福島夏競馬場で会いましょう
福島競馬場のある福島市松波町の空は今日もどんより曇って何時雨が降ってもおかしくないようにも思えたが、その暑苦しさと言ったら、七夕も過ぎた開催日その日もまだ梅雨明けの報せもなく、じめっとした鬱陶しさと、まだ夏が始まったばかりの七月とは思えぬ盆地特有の酷い蒸し暑さで、少しばかりの雨ではこの重苦しさは解消しえないと思われる鬱陶しさであった。
そして、その鬱陶しさはこの競馬場に足を運んでいる大多数の人間が、競争社会の果てにたどり着いたこの場所で、己のいくばくかの所持金を一時の夢に注ぐも、その結果はまたしても思う通りにならぬ結果となり、これであれば雨の一粒、あわよくば大粒の雨で馬場も荒れ、どうせ思う通りにならぬこの世ならば、特にこれまで思う通りにならずにいて人気薄となっていた競走馬達にも少しの可能性を与えてやりたいと願った、自らは未だ認めておらぬ敗北者達の希望に似た願いが、空をどんよりと曇らせた鬱陶しさのように思えなくもない。
どんより曇った空色と鬱陶しい蒸し暑さであったが、レース場では鍛えられた競走馬達が、今日の晴れ舞台の為に鬣までも綺麗に切り整えられ、鞍には色とりどりの番号を与えられたゼッケンを纏ってレース場に出るなりそれぞれ思い思いに溌剌と躍動していた。
その背にはこれも色とりどりの勝負服で着飾った騎手達がそれぞれに手綱を操り、綺麗に整備された濃緑色の芝の上をまさに飛ぶように駈けていく。
その競走馬らの姿と、血走った眼球でその姿を追う、耳に赤鉛筆なんぞ差して背中を丸めながら彷徨う男どもの姿は、まるで砂漠を歩く放浪者達が、眩しくて視点の定まらぬその先に陽炎の中の水源を認めて、忘れかけていた希望を思い起こして無我夢中で這いつくばる姿さえ連想させる。
この競走馬と博打打ち達の舞台である福島競馬場にどうも似つかわしくない独りの女性の姿があった。競馬場よりクーラーの効いたカフェやデパートなどが似合いそうなきちんとした身なりで、かといって過剰すぎず、化粧もこれもまた薄化粧でいながら、素肌もちゃんと手入れされていて、それが涼しげにさえ見える程で、ショートボブの髪型はきちんとカットされて間もない後ろ髪から窺がい見える白く細い首筋はこれまた涼しげで、その華奢な姿はこの競馬場では逆に近寄りがたい雰囲気さえ漂わせていた。
どだい競馬場といえば、家庭の匂いはしないが酒や汗の臭いはちょっとばかりでは落ちやしない風体の年老いた風の親爺どもか、好奇心で同級生に誘われて来てみました風の大学生の団体、又は子供の遊び場目的でシート持参の家族持ちかのいずれかしかおらず、年頃かと思える女性が独りで訪れるようなところではない。
彼女は、殺気立った親爺どもの中、馬券売り場窓口前で飄々と一枚の投票用紙を受け取り、一つのレースが終われば、また次のレースでも同じ繰り返し。思えば昨日も同じ場所にいたかも知れない。
惑いもせずにレースを眺め、競走馬がゴールを駆け抜けたまさにその時には大きな歓声とため息の混じったどよめきの中「ああすればよかったか」「自分の思った通りだった」などと様々な俄か解説者が誰ともなく声を上げて会話している間も当然独りで来ていると思われる彼女はじっとゴール後の競走馬達を眺めているだけだった。そして、レース後の馬たちがレース場から駈け去ったのを見届け、また次のレースの投票券を手にして、これから発走となる競走馬たちの出番を、その華奢な手首には少し大きすぎる女性用の腕時計を時にちらっと見ながら待っている様子であった
「サトエ? サトエじゃない?」
その女性の顔を覗き込むように幼い子供をベビーカーに乗せた、これもショートヘアで涼しげだが、これは家事と育児に追われて短くしたとすぐに分かる若奥さんが声をかけた。
「あれっ? ユ……カ……? ユカだよね?」
「久しぶりー!」
「本当! いつ以来? 高校出て最後に逢ったのはいつだったかしら?」
「もう憶えてない位だわ? あれっ? もしかして、高校出て以来じゃない? 高校出て以来だから……?」
と話し、指を折りながら
「五年? 六年かしら? 六年かな? 元気?」
「まあまあかな? そっちはどう?」
答えてその女性サトエは、昔の友人ユカが押していたベビーカーの中の赤ん坊に目をやり、そしてその隣で先程から控えめに微笑んでいる少し日焼けした筋肉質の男性の方をちらっと見た。
「見ての通り、震災でほらっ、あれしてこうしてこうなった訳よ。こっちは」
と片方の手はベビーカーの手すりに置いたまま、もう片方の手でお腹を辺りで放物線を描いて見せていた。
「こっちは旦那のツヨシ。そんでこの子がリクっての。男の子。もうまもなく一歳なの。あ、あんた、こちらは高校の同級生のサトエよ。私たちすごく仲が良かったのよ!」
「ど、どうも。妻がお世話になったみたいで」
「こちらこそ。奥様には大変お世話になりましたわ」
「いやー、本当久しぶり。ところでサトエは誰と? えっ? ええっ?? 独り? 独りで競馬場来ているの? あっはっ! 相変わらずあんたシブイ趣味しているのね? そんな所大好きだわ!」
サトエは、控えめに立てた人差し指をそのまま口元において恥ずかしそうに微笑んだ。
「あんたの影響で、今も野球中継とか見ているのよ。これからは、ビールと枝豆で夜のスポーツニュースよ」
「最近は、東北も野球強くなってきたしね。高校野球は白河の関を越えるのも間もなくね。そして昼はスイカとトウモロコシよ」
「夜にね、子供寝かした後にスポーツニュースでじっくり見るのがまた良いのよ。シブイ親爺みたいであまり人には言えないわ」
旦那様のツヨシは二人の会話を聞いて愛想笑いから控えめながらもぷっと少し吹き出した様で、ベビーカーのリク君はビクッとして、顔の向きを右から左に変えて小さな拳を何度か握り直したが、すぐにまた眠り始めた。
「長男? リク君? という事ならば、あと二人必要ね?」
「二人? 男?」
「リクと言えばカイとクウじゃないの? 陸・海・空と揃わないと地球は守れないわ」
「あんたは、相変わらず突拍子も無い事を言い出すのよね? カイは良いとして、クウって名前ありなの? まぁ別に地球を守って欲しいなんて大それたこと思いもしないけど。そういう突飛なところがやっぱサトエだわ」
「そうかしら?」
「それからシブイところね。いつだったか、高校球児一緒に追っかけしていたよね? ウチの旦那も野球やっていたのよ。今も少しね。こう見えて」
「あ、あぁ、そう云えば……」
と言ったと所でサトエの表情が少し曇ったようにも見えたかと思うと、
「あぁ、ユカに会えて良かった! これも神のお導きかしら? 運命ね、きっと!」
と大げさに話すと急に何かただならぬ表情となり、口元は震える様でその瞳からは涙さえこぼれそうな気配さえ感じられた。頭の回転の速いユカは、ツヨシの方を見ながら咄嗟に話しを変えた。
「サトエと私は基督系のS付属高校で一緒だったのよ。挨拶はね、“さようなら”じゃなくて“ごきげんよう”なのよ。この話、したかしら?」
ツヨシは「どうだったかなぁ?」と小さな声で記憶を呼び起こす様な表情で返事をしたが、
「久しぶりなら色々話しあるんじゃない? 俺、先にリクと二人で向こうの馬券売り場で馬券買って来るよ。ちょっとメインレースの分だけでも先に買っておきたいんだ。今回は我ながら自信あるんだよ」
「しょうがないなぁ、絶対当たるんでしょうね? 当たるんなら直ぐに行ってきて。この辺りでサトエと話ししている。ミルクでもオムツでも何かあったら携帯に連絡入れて」
「うん。そうするよ。日曜日は俺がリクの面倒見ることになっているらしいからね」
ツヨシは、ベビーカーの手すりを両手で掴んだ。自然ユカの手がベビーカーから離れユカの両手は自由となった。
「優しい旦那さんなのですね。ちょっとユカをお借りします」
サトエが話しかけると、照れた表情を見せながら
「いや~馬券、馬券。まずはね!」
と言い残して、ツヨシはベビーカーを押しながら馬券売り場の方へ向かって行った。その後ろ姿をサトエとユカはしばし眺めていたがサトエはその後もずっとツヨシとリクの姿を追うユカの横顔を申し訳なさと、何から話そうか頭を整理しながら眺めていた。
その時、場内から放送が流れた。
「第十レース発走準備整いました。まもなく第十レース発走となります。お手持ちの勝馬投票券をもう一度ご確認の上発走をお待ちください」
「あのね。ユカ? ここでユウイチに会ったんだよ」
「ユウイチってT高校の?」
サトエは、公務員で転勤族の父親の都合で小さい頃から引っ越しを繰り返していた。高校入試のちょうどその前にも父の移動の話があり、どうしたものかと家族と話していたが、五つ違いの姉が福島市の短大を出てそのまま福島市に就職するという事で姉と一緒に福島市に住む事にした。姉の住んでいた福島駅前の住宅近辺のその高校で、万が一どうしても合わなくて不幸にも転校となった場合にも割と対応が難しくない私立の基督教系女子高のS付属高校を選択し受験合格を得た。そのS付属高に進学し、部活動の吹奏楽部で仲良くなったのがユカだった。
S付属高校の吹奏楽部では、優しそうな名物のお爺ちゃん先生が指揮をしていたが、その分先輩方の指導は厳しかった。服装や髪の毛の長さから、赤点などないか等試験の成績や部活が終わった後の交友関係まで何か目立つような事があると先輩方の個人指導が待っていた。サトエはフルートを、ユカはクラリネットを任された。二人とも中学時代からその楽器をやっていたが、人数の関係で違うパートに移る生徒もいた。だが、二人は運良く経験のあるその楽器を担当する事が出来た。
福島では高校の音楽部活動が盛んで、吹奏楽部員が合唱部も兼ねる高校も珍しくなく、サトエ達のS付属高校も他の吹奏楽強豪校と同じく、楽器だけでなく中学生の頃はあまり馴染みのなかった合唱の練習にも時間を割かなければならなかった。学生の本分勉強も卒業後進学が当然の環境にあり、勉強と部活動で明け暮れる毎日だったがそこは女高生、大事な友人とのおしゃべりの時間こそが最も貴重で重要な時間だった。
サトエ達の吹奏楽部も、他の高校の吹奏楽部と同じように夏のコンクールを目標に練習を積み重ねているが地区大会を勝ち上がるも、県大会で金賞を貰えたら良い方で、その上の東北大会やそれ以上の大会は想像もつかない夢の先の舞台だった。
サトエはユカとは同じクラスということもあり、すぐに打ち解け、当初は誰も知らない高校生活だったが、基督系の高校生活は目新しい事の連続で、両親が心配した福島市での高校生活も順調に進んでいた。父親は予想通り転勤となり同じ福島県内でも雪の多い会津地方の勤務となった。週末などは春先まだ雪の残る交通事情の良くない会津地方から両親二人で福島市の姉とサトエのアパートに頻繁に来ていたが、やがて夏が来る頃には忙しい部活動や学校生活で、両親は面倒がられてその回数も徐々に減ってきていた。
高校二年生になったサトエ達の夏のコンクールも県大会金賞を受賞するも東北大会出場などは叶わず三年生は受験体制の為に引退となった。S付属高校は女子高であったが、毎年夏のこの時期コンクールが終わると隣のT高校の野球部の応援の応援に駆り出されるのが恒例だった。T高校はなかなかの高校野球強豪校であったが、工業系の学校で男子生徒がほとんどで、その為か本格的な吹奏楽部がなかったのだった。それで隣のS付属高校と親善交流の意味もあり野球部の応援の手伝いをする事が恒例となっていた。
今年の応援の試合会場は同じ福島市内の県営あづま球場という事もあり、移動距離も少なく応援する側も力が入り、また既に一・二回戦勝ち上がるも、それまでなかったブラスバンドの応援を得たT高野球部のメンバーも相手はさらに強くなるが、福島の夏の暑さにも負けずに、それぞれ練習の成果を発揮せんとした真剣な表情で試合に臨んでいたのであった。
高校野球のブラスバンド応援は、金管楽器が主役のため、木管楽器であるフルートパートのサトエと、クラリネットパートのユカたちは、演奏することもなく本当に応援に専念となった。しかし応援もそこそこに、年頃の女性達それも普段女子高でなかなかお目に係ることの出来ない汗と涙の高校球児達に目を奪われるのは必然であった。
「ねぇ、サトエやっぱエースはカッコ良くなきゃね? 一番の子がカッコ良いかしら? でも背番号に騙されることもあるからしっかり帽子を取ったところも見ていて頂戴」
「ユカは、投げる人が好みみたいね。去年もそんな事言ってなかったっけ?」
「そりゃそうでしょう。一番優れた球を投げられるのだから。人類古代からの本能よ、本能。優秀な遺伝子を受け継いで人類は成長を遂げてきたのよ。イワシの群れと同じよ。いわきの水族館で見たでしょ?」
「投げるだけじゃないでしょ。打つのも走るのも優れた遺伝子かもよ?」
「いや、やっぱ背番号一番をつけているという事は特別なのよ。何でも一番が一番良いのよ。ナンバーワンにならなくていい、なんて負け犬の遠吠えだわ」
「ユカは、将来母親になったら教育ママになりそうね? その時は逆三角形で赤いフレームの眼鏡とかしてね」
「勉強もスポーツも一番が良いのよ。その為に少しでも良い遺伝子を探さなきゃ。がるるるー」
「目が血走っていると、獲物に怖がれちゃうよ? ドキンちゃんの食パンマンさまー作戦が男には効くのよって言ってなかったっけ?」
「そうだったわ。一番マンさまー。うん、やっぱ今年も一番はしなやかでなかなかいい男だわ。もうちょっと背が欲しいかしら?」
その時、目の前のベンチ前で投球練習を開始する背番号十一の投手の姿が現れた。
「この子も要チェックよ? サトエ、もし二年生だったら来年の一番になるかも知れないからね。そらっ、頑張れよー」
「あんまり大きい声だと聞こえるんじゃない? 試合中よ、怒られるかもよ?」
その時背番号十一を付けた投手が、何か聞こえたかサトエ達の方をちらっと見た。一瞬サトエと目があったようにサトエは思った。いや確かに一瞬目があって、少し頭を下げてから投球練習を開始した。応援の歓声とベンチからの指示の声が入り混じってどちらの声だか分からなくなってしまったようだった。
その背番号十一を付けた日焼けした野球少年こそがユウイチで、サトエが初めてユウイチを見た時だった。
「あの十一番はきっと二年生だわ。私に近い将来の一番を予約させて」
「えっ何々? 十一番? いいわよ、サトエ。私は年上にしか興味がないの。同級生は長続きしないものなのよ。私は一番だから。来年の事はどうとでも。私は今が全てなのよー」
その後の会話が聞こえていたかどうかは定かではないが、黙々と十一番の選手は投球練習を行っていた。
試合展開は、硬直した投手戦となり、継投の予定であったかどうか、先発のエースナンバー一番を背負ったT高投手もなかなか安打を許さずにいたが、終盤に惜しくも一点を奪われ、そのまま最少得点差でT高野球部の夏の大会は終わった。
選手達は涙を浮かべながら応援席の方に挨拶に来て、応援団に向かって簡単な挨拶を述べた後、選手皆帽子を取って深々と頭を下げていた時、福島の夏の午後らしく、ぽつんと雨粒が落ちて来た。選手たちの消耗し切った表情と雨粒により選手たちに労いの拍手以外に声なぞかける余裕はなかった。雨は今しがた試合の終えた荒れたグランドを少し湿らせた程度で本降りとはならずに、その後すぐに雲の間から太陽の日差しがグランドを照らした。サトエは、十一番の選手を目で追っていた。一番の選手と何か長い会話をしている様子だった。伏し目がちで涙を溜めている様子にも見えたが、口元はしっかりと閉じていて何か闘志を秘めている様にも見えた。
十一番をつけた選手―ユウイチをサトエが初めて見かけたのは、福島競馬場からはS付属高校を挟んでほど近い県営あづま球場での事だった。
福島競馬場ではファンファーレが鳴り、第十レースの準備が整った様子。競馬場内では、小さなテレビモニターが至る所に設置してあり、レースが始まるまでは味気のないただの数字が羅列された画面を映し出していたが、レースの準備が整うと一斉にスタート地点の競走馬達を映し出してさらに実況の放送も始まる。
「福島競馬場は、晴れのち曇り、ところにより一時雨の予報ですが、現在、空は曇ってはいますが雨は降っておりません。馬場状態は良です。各馬、順にゲートに入っており嫌がる素振りの馬は今のところ見当たりません。準備整い次第出走となります」
小さなモニターの一つをサトエはじっと見ていた。今聞いた懐かしい名前「ユウイチ」の事を聞き直そうとサトエを見たユカだったが、レースが終わるまでは聞けそうにない雰囲気だったので、サトエの横顔を眺めながら一緒に小さなモニターを背伸びしながら見た。
「サトエ、馬券買っていたの?」
「うん、昨日から決めているのがあってね」
「よく来るの?」
「うーん。実際に中に入ったのは震災の時が初めてかしら。馬券なんて買ったのは昨日が初めてよ」
「震災の時……」
ユカがサトエに話しかけるが、サトエは両手で馬券らしきものを持ってその番号を一度確かめただけで、じっと小さいモニターのひとつを見て視線をそらさないでいた。その時、モニターとはまるで違う場所でゲートが開く音がしてレースは始まった。モニターの先の方では実際にスタートした実物が、二人のいるゴール番前からも小さく見える。しかし小さすぎて確認出来ないので、モニターに映し出された競走馬達を再度見ることになる。
スタートと同時に、内から白い帽子のゼッケン番号一の馬がぐんぐん速度を上げて最初のコーナーでその位置取りの有利さを生かし先頭に立つ。その先頭の馬から体半分の位置で赤い帽子の馬が取って代わるかどうか競り合いながら様子を見ているようだ。その後ろは、前二頭の後ろ側からずっと縦に列を作って色とりどりの帽子に光を浴びながら並び、綺麗に縦長の列となった。
第十レースといえば、メインレースの一つ前に当たる。メインイベント前のセミファイナルと言ったところか。明日のファイナリストを目指す競争者達。急に出走馬も増えレースにも慣れた様子が伺える。特に夏の福島競馬はレース経験の浅い馬たちが少しでも経験を積もうと出ているようなところもあり、競って先頭を伺っては最後のコーナー前でどれも体力が落ちて最後の力の振り絞りあいのようなレースが続いていた。その中でこの第十レースでは、先頭の二頭さえそんな様子が伺えたが、その後ろからはゴール前に先頭に立つには如何に? と哲学的にも思えるような落ちついた風情の競走馬達が様子を伺いながら進んでいた。
「サトエが買っているのは、どの仔なの?」
ユカが聞くも返事は無かった。
夏の大会が終わった後のT高野球部の次の大きな目標は新人戦の始まる秋季大会となる。サトエ達S付属高校吹奏楽部がもし応援する機会があるとすれば、県大会を勝ち上がった決勝戦か、あるいは三位まで得られる東北大会出場代表決定戦以上で、さらに週末、学校や部活動の行事の重ならない日という条件付きであった。しかし、東北大会出場圏に進む前にT高野球部の敗退が決まったという報せが入った。だがその報せの中には、サトエの気になる内容も含まれていた。
