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夢中の旅路  作者: 中津ロイ(旧:回覧板)
第一章 無間の夢
2/3

一幕 夢の世界

 木影蓮は平凡な男子高校生だ。

 朝起こしてくれる幼馴染も、豊満な体を持つ妖艶な生徒会長も、ツンデレな女友達もいない。勿論特殊能力を持つ超能力者も、オカルト的な魔術師も、超人的身体能力を持つ英雄もいない。馬鹿話で盛り上がれる男友達くらいが蓮の持つ交友関係だ。

 最近の悩みは夢見が悪いこと。毎晩悪夢を見ているのかベッドは汗でぐっしょり濡れ、しかし夢の内容は思い出せない。もやもやとした気持ちの悪さが残るだけ。


「あー、ねみぃ……」


 どんな夢を見ているのか分からないが、朝早くに目が覚めることだけは勘弁してもらいたい。

 蓮は家が建ち並ぶ通学路を寝惚け眼で歩く。慣れた道で間違うことはない。



 ソレでいいの?



 不意に頭の中で響いた。周囲を見ても幼児を抱いた奥様方や、通勤途中のサラリーマンや通学途中の中学生高校生。蓮とは無関係の、声をかけられるような間柄の人間はいない。


「空耳か? やけに鮮明に聞こえた気がしたんだけど……あれ? 何か聞こえたっけ……」


 懐かしいような"何か"があった気がする。頭を捻っても思い出せない、まるで最初から何もなかったかのように。

 いつもと変わらず数分足らずで高校に着いた。私立夢ヶ丘高校、地元では有名な進学校である。


「いっよっ! 朝から眠そうな面してんなぁ! いや朝だから眠たそうな面してんのか!」


 後ろから声をかけてきた男子高校生は蓮の親友で遊間翔。体を動かすことが生き涯のスポーツ少年、今朝も電車一つ離れた家から走ってここに来たのだろう、首筋に汗が滲んでいる。

 熱で火照った腕を蓮の首に回して隣に並ぶ。


「暑苦しいんだよお前は……」


「照れるな照れるな! 毎度のことじゃないか! 爽やかな雲一つ無い青空、葉桜が色付く通学路、偶然出会う親友級友先生方! 走って通学するには絶好の天気! 電車通、チャリ通、車通学! ノン! ナンセンス! 当然走って通学するに決まっている!」


「とかいって、雨の日も風の日も雪の日も夏の暑い日も、走って通学しているだろ」


「そういやそうだった! それよりいいのか? お前このままだと────」


 高校をまで後少しという所で予鈴の鐘が鳴る。

 歩いていては間に合わない距離だが、走ればぎりぎり間に合う距離だ。


「遅刻すんぜ?」


 腕を解き駆け出す翔。蓮も遅れるわけにはいかないので後を追って走りだした。



 ソレでいいの?



 また"何か"が響いた。

 しかし今度は蓮も気付くことはなく、遅刻しないように普段はしない全力で遅刻しないために駆けていった。




 ●  ●  ●  ●  ●




 結論からいって遅刻はせずにすんだ。

 男二人汗だくでの登校に奇異の目を向けられたものの、変化のない一日を過ごした。


 五限ある授業をすべて終えて、蓮と翔は帰路についた。

 体を動かすことが生き涯のスポーツ少年である翔だが、部活動というものには参加していない。中学生の頃は陸上で名を馳せていたらしいが、成績やレギュラー争いで嫌気がさして辞めて以来入らないと決めているらしい。今では走って通学、地元の草野球、ストリートバスケなどでスポーツを楽しんでいる。今日も帰宅してからすぐにどこかでスポーツを楽しみに行くことだろう。

