鳴らす。思春期がよくやるような仕草だ。


「君は無知を恐れているんだろう? 自分で知識の無さを認めているくせに、知らないことが怖い臆病者だ」


「……もういいって言ってるだろ」


「嗚呼、それとも認めているというのが建前なのか。自分を下げることで、逆にうだつがあがるとでも思っているのかな」


「もう黙ってくれ! 適当なことばっか言いやがって!!」


 クロークの言葉は全て的を射ていた。故に、はいそうですと素直に頷けない。変なプライドにとらわれ続けている証拠だ。言葉が脳に浸透する前に拒み、追い出すことで何とかそのちっぽけなプライドを守っている。……周りから見ればそのほうが滑稽だということに気づいていないのだ。


「我は的外れな事を言っているだろうか。常識を持ち合わせる大人からすれば、赤子が現実から目を背けて、嫌だ嫌だと駄々をこねているようにしか見えないけれど」


「………っ」


 赤ん坊呼ばわりをされ、タツキの耳が真っ赤に染まる。愛しい人の前で無様な姿を見せたくなかった。あの人の前では常に格好いい自分でいたい。これは全国の男の子の悲しい性だ。それがただ演じているだけの行為だとしても構わない。


「俺は無才だ。何にも恵まれなかった凡人以下だ」


 隣にいるフレシアから顔を逸し、空に呟く。机にもたれ掛かってマルと戯れるアンが見えた。


「……無能はいくら見栄はっても無能なままなんだ」


「よく分かってるじゃないか。ならなぜ、今それを嘆く? 本当に受け入れているなら、そんなこと言わないはずだろう」


「……っ」


「できないのは、君が真に自分の弱さを受け入れてない証拠だ。見栄に頼らない己の強さを持つのが大切なのに」


「その強さを持ってない俺には見栄はることしかできねぇんだよ!」


 正論で立て続けに責められ、思わず感情的になる。タツキの悪癖だ。無駄にプライドが高く、無駄に短気で、無駄に自己愛が強くて、無駄に負けずぎらいで―――無駄無駄無駄。考えれば全部いらない要素ばかりで出来ている。


「ほんっと、下等生物(にんげん)は愚かで見てられないにゃ~。ペルにゃんが許可すればすぐにでも(チリ)にするのに」


 愛らしい顔でちらりとこちらを見てくる。そのオッドアイは、愚かで浅ましいタツキへの軽蔑でできていた。恋とは別に高鳴る鼓動をぎゅっと押さえつける。クロークが頷けばアンに殺される。これは決して笑い飛ばせる冗談ではない。日頃のクロークに対するタツキの態度は正直最悪だった。


「弱者をわざわざ(なぶ)るのは趣味じゃないんだ。許しは出せない」


「おまっ……!」


「ま、それもそーにゃね」


 心配していた事とは別方向への怒りに、再び罵倒が口から出そうになり、慌てて抑える。クロークの冷たい眼光に蹴落とされたのだ。アレは死中を潜り抜けた猛者の目。タツキの処分なんていつでもできるという自信を持っている。少し空気がピリピリしているところを見ると、苛立っているのかもしれない。


「……悪ィ、ちっと気分悪くなってきたから退室させてもらうわ」


 死の感覚を得た途端、耐え難い嘔吐感が襲ってきた。逆流する胃を気遣い、席を立つ。クロークの発する怒気が胸を圧迫していた。


「あれ、逃げるのにゃ?」


「……うるせぇよ」


 からかってくる猫を避けるように扉に向かった。そしてドアノブに手をかけ――


「タツキ、大丈夫? すごい汗……。あ、待って! これ使って!」


「―――」


 彼女の言葉を、初めて意図的に無視した瞬間だった。

 扉が閉まるときに見えた、タオルを差し出して固まる少女。表情までは見えなかったが、自分が酷いことをしてしまったことは理解できた。……どれだけ自分が愚かなのかも。






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