「サトエ、夏の大会の十一番の子はやっぱり二年生だったそうよ? そして新人戦では一番付けていたって。文化祭で知り合ったT高の野球部の子に聞いてきたわ」
「一番? ユカの気になる一番ね? ユカはどうなの?」
「私はね、八番が一押しよ。八番! 何せ走って早いし、三拍子揃っているらしいのよ。三拍子って何かしら? 三三七拍子? まぁ良いけど、よく打つらしいのよ。あのイチローみたいな感じらしいんだって。野茂よりイチローの方が何かカッコ良いでしょ?」
「T高には、野茂とイチローがいるの? それはすごいという事かしら? 新人戦で負かした相手はもっとすごいのね?」
「例えばの話しよ。それから、文化祭でT高の野球部の方の連絡先聞いたからちょっと今度見にいかない? 来週試験前で部活休みだし、その時に」
「えっ? 何? 見に行ってどうするの?」
「行けば分かるさっ! 分からないけど試しに行ってみようよ! 背番号八のイチロー君の練習風景とかね見たいのよね! もう文化祭で知り合ったT高の野球部の子に行くって言ったから。ねっ一緒に行こうよ!」
嫌々でもないが、急に降ってわいた様に言われ、緊張と不安が入り混じり複雑な気分のサトエだったが、相手は何も知らないだろうし、見に行くだけだし、そう遠くもない距離なので、友人ユカの為にも翌週行くこととした。
翌週、試験中にも関わらずサトエとユカはT高の野球部の練習場へ来ていた。背番号の無い練習中の面々を遠目に、どの辺りで練習を見れば良いのか落ち着かなくそわそわしているサトエと対照的に、ユカは練習中の野球部の面々を一人一人凝視し、やがて目的の人物を探し当てた様だ。
「よし、いたいた。サトエ行くぞ!」
「……? どこへ行くの?」
「いいから、ついてきな!」
言われるまま、手を引かれ練習中のT高野球部員のいる方に進んでいった。
「大丈夫なの?」
「大丈夫なのよ。よしよし」
不安な表情でおそるおそる歩くサトエの前で手を引いたユカはずんずん前に進んで行ったかと思うと、
「コンチワ~、お疲れ様でーす!」
突然大きな声で挨拶し始めた。練習中の面々が少し珍しそうな目で二人を見るも、運動部の決まりらしく、それぞれ面々帽子を脱いで必要以上に大きな声で短く「チワッス!」「チワッス!」と挨拶しはじめた。こんな体験初めてで、それに耐えられずにうつむき加減で足元に視線を向けながら小さく頭を下げながら歩くサトエに構うことなく、ユカはお目当ての部員に、もう片方の手を振って近づいて行った。
「連絡していたS高の吹奏楽部のユカです。今日は取材の申し込み引き受けて頂きありがとうございます」
「取材?」
足元の方に目をやっていたサトエが、小さな声でユカの方に目を向けると、
「そう取材よ」
得意げにニヤリとして約束していたらしい野球部員の前に出た。
「文化祭の時はどうもでした。こちらは同じ吹奏楽部のサトエです。ほらっ、こちら野球部のスズキさんよ」
「あっ、どうもS高吹奏楽部のサトエと言います」
「こんちわっス。野球部のスズキです。背番号は八番付けています。よろしくっス」
背番号八と聞いてまた興味がわいて、ようやく面を上げたサトエだったが、その日焼けした表情と、筋肉質の腕っぷしなどを一通りぼうっと見た後にふっと再び微笑んだそのスズキの表情を見て、はっと、又もどこに視線を向けてよいか分からなくなって、また足元の方に視線を向けた。運動部員の男子を見るのは中学以来だがやはり中学生とは違うなぁなどと、妙なことにしみじみ実感するのであった。
「スズキ君、話しておいた方は?」
ユカが聞くと、「おいっ!」と声をかけた先で、投球練習をしていた見覚えのある顔の少年が帽子をかぶり直しこちらに向かって小走りで向かってきた。
「こんちはっス。投手のユウイチっス」
サトエの目の前に、夏の日焼けが秋になって少し落ち着いてきた感じはするが、確かにあの夏以来の再会となる少年がいた。名前は、ユウイチと言うのか。鍛えられているとはいえやはり高校生。学校の先生ら大人達とは違う、しなやかさを感じる体幹部。お尻や大腿部は、女子高のS付属高にも負けない生徒もいるが、男性で流石に鍛えているだけあって、その堅牢さは見ただけで雲泥の差があるだろうと分かる張りが目を引いた。その体格に見とれながら、徐々に視線を上げると、微笑みかけてその少年ユウイチと一瞬目があって、咄嗟に目をそらしてしまった。
サトエのその上目使いの視線の先を見てその先には、秋の遠い空と、福島盆地を取り巻く山々しか無いのを認めたユカは文化祭から親しいスズキを従え、自己紹介兼ねサトエをユウイチに紹介した。
「貴重な練習中に時間を頂いて申し訳ない。スズキ君から聞いているかも知れないけど、S付属高吹奏楽部のユカです。クラリネットやっています。こっちはサトエ。フルートのパートで同じ二年生。宜しくね。秋の大会は惜しかったみたいね。もう少し勝ち進めば、夏の大会みたいに応援に行けると思って楽しみにしていたのに本当残念だったわ」
「どうも、すいません」
スズキとユウイチは、帽子を少し脱いで頭を下げた。ユカは、自分が話さないと場が白けてしまう事を分かっているので急いで話し続ける。
「まだ、新チームになって間もないのでしょ。次は本当頼むね。私たちも夏の大会で応援に行ってから、T高野球部の皆さんに本当に頑張って欲しいって思っているのよ。それで、試合当日の応援だけじゃなかなか分からないから、今日はT高の皆さんを少しでも知っておこうって事になって、私たち取材に来たのよ。帰って吹奏楽部のみんなにも紹介させてもらいますから。宜しくね」
「それは、もう本当ありがたい話しです。野球部のみんなもその話しを聞いて、練習さらに頑張ろうって気になりますから」
スズキが話すと、なるほど他の部員たちが、こちららに視線を向けながら、意識して練習しているのがありありと分かった。
「じゃスズキ君への質問は私が係りだから。ユウイチ君にはサトエから質問させてもらうからね。じゃスズキ君、目標とする選手は?」
と、カバンの中からノートを取り出しメモを取る用意をし始めた。
「そりゃ、イチロー選手です」
「へぇ~、そうなのですか、イチロー選手のどんな所がそう思われるところなのですか?」
という調子で聞いていたが、ノートを見たら、質問も答えも書いてあるのをサトエが見た。前回聞いていた時の話しの内容なのだろう。サトエがノートに指を向けると、ユカはニコッと笑って、話しに夢中になっているスズキをそのままに、
「追加、ないよね? まぁいいか。分かっているから。じゃ練習時間貴重でしょうから、サトエ、ユウイチ投手へ質問宜しくね?」
尚も、スズキはイチローの素晴らしさを話しているが、その姿に笑いかけた後、サトエとユウイチは一瞬目が合った。咳払いをするユウイチ。視線をまた地面に落としたサトエ。何から聞こうか? と考えるサトエにアドバイスしようかとするユカ。するとユウイチから切り出した。
「夏の大会は応援ありがとうございました。自分は投げられなかったけど、本当吹奏楽の皆さんの応援は力になりました。今度は自分が投げて、そんで勝って、必ず先日の分も恩返しします」
目を輝かせてサトエに答えた。その力強さにサトエも思わず視線を向けた。そして少しの間の後、せきをきったように話し出した。
「ブルペンっていうのですか? 練習しているところ見ていました。投げていたところ。なんか、なんというか、強い球でした」
「強い球……ですか。どうもありがとう。見ていたのは知っていましたよ。大きな声で話していたから」
「えっ? 本当ですか? 邪魔してしまいました?」
「いや、そんなことはないですよ。注目されるのは、嬉しい事です」
自分に気づいてくれていた恥ずかしさと何とも言えない嬉しさで何を聞いていいか分からなくなったサトエ。それを見ていたユカ。ようやく、自分の話しは聞かれてないと気付いたスズキ。スズキがユウイチに突然話しかけた。
「ユウイチ、秋からはお前がエースナンバーだ。俺は今、暫定でキャプテンだが、キャプテンになった時の思いを語ったから、お前はエースの思いを今言え。お前も今はまだ暫定だから。オレにも分かるようにその気持ち言えよ、なっ?」
キャプテンだったのか?そうか。サトエは聞いてなかったが、その思いもいつの間にか話していたようだ。まあユカのノートに書いてあるのだろう。スズキはさておき、ユウイチの話しを聞きたいサトエだった。
「はい、分かりました」
ユウイチは、二人を交互に見て大きく息を吸って吐いた後、話し始めた。
「自分の名前はユウイチです。姉が二人いますが親は待望の男の子だと言っていました。父は男兄弟の次男だったらしいですが、自分に新しい一歩を進むようにと数字の一を取ってユウイチと名前をつけてくれました。野球をやりたくてT高を選んだ自分に父が話してくれました。自分は一番にこだわってやろうとその時初めて思いました。尊敬する先輩がずっと付けていましたがやっと一番の背番号背負うことが出来ました。今は自分の名前と同じ背番号一を誰にも譲りたくありません。それから他の高校の一番にも決して負けたくありません。自分はエースナンバー一番にずっとこだわってこれからも野球をやりたいと思っています」
ユウイチは、思いの丈を込めた様に一気に話し終えた。一気に話すユウイチの口元をぼんやりとながめたサトエだったが、話し終えたユウイチが他に質問は? とサトエの方を向いた時、サトエは、はっとした。そして思わず見とれたように思われていないか恥ずかしさを隠すようにするも隠しようがなく、とりあえず質問、質問と口元だけがぱくぱく動くも考えがまとまらず、水槽の金魚のようになっていたところユカが助け舟を向けてくれた。
「はいっ。ありがとうございます。今しっかりメモしました。ユウイチ君のイチは一番の意味なのですね。野球始めた時からずっと一番目指して投手だったのですか? 何時頃から野球を始めたのですか?」
「野球は、小学校四年生から始めたのですが、最初は何でも良かったんです。背番号もポジションも何のこだわりもなくやっていたんです。実際投手やったり外野やったりしていました。ところがそのまま中学校に進み、そこの先輩のエースがあと少しで東北大会ってところで逆転負けで……。その先輩実は普段ちょっと怖かったんですけど、あっ、その先輩がこの間の夏の大会でも、エースナンバー一番つけていた先輩だったのですが、先輩が自分よりお前の方がセンスあるし、お前にエースナンバー取られたくないからここまで頑張れたんだって言ってくれて。それからエースナンバーの重さ、かな? そんな事を思い始めて……。うん、それ以来こだわるようになっています。はいっ」
とぎれとぎれながらも、思いの丈を丁寧に答えるユウイチを、サトエは「こんな世界もあったのだ?」と全く縁のない所にいた自分はどうしたら良いのか分からずも、一生懸命話すユウイチの口元を眺めるばかりだった。
「はいっ」と答えて質問を終えたユウイチはユカの方を見て、次にサトエを見たがどちらも予想外に真面目に答えるユウイチに、質問どころではない様子となり、次のスズキを見たら目があった。一呼吸おいた後、
「うん。エースナンバーを背負う気持ち、一番へのこだわりね。これ絶対野球する上に必要だわ。自分も今は暫定だが、キャプテンを任されたプレッシャーでね、練習中も試合中も注目される辛さを身に染みているところだよ。この間もね……」
話し始めたスズキだったが、ユカとサトエは、ユウイチの想いを聞けてもう満足の様子だった。話の長くなりそうだったスズキの話しがひと段落で落ち着いたところで、
「今日は、練習中の忙しい所本当にどうもありがとうございました。私たちもテスト期間中なのでこの辺で。テスト終わったら良い記事かけそうです。今日は本当にどうもありがとう。是非頑張って下さい。また、他の方にも絶対取材に来ます」
ユカが、話すとスズキが気をつけの姿勢をし、続いてユウイチも帽子を抜いで同じ姿勢をした。
「こちらこそ、どうもありがとうございました」
先に言ったのはユウイチだった。スズキが思わず突っ込もうとしたがユウイチは練習に戻りたいのだろうと理解し、一緒に頭を下げた。サトエとユカの取材はそれきりで終わった。
「いやー予想以上に? 予想外に? 異常に真面目な皆さんでしたね?」
「そりゃユカ、インタビューなんて言うから逆に構えて準備していたのかもよ?」
「それでも本当、真面目だったわ」
「中学校は、親の転勤で何校か行ったけど、あんな真面目な子いたかしら? 背番号にこだわって、先輩慕って、ひたすら球を追って。そんな人いたのね。びっくりしたわ」
「サトエも変に真面目だから合うんじゃないの? 付き合ってみたら?」
「変に真面目って何? それに私、親に無理言って脛かじらせてもらって、姉にも無理言って居候している身ですから。付き合ってどうのなんてはないと思っているの。それにこんな身分でお付き合いしても、相手にも失礼なんじゃない?」
「ええ? そうかな? 居候とか、それはそれで良いんじゃないの?」
「縁があればいつかはちゃんとなるんでしょうからそういうのはまだいいと思っているの。基督の授業でもそんな事言ってなかったっけ?」
「じゃ、少しはそんな気もあるんだ?」
「そんな気って、どんな気かしら? 折角だから本当応援したい気になったのは確かね。ちゃんとした人たちだったわ。私らも部活とかちゃんとしなくちゃね? その前に来週のテストか?」
「そうね。でもテスト終わった後、試合の情報あったら教えるから。行ける時は一緒に行ってね」
「そりゃ、是非行きたいわね。でも部活とかもあるからねえ。でも行きたいわ」
次に、サトエとユウイチが会ったのは、東北の長い冬を過ぎた一年後の大会だった。あまりに部活動、野球に真摯なT高の選手に遠慮がちになってしまったサトエとユカでもあったが、最終学年になって吹奏楽の顧問が名物だったお爺ちゃん先生から、その教え子という何を教えられたのかコンクールで全国を目指すという新任の先生が着任したので、前にも増して部活動が忙しくなって休みもなくなり、とてももう一度他校の野球部練習など見に行く時間も無くなってしまったのもしばらく会えなくなってしまった理由だった。
「自分の時代、吹奏楽の全国大会と言えばあの『普門館!』でした。吹奏楽の甲子園と言われていた普門館です! ところが、今は場所が変わって名古屋なんだそうです。一緒に普門館の黒いステージを目指しましょう!と言いたかったのですが、これからは名古屋! 名古屋を一緒に目指しましょう!」
最初の挨拶でそう話した新任の教師から、サトエ達は初めて『普門館』なる所があったという事や今は名古屋で全国大会なるものが開かれていることを知った。それから高校野球の聖地になぞられて吹奏楽の全国大会も『吹奏楽の甲子園』と言われている場所で行われていたのだということも。全国大会に興味はあったが、練習時間が増えても、そんなに急に上手くなれない事も薄々分かっていたが練習はきつかった。最終学年だったので、これも夏までの辛抱と何とか堪えた。
「夏のコンクール、夏コンだよ!」
と、コンクールを煽る新任先生だったが県大会の壁は高く新任先生一年目は昨年同様県大会で終了した。金賞を受賞できたのはせめてもの救いだった。通称次の大会に進めないダメ金と言われる金賞だった。
「来年は後輩たち頼むぞ!」
と、言って吹奏楽部活動から引退となったが、ほっとしたのが本音だった。涙を流している三年生の生徒もいたが、サトエは来年の事なんて本当にどうでもよかった。T高の応援! と思ったが、コンクールを煽っていた新任教師はあまり熱心ではなく、さらに三年生は学業優先で本当に行きたい人だけ届け出制で、理由を言わなきゃならなく不便な感じとなっていた。さらにこの年は試合会場も遠く福島市から二時間近くかかる会津若松市のあいづ球場で、午前十時からの試合だった。
それでも、サトエとユカは試合会場に向かった。
地元新聞の特集では、出場各校の紹介があって、本物のキャプテンになっていたスズキは「優勝を目標に、悔いのないように闘いたい」と他校の紹介と似たりよったりの優等生の発言が記載され、「目に浮かぶわっ!」とユカが笑い、サトエも一緒に笑った。エース番号一番を背負ったユウイチの紹介もあり、こちらは「前年度のエース番号の先輩に恥じない成績を残したい」と書いてあった。以前に取材に行った時の事を思い出していたサトエ達だった。もっともその頃にはユカの興味は野球のスズキ以外にもサッカーの選手、バレーボールの選手からバスケットボールの選手まで、どの競技の主力選手にも向けられていた様子だった。
試合の方は昨年並みに勝ち上がり、もう一つ勝てば昨年の成績を上回る事が出来るとの事だった。もちろん応援に来たのだから勝つだろうと呑気に思っているサトエ達。実際、試合前の選手たちもなかなかのんびりしている様子に見えた。
「これならきっと大丈夫そうかしらね」
ユカにサトエは話しかけていた。しかし、試合が始まると皆、急に表情が変わった。初回にいきなり守備にエラーが出て見るからにリズムに乗れない様子のうちに三点を与えてしまった。
相手の高校は県内でも進学校と知られる学校であったが、その投手は黒縁の眼鏡をかけた、運動部よりむしろ文化部の似合いそうな風情の投手で、左投げで、背中のランドセルから何かを探した後に、横からボールではない何か投げてくるような、そんな印象の変則的な投げ方の投手であった。初回先頭打者がいきなり外野フェンス直撃の二塁打を放ち、いつでも点数が入ると思っていたが、次の打者の応援席手前のファウルフライを一塁手がぎりぎりで捕球し、運の良さをアピールする様子が場内の空気を和ませたかと思っていたら、そのままT高は無得点のまま進み、逆にユウイチ達T高の方が七回表に野手の間に落ちる安打を続けられ、追加点を奪われてしまった。
みるみる焦った様子のT高だったが、毎回の様に塁上に代わる代わるランナーが出るが本塁が遠い。八回裏にさぁ反撃開始とようやく一点奪い返したが、その次のスズキが打った強打を三塁手が飛びついて取ってダブルプレー。最終回も二人塁に出たがそのまま試合終了となってしまった。終了後は、あれっ? という表情のT高野球部の面々だったが、応援席に試合終了後の挨拶に来た時には、どの選手も斜め上空に薄めの視線を開けるも涙があふれてしょうがない様子だった。キャプテンのスズキはもうしょうがないのでそのまま涙を流っしぱなしで拭いもしないでいた。エースのユウイチの前ではネット越しに前年度のエース投手が、大きな声で労いの言葉をかけているようだったがその内容は聞き取れなかった。ユウイチもやがて涙を拭うこともなく流したままスズキと抱き合っていた。その姿を見て、さっきまで「早く黒メガネちゃんを打ってやってよね、スズキ君」「ユウイチ君軽く投げても相手打てないわよ」なんて軽口を言い合っていたサトエとユカ達も黙って抱き合って涙を流していた。
こうして高校最終学年のそれぞれの夏の大会は終わっていた。