 全然体を動かすことをしない蓮にとって翔は友達ではあるが、仲間ではない。一緒にスポーツを楽しんだりすることはせず、話を聞くだけで満足できる。


「今日はかったるかったなー、体育が無い学校なんて学校じゃないと思うんだけどお前はどう思う?」


 気怠そうに歩く翔は、同じように気怠そうに並ぶ蓮に声を掛ける。


「俺は体育がある学校が学校じゃないと思うけどな」


「ああお前はそういう奴だったなー。そうそう今日不吉な夢見てさ。蓮、今日は寄り道せず帰れよ」


 夢という言葉に悪という頭文字がちらつく。

 前振りもなく翔が蓮の不幸を予言した。証拠というには夢では足りないだろう。

 不吉と言われて、しかもそれが自分に関係していると言われては蓮も聞かないわけにはいかない。


「どんな夢見たんだよ」


 翔にしては珍しく言い淀み、頭を掻いている。


「ちょっと言葉では言いにくいな。俺は口より手を動かすタイプだからなー……とりあえず、今日は絶対寄り道なんてするなよー!」


 それだけ言い残して翔は走り去って行った。


 蓮は考える。

 寄り道するな。ダメ、絶対。そうまで言われてしまえば、人間というものは逆らいたくなるものだ。それが寄り道などというほんの少しの罪悪感の湧かないことであればなおさら。

 するなするなと連呼することは絶対行けというフリだとも考えられる。

 ならば行動してみるのも一興。ここでまた逆説的な考えを始めれば終わりがないので、蓮は考えることを止めた。


 寄り道といえば帰り道を遠回りして帰ること。普段はほんの少し道を外れて小道に入るくらいだが、いざしようと思えば少し道を外れるだけでは物足りない。


「さて、どこに寄り道したものか」


 考えてみれば本格的に寄り道など蓮にはしたことがない。

 日常的な範囲内でいつもと違うことをする。


「そういえば学校の帰りに商店街は行ったことがなかったな、行くか」


 学校の近くにある商店街。蓮の通学路とは重ならないため普段は寄り付かないが、学生の寄り道といえば商店街での買い食いが定番だろう。ハンバーガーやコロッケやたい焼き、色々なものが学生を食へと誘っている。

 足を商店街の方へ向け、一歩進み────、



 ソレはダメ。



 "何か"が無意識で足を止めさせた。"何か"は"分からない"。

 思い出そうと思いだす前に"何か"は霧散して、本当に分からないものになっている。


 蓮には何故足を止めたのか分からない。

 足を止めたことで不吉なイメージを持ち引き返すこともできたが、心は既に商店街に行くことを決めている。引き返すことをするはずがない。

 胸に正体不明のもやもやを残しながらも一歩を進みだした。


 商店街は下校途中の学生達でごった返していた。昨今の商店街では珍しくシャターが下りている店は少なく、賑わいを見せている。

 居並ぶ店を適当に確認しながら進む。

 食べたいと思えるものが見つからない。特別動くこともない蓮は昼休みの学食がまったく消費されず、胃の中に残っている。元々無い食欲が食指を動かさない。


「商店街に来たのは失敗だったかな……」


 翔の言っていた通り寄り道せずに帰っていれば良かった。蓮はそう後悔し始めていた。


「良い匂いがする……こっちか?」


 岐路につこうとした蓮を引き留めたのは、商店街の小道から漂う不思議な匂いだった。

 なんの匂いかは蓮には分からなかったが良い匂いであると思った。

 匂いに釣られて路地裏に入っていく。一歩一歩何かに導かれるように。


 お菓子の家が見えた。お菓子が置いてある一般的なお菓子の家ではない、お菓子で建てられた本物の"お菓子の家"だった。信じられないことに、蓮は"信じた"。"異常を異常のまま異常ではない"と信じた。

 お菓子の家を取り囲むのもまた変わった家だ。お菓子だけではなくあらゆる食べ物、ハンバーガーにコロッケにたい焼き、串焼きや大きな肉。食べ物で埋め尽くされた世界。



 ────コレは異常ではない────



「美味そうだな、食えるのかなコレ」


 クッキーの壁を剥がして手に取る。芳醇な香りが漂う。

 それを口へ含もうとして────


「うふふ、一口食べれば頬が蕩け落ち、二口食べれば骨抜きに、三口食べれば肉が増す。全て食べれば夢を忘れる。たぁんと召し上がれ、私の夢を」


 阻まれた。口にクッキーを運ぼうとした手が止まる。


 お菓子の家の中から現れたのは全身が透き通る飴細工の女。────女か?