福島競馬場の第十レースでは、内から白い帽子のゼッケン番号一番の馬が飛び出して最初のコーナーを回ったがすぐに周りを囲まれ、最終コーナー手前では、明らかに足が止まり場群の中に消えていった。サトエは、胸の前に持っていた両腕のうち左腕を開いて、右手の中にしまっていた馬券を見せた。馬券の中には、
「単勝一番 シンゲキサクラ10、000円」
と書いてあった。
「一番? 一番かぁ? うーん、惜しかったじゃないの?」
「うん。ねぇ惜しかった。実はね、昨日からずっと一番だけ買っているのよ。でも当んないの。なんでかしら? ずっと負けているのよ? もう十万円以上使っちゃった」
「十万円以上も? えっ? それって大金じゃないの? そういうのってありなの? うちじゃありえないけど……? 十万円もあったら美味しいもの食べて、お買いものも出来るし……? ええぇ? いつもそうなの?」
「いや、もう初めてよ。最初で……最後かも? 何せ……」
と話したところで、ユカのご主人ツヨシとベビーカーのリク君が現れた。
「全然、リク起きなくてね。どうした? 今のレース買っていたのか? 一番、一番か? シンゲキサクラね。面白い展開だったね? 途中までね。次はメインレースの七夕賞だよ。昨日から分析の分、買って来たぜ。買ったのかい?」
「うん。決まっているから買いに行かなきゃ」
「そうか、ちなみに何?」
「この娘ったらね、一番ばかり買っているんだって? そんなのってありなの?」
「うーん、そうだな? 七夕賞の一枠一番は、これまた面白いのは面白いがね? って、えっ? たまたまじゃなくて一番ばかりなの? ……なんで?」
「うん。一番なの。絶対一番じゃなきゃ買わないの。でも来ないのよ」
「昨日から、ずっとやってきて一番が全然来ないんだって。そんなのもありなの?」
「競馬だからね。楽しみ方だけど……。『死に番』とか、妙にこない番号は来ない、来る番号は続けてくるなんて買い方もあったね。それから、中穴は五番とかで、五千円馬券の五番は買いとか。何でも楽しみ方だよ。競馬は。昔は松田雄作が死んだ年に『ダイユウサク』なんて馬が年末フィナーレ飾ったなんて事もあったけどね。ああ、この七夕賞も『ドモナラズ』って馬が飛び込んで万馬券になった時もあるんだよ。本当。何が来るか分からないから楽しいんだよ」
「それにしてもねぇ? 一番なのか。ふーん。一番、さっき何か言いかけなかったっけ?」
「うん……」
ツヨシの話しを興味深く聞いていた様子のサトエだったが、ユカとすっかりベビーカーで熟睡のリク君を見ながら少し話そうかどうしようか考えた後、声も気持ち一回り大きく話し出した。
「会ったのよ、ここで。T高の野球部だったユウイチに。ユウイチだよ。ユカ、憶えている?」
「ユウイチでしょう? そりゃ憶えているわよ。カッコ良かったもの。エースだしね。ちょっと真面目すぎたけど。元気だったの? いつの話し?」
「うん、それがね、あまり元気じゃなかったの。びっくりしたわ。震災の時よ。たまたま偶然」
サトエは、S付属高卒業後も姉のアパートで姉とは違うが、同じ福島市内の短大に進学していた。姉は短大卒業後、地元の福島市内で働いていたがどこも長続きせず職を転々と代えていた。その後、サトエが高校を卒業するのを見届けて、東北最大の都市仙台で職を求めた後、転勤となり関東地方に住んで居た。
連絡をよこすのは電話番号が代わった時だけで、決まって最後に両親にも伝えておいてと伝言するのが慣例となっていて、連絡先だけ分かればどこの都市だったか覚えている隙もなかった。
サトエの方は、親の勧めもあり短大卒業後、福島市内の小さな信用金庫に就職する事が出来た。公務員だった父親も、中学卒業以来姉と住ませて心配ばかりしていた母親も、しっかりした所に就職出来たサトエを見て安心し大変喜んでいた様子だった。就職後、部署は違うが同時入職の学年は二つ上の四大卒の男子職員がいて、周りの勧めもあったが、お互いこれも何かの縁と思っているうちに、一年の交際後婚約、結婚する事となった。両親は就職に続いて、信用金庫の職員という実直そうな仕事に就いている良き伴侶を得たサトエに溢れるばかりの喜びを現していた。姉はあちらこちら連絡もよこさずに転々としており、そんな姉に父の仕事の都合はあったものの高校生のサトエを任せてどうだったものかと思っていたが、しっかりと結婚した姿に、定年まで数年となった父も大きな役目を終えたと大変喜んでいた様子だった。
サトエも喜ぶ両親の姿を見て大変満足し、その時には将来は希望だけ輝いているようだったが、結婚生活はわずか一年あまりで終わりを迎えていた。
「サトエ結婚していたの?」
ベビーカーを押したり引いたりしていた、ユカが驚いてサトエの横顔を覗き込んだ。
「幸せそうなユカを見て言えなかったわ。一年ぽっちだったけどね」
ベビーカーの中では、リク君がすっかり寝入ったまま起きる様子もなかった。ツヨシは、メインレースの馬たちをパドックに見に行くと言って、帰りに売店で何か買って来ると向かって行ったところだった。
「あんたは、見た目美人なのだからいくらでも候補はいるような気がしたけど、何かあったの? 浮気とか? 借金とか?」
「いや、真面目でとっても良い人だったのだけど、自分が悪かったの。何かね、上手く言えないけどね、良い人だったのよ。でもね、何か嫌いになっちゃたの。嫌いな人と一緒にいなくちゃならないってとても苦しい時間なのよ。このまま子供とか出来ちゃったら子供にも迷惑かけるし。嫌いな人と一緒にいる自分も本当嫌いなのよ。こんな話しユカにするのも何なのだけど。ユカはそんな事ないでしょうけどね。うん。付き合う時間も足りなかったかなっても思った。でも駄目なものは駄目だったの。分からないよね。自分が悪かったのよ」
「親がお堅い仕事だったからサトエらしい選択だと思ったけど、離婚していたって聞いてまた、驚いたわ。やるときはやるものね。あなた」
「うん。もう結婚生活耐えられなくて、相手の方には申し訳なかったけど。親にも怒られたわ。かなりがっかりさせちゃったわ。でも、自分がもう耐えられなくてね。もう壊れそうだったわ。だから今でも良かったと思っている。後悔はしていないのだけどね」
その後、サトエはなんともその信用金庫に居づらくなって退職する事になった。何かと面倒を見てくれた上司や会社の仲間の顔をみると申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、自分で選んだ事なので、「これで良いのだ」と自分に言い聞かせてその信用金庫から離れる事にした。
これから何をしようかと思っていたが、ちょうど定年となった父親が定年後の自分の親、つまりサトエの祖母の面倒を長男として見ると言って自分の生まれた南相馬市に退職金で家を建てるところだったので、そこで一緒に住まないかと両親に言われた。今さら両親と一緒に住むのもどうかと思い悩んでいた。また、結婚生活をうまく出来なかった自分自身にも失望し、離婚し一人になったこの選択は本当にこれで良かったのか自問自答したりして、まだどこか心の整理がしきれていないところもあり決めかねていた。
四月からの新卒入職者、つまりサトエの後任も決まり有給休暇もあったので三月入ってすぐに退職と手続きを済ませてくれた。かといって新年度から何をする予定もなかったが、少しの貯金と退職金も貰えたので反省を込めてのんびり自分を見つめ直す時間も悪くないなと思っていた。
「親の期待に応えようと思い過ぎて優等生になろうと背伸びし過ぎていたのかしら?」
「姉と暮らして姉に迷惑かけないようとか思い過ぎて、姉の自由な生き方に反発して自分に無理を強いて生きて来てしまったかしら?」
「自分に期待をかけすぎて、あまり周りを見ずに自分中心の甘い未熟な考えだったのかしら?」
休みになったらいろいろやりたいこともあると思っていたが、いざ休みになると何をするかも思いつかずに色々思いをめぐらせては、部屋の片隅でぼんやりテレビを眺めていた。テレビでは三月に始まる春の選抜高校野球の特集が組まれていた。その様子を見てサトエは、高校生時代に、ひたむきに白い球を追いかけては、マウンドで腕を振り続けていた野球少年ユウイチを思い出した。あんなに真面目に一つの事に打ち込んで、周りからは随分近寄りがたい雰囲気さえ醸し出していたが、あんな風になれればどんなに良いだろうかと羨ましくも思えていた。でもそんな事は、昔も今もとても自分には程遠いものと思っていた。どうすればあんな風になれるのかしら。自分もそんな風になりたいな。しかし……。
問題はこれからだ。姉のように新しい土地で、誰も知らないところで、新しい人生を始めようかしら? それとも、福島でまた仕事を探してみようか? 見ず知らずの土地に行くのは少し不安だし。いや、南相馬で、親と一緒に暮らしてゆっくり仕事探してみようか? でもいずれにしても今度は自分で何をするかちゃんと決めてみよう。周りの勧めもあるが、自分で決めて自分で責任取るのだ。これからはそうしよう。しかし、どうしようかしら? 誰かに相談しようかしら?
そんなことを考えていた時期だった。
二0十一年三月十一日、後に「東日本大震災」と呼ばれる巨大地震が、福島・宮城・岩手の東北三県を中心に発生した。
福島競馬場では、第十一レース本日のメインレース七夕賞の出走案内の放送が鳴ったかという時に福島競馬場に突然の雨粒が落ちて来た。さっきまでこれから間違いなく訪れるであろう夏本番まで、まだ序の口とは言いながら、どうして東北とは思えぬ、うだるような蒸し暑さの中、高い正面スタンドから覗き見える上空に灰色の雲が出てきたと思ったら、時間がわずかに過ぎる間に辺りがみるみる暗くなりついに雨粒がそちらこちらに落ちて来たところだった。ついに来たか、でもじき止むか?
コース中央公園で遊んでいた子供たちは、それぞれに親ごさんのもとへ向かって走り、さっきまでブルーシートを広げて弁当を食べていた母親たちも慌ててシートを畳んでは屋根のあるところを探して足早に移動を始めたその時、今までのレースと違う特別のファンファレーレが福島競馬場に響き本日のメインレース七夕賞の出走となった。
サトエとユカ達は自動販売機のあった屋根のある場所に予めいたのでその移動の難からは逃れていた。雨粒の落ちる一寸前に競馬新聞を持ったツヨシが、「芋煮汁」と「会津棒」なるものを買ってきてサトエとユカが両手をふさいで食べながら中継のモニターを眺める事が出来た。
「もう芋煮売っているんだ。福島に住んでいるけど会津棒って何かしら? 新商品?」
「ツヨシ! 幾ら買ったかあえて聞かないけど晩御飯は宜しくね」
「勝負は時の運だけどね。特に今時期福島は荒れるから。七夕賞は一番人気が来なくて有名なレースなんだよ。ハンデ戦だしね。色々と考えては来ているのだけどね」
「じゃ一枠一番のこの仔はどうなの?」
「一番ね。ムテキヤエノ、良い馬だよ。堅実な良い馬だよ。騎手の腕もあるかな? 福島競馬場は、小回りだから結構分かっている騎手が来ることが多いんだよ。木幡君が乗っているしね。うん。結構良いかもよ? 木幡騎手は以前このレース勝った時あったんじゃないかな?」
「本当? じゃツヨシさんも少し買っているんですか?」
「いや、僕は予算の関係でね。馬連で、軸は七番の馬なんだ。イブキノカグラっていうのがねパドックで良かったんだ。すごく落ち着いた感じで。でも一番のムテキヤエノも良かったよ。最後まで悩んだけど」
「軸って何ですか?」
と、初歩的な質問をサトエがした時にレースが始まった。雨は落ちて来たが、大粒な割にそれ以上長い雨になりそうにない予感が長年福島に住んでいるサトエは感じて分かった。
サトエは三月十一日、午後二時四六分の地震発生後、自分のアパートでかつて体験のした事のない長くてひどい揺れの中、咄嗟に食器棚を抑えていた。地デジというのが始まるので購入して間もないテレビがゆらゆら揺れてひっくり返るんじゃないかとテレビばかり気にして見ていた。テレビの画面は地震が発生してすぐに切れた。停電になったのだと分かった。携帯電話が何やら初めて聞く変な音を鳴らしていた。それが、地震緊急警報だったと後に分かったが、携帯に誰かが電話をくれているのかしらと思って「こんな時に電話するのは誰?」位に思っていた。しかし、長い揺れだ。地震は何度も経験しているがこんなに長いのは初めてだった。揺れ始めてやがて揺れの頂点に達してその後揺れが収まるのがそれまで経験していた地震だったが、この日のそれは頂点と思ってからさらにまた揺れが大きくなって、そこが頂点かと思って収まるかと思うとそこからさらに揺れてが続きいつまでも終わらなかった。
「もう、いい加減に終わりなさいよ!」
誰ともなく心で叫んだ時には、本棚に詰め込んでいたCDや本が波打ちながら棚から追い出されてばらばらに落ちた。そしてその後に、本棚が上に覆いかぶさってさらに弾んだ。洋服の箪笥からは引き出しがずんずん押し出されて来ているのが見えた。
「こんなの初めて見たわ。何なの? 一体?」
と思っていると、玄関の方で何かが倒れた音が聞こえた。
「靴箱の上に置いてあった小さな観葉植物やられたかな? まぁ、とにかくこの揺れが収まってくれないと確認も出来ないよ」
独り部屋のものが空中に浮遊するのを眺めながら、両手で食器棚の中の物が扉にぶつかり押し出ようとする感触を感じていた。
「終われ、終われ、早く終われ! この地震」
心の中で何度もつぶやいた後、ようやく長い揺れが収まった。
何で食器棚を自分が抑えに行ったのか自分でも分からずにいたが、最初に目に飛び込んできたからかな? と自分の行動を頭の中で分析したりしながら、両手で扉を抑えたまま左の前腕を利用し、その後額で左の扉側を抑えて、右手側の扉を少しずつ開けてみて、自由になりかけた左手を扉の中に忍ばせて、右手側の扉に寄りかかっている食器たちを反対側へ傾き直して、よしよしと思い右手側を開けたところで、奥の方からマグカップが飛び出して足元で割れた。
「結構気に入っていたカップだったけど、他のカップの犠牲になってくれたんだね。感謝するわよ」
足元を慎重に選んで踏ん張る場所を確認して、先ほどの要領で反対側の扉も慎重に開けたが、やはり左側からも少し高さのあるサラダ用の皿が飛び出して割れた。揺れが治まって気が付いたが、トイレか手洗い場の方から何か『じゃあじゃあ』と『ごうごう』が一緒になった音が聞こえた。
蛇口か何か壊れているかも、早く止めなきゃと思って、再度足元を確認して右足をそっと動かして、安全な場所に右足を踏み出したところで、また揺れが始まった。あぁ、大きな地震の後は揺り返しがあるのだったわ、と再び食器棚をその体制のままもう一度両手で押さえた。
「全く今やっと扉を開けようかというばかりだったのに、蛇口も壊れているみたいなのよ。揺れている場合じゃないのだから、いい加減にしてよ! あぁお気に入りのCDのケース割れちゃってないかしら? また買い替えるなんて無理だわ」
など思っているうちに、二回目の揺れは短い時間で収まった。二回目は、食器棚を開ける要領は旨くなったものだと自画自賛しながら「食器は全部一回出しちゃおう、しかしこの割れたのはちゃんとしないと危ないわね?」そんな事思いながらいるうちに、手をすべらせ、さらにカレーライス用の皿を一枚割ってしまった。
それでも、犠牲を顧みずに食器棚から食器類をそれなりに機敏に出して食器洗い籠の中に入れて床に置いた。今度は軽くなった食器棚が倒れそうだが、
「もうその時はその時だわ。もうこのまま傾けておいた方がよさそうね。そうしよう」
そして、ようやく食器棚の前から解放されたと思い、次は『じゃあじゃあ』『ごうごう』と音のするトイレの方におそるおそる行くと、トイレと手洗い場の天井から床まで所々から水が溢れ出して水浸しになっていた。もうどこから塞げばいいのか分からないほど水が溢れていて、さらにこちらも収まる気配がなかった。
「管理人さんに言わなきゃ。もう分かっているのかしら?」
そうと思っていると、玄関の奥の通路の方から話し声が聞こえた。隣の部屋の住民か誰かが話しているのだろう。自分の部屋だけじゃないのだ、きっと。
「自分の部屋も大変なことになっています。忘れないで下さいよ」
その時に、また揺れが起きた。
「これも余震ってやつなの? 三回目よ? 余震って何回来るのかしら。でもこれはさっき程じゃないわね。だんだん小さくなってきているのね。よしよし」
と、流しの扉にもたれて水の流れるトイレを眺めながら
「何からしたらいいかしら。停電でテレビも黙ったままで分からないけど。震源地は、ここかしら?」
水の溢れるトイレは、もう自分の力だけではどうにもならないと悟り、まずは情報と携帯電話の位置を確認したが、その前に倒れた本棚が横たわってどこから進めば良いか分からずに、床に倒れて投げ出された思い出のCDや本の表紙を申し訳なく思いながら、大股で足の踏める場所を確認して目をつぶって片足を着いたらプラスチックのCDケースが割れる音がした。そっと目を開けると最近のお気に入りの「セカイノオワリ」のCDケースに大きなヒビを入れてしまったのが分かった。
「フカセさん、ごめんなさい」
大好きなメンバーは割れたケースの奥で心配そうな表情をしているように見えた。お気に入りのCDのケースを犠牲にして、テーブルの上の携帯電話を手に取った。地震の間の異常音は、地震警報だったのだと表示に書いてあった。そうか、やはり地震か。隕石とか、ミサイルとかじゃなかったのね。地震なのね。と数年前の阪神大震災の映像を思い出した。
「あの時も、現地の人たちはこんな思いをしたのかしら? あの時は随分火事があったみたいだから、火の元には注意しなくちゃね」
と水浸しのトイレから目を離し、ゆっくりと玄関へ向かう敷居の引き戸を開けた。その先の玄関前では案の定、下駄箱が倒れて、こちらも靴が投げ出されていた。小さな観葉植物は葉が横になってこちらを恨めしそうに眺めているようだったが、とりあえず、外に出てトイレが水浸しになっているのを誰かに伝えなきゃ、と玄関の靴たちを跨いでドアノブに手をかけながら、履けるサンダルを右足・左足とひっかけてドアを開けた。
玄関のドアを開けて、外の景色を見た時に初めて冷静さを失った。
「何これ?」
しばらく周りを眺めた。玄関を開けると目の前にいつもあったお隣さんの家の瓦が崩れて瓦じゃないものの様になっていた。何かが屋根に降って来たかのような姿にも一瞬見えた。その隣の家は、壁が剥がれて剥がれた壁が軽自動車の上にもたれかかっていた。自動車に誰も乗っていないのが分かるがその光景があまりに異様で全く安心出来ない。地面には水たまりが作られていた。それが、自分の部屋の流しの元と同じ原因なのか、それとも言葉だけは知っている液状化というものなのか分からなかったが、普通じゃない事が起きていることだけは分かった。空は暗い灰色で風が立ち、強い風の中にみぞれ雪が混じって降ってきていた。同じ階の挨拶だけしか交わした事のない、普段はあまり無表情の叔母さんが声をかけてきた。
「電気ねぇべ? 水もえらい事になっているべわ。怪我している人はいねぇがい?」
「えぇ。ちょっとコップとか割れちゃって、踏んだら怪我しそうだけど、ウチの部屋では、怪我とはないです。水とかどうしようかしら」
「怪我ながったのでは、まずはうん、えがったわ。今のところ怪我の話しねぇな。ウチもな。水どがはもうどうもなんねぇなわ」
と、話しているうちに、また余震。
「もう、いつまで続くのかしら?」
と声に出した時に、携帯電話が鳴った。母親からだった。
「サトエ? こっちですごい地震があってね。えっ、そっちでも揺れたの? サトエは? 体は? 無事なの? えぇ、そう、無事。 あぁそっちも揺れたのね。こっちはね、家新しいから無事だわ。でも電気が止まってね。そっちはどうなの?」
「体は無事よ! こっちは、水が噴き出してご近所とかも大変みたいだわ。まだ何も分かんない。どうしたら良いか分からないけど、ここに居てもしょうがない時はそっちに行くかも。また連絡するから」
「うん。そうして。お父さん、ちょっとお隣さん達と、ご近所さんや区長さん達のところ回っているの。ウチはね全然大丈夫だから。お母さんは家の中で倒れたものとか、ちょっと直さなきゃと思っているんだけど、何回も揺れるからね? とりあえず電話してみたわ。こんな時は一緒の方が良いけどねぇ。でも道路も危ないかも知れないけど、大丈夫そうならいつでもこっちに来るのよ」
「うん。分かった。道路とかは大丈夫かしらね? 穴とか空いてない? 八木沢の峠あたり土砂崩れなんてどうかしら?」
「分かったら連絡するから。でも独りでいてもらっても心配だから何時でも戻ってきて」
「うん。分かった。とりあえずは無事だから。ちょっとこっちも動けるか考えてみる」
「うん。そうして。お母さんも心配だから」
母親と会話が終わると姉から電話が来た。
「サトエ、聞いてよ。もうびっくりしたわよ。何なのこれ?地震?そっちも揺れたの? あ、そう。お母さんもみんな無事なんだ。あそう。じゃ良かった。じゃあね」
いつもの通り姉が一方的に話して電話は切れた。
「まぁ無事で良かったけど」
電話はその時は通じたが、その後時間が過ぎる程繋がらなくなっていった。
一度部屋に戻ったサトエだったが、水は流しの部屋の床を覆ったままだが、その量は増えているのか止まっているのかもう分からない状態だった。自分の部屋を見渡たし、床に投げ出されたCDや本を、ベッドの上に移動した。その他投げ出されたテレビのリモコン、壁から落ちたコルクボードをテーブルの上に置いた。その途中も何度か余震は繰り返した。その何度目かの余震の中、ぼうっと窓の方を見ている間に南相馬の自宅に帰る事を決心した。途中で管理人さんが水道の元栓を締めてくれて、家の中の水が徐々に減っていくのが分かった事も決心の理由だった。
福島市のサトエのアパートから南相馬市の両親の自宅まで通常だったら車で約一時間半。途中は山道で雪も残っているだろう、そして八木沢峠という厳しいヘアピンカーブのところもあった。
両親が引っ越す前におばあちゃんの具合がすぐれないと何度か車で行っていたので通り道は分かっていたが、この地震の揺れの中無事に移動できるかは全く分からなかった。ガソリンは足りる位あったはずだ。何より、家の中ではテレビはあっても見られない。でも車の中ならラジオが聞けるので何か情報がつかめると思ったのも、この只事ならぬ光景の中でも、移動しようと思わせた理由の一つだった。取り敢えず何かしなくちゃ。独り暮らしも慣れていたサトエだったが、少しの着替えや化粧品をバックに詰め込み、電気のブレイカーを下げ、ガスの元栓も閉めて、部屋の戸締りを確認して家を出ようとしたところ、ベランダ側の窓が空いているのに驚いた。
「いつ開けたっけ?」
後で、大きな地震の時は、窓も揺れで開く場合があると知った。
「地震の中、車で出かけるのはやはり無謀かしら?」
と不安もかかえながら車のエンジンをかけてラジオの周波数を合わせるとしっかりと冷静過ぎる位の声でニュースがやっていて少し嬉しかった。あぁやはり地震の事をみんな知っているのだ。しかし、ラジオの人はテレビと違って随分ゆっくり話すものなのね。前からそうだったかしら? 電波の通りとか悪いのかしら? と思っていた頃、ラジオから
「岩手県沿岸、津波警報から大津波警報へと変わりました。予想は十メートルです。沿岸の方は高台の方へ避難して下さい」
十メートル? 大津波? 岩手は大変ね、リアス式海岸だから波が次から次へと大きくなるのだったかしら。学校で聞いたかしら? 誰に聞いたか覚えていないがそんな事を思いながら、車を走らせた。少し進んで国道四号線手間のところで、よく行くコンビニエンスストアが開いているのが見えた。人でごったがえしていたが、映画で見た世紀末の様な様子ではなく整然としている様子が窓から見えた。
「なんだ? コンビニやっているんだ。流石に親切ね。」
駐車場も何台か停めるスペースがあった。お客は車じゃなくて歩きで来た人たちの方が多かったようだが、みな買い物かごにカップ麺など沢山買い込んでいる。なるほど、これから何が起きるか分からないし、自分も負けじと買い込まなくちゃ。電気がなくてもお湯は沸かせるのだっけ? など考えながら買い物かごに残り少ないカップ麺や菓子パン、飴やお菓子、乾電池もあった、すごい! と思いながらあっという間にサトエのかごも一杯になって、後からのお客さんの視線も気になってレジに並んだ。レジの店主らしいオジサンは黙々と会計を行っていた。玄関前で、互いの無事を確認する大きな挨拶の声が聞こえた。年配の女性のお客さんは店主に、
「お店が開いていて良かった。本当にどうもありがとう。明日もやるの?」
と、労いながら声をかけていたが店主は返事もしないで、黙々と次のお客の会計を行っていた。再度、同じ質問を女性のお客さんがしたが、
「仕入れがどうなるか分からないけど、売るものがあったらやっているかもよ、きっと」
と、少し面倒くさそうに話した。その会話を聞いたサトエは、目の前にあった、ガムを買い物かごに追加して入れた。
「明日はどうなっているのかしら?」
コンビニエンスストアで買い物を済ませ、両親の元の南相馬へ向かった。途中国道四号線に向かう手前の道路は酷い渋滞だった。信号機はどこも停電で止まっていたが、国道四号線との交差点では互いに譲り合いながら交互に進んでいた。ちゃんと順番を守って互い違いに進む車を運転している人たちに何とも感謝の気持ちが溢れて、少し冷静な気持ちになれた。その交差点手前に止まっている間その向こう側の弁天橋の方向で電線が縄跳びのように揺れているのが見えた。また余震か。しかし車に乗っていると、アパートにいる時よりも揺れを感じない気がした。それでも慎重に慎重にと自分に言い聞かせながら交差点を超えて進んだ。国道四号線を過ぎると少しずつ渋滞が緩くなって進めた。途中、瓦の崩れた母屋と、その姿を呆然と眺める人達。消防署の制服とヘルメットを被って集団で歩いている人たち。消防団の法被を着た人たち。もう何からしていいか分からないらしき人々を横目で見ながら、まず暗くなる前に南相馬市の両親の所に行かなきゃと進んだが、その日は天気も悪くなっていき、途中霙交じりの雨が降ったり止んだりして、いつもならまだ少し明るい夕刻のこの時間も随分この日は暗くなるのが早いように思えたが、いや、電気の止まった地域も多く、民家から灯りもないのでいつもよりさらに暗くなっているのだと進みながら気づいた。車のラジオは冷静さを失わないような気遣いからか、アナウンサーは本当にゆっくりと話していたが、山道に入ってラジオの通信もとぎれとぎれとなり、被害の様子の話しに関東の地名も入ってきて、一体この災害はどこまでの範囲なのか想像もつかず不安ばかり増えていった。
福島競馬場では、本日のメインレースである七夕賞、第十一レースの準備が整い、メインレース用の特別なファンファーレの後発走となっていた。流石にメインレースに出走する馬たちは発送までの準備に慣れている様子でどの馬も今までのレースとどこか違い比較的スムーズに出走した様子だった。場内のモニターでも実況が始まった。
レースは淡々と進んだ。サトエが今回も買った一番を付けた馬は一度も先頭グループに近づく事はなかったが、最後の方でもなく、中断をずっと進んでそのままゴール番近くまで進んだ。ツヨシが軸に推薦した七番の馬は先頭グループに近づいたがそこまでだった。人気を集めていた馬は先頭グループから綺麗に最後のコーナーで先頭に立ちそのままゴールした。メインレースらしく、先頭の馬がゴールすると今までにない大きな歓声が福島競馬場を包んだ。レース中ずっとツヨシは何やらつぶやいていた。
「うん、出だしはそのまま。悪くないゾ」「そろそろどうヨ?」「外! 外に行くのか? 内は?」「そこっ! そこっ! そうだよ!」「行けるか? 行けー!」などと大きな声の独り言の様なものを発しているうちにレースは終わった。何を話しているかはっきりと分からなかったが、サトエにはすごく新鮮な経験だった。
「取れたの?」
聞くと、ツヨシは残念そうに首を振って、新聞を握った左手を振り下ろした。
「一着三着だよ。どうしてか、一着三着はよく取れるんだよね? まぁ、良く頑張ったは頑張った。七番のイブキノカグラは良かったけどね。一番のムテキヤエノは、ちょっと出だしね。最後はよく伸びてきたよ。」
福島競馬場の雨は、レースが終わるころには地面を全て湿らす位になったが、それ以上は強くはならず、一瞬の通り雨のようだったが、その気まぐれさは競馬場のレースの様でもあった。
暗くなる前に家に着きたかったサトエだったが、こんな時こそ落ち着かなきゃと思うも、次々に飛び込むありえない不思議な景色。一階がなくて二階部分だけで屋根が斜めに傾いた家屋。ひっくり返った自動車。斜めになった電信柱。山道でとぎれとぎれに流れるラジオの放送をかろうじて聞き取ると、酷い報せばかりで大津波、土砂崩れ、火事、死者何人……。何処のニュースなのかよく聞き取れないままひたすら東へ向かった。途中で通行止めになるかもと不安もよぎったが、それでもようやく、南相馬市の両親の家に着いた。普段は一時間半位で着くものだったが、ゆっくりと状態を確認しながら来たせいもあるが、着いたのは三時間を過ぎた夕方七時過ぎで辺りは電気の灯りのない不思議な暗さに包まれていたが、建物の中で動く母親の姿を見ると流石に緊張がほぐれ、ほっとした母親の表情を見るとともにどちらともなく涙があふれてきた。
「よく来たこと」
「うん。あっちに居てもしょうがないもの。おばあちゃんは、どう?お父さんも大丈夫?」
「お父さんは、ご近所さんところ行ったり、区長さんのところへ行ったり、うろうろしているのよ。間もなく帰ると思うわ。おばあちゃんは、少し具合悪いと言って横になっていたけど、大丈夫よ。眩暈したんじゃない? まぁこんだけ揺れたのんだもの、しょうがないわよ」
「病院とか行かなくていいの?」
「今は、多分病院とかも混んでいるでしょうから、ちょっと様子見ていた方が良いかな? って。薬もまだあるし。おばあちゃん、もう寝ちゃてるけどちょっと顔だけでも見ておいで」
「うん。ついでにおじいちゃんにもお線香あげようかしら?」
仏壇のある部屋の奥におばあちゃんの寝室があった。少し襖を開けて顔を見られたが、もうすっかり暗くなっていたせいか、サトエが来たのにも気づかない様子だった。
「おばあちゃん、サトエだよ」
襖の取っ手に手をかけながら声をかけたが、険しい顔で目をつぶっていたのだけ確認出来た。もう一度声をかけたが、返答なく、「また明日ね」と言って襖を閉めた。
仏壇に線香をあげようとしたが、地震で写真が倒れたらしく、床に写真が置いてあった。火を使うのは危ないと思い、じいさんの写真に手を合わせた。「みんなを守ってね」心の中で言って、もう一度写真を見た。もちろん写真の中のじいさんは何も言わなかった。家の中は、落ちて来たもので危なくないものはそのままに、食器棚の皿はサトエのアパートと同じく床に重ねられコップ類は大きなボールにまとめて入れてあった。
「あっ、そうそう」
サトエは車に戻り、コンビニエンスストアで仕入れた菓子パンやカップ麺を母に渡した。
「よく買えたこと? サトエは意外と気が利くのね? お姉ちゃんとは違うわ」
母に褒められ、少しだけ得意な気分になった。母に褒められたのなんていつ以来だろう?
「あ、そうそう。お母さんから電話あった後、お姉ちゃんからも電話あったわよ。無事みたいだったけど、相変わらずで一方的に話してすぐ切れた」
「無事だったんなら良かったわ。あの子が電話をくれるって事は、それだけ大変な事が起きているって事なのねぇ」
二人で少し姉の事を想像して微笑み合った。
「しかし電気つかなくてねぇ。灯りとかないと心配だから、懐中電灯と乾電池確認しておいた。乾電池近くのお店で売っていたのよ。あと昔使っていたラジカセ捨てないで良かったわ。何で聞こえないのか分からないからサトエ見て、分かるかしら?」
「多分電池じゃないかしら? うん分かったわ。」
ラジカセは乾電池が入っていなかった。「単二乾電池六個」というメモ紙を渡して、近所のお店に言ったが生憎単二の乾電池は売り切れて置いてなかった。懐中電灯が三個あったので、そのうちの一番大きなやつの後ろを開けてみたら丁度単二乾電池が六個入っていた。
それを順にラジカセに入れてやったらラジオが鳴った。思わず母親と手を合わせて小さく声を上げた。
「さすがサトエは役に立つわ。伊達に高校生からお姉ちゃんと住んでいた訳じゃないわね。お母さんだけじゃ絶対分からなかったわ。電化製品は、本当難しいわ」
大した事をした訳じゃなかったが、褒められてサトエは南相馬に帰って来て少しでも母親の役に立てて良かった、正解だったと実感した。残りの懐中電灯二つの後ろに紐がついていたので、これをどこかに吊るせば、少し電灯みたいになるんじゃないかと部屋の中の吊るす場所を母親と見渡していたところ、父親が帰って来た。
「お父さん、こんな時に何処ほっつき歩いて。家の事もちゃんとしてからよ。全く」
母親のいつもの小言に耳を貸さず、父はサトエの顔を見て表情が明るくなっていた。
「おぉ、サトエ帰って来てくれたのか? 道路は平気だったのか?福島はどうだ? 大丈夫か?」
「うん。何とか。こことあまり変わらないかな? 途中の川俣とか飯館の辺とかもすごかったわ。でも、道路は何とか、うん」
「そうか、良かった。うん、良かったな。疲れたろ。今日は、もうどうもなんねぇからな。喰えるときに喰って寝られるときに寝るんだわな」
そんな会話をしている間にも余震が起きて、奥で何かが落ちた音がした。
「寝られるべぇがは、わがんねぇげどなぁ……」
「区長さんとかから聞いたけど、津波ですごい被害出ているみたいだ」
「どこが?」
「なに、渋佐から萱浜もどこもだ。大甕もどうなったがな?」
大甕には、サトエの叔父である父の弟が住んでいた。
「弟はどうしたがな。区長さんが、道路もあちこち寸断されているっていうからあまり用事もないうちは動くなって言われたから。あと、電気とか水とかなくて不便だったら、近くの小学校が避難所になっているから、避難する時はあそこの小学校に行けという事だ。でも、津波で被害の人らも来るだろうからどうしたもんだって。ウチは灯油もあるべから、水とかさえあれば何とかなるべ? 水は、区長さんの家の井戸水使っていいよって言われたから」
サトエは、車の中のラジオから流れるニュースで津波の知らせも山道でとぎれとぎれ聞いていたが、どこの事だろう? 岩手か? 宮城もか? と思っていたが南相馬までとは思わなかった。相馬市の老人ホームで被害・死者が出ていると繰り返し言っていたので、お隣なのでもしかして? と思ったが、この時代に津波? というのが正直な気持ちだった。南相馬のサトエの両親の家は海岸からは随分距離があったが、家族で東の海の方を眺めた。辺りはもうすっかり暗くなっていたたが、海岸の方から嫌な風がじっと押し寄せてくるような気持ちがした。
夕食は、懐中電灯の灯りでサトエの買って来た菓子パンと冷蔵庫のソーセージを食べた。電気がつかないので冷蔵庫の中の食材も早く消費した方が良かろうと思ったが、あまり喉は通らず冷蔵庫にあった牛乳で流し込んだ。おばあちゃんは起きて来なかった。電気も困ったが、水道も困った。トイレの水が流れないのだ。少し溜めて、大きい時だけ風呂のお湯を水面器で流すことにした。暗い中でラジオの音を聞いていた。「福島県では……」という度に耳をすませた。
津波の被害は想像もつかない様な数字を言っていた。想像はつかないが大変な事が起きている事は理解できた。沿岸部では、孤立した集落がある事が分かった。
岩手県では、沿岸部の集落がすっかり無くなった地域があるという事。宮城県では、空から沿岸部で津波の被害の人の姿が多数確認されていること。南相馬から仙台に向かう途中の新地町で電車が横転して駅舎が流されていること。その辺りから線路がもう流されてしまったこと。仙台空港に津波が来たこと。工場などで大きな火事が起きていること。茨城県や千葉県、栃木県など関東まで被害が及んでいる事などが分かった。
死者の数は福島県では南相馬市が一番多いようだった。南相馬市の老人ホームで死者何人発生のニュースが流れたが、車で聞いた相馬市の老人ホームとの間違いだったのか、両方で被害が出ているのかさっぱり分からなかった。また、行方不明者の数が沿岸部で知らせるたびに増えるのでどう聞いていていいのか分からなかった。
もう映像はないがラジオから流れるどの報せも全く救いようがなく恐ろしいニュースがこれでもか繰り返し流れていたが、なかなか実感などなくどこか遠い所か、遠い昔の知らせの様に聞こえていた。
久しぶりに会った家族は、暗い中なすすべなく、布団を敷いてラジオを背中に親子三人布団を敷いて横になった。灯油ストーブは焚いたが余震の度に自動消火となり、嫌な臭いだけが残り、何度目かにもう火をつけるのをやめた。およそ一五分から二十分間隔で来る余震。沿岸部の叔父のこと。おばあちゃんのこと。福島のアパートのこと。ここの電気・水道・食事・風呂・お金の事。これからの事。全くの不安ばかりで全然寝られずにラジカセと時計を交互に眺めて時間が過ぎた。
「水も電気もないからな。今日は特に冷えるかも知れないけど、体育館の方が良いのかもなぁ? お隣さんとかもこりゃ何時になったら水と電気戻るか分からないからどうするかなぁ。南相馬の体育館が一杯だったら福島市の方に行った方が良いかもなぁ」
「おばあちゃんはどうかしら? 薬とか足りるのかぁ? 一度病院寄ってからの方が良いかしら?」
「うん、その後ちょっと避難所探してみるか? でもなぁ、知らない人とかと一緒にいれるかぁ?」
「行って見てみて、駄目な様だったらまた家に戻って来ても良いのでしょう?」
「それはなあ? どんなもんなんなのだかなあ? 全く避難なんてした事ないからな。でも避難なんて。そんなに長くならないだろうから」
「でも、阪神大震災の時ってどうだった? しばらく避難とかしていた人いたんじゃない?」