 飴細工はさあさあと手で蓮に食べるように勧める。パーツの無い顔にぱっくりと頬まで避けた口が笑っている。


「たあんとたあああんと召し上がれ。この世のものとは思えないほど美味しいわよお」


「そう言われると食べる気が無くなってしまうんだが」


「ふうん? あなた美味しそうだったのに、残念だわあ」


 蓮が手に持っていたクッキーが消える。

 同時に囲んでいた数々の食べ物の建物も消えてなくなっている。



 "何か"があった記憶も、同じように"消えてなくなっている"。



 残された蓮はすっぽりと時間だけが抜け落ち、まだ明るかった放課後が夕暮れを超えて暗い夜に代わっている。昼寝をしていたら思わず夜まで寝ていたような感覚だ。


「あれ……なにしてたんだ?」


 一瞬意識が飛んでいたような気がする。しかし空を見る限り長い時間ここに立っていたことになる。

 もやもやとした胸中。鼻の奥に微かに残る甘い匂い、自然と空の手を口に運んだ。意味はない、無意識にそうしたのだ。


 ふうと息を吐く。


「やっぱり、翔の言うこと聞いておけばよかったな。今度から素直に聞こう」


 再び帰路につく。

 体が重い。学校授業のせいでも、記憶が無い間立ち続けていたからでもない。

 それは眠気だった。今にも瞼が落ちそうなほどの眠気が蓮の体を蝕んでいる。

 倒れる。そう思った頃には視界は下に下がり始め、上から幕が下されようとしていた。


「だから言ったんだぜ? 今日は寄り道すんなって。親友の言うことは素直に聞いとけよ」


「か……ける……?」



 ソコはダメ。



 最後に"何か"が頭の響いた。

 その"何か"を蓮は夢への狭間で確かに聞いた。




 ●  ●  ●  ●  ●




 立っているのか座っているのか寝転がっているのか、地についているのか天に浮かんでいるのか宙を彷徨っているのか。

 ここがどこで、どこがここで。果てしない遠い宇宙の向こうなのか、限りなく近い自分自身の中なのか。



 ソコはダメ。



 あるかどうか分からない空間に反響する。


 誰だ。


 声を発したが音にならない。何も響かない。何も赦されない。当然答えはこない。

 夢だ。コレは夢。しかし夢ではない。



 ココをワスレテ。

 ユメはダメ。



 不意に体が現れたような感覚。気が付くとどこかに吹き飛ばされている。


「──ぃ! ────ぉぃ!」


 声が近づいてくる。蓮が夢から叩き出される。

 翔の声だ。蓮を呼んでいる。

 強く求める。戻してくれと。

 声はより一層早く近付いている。




 ●  ●  ●  ●  ●




「蓮! おい! おいって! 聞こえてるか!」


 目覚めて最初に耳に入ったのは蓮の肩を揺すり蓮を呼ぶ翔の声。いつから揺すられていたのか首の辺りが少し痛い。

 目を開けた蓮を確認して、泣きそうに顔を歪めた。


「よかったぁ……お前って死ぬように寝るんだな。親友の新たな一面発見は良いけどよ、もうちょっと軽いやつがよかったぜ」


「……ん、ここは……?」


「俺の家だ! 見つけたと思ったらすぐ倒れるんだからびっくりしたぜ」


 蓮は翔のベッドに横になっていた。

 部屋は壁中にありとあらゆるスポーツのポスターと生の写真で隠されている。一つだけ額に嵌められている写真は翔の中学時代の部活の集合写真、一人高校の旗を被り周りを部活仲間が笑顔で肩を組みあっている。真ん中の翔が一番良い笑顔をしていた。