「うん。まあ……。でもなぁ……。ああ、うん、全く想像つかないなあ」
「サトエはどう思う?」
「うん。長くても一週間か十日位でしょう? おばあちゃんの具合はどうなの? それが一番心配かな? おばあちゃんに明日、ああもう今日か? 聞いて決めれば?」
地震発生翌日の行動を決めかねている両親の話し合いが静かになった頃、ラジオから福島の原子力発電所の被害のニュースを聞いた。
その時はそりゃこれだけ被害があるのだから、海岸沿いにあるあそこらの施設も大変だろうと思ったくらいだった。関東のどこかのコンビナートが燃えているというニュースもあり、子供の頃見た、怪獣がコンビナートを壊したところを風呂敷抱えた庶民が逃げて行くヒーローもののテレビの光景を思い浮かべていた。
翌朝、おばあちゃんが最初にトイレに立った。水が流れなく父親が
「おっかあ、水は流れねぇよ」
と話した。
その後、もう昨日から数えきれない何回か目の余震が起きた。周りも明るくなってきたのが分かった。
「区長さんのところで水貰ってきておくか」
父親が起き出して自分が飲んでいた焼酎の大きいペットボトルを持って来た。
「こんな時に役に立つと思っていたんだ」
軽口を叩いて玄関から出たのを合図に家族が起き出した。布団をたたんで、サトエと母親はばあさんの部屋に行った。
「おばあちゃん起きている?」
「なんだ? サトエかい? 夢なのか、あの世の事かとかぼやぼや考えていたよ。いつから来ていたんだい?」
「昨日の夜だったよ。もうおばあちゃん寝ているようだったから起こさなかったよ。おばあちゃん、具合どう? どこか痛い所とかない?」
「具合? どこも困ったものだ。昨夜は眩暈してな、全然寝られなかったよ。何回も揺れて何が何だか分からんようになったよ。今もだ。それにしてもサトエよく来たなぁ」
「福島市も揺れたよ。電気止まったからどうもなんないし。おばあちゃんらも心配だから。とりあえず南相馬来てみたよ。独りじゃ心細いからね」
「そうか。そうだな。家族多い方が安心だな。自分はこんな身体でなぁ。役に立たなくてなぁ。若い人らに迷惑かけてばかりだわ」
すっかり年を取って気弱になっているおばあさん。無理もない。ラジオでずっと大変なニュースばかり流しているのを知ってか知らぬか。知ったらもっと驚くだろうか? それとも先の戦争終わった後を知っているから、あの災難を乗り越えてきたこと思い出してもらっておばあちゃんの知恵が頼りになる時が来るのだろうか? サトエがそんな事を思いながらおじいさんの写真を横目で眺めていた頃、母親が話し出した。
「おばあちゃん。ウチも避難しようかって、お父さんと話していたんだけど、おばあちゃんはどう? とりあえず、今電気も水もないから。サトエも少し食べるもの買ってきてくれて、ご飯も少しはあるけどいつまでこんなんだか分からないから。避難所も少し見てきても良いのかなって、お父さんと話していたの。でもおばあちゃんまた具合とか悪くなったら心配だしね。おばあちゃんの薬はしばらくあるの?」
「次の診察日は月末だから。それまでの分はあるかな。O病院の高橋先生最近は良いみたいですよってこの間言っていたから、最近は良いのだけど、いつ前みたいに発作起きると分からないしなぁ」
「じゃ、お父さん来たらまた相談するわ」
サトエはおばあちゃんの布団をたたみ、ラジオを茶の間に移動すると、サトエと母親、おばあちゃんと三人でお湯も沸かせないのでお茶じゃなくサトエが来る途中で買って来た烏龍茶を湯呑に注いでラジオを囲んだ。ラジオでは被害の情報を流していたが、あまりに被害が多すぎてどこもひどそうだとしか分からなかった。ただ、サトエ達の住んでいる南相馬市でも孤立している集落が何ヶ所かあるという事が分かってきた。それから前日相馬市の老人ホームで被害と言っていたが、何時の間にか南相馬市の老人保健施設の被害の報道ばかりとなっていた。名称を聞いたら南相馬の海岸に行く途中の施設だったと分かった。南相馬市だけでなく、多くの場所でそういった被害が出ていて情報が錯そうして伝わっているのだろうか。朝の段階では、それらの施設で分かった死者数の報道が繰り返し流れていた。
やがて父親が、水を汲んだペットボトルを持って帰ってきた。
「区長さんが、井戸水のある家、他にも教えてくれてなあ。同じ行政区の方も使ってもらえるように言ってくれたようだ。だから水は大丈夫かな。ただ、トイレの水は風呂の湯船にある分で流して、顔や歯磨きはこっちの水使ってくれな。あとお湯沸かす時は、カセットボンベ家にもあったよな? それでお湯少し位なら沸かせるな。お母さんボンベまだあるよな?」
「あぁ、カセットボンベね、そんな使い方もあったかしらね。鍋にしか使わないものだと思っていたわ。ご飯食べたらボンベ探そうかしら。多分あると思うわ」
「あったはずだ。台所見てみるべ。とりあえずお袋も腹減ったろうから朝ご飯にしよう。サトエの菓子パンまだあったかな? ボンベでお湯沸かして珈琲とお茶飲むべ」
その後、父親が気になることを言った。
「原発が津波の被害で、双葉や富岡の人達ら避難になったみたいだ。原発は放射能だから目に見えないから向こうの方の人ら大変だろうなって区長さん話していたがなあ……」
南相馬市の隣の双葉郡にある福島第一原子力発電所の事だった。サトエが南相馬に帰る途中の車の中のラジオでも被害があったと伝えていた情報の一つだった。
こんな日は届かないかと思っていた朝刊が、いつもの時間より随分遅かったが届いた。配達の方が
「歩きで届けているのでこんな時間になってしまってすみません。被害どうだか分からなくてね。バイクだと逆にパンクする可能性とかもあって危ないと言われたもので」
父親がお礼を言いながらこの近隣はどこも歩いて行けるよ、など短い話をした後、配達の方がまた次の目的地へ行った。新聞はいつもより大分薄く全部で四枚しかないものだった。
「東日本巨大地震」の大見出しの下に「県内震度六強、浜通りに大津波」とあり津波現場で家屋が流されてその奥に火災が発生した相馬市の写真が写っていた。骨組みだけの建物に信用組合の看板が残っていた。
そして、縦に「M八.八死者・不明者多数」と大きくありその隣に「原子力緊急事態を宣言」と書いてあった。ラジオの報道とも一致する。今回の災害の大凡の概要が分かったような気がした。そして、ラジオの情報はどこか遠くの情報の様で、夢か現実化分からない気持ちであったが、新聞を見てこれは本当にすごい事が起きているのだと実感した。
「県土激震」
「観測史上最大」
「阪神大震災の七百倍のエネルギー」
「三連動百年から百五十年周期」
新聞の見出しはどれも現実離れしていたが、自分たちが現実離れした事実に出会っている事を教えてくれた。
「とりあえず、おばあちゃんの病院行って避難所どうなっているか見て来ましょうか? おばあちゃんどうかしら?」
「年取って迷惑ばかりかけて済まないねぇ。若い人らのいう事に従うほかねぇかな。ご近所の友達はどうしたかな?」
「避難所も行ってみないとどうだか分からないし。最初病院行ってみてまた考えましょう。家にいても電気もなくて冷蔵庫も効かないしね。カセットボンベだけじゃ何も作れないし」
「そうだな、いつまで続くかも分からないし。携帯電話の充電もそろそろ切れそうだしな。サトエもそれでいいか?」
簡単な家族会議で家族は、みんなで行動する事になった。まだまだ時間は早い頃だったが、コーヒーもそこそこに、O病院へ向かうこととした。道路はところどころ通行止めとなっているところもあるようだったが、サトエ達の家からO病院までは、町中の通りで普段は車で三十分もしないで着く距離だったが、約一時間かけて駅前にあるO病院に着いた。診療始まる時間まではまだ随分早い時間だったのに関わらず駐車場はすごい混みようだった。
「みんな同じこと考えていたのだろう。お父さんは車で駐車場探すから、おばあちゃん連れて順番を取りに行った方が良いな」
「うん、そうしよう」
おばあちゃんと母親、サトエは車から降りて病院の受付に向かった。
病院に入るまで、何人も早足で病院に入る人に追い抜かれた。病院の玄関を入ってすぐに受付があったが、非常事態に相応しくその前に長テーブルがあってそこですでに臨時の受付を行っている様子だった。そこはもうすでにすごい人だまりだった。サトエはこの病院に入るのは初めてだったが、おばあちゃんと母親はすぐに異常な事態を察知した様子だった。大きな声で話しているサトエの父親位の年代の男性の声が病院玄関前ホールでひときわよく響いていた。
「だから、今日紹介状貰って大学病院に行く段取りだったのにどうしてくれるの? 何年この病院にかかっていると思っているの? 分かるか? 分かっているなら紹介先を探してちゃんと救急車で送って行けって。検査してひどい結果だったら責任とってもらうからな!」
その隣では、耳の遠そうなお爺ちゃんに、病院の事務らしい男性がひときわ大きな声で説明していた。
「こんな事態で、薬局さんから在庫持つかどうか分からないから、どこも三日分ずつの処方でお願いされているから。今日は薬、三日分までしかお出し出来ません。それから、さっきも言った通り救急患者さん達、優先だから時間はかかりますからね」
見ると、奥の診察室の前やレントゲン室の前では診察を待つ人たちが並んで座っていた。サトエはその中に、かろうじて纏った病衣の下で、明らかに胸元が黒く煤けたように濡れて汚れた男性がいるのが目に入った。
「この人は、きっと、間違いなく、津波にあった人だわ」
ラジオや新聞でしか見聞きしていなかったが実際に素肌が汚れ、その頭髪も尋常じゃない汚れ方をした人を見て、異常な事態に諦めのような気持ちがわいてきた。
「おばあちゃん。今日は待っていてもいつになるか分からないわね?どうする?」
スッピンにしても顔色のさえないサトエの母親が聞いた。
「今日じゃない日にするしかないなぁ。困った人沢山だ。高橋先生も忙しくて大変じゃろ」
おばあちゃんも口も眼もふさがらずきょろきょろするばかりだった。
「まだもうしばらくは、薬もつのでしょう。そのうちにまた来ましょう」
「二週間はもつからな。混むのはいつも混むけど、こんなのは初めてだな。今日はやめた方がええじゃろ」
おばあちゃんも納得して他の患者に譲ることにした。母親が父親に携帯で何度か連絡したが、すでに通じ難くなっているらしく、駐車場を順に廻ると、奥の第二だか第三の駐車場に停めようとしているところをサトエは遠くから発見し、そこへ向かった。
「この駐車場の混み具合だからな。やっぱそんな状況だったか。おばあちゃんいいのか? 今日じゃなくてもいいんだろ? じゃ避難所になっている小学校に行ってみよう」
父親が、次の行動先を先導して言った。自宅方向へ来た道を戻って途中から小学校の校庭方向に入っていったが、途中までは来た時より道路も空いていたが、校庭方向に入った途端勝手な向きに停められた車に道を塞がれ進めなかった。道を塞いでいた車の中には飼い犬らしい雑種の犬がこちらを眺めていた。かろうじてプール脇の所に車をもぐりこませて、おばあちゃん、母親、父親とサトエ四人で車を降りて体育館の方へ向かった。
体育館を入ってすぐの所では係員らしい市の職員風の男性と若い主婦らしい人たちが何やら揉めている様子で、サトエ達は中に入っていいものかどうか分からずに体育館の中を見渡していた。揉め事の原因はどうやら炊き出しの食事の事らしい様子だった。
「炊き出しのオニギリが何個来るのか分からずに皆さんどうぞって放送したら、全員にちゃんと配れるかどうかなんて子供だって分かる事でしょう! みんないつ届くだろうってずっと一晩我慢していたのだから。市の人たちで渡らなかった人たちの分責任もってちゃんと配ってあげて頂戴よ!」
「私たちはただ行って渡してこいって言われただけで、言われた通りやっただけで怒られても……。どうしたらいいかは、ここにずっといた人たちの方が分かっていたでしょうから、次どうしたらいいか話し合いましょうって言っていんじゃないですか?」
「だから、そういう事じゃなくて、何回言えば分かるのかしら!」
ずっと続いている様子だった。係員は話している男性以外にもいるようだったが、みなそれぞれに忙しいそうで、手続きとか説明とか出来るような様子ではなかった。
サトエ達が体育館の中に誰か知っている人はいるだろうかと眺めていたら、
「セツコ姉に、アツコちゃんでないの?」
と、サトエのおばあちゃんと母親の名前を呼ぶ見覚えのあるおばあさんが入り口前にいたサトエ達に声をかけてきた。サトエは見覚えあるが誰だとはその時はっきりと分からなかったが、サトエの祖母の妹だと母親に説明されて遠い記憶を呼び起こした。
「リツコかぁ。無事だったのかぁ。家族はどうした?」
「ウチの家族は、無事だ。ひどい事になったものだなぁ」
やがて、その大叔母さんの息子さん達も現れ、昨日から避難しているらしい体育館の奥の一角に連れられてしばらく避難所となっている体育館の様子を教えてもらいながらお互いの無事を確認しあった。サトエのおばあちゃんは懐かしい妹の無事が確認出来たからか、随分緊張の和らいだ表情となってきたように見えた。
避難所は、プライバシーなど全く関係なく子供たちは走り回り、その隣で年寄は毛布を被って横になっており、大人たちはせわしなく知人たちの所や出入口を行ったり来たりしていた。
しかし、成程避難所は便利な所が多かった。トイレは自由に使えるし、電気もあって携帯電話を充電する事が出来た。水道も出て歯磨きしている人もいた。臨時の受付の様な所には新聞が山積みされ、
「今日営業確認出来た商店」
「今日休みの医療機関」
「通行出来ない道路」
などの情報があった。その張り紙を眺めていると、出入り口には人探しをしているという人たちが次々とやってきていた。市の職員らしい係りの人達はどうしたらいいか分からず、
「自分で探して見て行って下さい。」
とすでにお手上げの様子だった。
おばあちゃんは独りで家にいるよりは日中はここの方が落ち着くかもと、久しぶりの妹家族らとおしゃべりしたいと話していた。サトエと母親は少しでも食材など買い物をして夜は家で過ごした方が良いのかなと話し張り紙の商店に行ってみる事にした。サトエの父親は車に燃料を補給して、浜の弟の家の様子を見に行って来たいと話していた。やがて、サトエ達が入って来た時の出入り口のすったもんだのお蔭かどうか、炊き出しのオニギリが届き、一人一個と決められ、サトエ達家族も全く味のしないオニギリを昼食代わりにして夕方また体育館で落ち合う事にしてそれぞれ行動にでた。
サトエと母親は聞いたことのない商店に行ったが、人の考えることは同じで、大量の行列になっていた。買えるかどうか分からずにいたが、仕方なくその列に並んでいた時、遠くで何か『パン』と鳴った音が聞こえた。どこかでガスボンベか何か鳴ったか? 程度に思っていた。父親は、同じ時間にサトエ達よりももっと大きい音を海岸沿いの弟の家のそばで聞いていた。後でその音こそが原子力発電所の爆発音だったと知った。
夕方、叔母たちの家族にようやく買い物出来た少しのお菓子や飴などお土産に、避難所で落ち合った。原発の話題があちこちで出ていたが何が正しいのか分からなかった。父親は、弟の家のそばで
「原子力発電所の建屋内で爆発があったと情報がありましたが、それは過ちです。しかし念の為の屋内でお過ごし下さい」
という広報車が走っていて、それで避難所に戻ってきたと話していた。体育館ではラジオを大きな音量で流していたが、人々の話し声でよく聞き取れなかった。震災直後通じていた携帯電話もほとんど通じなくなり、何が正しい情報か分からずに不安は増大していった。
サトエ達は炊き出しの昼と全く同じ味のないオニギリの夕食の後に今日買えた少しのお菓子をお腹に入れた後、今日は家に戻って、また明日の朝、叔母達に会いに来る事として帰る事にした。
「おばあちゃんも疲れたろうし夜は家で休もう。それから何があるか分からないから避難の準備しておかなくちゃな。本当に大事なものって何だろうな?」
父親は家に帰った後、家にあった一番大きなバックを用意しながら中身をどうするか考え込んだ後腕組みして動かなくなった。母親は冷蔵庫の中身をもう一度確認して、少しばかり買えた今日は母親の手伝いをした後、おばあちゃんとラジオを聴きながらおじいちゃんの遺影の前でおしゃべりしていた。おばあちゃんは知り合いに会えて明らかに昨晩とは様子が違っていて明るい表情で、自分の兄弟姉妹の話しを次々におしゃべりしていた。
「本当に必要なものって言われても迷うわな。おやじの位牌だけは入れておくからな、お袋」
父親は話し、母親は久しぶりの親戚に差し上げられるものがないか冷蔵庫から出した中身を手に取って考えたりしていたが、如何せん暗闇の中の作業であり、慣れない懐中電灯の灯りでの夜を切り上げ、普段ではあり得ない時間―夜八時前には、もうどうすることも出来ないので家族で休むことにした。風呂場の貴重な残り湯で手足を洗ったが、頭を洗えずに気持ち悪かった。
サトエは自分が帰ってこなければ、もしかして家族は避難所の体育館に行っていただろうか? と少し申し訳ない様な気持ちにもなった。余震は相も変わらずに起きるも、その時間の間隔は少し長くはなっているようにも思われ、またその揺れにも慣れてきたように自分自身感じられて、昨日よりも少し体を休めるかしらと思えた。
明日の事は、明日起きてまず避難所に行ってから考えようと家族で話していたが、その後何もなければ、今日と同じくおばあちゃんはそのまま避難所へ、父親は弟の捜索に、サトエと母親は避難所の情報をもとに買い物に行くつもりだった。
ラジオからは、昨晩に比べて、地震と津波のニュースの量から原発のニュースの知らせの量が増えているのを確かに感じた。明日何があるか分からないから兎にも角にも体を休めようと話し、すぐに眠りにつけないが横になって休むことにした。
何度か余震があったが、短い時間の揺ればかりだった。サトエは、家族が寝返りを打つ度に寝ていないと感じていていた時間が長かったが、やがて眠りについたか父親の鼾の何度目かの盛り上がりが聞こえた時だった。窓の外をコンコンと叩く音が聞こえた。
泥棒? 近所の人? 動物? 気のせい? など思ったが、再度同じ音がなり、サトエは隣の母親を突いて起こした時だった。
「アツコさん? シゲユキさん? セツコ叔母さん? リツコですぅ。アツコさん? いますかぁ?」
先程まで避難所で一緒だったリツコ叔母の声だった。最初のコンコンの音から不安で緊張な気持ちだったのが急に落ち着いた」
「お母さん、リツコ叔母さんだよ。起きて」
「はぁあぁい!」
サトエが答えた。母親も浅い眠りだったかすぐに起きた。時計を見たら、午前二時を過ぎた頃だった。
「アツコですぅ。すみません。セツコ叔母さんどうしたの?」
「お知らせあって来たのよ。こんな時間にごめんねぇ」
サトエの母親が父親を起こし、吊るしていた懐中電灯で、もう一つの懐中電灯を探して窓の外を照らして、その姿を確認した。確かにその姿はリツコ叔母とその家族だった。
「どうしたの?」
窓を開けて母親が声をかけた。
「ごめんなぁ、こんな時間に。どこで寝ているか分からなくてなぁ。玄関の呼び鈴も押してみようとしたのだけど、分かんなくてなぁ。実はなぁ、避難所でなぁ、原発大変な事になっているって話をみんな言っていてなぁ。実は息子が昔、原発で働いていた時あってなぁ。その時一緒に働いていた近所の人に聞いたんだけどな、お昼爆発した原発な、放射能漏れ始まってもうやばいって。そんでなぁ『死にたくないなら今すぐに逃げろ!』って話しなのよ。本当かどうか分からないけどな。東京電力本店の職員の家族はもうとっくに命令が出てもう誰もいないって。市役所の家族も知らされて逃げていったって。行き先は、仙台位じゃダメだって。少なくても新潟とかその先位だって。浪江や小高の人たちはもうとっくに知らされていて遠くに行ったらしいよ。そんな話が避難所でなぁ、広まって次々いなくなっているんだよ。ウチら家族もちょっとヤバイのかなぁってなぁ、行く当ても無いけど、原発の仕事息子していた時の知り合いが新潟の柏崎にいるからって、とりあえずそこ目指して行くことにしたんだ。だから行く前に知らせようと思って来てみたんだよ」
家族は、想像もしていなかった事が現実になったと、返事も出来ずに聞いていた。
「知らせてくれてどうもありがとう。避難所は明日も開いているかなぁ」
「どこにも行けない人たちもいるから、受付の役所の人らと揉めているようだったけどなぁ。みんなが帰った頃よりは、もう随分減ったよ」
「そうかぁ。ウチもどうするか決めなきゃなぁ。わざわざ知らせてくれてありがとう。気を付けてなぁ」
「うん、どうもなぁ。サトエちゃんいるからなぁ。若い子は早く逃げた方が良いって言っていたから。分かっているかも知れないけど。考えてなぁ。またどうなるか分からないけど。おばあちゃんにも宜しくなぁ」
そう言って、こちらに頭を下げた後、叔母達家族は車に乗り込み行ってしまった。私たちは、その灯りを見送りすぐにどうするか家族で話した。
「すぐに行った方が良さそうだなあ? どうする?」
「知り合いもいないしなぁ。とりあえずサトエのアパートのあった福島に行くのがいいか? 避難所も向こうもあるだろうから? 布団毛布持っていけば足りるか?」
「枕がなくて避難所酷そうだったから枕もね」
サトエも一日が過ぎアパートがどうなっているのかも不安だったし、原発が大変なら少しでも遠くに行った方が良いと思った。夜中ならまだ道路も空いているだろうし、その後どうなるかも分からない。もう夜中の間に家族で福島に向かう事にした。
家族四人。朝病院に向かったように荷物も早々に福島へ向かうことにした。
出発直前、無理矢理起こしたおばあちゃんは「もう先も長くねぁから、置いていってくれないか?」と眠い眼を擦ってか、現状を理解出来ずにか、少し駄々をこねたが、親戚・兄弟も誰も避難所にいずに、食料も不安とゆっくりと何度か話すと納得してくれた。
意外にというか、この時間のこの地域ではかつて見たことが無いほどに道路は混んでいた。自分たちと同じように考えている人が随分いるようだった。自分たちの脱失が間違いではないと思わせるに十分だった。混んではいたが、道路はそれなりにすんなりと進み、朝も明けぬ午前五時過ぎにはサトエのアパートに着いた。
鍵を開けて懐中電灯で照らすと水浸しだった風呂場周りや、倒れて散らかしたままだった音楽CD、下駄箱などが地震直後の悲惨さを思い起こさせた。母親に父親とおばあちゃんまでも加わって暗闇の中少しずつ部屋を片付けると意外に早く元の通りに近い姿になったが水は流れなかった。
片付けの間に夜は明け、持ち寄った食材で朝食を済ませながら部屋を眺めたが家族四人で寝るにはやはり無理があると分かった。
電気も通じておらずサトエの家からほど近い福島市役所で避難所の情報を聞くのが良いだろうと元公務員のサトエの父親の判断で市役所へ向かった。他にも福島市内には父親の友人知人がいる様子で、仕事上の付き合いだったらしいが災害時には情報収集位には役立つであろうと父親は手帳を何度もめくっていた。
市役所は昨年新しい庁所に移ったばかりで、古ぼけた県庁や寂れた駅前通りなどの目立つ福島市に似つかわない新しく豪華な造りの建物でそれだけで被害にあった人達の怒りを買うのに十分な造りだった。サトエの父親を先頭に入るとすでにそのような冷たい空気の感じがすぐに感じ取れた。
窓口ではやはり様々な苦情の市民が押し寄せていた様子だったが、役所の係りの人はどこか冷徹に対応している様に見えて、南相馬の避難所等と違って言い争ったりしている様子はなかった。その姿を斜めに眺めサトエの父親は災害の情報や避難所の様子を記した張り紙を注視しつつ少しずつ奥に向かって進んでいったが、張り紙の情報がなかなか多くて目的地を探すのに手間取っていた。しばらくすると携帯電話が鳴り、前に連絡入れていたらしい公務員時代の友人に連絡がとれて、これから避難可能な避難所の場所を確保することが出来たと連絡が入った。
そこはサトエのアパートからほど近く馴染みのある場所「福島競馬場」だった。
サトエ達家族四人はすぐに福島競馬場へ向かった。どうしても避難所で見知らぬ人らと過ごすのが難しい時には、夜だけでもサトエのアパートで休むかとも思ったが、暖房の効いた福島市役所の中でも、毛布を持って休んでいる人や若い女性の姿も見えるので、南相馬市の避難所で助けを待っているよりはまだ良いのではないかという希望をもっていた。しかし福島競馬場に入って唖然とした。中央スタンドが崩落して尋常ではない姿が見えたのだ。避難のためと思われる人たちも他にいた様子だったがその姿を見て、てっきり広い場所で休めると思っていた当てが外れた様子で、係員らしき人に他の避難所等を紹介してもらうのに市役所に行くように促されていた。
サトエの父親は、ある人の名前を係りの人に伝えるうち中に入る事が出来だ。係りの人の話しでは、収容人員数に限りがあるため遠方から来た人や事情を聴いて選択して避難の人員を割り当てているとの事だった。
壊れたという表現では足りない程に、随分と傾いたスタンド建物を横目に中に入ると予想していた福島競馬場内ではなく、厩務員や職員が休むような離れた場所を紹介され、その場所なら安全確認も済んでいるので避難休憩可能という事を告げられた。既に何人か避難してきた人達もいたが、割と広い場所を確保できそうでそこで休憩する事にした。サトエ達を案内してくれた係員は、そこの受付の若い男性に手続きを委任してサトエ達に軽く挨拶をしてそそくさと去って行った。そこで手続きとして家族の名前や住所を父親が家族全員分書き終わろうかという時、その受付の男性が話しかけてきた。
「個人情報で申し訳ありませんが、ワタクシの事を覚えておいででしょうか?」
妙に丁寧な言葉使いのこの男性を見て、サトエも記憶を辿りながらもその顔を眺めながら、思い出せずいたが、申し訳程度に頷くと
「思い出して頂きありがとうございます。ワタクシ、T高野球部でキャプテン、主将やらせて頂いていたスズキです。ワタクシがキャプテンをやっていた時にわざわざS付属高から取材に来られた時の事よく覚えております。こんな時ですから公務員の職種に携わっておりながら非常に恐縮ですがご挨拶させて頂きました。サトエさん。ご無沙汰しておりました。」
「はあ。どうもこちらこそご無沙汰しております……」
つられて返事をしたサトエだったが、長い話の途中で坊主頭から七三分けを少しだけ今風にしただけで、他はあの頃の面影をすっかり残していたスズキを思い出していた。その後スズキはサトエの家族にもそれぞれ挨拶を交わしていた。
「T高で野球部のキャプテン、主将やっていたスズキです。サトエさん達S付属高校の吹奏楽部の皆さんには、高校時代大会などで応援して頂いたりして大変お世話になっておりました」
「こちらこそ、こんな所で知っている人に会えて本当に心強い。体も大きいですねぇ。頼りがいがありそうで。有難いです」
おばあちゃんはひと昔前風のスズキに握手してもらい丁寧に頭を下げた。
「公務員の方でしたか?」
「はいっ。野球部のキャプテン、主将でみんなをまとめあげていた事を認められたのか、高校出てからすぐに臨時での採用だったのですが仕事させて頂いておりました」
サトエの母親は、父親と同じ公務員職のスズキにすぐに好感を持ったように話していた。
「こんな娘でしたが、キャプテンやられていたスズキさんの様な立派な方とお知り合いだったなんで、本当これも何かの縁ですかね。お世話になります。どうか、もう、末永く宜しくお願いしたい位です」
おしゃべりな母親は余計な事も言いそうだったのですぐに話しをそらして自分たちの避難できる場所を探そうとしていたサトエだった。
「娘と知り合いだったなんて心強い。何も分からないのでよろしく頼むよ」
元公務員の父親も親しそうに挨拶してしっかり握手を行った。それにしても彼、スズキ君は何回自分が野球部の主将、キャプテンだったと言っただろう? 一度言ってくれれば分かるのに? などとサトエは妙なところに感心していると、意外な事を口走って来た。
「私が主将、キャプテンをやっていたT高野球部の……」
サトエが、また主将、キャプテンと言ったスズキに表情がゆるみかけた時だった。
「実は一緒に一度取材して頂いた時の野球部のユウイチ君もこの避難所にいますよ」
「えっ? ユウイチ君?」
「ええ。個人情報とかもあるので本当は何ですが、同じ避難所の中ですからすぐに分かる事でしょう。貴重な知り合い同士こんな時に、ここで再会出来たのも何かの縁でしょう。こんな時こそ少しでも力を合わせてやっていましょうよ」
こんな所で懐かしい名前を耳にして心強いような、少し名前だけで浮かれるような気持ちとなったサトエだったが、ひとまず避難所の中での家族四人の仮の寝床の確保を行った。その間に隣で毛布に包まって横になっていたサトエよりも少し若く見える夫婦が小さなラジオを聴きながら話していた声が自然と耳に入った。
「原発爆発したのは間違いないみたいだ。今は安全とか言っているけど、安全な訳無い感じだよ。福島はもうだめかも? 少なくとも浜通りはもう駄目だな」
「その時はどうするの? こんな所にいて大丈夫なの?」
「大丈夫だったら助けが来るだろうけど、本当に大丈夫じゃない時は本当に誰も来ないかもよ。見捨てられたか? ロシアやアメリカでも昔そんな事があったみたいだし。その時も現地にいた人らは、ほっとかれたみたいだよ」
「そんな事言っていないで、どうするのか考えてよ」
「しかし、ガソリンも残り少ないし。どこに向かって行けばいいものか。まぁ、もうちょっと待っていなって」
何とも避難所に着いても気持ちが落ち着かないサトエ達だった。
おばあちゃんは着いて早々すぐに「疲れた、疲れた」と言ってすぐに横になったが、落ち着かずにまた直ぐに起きて正座の姿勢で周りを眺めていた。父親は、立って腕組みをして辺りを威圧するようにいたが、その表情からは疲労と焦りの気持ちが滲み出ていた。「周りに空いている商店とかあるか確認してくるか」などと言って入口付近まで行っては、忙しそうな市の職員をつかまえて少し話してまた戻ってきたりしていた。サトエと母親は他愛のない話しをしながら周りの様子を眺めていたが、おばあちゃんが何度目かの正座と臥床を繰り返した後に就寝したのを見て、「少しでも知り合いがいたら何かの力になれるかも知れない」という母の勧めで、周りを見える範囲で探してみたがなかなか見つけられないでいた、もう一人のサトエの知人―ユウイチ君のところへ挨拶に行く事にした。
就寝したおばあちゃんの表情を見たサトエだったが、避難所の照明の影響もあるだろうが、どうも疲労の影以上の暗雲たる深い影があるようにも見えた。父親にも少し休みなと言ってサトエと母親で行くことにした。
忙しそうに受付対応していたスズキの合間を見て、サトエと母親はユウイチに挨拶したいので場所を教えて欲しいと申し出た。スズキは自分がそこまでと案内を買って出てくれた。避難所のサトエ達の確保した場所からぐるっと通路の様なものが出来たところを廻って反対側の奥の方の場所に進んで行った。
「あの場所になります」
スズキが左手で示した場所の方を見て、サトエは一瞬足がすくんだ。近づいていくと確かにかつて野球帽をかぶっていた少年の顔だった。
「ユウイチ、お母さん、スズキです。どうも。懐かしい人が一緒の避難所に来たのでご挨拶したいと。ユウイチ憶えていますか?」
ユウイチは目でサトエの方を見た。サトエは笑顔を取り繕う事も出来ずひきつった表情のままだった。
ユウイチは、首から下は毛布が掛けられていたが、その下は、丈夫そうな車椅子である事が直ぐに分かった。
「ユウイチ、覚えているかい? 高校の時、S付属高の吹奏楽部の子が野球部に取材に来てくれた時あっただろう? あの時来てくれたS付属高の一人サトエさんだよ」
スズキの紹介で、毛布の上に顔だけ見えるユウイチは顔に皺を寄せながら遠い記憶を思い起こした様な目でサトエの方に視線を向けた。その少しずつの動作をサトエとスズキ、そしてユウイチの隣で中腰の姿勢のままのユウイチの母親がじっと見ていた。サトエの母親は何も知らずに間違った所に来てしまったかしらと少し離れて下を向いて立っていた。ユウイチはゆっくりとサトエの方に目を動かし、その視線の先にサトエらしき姿を確かめた後に心なしか口元が緩み、確かに分かるとスズキの方に視線を移した様子だった。表情からは嬉しい表情に見えてスズキもユウイチの母親も「良かったねぇ」と声を掛け合っていた。
「サトエさんとおっしゃるんですか、初めましてユウイチの母です。ユウイチに会いに来て頂いてありがとうございます」
母親が話し始めたがサトエは、小さく頭を下げるばかりで声が出なかった。サトエの後ろでは、「一体どうなっているの?」と言わんばかりにサトエの母親が驚いた表情で立っていた。
「筋萎縮性側索硬化症」という言葉をサトエは初めて聞いたがそれが何なのかは全く分からなかった。しかし、ユウイチがその病気でこの姿になった事は理解出来た。
「高校を出て、何ですか尊敬する先輩を追いかけて関東の同じ大学に入る事が出来たのです。福島から離れて一人と言っても心強い先輩もいるしそんなに心配もしてなかったのですがねぇ。大学で野球続ける事が出来たのですけど、しばらくして何だか力が入らないとか言い始めてねぇ。最初は練習でどこか筋でも痛めたか位にしか思っていなかったみたいなんですが、そのうち、練習にも支障が出て来たみたいで監督さんから詳しく調べるように言われて、しょうがなくお医者さんに行ったんですよね。でも、どこに行ってもよく分からないみたいで、色々紹介されて。一年位あちこち行ったかしらね? その間に今度は立てなくなったりしてね。本当に困ったところで、ようやく福島の大学病院でこの病気だと診断されて。あまり若いうちに発症するのは珍しいみたいですけどねぇ。でも、その病気だと分かっただけで、治療は症状に合わせてみたいな感じで特効薬みたいなのは無いと言われて。そのうち病院ですることもないから自宅か施設でって言われて。私も大した仕事もしてなかったから家で面倒見ていたんですよねぇ」
「でもスズキ君が地元にいてくれてねぇ。たまに顔を見に来てくれるとこの子も嬉しいみたいでねぇ。最初は誰にも会いたくないとか言っていたんですけど、少し落ち着いて来てからは逆に色んなもの見てみたい、会っておきたいってね、何か言い始めていたんです」
「そうこうしているうちに、震災でしょう。どこに行っても面倒かけるから、どうしようかと思っていたんですけど、自宅も水が出なくてねぇ。灯油の買い置きとかもいつまで持つか分からないでしょう。病院に行ってみても、今それどころじゃないみたいで、もう手一杯みたいで。それでツテをあてに連絡していたらスズキ君にここを紹介されたの。そんなに長くはならないだろうからって来たんだけどやっぱり水道もあるし、電気もあるし炊き出しも貰えるしねぇ。病院にある患者支援の団体から連絡入るまで少し厄介になろうって来ていたところだったの。でも、知り合いも誰もいないし不安だったからね、本当に嬉しいわ」
ユウイチの母親は不安からなのか、喜びからなのか、はたまたサトエが何を話したらいいのか分からずに黙っていたからなのか、次々に話してくれた。ユウイチはその間、かすかに身体を動かすも、もはや自分の意思でどこまで動かせているのかも分からないような状態だった。
「困った時はお互い様というけれど、こちらからは何もお役に立てないかも知れないけど、是非ね、宜しくお願いします。スズキ君も本当頼りにして申し訳ないけどユウイチを宜しく頼みます」
ユウイチの母親は、サトエとスズキに深々と頭を下げた。
サトエも恐縮して、「こちらこそっ」とやっと話し、深々と頭を下げて返し、確かに嬉しそうに見える表情のユウイチにも頭を下げてやっと作ったような表情だが笑顔を作って、スズキへも礼をした後、ぼうっと立っていた母親の手を引いて自分らの家族の場所に戻って行った。
満足に話しも出来ず、表情も堅いままで反省しきりだったが、次に会った時にはこちらからから何から話そうかしら? 歩きながらも頭の中で考え始めていた。こんな状況の中ではあったが、不安だらけの中で、サトエも少し楽しみの様なものを震災の最初の揺れから初めて感じていた。
サトエが母親と自分たち家族の寝床のある場所に着くと、すでに父親、おばあちゃんがやることもなく暇を持て余していた。夕食の炊き出しがあるらしいが本当なのか? 最初の事なので南相馬での混乱の様子を思い出し、また車の中に幾ばくかの蓄えのあるのを偽善に似た自己批判の思いでいた。
同じ福島県でも盆地の福島市と、サトエの家族の家のある南相馬市のある沿海地域では日の登る景観も、落ちる景観も全く違う。特にまだ雪の残るこの時期では、南相馬市ではまだ明るい日の差す時刻でも盆地の福島市では薄暗い中に雪が舞っている事も日常で、更に同じ福島県の会津地方に行くと豪雪地帯の名に相応しく湿っぽい雪がずんずんと積もっている。東から西からわずかな移動時間で山間部平野部全く色んな景色が自然と目に入る。
この日も南相馬ではまだ明るい時刻だったろうが、福島市では避難所の中という事もあったろうが随分暗くなるのが早いものだと思って時計を眺めていた。やがて配給のお握りが出て長い行列に並んだ後に夕食をとり、ゆっくりと熟睡など出来るはずもないが、兎に角横になった。横になったら少しでも疲れが軽減されるはずだという望みで、何度かの余震や子供らのゲームの音や知らない隣人らの話し声やすすり泣きに耐えて夜明けを待つように寝に入った。