 ベッドと使われた形跡の無い机。他には何もない。


「初めて来たけど翔の部屋って何もねぇな」


「連れて来る気はなかったからな。ていうかお前目覚めて第一声がそれかよ、心配して損した気分だぜ」


「俺は……どうしたんだ……? 翔の言うことを無視して寄り道で商店街に行って……あれ?」


 商店街を歩いて、それから先の記憶が無い。

 思い出すために必死に頭を捻る蓮だが空振りに終わる。


「お前は夢を見てたんだ。いや、見せられていたって方が正しいな」


 翔はベッドの空いている端に座り、話し始めた。


「夢魔。商店街の誰か、あるいは商店街を訪れた誰か、その誰かが見ている夢。お前はソレに誘われたんだ」


「夢……魔……? 何言ってんだ翔、そんなのいるわけないだろ」


 突然現れた単語に蓮は唸る。何を言っているか一割も理解できない、頓珍漢な説明に首を捻るしかない。

 しかし、理解できないはずなのに、妙に納得している自分がいることに蓮は戸惑いを隠せない。


「ああ、現実にはいない。だが、いる。現実と虚構の狭間に、その名の通り夢という場所に」


「……全然理解できないが、現実にいないならどうやって俺を誘ったんだ?」


「蓮、正夢って知ってるか? 夢で見たことが現実に起こるってやつだ」


 頷いて返す。


「成長した夢魔は正夢を自在に起こすんだ。そして人を主の夢へ誘う」


「誘われた人は、どうなる?」


「なぁ蓮、現実と夢ならどっちにいたい? ただの現実と何でも思い通りになる夢のどちらにいたいと思う?」


 問いかけられる。

 翔はどちらかと聞こうと思って止める。聞くまでもなく翔が選んでいるのは夢だ。

 何でも思い通りになる夢を。


「最近悪夢が連続しててな、現実の方がいたいと思ってる」


 だから蓮は翔の反対の選択をした。同じものを選ぶと面白くないからという単純な理由だとは翔も気付かない。


「おまっ、話の流れ的にそこは夢って言っとけよ! 進まないだろ!」


「いいや、現実だね! 圧倒的に現実だ!」


「……大半は夢って答えるはずだ。居心地の良い夢にいたいってな。誘われて夢に入った人は夢に閉じ込められる。本来違う人の夢だ、自分で覚めることはできない……はずなんだが、お前よく起きれたな?」


「俺からしてみれば寝たら起きるのは当然のことなんだけどな」


 これまでの突拍子もない話を信じるはずがない。

 翔もそれは分かっていたのか、はたまた信じさせようとしていなかったのか、繰り返していうことはない。


「ま、起きれたならいいんだ。これからは寄り道なんてせずに……いや、危ないと思ったら離れてくれよ」


「それはいいんだが……さっきのが本当だとして、その夢魔って放置したら危ないんじゃねぇか?」


「それなら大丈夫、もう退治してある」


 どうやって退治したのかとか、どうやって夢に入ったんだとか、聞きたいことは色々あった。

 しかし、とりあえず、蓮は最初に浮かんだ質問を投げかけてみる。


「え、誰が?」


「話の流れ的に俺がやったんだよ! 俺にはとりあえず反抗してればいいと思ってないかお前!? 親友止めるぞ! 泣くぞこら!」


「たとえお前が痛々しい考えを持っていようと俺達は親友だからな!」


「こいつ一つも信じてねぇなっ……! 次はぜってぇ助けてやらねぇ!」


 へいへいと返して翔以外無人の家を出た。見送りはない。


 月が真上に昇っている。最後の記憶は夕日が落ちてすぐだったので、中途半端に眠っていたようだ。

 初めてきた翔の家だったが場所は分かる。電車一駅離れている町、駅さえ分かれば後は線路を辿ればいい。終電はもう過ぎているが、歩いて帰れないという距離ではない。そもそも翔が毎朝走って通学できるのはその距離のせいでもある。

 駅の場所だけ携帯で確かめて、かなり遠回りの寄り道から帰路へとつく。


「夢か……忘れないで戻れるならもう一回誘われてぇな。なんつって」


 夢の内容について蓮に記憶はない。夢を見ているということはなんとなく分かるが、内容がまったく思い出せない。内容が思い出せないのであれば夢を見ていないのとほぼ同じだ。