夜が明ける前に、新聞が山の様に届いた。すぐに父親が起き出して、届いた新聞を各種それぞれ持って来て読んでいた。南相馬と同じく四枚位で終わる号外みたいな紙面だった。新聞は原発から白い煙が上がっている写真を載せており、南相馬はもうすでにのっぴきならない様子で全世帯避難となるような事が書いてあった。周りの人たちも不安の様で口々にその話題で、サトエ達が南相馬から出るきっかけとなったのは原発一号機の爆発だったらしかったが、他の原発もなおも緊張した状態が続いている事が判った。早めの避難は決して間違いではないと思わせるのに充分だった。
その日も避難所の中では、さらなる避難が必要となるのか、緊張と不安、開き直りが入り混じった混沌とした状態だった。サトエ達が南相馬から来たと知った人が南相馬市の状況はどうだったのか突然話しかけてきたりして、足りない情報を少しでも収集するのに躍起な様子だった。答えたサトエの父親も開いているガソリンスタンドはないか? 食料品など帰る場所はないか? 貴重な情報を求めた。サトエの母親は、生理用品の売っていそうな所や、きれいそうなトイレのありそうな場所を聞いていた。
避難所では、外国人は全て日本から脱出したとか、逆に貧しい国から大泥棒団が福島空港に入って来て津波の被害者から財布や指輪を盗って行ったなんて話しや、刑務所の係りの人が避難するのに服役中の人を解放したから注意するようになんて本当かどうか分からない怪しい情報が流れていた。中には県庁の職員も主だった職員は避難してしまって県として対応出来ない、銀行も間もなく停止されるだろうなんて話しや、首都機能を京都に移す準備をしているなんて話しも聞こえてきていた。
サトエ達家族は、単独で行動すると、後で本当に避難命令が来た時に困ると思い、両親がガソリンと生活用品を求め外出し、サトエとおばあちゃんが避難所に残ることにした。
おばあちゃんと孫とは言え、ものの一時間の過ぎると手持ちぶたさとなり、おばあちゃんと一緒に入口のスズキの所へ行った後、ユウイチの所に行く事にした。ユウイチの母親は満面の微笑みで迎えてくれた。
「心配ですねぇ。これからどうなるのかしらねぇ。でも、こんな所でお会いできたのも本当不思議な縁ですよね? 何かあればお互いに支えあいましょうね。ねぇ、サトエさん吹奏楽のお話しお聞かせ下さらない? 私も学生時代は合唱やっていたから何となく懐かしくてね」
そう言いながらユウイチの母親はよく喋った。よく来てくれたと話しては、いつまでもいて欲しいように見えた。
「本当は娘も一人欲しいかったわねぇ。息子も良いけど、やはり母親としては娘がいたら頼りになるような気がしますよねぇ。お祖母様はどうでした?」
おばあちゃんは、
「私も子供は息子が二人だったもの」
と話し、大きな声を上げて笑った。
ユウイチは何も話さないが、その表情は母親とサトエらの会話を心なしか微笑みながら見ているようだった。
お昼過ぎにサトエの両親が戻り、四時間並んで十リットルのガソリンを入れることが出来たと報告がてら配給のお握りをかじり、午後は開いてそうな商店を回って来ることにした。
サトエもおばあちゃんもする事もないので、やはりユウイチの所でユウイチのお母さんとお喋りをしていた。午後からは、ユウイチの好きだった食べ物の話しになった。
「ユウイチは子供の頃から魚類が好きでねぇ。南相馬の方にも新鮮な魚とか見に行ったりしたのよ。鮭が川に上がる秋に食べた鮭といくらのハラコ飯っていうの? 美味しかったわ」
「ウチのご近所でも上がってきていたわね、鮭。でも随分疲れた様なお母さん鮭さんたちで、出産終えたばかりの鮭を食べちゃうなんて随分ひどいと私は子供の頃は思ったものよ」
今は、配給のお握りばかりで、好きな食べ物を食べられるのはいつかも分からない時だったが食べ物の話しで随分と盛り上がっていた。おばあちゃんも一緒になって話しに交ざりながら楽しく時間を過ごしていた。
やがて夕方になりサトエの両親が戻って来た。ユウイチ達と話していたサトエとおばあちゃんが手を振って呼びよこした。午後の収穫は特に何も無い様子だった。
「もう、どこも何も残ってないよ。残っているのは、ノートとか文房具位だ。食糧とかはもう全然残ってないよ。まぁみんな考えることは一緒なのだろうな。次の仕入れもまだ分からないらしいからなぁ。まぁ南相馬よりはまだいいだろうけどなぁ。あっちは放射能降っているから、あっても食べられないらしいからな。車のラジオでも言っていたよ。井戸水も飲まない方がいいなんて今頃なぁ?」
サトエの父親が話した。
「もうすぐ、夕の配給の時間になるだろうからそろそろ自分らの場所で待ってようか?」
お昼から配給は場所ごとに人数を確認して配られるようになっていた。
「そうですね。サトエさん、明日も、もし出来たらまたお話し聞かせてねぇ」
ユウイチの母親が話し、自分たちの所で食事を食べる場所を軽く整理し始めた時だった。
サトエのおばあちゃんが、急に「胸が苦しい、苦しい」と言い出した。息も激しくなってきて横になったかと思うと急に起き上がって、サトエの父親の腕をつかみ「何とかしろ! オマエ! 長男だろ!」とおばあちゃんは、かつてサトエが見た時の無い勢いで無茶な叱咤をしては苦しそうな息使いで横になった。
どうしようかと、父親を中心に家族で見て少しずつ時間が過ぎるうちにも、おばあちゃんの様子は多少の波はあるようだが良くなる気配はなく、これはこのままで一晩過ごすことは難しいだろう、ましては初めて来たこの避難所でどうする事も出来ないと思った頃、横になってうんうん唸っていたおばあちゃんが突然に意味不明なことを話し始めた。
「リツコちゃんたら本当に面白いのだわ。本当楽しい。あの時もねぇ、そう……」
童児の頃の話しをくすくす笑いながらしている姿を見てサトエ達も、もう手におえないと思い、父親が配給の準備で忙しいそうにしていた係りの市の職員のところに止むを得ないと近隣の医療機関を聞きに行った。しかし、もはや震災でどこの医療機関も混乱しているだろうと消防署へ問い合わせてもらう事になった。電話で消防署員らしき相手と話していたがやがて避難所へ救急車で迎えに来るという事になった。
「しょうがねぇな、福島市じゃ知っている病院もねぇしなぁ。南相馬市のO病院だったらなぁと思うけど、この間の様子じゃ診てもらえたかどうかも分からねぇしな。福島市の方が病院も多いし、まあ津浪の人は来てねぇだろうしなぁ」
しかしサトエの父親の目論見は外れ、救急隊がサイレンの音を鳴らしながら避難所に来ても、受け入れる施設がなかなか見つからずに、着いたらすぐに病院へ向かうのだろうと思っていたところ思わぬ足止めをくらい、救急隊にも他の避難所の人達にも申し訳のないような気持ちで焦らされ時間ばかり過ぎた。サトエのおばあちゃんも救急隊が着いてほっとしたのか、最初は移動式のベッドの上で大人しく横になっていたが、時間が過ぎるにつれ起きだしては何か話し出すなど、落ち着かない様子でそわそわしだしたので、サトエは手を握ってなだめながらいた。
救急隊がもう何度目か分からないが、少なくとも十か所以上の連絡を取った後、ようやく受け入れ先が見つかったと、福島市から出て普段の車の移動であれば、小一時間程度時間のかかる郡山市にある病院に向かうと言われた。
「福島市内の病院はどこもいっぱいの様で、少し距離はありますが受け入れてくれるというのでそこに向かいます。宜しいでしょうか?」
「こんな状況ですので仕方がないですね。よろしくお願いします」
救急車にサトエの母親が乗り、後ろから車でサトエと父親が行くことにした。随分救急車が避難所に着いてから時間がたったからか、その間に交代の時間になったようで係りの職員に加え、スズキが来てくれてサトエ達の場所と、自分の受け持ちの受付の場所を何度も行ったり来たりしてくれた。
さっき話してくれたばかりのユウイチの母親もサトエ達の様子を心配で見に来てくれて、救急車が動き出すときには、「気を付けて下さいね」と声をかけてくれた。サトエはユウイチの母親に軽く頭を下げた。ユウイチの姿を見つけてユウイチにも頭を下げた。心なしか不安そうな表情だったように見えた。
救急車の後ろのドアが締められる前に、
「おばあちゃん、すぐに追いかけて行くからね」
とサトエが声をかけたが返事はなかった。
サイレンの音を響かせ救急車はようやく西へ向かって走り出した。音はすぐに聞こえなくなったが、サトエと父親の車は渋滞した道路を心細い燃料計を眺めながら、地震によってと思われる歪んだ道路に揺られながら後を追った。
もしかして入れるガソリンスタンドがあればとわずかな期待も持っていたが、ガソリンスタンドが見える位置よりもはるか手前からかつて見たこともない行列が出来ていた。
「これじゃあ、日中よりまたひどくなっているなぁ。もう燃料入れるのも一日がかりだな。県境超えたら良くなっているのかな?」
サトエの父親がため息交じりに呟いたが、まずは県境までのガソリンもこの並んだ自動車達も確保出来るものなのか。どこか目の前の光景がかつてテレビで見た海外ものの世紀末映画の様で、現実の世界に見えぬと窓から眺めるサトエだったが、もし避難所の福島競馬場に戻ってくる時には、この行列に並ばなければならないのか? などと考えていた。
サトエ達が救急隊から教わった国道四号線沿いにある救急病院に入り「救急受付」という赤い看板の方を見ると、そこには音を止めて赤い回転のみ灯りを燈した救急車が停まっていた。その近くの駐車場に車を停めて入ると、その救急車はサトエ達が先ほど見ていた救急車ではなくすでに違う患者が車から降ろされたところだった。どうしていいか分からずその脇を通って中に入ったが夜中にも関わらず係員と思われる職員もその救急車の対応で繁忙の様でとても話しかけることが出来ず、やむなくずかずかと中に入って行ったところでサトエの母親が長椅子に座って何かの用紙を眺めているのを見つけた。
「お母さん! どうだった? おばあちゃんは?」
「うん。今、レントゲン写真撮って貰っているところ。それでCTスキャンっていうの? その検査するから待っていてって言われたところ」
「まず、入院だから準備、必要なものって看護師さんにこの用紙渡されたんだけど、どこまで準備出来るかなって思っていたところなの。看護師さんはこんな時だから、準備出来るものは病院でも準備出来るからって言われたのだけどねぇ」
「あぁ、そう……。入院かぁ。その方がいいかもね? それで、おばあちゃん救急車ではどうだった?」
「うん。それがねぇ、救急車動き出して安心したのか、揺られて観念したのか、途中から全然返事とかしなくなってねぇ。救急隊の方が途中で大きい声で話しかけてくれるんだけど、疲れちゃたのかしら。眠ってしまったかねぇ。病院に着いてからもそんな感じで。それで頭の中の写真撮って調べてくれるっていうんだけどねぇ。避難所じゃ、急に笑ったり喋ったりしていたのにねぇ?」
「移動とかでも疲れただろうに。心臓の方は? 何か言っていた?」
「うん。救急車の中でも心電図の機械から、ピッピッって警報みたいのが鳴っていたけど、もともと心臓は薬貰って飲んでいる位だからねぇ。お医者さんに診てもらわないと何ともって救急車の中で救急隊の人からも言われたからねぇ。今、CTスキャンの検査終わったら説明あるでしょうから聞いてみましょう」
「えぇ、そうねぇ」
サトエが母親と話している間、サトエの父親はずっと腕を組んで二人の会話をうなずきながら聞いていた。奥では、後に入った救急車の対応にバタバタと対応している音が聞こえていた。
やがて、検査の部屋の重い扉が開いてベッドに横になったおばあちゃんが出てきた。サトエには急に随分小さくなってしまったように見えた。疲れて寝ている様子に見えたのでサトエ達は話しかけずにベッドの後ろを着いて行った。
「救急室はもう使っているから真っ直ぐ病棟ね。三病棟連絡済みだから」
「分かりました。引き継ぎます。じゃ家族の皆さんも一緒エレベーター乗って三階まで行きましょう」
看護師同士で会話あり、その看護師と一緒にエレベーターから病室へ向かった。入院病棟も救急外来同様、随分繁忙の様だったが、おばあちゃんは全く起きる様子は無く病室のベッドへ移された。
すぐにその看護師から呼ばれ、担当医師から説明があると、少し殺風景な狭い部屋に案内された。慌ただしい足音が聞こえ、若い医師が先ほどの看護師と一緒にサトエ達の待っていた部屋に入って来た。
「息子さんご夫婦と、お孫さんですね。遠い所大変でしたね。早速ですがセツコさんの状態についてですが説明致します」
忙しいからなのか、いつもなのか分からないが、挨拶もそこそこに若い医師はコンピューターの画面を向けて説明を始めた。
「これがCT写真の画像です。セツコさんの頭を輪切りにした画像です。ここ眼球、こちらが耳、鼻ですね。下から上にスライスされた画です」
若いその医師は淡々と説明を始めた。
「注目して頂きたいのが、ここの所です。見えますか? この部分です。拡大してみます。この部分、周りとちょっと見た感じが違いますよね? この部分に梗塞が起きていると考えられます。年齢も年齢なので、脳に梗塞が見つかってもおかしくはないのですが、問題は梗塞を起こしている場所です。脳の中でも中心部で脳幹部という場所です。診断名は脳幹部梗塞です。聞いたことはありますか? 脳の中でも息をする、心臓を動かすなど一番生命を維持するのに大切な指令を司る場所です。ここの場所でダメージを受けると予後は極めて不良です。いいですか? いつ呼吸が、心臓が止まってもおかしくない状態です」
サトエ達はぽかんとしたまま聞いていた。すぐには状況が飲み込めなかったが少しずつ理解し始めてきたようだった。その様子を確認するようにした後、若い医師は説明を続けた。
「ご家族の方にお願いです。その時にどう対応すべきか考えて決めて欲しいのです。急な話しで驚かれたかも知れませんが、会わせたい方がいるならば直ぐに連絡を取って下さい。そしてその時、呼吸が、心臓が止まった時、自然な状態でその時を迎え入れるのか、それとも今は人工呼吸器レスピレーターって機械の力を借りて生命の維持を図る事もできます。そして少しでも延命を図るのかご家族でよく話しあわれて決めてきて頂きたいのです。ただ、後者の選択の場合、人工呼吸器の力を借りて延命を行った場合にはご家族の負担はかなり大きくなります。だからと言ってこの病気になる前の状態に戻る希望は極めて少ないと思われます。脳細胞は約三十分間酸素が送り込まれないとその細胞は再生されないと言われています。救急隊の話からすると、救急車が現場まで到着するまでの時間、酸素吸入を始めるまでの時間、そして病院までの移動の時間を考えると非常に厳しい状態であると言わざるを得ない状況です。もう一度言いますが、その時にどう対応するか、ご家族で相談して決めてきて下さい」
サトエの母親はハンカチで口元を抑え始め、父親の方を何度も見ていた。
父親は腕を組んだままで目を瞑って頷いていた。
サトエは話しの途中まで、「何を話しているのだろう?」と聞いたことのない医療の専門用語を交えた若い医師の顔を眺めていたが、話しが全部終わった時にようやく、その話しがどういう事なのか少し理解出来た様で両親の顔を交互に眺めた。
説明してくれた若い医師に頭を下げて見送った後、
「どうするの?」
サトエが、しばしの後に話しかけると、父親が壁の方を眺めた後、
「お袋の顔を見てから決めるよ。そうしよう。お母さん」
母親は何も言わず、ハンカチを握ったままに二・三度頷いた。
部屋に戻ると、落ち着く間もなく看護師が待ち構えた様にすぐにやって来た。
「状態説明あったと思いますが、自分で痰が出せなくなってそれで詰まったり、痰が気管に入って肺炎起こしたりする可能性があるので鼻から管を入れさせてもらって痰を引きたいと思うのですがいいですか? 時間はそれ程かかりませんから」
サトエ達家族は、また無言で廊下に出て、そのまま何も言葉を発しないまま簡単な処置が終わった後、看護師が出てきた。
サトエ達は、鼻に管が入った以外はいつもと見た目変わりのないおばあちゃんを囲んで皆その寝顔を眺めていた時に、また何回目かの余震が起きた。病院の建物の中のせいか随分と大きく揺れた感じがしたが震度はそれ程大きいものではなく、病院の中もそれ程混乱はしていなかった。
「弟もどうしたかなぁ?」
サトエの父は唯一の兄弟の事を気にしていた。
「もしかして、津浪でやられて出てきても確認する人いねぇと誰だか分からなくなってしまうのじゃねぇだろうかなぁ」
おばあちゃんを見ながら父親は話しかけるように弟の事を呟いた。
「お袋、こんな時だからなぁ。勘弁だなぁ。母さん、サトエ。お袋も年だし。帰れるところもどうかって時に少ない望みに託す訳にいかねぇだろ。車で避難所、山の中通って福島、それから福島競馬場と色々移って来たのが負担になったのかなぁ。俺も定年すぎて、家も新しくして、ちょっとのんびりお袋の面倒見てやろうかと思っていたけどしょうがねぇだろ。弟もあいつはあいつだけど勘弁してくれんだろなぁ。お袋、勘弁だなぁ。なぁ機械の力借りてもしようがねぇだろ。その時来たら運命だと思うしかないだろ? 自然に見送ってあげるしかねぇだろ? お袋の姉妹らには説明出来る時が来れば、俺から説明するから」
父親が話しているうちに、サトエも母親も急に涙がこぼれ拭う事も出来ず、やがてどちらとも言わずに嗚咽し始めた。
その音が聞こえたのか、寝ていた様子のおばあちゃんも急に額に皺をよせて悲しい表情となりやがて涙を流した。
父親の弟も沿岸部で津波にあったか、いつ連絡が取れるか分からぬ、というか生死さえも分からぬ状態で、おばあちゃんの姉妹も皆、南相馬から避難をしてすぐにはどうも連絡は取れない状態であった。
つい昨日、久しぶりの再会で無事を喜び合ったのが信じられぬ今の状況だった。
その日は病院の中で朝まで過ごす事を許されたが、相も変わらず三時間程度の間隔で余震が起きては、痰をひいたり検温をしたりと看護師が部屋に入ってきたり朝方にまた救急車の音がして横になっただけで夜明けの時間となった。
翌朝、病院の職員から近隣の避難所を教えてもらい、病院の職員に最初掛け合ってもらって、その避難所で過ごす事が許された。
その避難所で得た朝刊は、まだ福島原発が予断を許さない状況であると伝えていた。避難所で配給のお握りを得ることが出来た。父親は「こんな時こそ食べておけ」と話し無理に家族に食べさせた。その後サトエと母親は病院でおばあちゃんの面倒を見る事として、父親はガソリンスタンドの行列に並ぶ事にした。ガソリンはまだ一回に十リットルまでと決められていた。ガソリンを入れた後、また後ろに並ぶをみな繰り返していたが、サトエの父親は、予想よりも早い時間に終了となって、二回目入れる直前で一日目は終わった。ガソリンスタンドから病院と避難所は市内の中心部で、割と近い距離だったので車を行列に預けて避難所で配給の食事を貰い、病院と行き来する事が出来た。
おばあちゃんの様子は一日では、それ程の変化はなくただ寝ているだけの様だったが、たまに笑ったり、悲しんだりするような表情が見られた。病院のスタッフには昨日の父親の話しを伝え、念入りにも文書にした同意書にサインを行った。同意書をナースステーションに持って行くと少し待たされ、看護師同士で何やらもめていた様子だった。どうやら食事に関してのものらしく、食事もとれないサトエのおばあちゃんには関係ないから必要となったらまた同意書を頂きますからとの話しだった。