 まるで"何か"が内容を消してしまっているかのように、何一つ夢と呼ばれる記憶がない。夢がない。


 蓮は夢を覚えていないことを辛いと思ったことはないが、同級生が夢の話をしているときに会話に加わることができなかったことは辛かった。


 夜の街は静まり返っている。時折夜行性の人間が明かりの点いた部屋で静かに何かをしている。

 コツコツと足音が夜の街に響く。歩くたびに聞こえてくる音が子守歌のように耳に入る。さっきまで眠っていたからか眠くはならない。

 聞き入っていたからだろうか、足音が少し増えたところで気にもしなかった。住宅街とはいっても夜に出歩いていても不思議なことではない。


「あなた、夢が見えませんわね」


 初めてきた一駅離れた夜の住宅街で見知らぬはずの蓮に声をさえいなければ、不思議ではないって言葉で片付けられたはずだった。

 自分ではないと思いたい蓮だったが、夜道を歩く影は分かりやすく蓮の方を向いていた。


「誰ですか」


「誰でもありませんわ。しかし何かではあるです。夢は見えないけれど記憶はあるようですわね。そう怖がらないでくださいませ。私妖しい者ではございませんわ、アヤカシモノではありますけれど」


 不意に、強烈な花の匂いが漂った。


「夢、魔。レン様は信じておられないようですから、お望み通りにいく自信はございませんがもう一度誘ってあげますわ」


 影は頬まで口を裂き────それはどこかで見たことがあるような笑み────蓮を丸ごと。



 ノみこんだ。



「御馳走様、ですわ。ようこそ私の夢へ」


 声は闇に包まれた夜の住宅街に響いた。

 そして、蓮が立つ世界にも響く。


 ソコは一面花畑だ。夜でもなく強い日が差している。周囲にあった数々の建物が無くなり、同じ数だけ無数の巨大な向日葵が咲き誇っていた。あっちを見れば秋桜が、そっちを見れば蒲公英が、こっちを見れば紫陽花が、どこを向いても見たこともないような花がある。

 芳しい強烈な香りが強くなっている。



 ────コレは異常ではない────



「ここ……どこだ?」


 他にあるべき疑問が抜け落ちて最初にでた不思議がそれだった。


 ここはどこか。花畑である。

 どこの花畑か。それは些細な問題である。

 それは些細な問題か。今の蓮にとっては些細である。


「ようこそいらっしゃいました。私のお花畑へ」


 朝顔の花から咲いて出てきたのは影ではなかった。

 花も恥じらう麗人が菖蒲の花を開いて現れた。色とりどりの花をドレスとして身を包み、金盞花を日傘替わりに持っている。確かに直射日光を浴び続けていれば日射病になってしまう。

 蓮は近くの巨大な向日葵の影に入った。純粋に花に近付いたから匂いも当然強くなる。


「あらあら? よろしいのですか、そんなに私のお花に近付いて。お花の香が強くなったのではありません?」


 その通りだった。


「さっき見かけてレン様とは少しお話しがしたくて呼びましたの、だからあまり私のお花に近付かれませんようお願いいたしますわ。お花の匂いは現実を忘れさせてしまいますのよ。後でたっぷり嗅がせてあげますから」


「なんともないけどな……それで、話ってなんだ?」


 言っている意味を理解できなかったが、言われた通り向日葵の影から抜けて強い日差しの中に戻った。

 麗人はうふふと笑い地面に足をつく。


「私、人の夢を見ることが自慢ですの。ですので、いつも観察していたのですけれど、レン様の夢は見れません。こんなこと初めてです。レン様の夢は何故見えないのですか? どうか教えてくださいまし」


「教えろって言われても、夢なんて覚えてねえし。見知らぬ人に教えるものでもないだろ」


 それもそうですわねと妙に潔く納得した麗人は蓮に近付き頬に手を触れる。

 体が動かない。いつの間にか蓮の体を花の根が束縛していた。皮膚が少し沈むほどに強く。


「では見知らぬ人ではなくなりましょう。ここではなんでも私の思い通りになるのですから」


「一方的な知るのはストーカーだ!」


「では私のことも知っていただきましょう。ストーカー呼ばわりされるのは嫌ですもの」


 では、と麗人は前置く。

 触れた手で蓮の頬を、顔面を撫でる。そして手を額で止める。前髪を上げて額と額をぴったりと付ける。


 熱さも冷たさも麗人の額からは感じられない。

 強いて感じたことがあるとしたら、香しい花の匂いが頭がくらくらとするほど強烈な、ともすれば嫌悪感すら抱いてしまうほどの花の臭い。花が曲がりそうだ。


「やはり、夢が見えませんわね……あなた様は何者ですの?」


 麗人の吐息が顔にかかる。

 あと少し顎を近づければ互いの唇が触れ合う、それほどの距離。


「離れろ!」


 健全に成長している男子高校生にとっては耐え難い距離だ。相手が変な恰好で変な傘をさしているといっても、この距離なら変な部分は見えず美しい顔しか見れない。

 絶世の美人とは健全な男子高校せいである蓮には言うことはできないが、高嶺の花であることは分かる。近寄られて嬉しくないわけではないが恥ずかしい。


 思いのほかあっさりと麗人は手を離して距離を開けた。


「本っ当に夢がないのでございますね」


 口が頬を割く笑顔が一変、みるみると嫌悪で歪んでいく。


 夢とはなんだろう。蓮の記憶には睡眠で見る夢の覚えはないが、確かにあるはずだ。将来の夢もある、人に話せば叶いそうにないと思い誰にも言っていないが、こちらも確かに持っている。

 夢がないとは心外もいいところだ。


「俺にだって夢はある。大体お姉さん、初対面で随分酷いんじゃねえか?」


「レン様も酷いのですよ? 私の夢を夢と思っておられないのでしょう? お相子……いえ、こうして好意的に接しているつもりですが、悪しく扱っているレン様の方が酷いですわ」


 ですから、体全体を蔓に変化させていく麗人、否、化物はあくまで好意的に嗤い、


「溺れさせてあげますわ、私のユメに」


 突如現れた花が蓮の視界を埋め尽くした。

 思考のすべてが鼻から入る花の臭いに集中する。ほかのことが考えられない。

 このまま花の一部になる。全身が花になっていくような錯覚を覚え、意識が花に埋もれていく。



 ソレはダメ。



 匂いで埋め尽くされた思考に声が割り込んだ。

 蔓で縛られた体の感覚が戻り、蓮は体を振ってどうにか周りの花を散らす。

 しかし花は次々と咲き、視界と思考を奪う。


「くそっ! どうなってんだこれ!」


 何度散らしても散らしたそばから咲いてくる。キリがない。

 花の臭いと声の残響で頭が割れそうだ。


「そう邪険になさらないでくださいませ。何もレン様を殺そうという訳ではありませんのよ、私のお花畑に死体なんてものは似合わないものですもの。ただ少しお花達と仲良くして頂こうかと思いましたのよ」


「余計なお世話だ! おかげで嫌いになりそうだよっ!」


「では仲良くなれるまで、ずっとお花と戯れていてくださいませ。大丈夫、お花はレン様を邪険に扱うことはございませんのよ。では御機嫌よう、私はお花達と仲良くしてくださる方を探してまいりまるので」


 花で姿は見えないが声が聞こえる。声は残響してやがて消えた。


「いつまでもこんなとこにいられるかよ! 仲良くするから離してくれ!」


 口のない花は当然言葉を発さない。より周りに咲いて密度をあげる、蓮をそこから出さないとでも言いたげだ。


 為す術なし。花に包まれている状況はまるで棺桶に入れられた死人、ただし焼かれることも埋められることもなく永遠に夢に囚われる。

 どうにかしてここからでなければ。


「やべっ……こんな時に眠気が……」



 ソレでいいの?



 眠気に負けそうな頭に"ソレ"が響いた。だが記憶に繋ぎ止めることはできなかった。

 蓮は頭で響き続ける"何か"で眠気を耐える。元々あった意味の分からない残響と重なりあい、脳が直接震えているような錯覚。だが襲いかかる眠気を無視するには丁度いい刺激だ。

 思考を揺さぶられながら、耳を────脳を澄ませる。今頼れるものは脳内で反響する"何か"だけ、藁でも縋る思いで波紋のような"何か"を掴もうと必死だ。


 無情にも脳がサめていく。冷たく明瞭に。脳への刺激に慣れ始めている。

 眠気が錯覚を押し退け、蓮を眠りへと誘う。


「ぁ……ダメだ……眠っちゃ…………ダ、メ……な、のに……」


 最後の意識が眠りへ誘われた。

 翔の言うことを本気にすれば、もう覚めることのない永遠の夢へと。



 ソレでいいの。



 最後に"何か"が頭から消えた。

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