その時に話していた様子ではどうやら、食事の材料の確保が乏しくなってきているらしく、きちんと食事の提供の出来る他県への移動を希望するか、それとも少ない食事の量で我慢出来るかの説明を始めている様子だった。もっともサトエのおばあちゃんの場合は、食事と言ってもチューブ等をつないでそこから栄養剤を送ることになったらという話しで、その栄養剤の確保もやはり震災と物流の関係で難しくなっているらしく、その量を減らして使用する可能性があるとの事情らしかった。サトエ達にも、その説明を今この機会にしておくべきか、チューブで栄養剤を使う時にするかと、同意書を持って行った時に看護師同士で確認しあっているようだった。
サトエがナースステーションを後にした後も、他の事で看護師同士は休みなく話ししており、なおも病院内では震災と原発事故の混乱が続いている様子だった。
病院の待合室ではテレビがついていて、原発の爆発の映像を繰り返して流していた。先日の映像なのかと思っていたら、先に爆発したのは一号機で、今度は違う原発の三号機というものが爆発を起こしたという事が分かった。さらに他にもいつ爆発してもおかしく無いような様なことを話していたが、テレビも冷静な行動を、とか直ちに影響は及ぼさないとか曖昧な話しではっきりとした正確な情報は分からない内容だった。
サトエは福島競馬場で久しぶりに再会したユウイチやユウイチの母親、スズキ達はどうしたかな? とふと思った。心配させたままにしてここまで来てしまった。でも、なかなかすぐには戻れそうにもないし。ユウイチも患者支援の会とか連絡取れて、もうどこか移動したかしら? いずれにしてもいつか心配かけたお詫びしなくちゃね。
翌日も、おばあちゃんは相変わらずの低空飛行のままで、もしかしてこのまま一ヶ月や数ヶ月続くのではないかと、思わせるほどだったが病院の中は、患者が慌ただしく移動したり移動して来たり、物が足りないとか人が足りないとかいうスタッフの話しが聞こえ、ほとんど将来に希望の持てぬ患者のサトエのおばあちゃんを抱えるサトエ達家族には申し訳もないようなぽつんとした気分であった。
その日サトエの父親は、病院からガソリンスタンドの行列を二回並んで二十リットルのガソリンを確保出来、夕方前には避難所へ戻って、ちゃっかり先に配給のお握りをしっかり確保して病院に顔を出す事が出来た。そして、ガソリンが後二回程位確保出来ればほぼタンクは一杯になるので、南相馬に一度帰りたい、帰ってお墓の様子を見て、それから役所とか寄って弟の行方や、おばあちゃんの兄弟の連絡先の確認先とか調べて来たいと言い出した。
南相馬は、もはや原発の爆発による放射能の影響でどうなっているかも分からないが、おばあちゃんも何ともこのまま変わり無さそうでもあり、一度家の事も心配なので行って来た方が良いのではと、その時は母親もサトエも反対はしなかった。
「弟はどうしたかなぁ? ちゃんと逃げたかなぁ? あいつは子供の頃から要領悪かったからからなぁ?」
おばあちゃんの顔を見ながら、父親が話しかけた。おばあちゃんの表情は変らなかった。
消灯時間前、病院でお湯を沸かし、車の中に確保してあったカップ麺と配給のお握りをおばあちゃんの部屋で隠れるように食べて避難所に戻った。避難所ではテレビがついてその周りで多くの人が爆発した原発のニュースを眺めていた。
「もう福島県からは出た方が良いんじゃないのか? もう一基爆発してからじゃ、もう遅いんじゃないか?」
「もう明日は福島もいわきも避難だぞ。明後日には仙台も郡山も避難だ。県も国も避難先と交通の手配が出来ないだけで、しょうがなく二十キロとか三十キロとかで区切っているけど、アメリカやロシアの時は六十キロとか強制だったらしいから。本当はとっくにこの辺りまで放射能降っているから。あれは、見えないだけでな」
「いや、よその地域じゃ福島から放射能持ってこられたら迷惑だから、そのままここで待機してろよって事のようだぞ。福島ナンバーの車なんか平気でお店お断りされるらしいからよ」
テレビを見ながら、皆、口々に話していた。サトエはおばあちゃんの事もあるし、どこへも行けないと覚悟していたが、母親は、サトエだけでもお姉ちゃんの所位にでも何とか行けないかしら? あの子もこんな時にも全然連絡取れなくて。まったく困ったものだと話していた。
「お姉ちゃんも仕事とかあるのでしょう。私はこんな時だからおばあちゃんの近くにいる事にするから。近くでいた方がきっといいよ」
「そうかしらねぇ?」
サトエの母親は、まだ若いサトエを放射能の影響から出来るだけ遠ざけようとも思ったが、良い案が浮かばないでいた。
その日の夜も何度かの余震が不安を増幅させた。余震の度、地震の直接の影響より原発がさらに崩れていないかの事の方がみな気がかりだった。
翌朝と言っても、まだ日も上がらない午前六時前に新聞の号外がサトエ達家族の避難所に届き、まだ朝とも夜中とも言い難いほどに外はまだ薄暗いところだったが、避難所の同居人たちがその新聞を我をも先にと取りに行っていた時間に、サトエ達の避難所にマイクで呼ぶ声が響いた。先の余震による津波情報とか、強制避難領域のお知らせかと思って聞いていたところ、
「南相馬市から当避難所にお越しの……」
と言った先は、サトエ達家族の代表先である父親の名前だった。呼び出し先はサトエのおばあちゃんの入院先の病院だった。
昨日は低空飛行ながらも、先の若い医師の言う急変の兆しもないおばあちゃんだったが、これも先の若い医師の言う通りいつ急変があってもおかしくない状態だとの言う通りの状況との連絡だったらしく、父親から聞いたサトエ達家族は、急変となったおばあちゃんの病院へ直ぐに向かう事とした。
長くもない避難所での滞在時間であったが、しかしサトエ達がその知らせから病院に確認して向かったわずかな間にもおばあちゃんに少なからぬ変化があったようで、病院に着いた時には、おばあちゃんの様子も随分変ってしまっていた。
「おばあちゃん……」
「間もなく先生も説明の準備出来ますから少し待っていて下さいね」
病棟の看護師から伝えられたが、大体の状況はサトエ達家族も理解出来た。
「お袋、よう張ったなぁ。親父にもそうちゃんと言わなきゃなぁ」
もう、昨夜のおばあちゃんと違い、死の匂いの近い、もはや視点の先も右左合わぬ様な、返事もままならぬ状況の状態であった。
父親はおばあちゃんの頭を急に撫で始めた。
若い医師がやって来てその場で、再度脳梗塞があった様子だと説明を受けた。確かに大分脳にダメージを受けたであろう事は予想できた。
「先日、お話あったとおり機械の力に頼ることなく自然な状態のまま様子を見させて貰って宜しいですね?」
看護師を伴った若い医師の説明を受けて、サトエ達家族は頷くしかなかった。
もういつ呼吸が止まってもおかしくない状態だった。
そのうちに心電図の波動がゆっくりになったり、また戻ったりして、その時を知らせる時間が随分迫って来ているのを感じた。そこからまた更にひどく長い時間が過ぎるようにも思われたが、お昼前には、もうすっかりフラットとなって警報も鳴りっぱなしとなり、ナースステーションから看護師がやって来て、今医師が来ますから、それまでと申し訳程度の心臓マッサージを行ったが、やがてすぐに医師がやって来て死亡確認を行った。
事前にサトエの両親が看護師からその後の手続きのためには、どこに連絡を入れるたら良いのかリストを教えてもらっていた様で、看護師が死亡確認されたおばあちゃんの最後の処置をする間には、待合室でサトエが独り待つ間に、サトエの両親はあちこちに電話を掛けていた。やがて最後の処置が終わり、おばあちゃんの病室にサトエが戻っても両親は電話に追われて戻れずにいた。
ぽつんと病室におばあちゃんと二人きりとなり、その安心して微笑むような横顔を見ながらいつの間にか問い掛け始めるサトエだった。
「ねぇおばあちゃん? ついこの間、久しぶりに姉妹に再会して昔話に花を咲かせていたのにね? 叔母さんたちこの事知ったらどんなに驚くかしらね?」
「サトエの叔父さん、おばあちゃんのもう一人の息子がもし生きてここにいたらどうしたかしらね?」
「それにしても、ウチのお姉さんはこんな時もどこで何をしているのかしらね?」
「ずっと、長男家族とは離れていたけど、やっと一緒に暮らせるようになって、父親も本当はもっと親孝行したかったんじゃないかしらね?」
「おばあちゃんは、最後の時を長男家族に見送って貰ったけど、サトエの両親の時は私が見送れるかしらね?」
「その後、私自身のその時に近くにいてくれる人はいるのでしょうかね?」
全く動かなくなったおばあちゃんを見ながら、色んなことが頭をよぎり、涙が染み出てきたサトエだった。
しばらくして、サトエの両親が部屋に戻ってきた。
「南相馬の役所がなかなか連絡取れなくて、届出とかどうすればいいものか。葬儀屋さんもどこも一杯で順番待ちになりますよって言うんだが?」
「親類も誰も連絡取れないのだけど、このままで連絡が後になって誰も何も言われないよね?」
「もう、こんな時だから、出来る限りでしか出来ないから。連絡つく所だけ進めるしかないわな。また連絡入れて病院にも迷惑かけないようにしなくちゃならないから。サトエはおばあちゃんの側にいてくれや」
サトエのおじいさんが亡くなったのは、サトエが物心つく前だったので身内の不幸を実際に体験するのは初めての事と言って良いだろうが、その時がこの震災の非常時で見知らぬ土地で迎えるとは全く思っていなかった。結局、昼前に死亡確認してもらってからようやく夕方過ぎとなってから引き取り先が見つかったが、そこは郡山市からまた車で一時間程の距離の会津若松市の葬儀屋だった。葬儀屋からは燃料の手配が済まないと遺体搬送車の手配が出来ないとの事で、病院に到着したのは更に時間がかかり、もうすっかり消灯時間も過ぎた夜九時過ぎだった。火葬場の手配も葬儀屋に頼んだが、こちらも燃料不足と震災の犠牲となった方で立て込んでおり、一週間程してから後になるとの事だった。葬儀屋の話しでは、サトエ達の南相馬市や浜通りで犠牲となった方も随分運ばれてきているとの事だった。
到着すると、遺体が傷まないような薬を用意してくれていて、待ちくたびれていた病院の看護師らも関心を持って見に来ていた。
「夏と違ってそんなに傷まないと思うが、氷やドライアイスも用意してありますからね」
葬儀屋の係りの人が話してくれた。さらに出発の準備をしている間にも、
「実は、困った話なのだけど棺桶が不足しているのですわ。こんな急に沢山の仏さん出るなんて、かつてなかった事でしょう。あちこち手配しているんですけどね。棺桶作るのにも職人限られているし、輸送とかもまた燃料どうするって問題ありましてねぇ」
そんな話しを聞いているうち、サトエもおばあちゃんはもう生きていないのだ、後は焼かれて灰になるのだなと無機質な存在で扱われるおばあちゃんと、そう感じてしまう自分自身に対して、何だかいたたまれない気持ちになった。
おばあちゃんを葬儀屋で預かってもらう事となったが、葬儀屋も随分立て込んでおり、荼毘に付されるまでの間、サトエ達は会津若松市内の避難所で暮らす事になった。
「震災の晩は家で過ごして、次の日南相馬市の避難所行ってから朝には福島市に来て福島競馬場に。そこの二晩目にはお袋具合悪くなって郡山市に。また二晩目には急変して、今度は会津若松市の避難所だからなあ。一週間もしないうちに随分移動したものだ。おばあちゃんも会津は旅行で来たこともあったかなぁ」
自分は転勤族だったサトエの父親だったが、その母親は自分の生まれた南相馬市から出歩いたのは数える位でなかったか。特に連れ合いに先立たれてからは殆どないままで、サトエのかつての結婚式に福島市まで連れてこられたのが久方ぶりの遠出だとしきりに話していたのを思い出した。
ところが避難所にサトエ達親子が着いて少しも経たないうちに、奇妙な話しとなった。先の葬儀屋の係りの方が避難所を通じ連絡を入れてきた。
「実は、申し訳ないのですが南相馬市とか浜通りからのご遺体はちょっと焼くのに手続きというか検査が必要になったという事なのですわ。何でも原発でこの騒ぎでしょ? そんで焼いて煙になってその中に放射能が混じってたいらどうなるんじゃって話しらしいのです。そんで申し訳ないんですが、役所で専用の検査の機械があるらしいのですが仏さんもその検査が必要だという事なんです。それしないと勝手に焼かれないって事なので、その手続きを家の人でないと出来ないので、役所に連絡入れて手続きしてもらうようにお願いしたいんですわ」
テレビで見ていた事故のニュースが直接サトエ達自身にも及んできた事が分かった。サトエの父親が南相馬の役所に連絡を入れるがなかなか連絡がとれず、会津若松の役所や東京電力にも連絡入れるが、どう対処していいか分からぬ様子だった。やがて会津若松の役所から検査出来るようなったと連絡が入り、サトエ達家族、そしてサトエ達の乗って来た車、おばあちゃんも出張してやってもらえる事が出来た。
具体的な数値が出ても、それがどの程度の数値なのか分からなかったが、サトエ達の乗って来た車が最も高い数値を出していた。
「一応乗っていて大丈夫な数値みたいですが、洗車とかは少し待ってもらえますかね」
係りの人が話したが、サトエの父親が
「少しの放射能とか乗せたまま移動して歩いたり、途中で雨降ったり、雪になったりした場合とかもあるんじゃないか? その辺はどうなの?」
と聞くと
「私も、ただの役所職員なので具体的な事は何も分からないのですよ。東京電力さんに聞いてもらうのが一番いいのかなと。とりあえず、洗車とかはもう少し情報が集まるまで待つようにとの指示だけあったので、お伝えしました。後のことはどうにも……」
役所の人も困ったように話すだけだったが、サトエ達の車に少しの放射能が乗っていた事は分かった。だが、だからどうしたら良いのかまでは誰も分からなかった。
それから一週間の後、おばあちゃんは荼毘にふされた。両親とサトエの三人だけで遺骨を拾って骨壺に入れる作業はなかなか捗らない仕事だったが、拾う骨が減ってくる程に生前のおばあちゃんと過ごした時間を思い出すサトエだった。やがて、遺骨の入った骨壷は、それを桐の箱に入れてもらい、さらに白い風呂敷の様なもので包んでもらってサトエ達の元に帰ってきた。
縁も所縁もない土地での避難所に、骨壺と分かる風呂敷包みを抱えて戻って来るのに少しの戸惑いもあったが、非常時でもあり周囲の反応は、比較的温かく迎え入れてくれたように思われた。
自分たちの割当てられた場所で、おばあちゃんの遺骨の場所を決めていると、受付の係りをしていた役所の方から父親が呼び出されて、少しの後にサトエ達の所へ戻って来た。
「お父さん、何かあったの?」
「ああ。まずは会津の旅館組合で観光ホテルを避難所として少しの間、開放するとの事で、何か大変そうだからそっちに移ってみてはどうか? という話しだった」
「ホテル? この体育館とホテルじゃ大分違うわね。けど、他に小さい赤ちゃんとか抱えている方とかもいるんじゃないかしらね。私等より困っている人から先にしてその後で空いていればでいいんじゃないかしらね?」
「ああ。みんながみんな入れる訳じゃないので役所の人も割り振りが大変そうだったと話していたけどなぁ。とりあえず考えてみてって事だった。それから……」
「それから?」
「それからな、大甕の弟らしいのが遺体安置所に運ばれているらしく、南相馬の方で出来れば確認に来てくれないかって電話が役所通じてあったらしんだよ。少し向こうの様子も気になるから明日にでも行ってみようかと思うんだ」
「南相馬? 原発三号機爆発した後、市内全域避難になったってテレビで言っていたけど入れるのかしら?」
「それが、避難所にも人が残っていてウチの辺りの出入りは出来るらしいんだって。三十キロ圏内はまだ自主避難地域だからって」
震災発生から慌ただしく過ぎ、会津に来た時にも燃料が確保出来た人から新潟方面に向けて日本海側に避難する人たちで大変な渋滞だった。ちょうどその頃は、爆発した原発に放水作業を行っている頃で、食料も物資も本当に何もなく不安な状態だったが、おばあちゃんの火葬が終わるまではと、避難所に留まっている間に徐々に支援物資が届くようになり、まもなくガソリンも制限なく入れる事が出来るようになってきていた。
会津から南相馬市までは、一般道自動車で約三時間半。高速道路は震災の影響でまだ使えない状況だった。放射能の影響も分からないが、まずはサトエの父が翌日に朝早く南相馬に向かう事とした。
三月十一日の震災から、原発の相次ぐ事故。放射能による更なる避難に加えサトエ達はおばあちゃんの逝去と二週間があっという間に過ぎた。会津は南相馬に比べれば被害も少なく、物資も徐々に入って来て、福島県のニュースをテレビでも詳しくやっており、何より同じ県民で人も親切にしてくれる。そして、もしまた次に何かあればすぐにでも新潟方面に避難する事も出来るので避難場所としては最も適しているのではないかとさえ思えた。
サトエの父親はその日遅くに帰って来た。
「やはり弟には間違いなかった。残念だったが大甕の行政区の方が残りの手続きやってくれるという事だった」
「お墓は随分倒れていたがウチのお墓は無事だった」
「役所の方にも行ったが人がすごくて帰って来た」
「ウチの菩提寺に行って来た。坊さんは仕事忙しいから家族は避難させて坊さんだけ残っているんだって。お袋と弟の事これからどうするか、この次ゆっくり相談するって話ししてきた」
「避難所は随分減ったようだが、また最近少しずつ帰ってきているようだ」
「家も無事だが、こんな時に空き巣が出ているらしく随分戸締りには気をつけろとあちこちで言われてきたよ」
時間も時間なので、一通り行った場所の話しをして後は明日ゆっくり話すからと言いながらも、ぼそぼそといつまでも話し続けていた。
テレビの情報によると海岸沿いの南相馬市の放射線量は、盆地で大都市の福島市や郡山市よりもむしろ低い値で、単に距離が近いからの理由で離ればなれの目にあっているが、実際は風向きの関係で避難している理由はないのではないか? と思えるほどだった。
翌日、サトエの父親は弟の遺体の様子をゆっくりと話して聞かせた。
「行政区の方がそうじゃないかと言っていてくれていたみたいでな。遺体の安置場所になっていたのは、自分が卒業した高校の体育館だった。そこの入口で、運ばれて来た時の写真見せられてなぁ。ただ、もう泥も呑ませられていたんだろ。顔も随分膨らんでいて、そうだと言われればそうか? ってくらい位でよく分からなかったが、「多分そうだ」と話すと、中に入って実物と対面させてもらってなぁ。中に入るともう体中どんむらさき色のが、そっちこっちにあってなぁ。臭いもなんともひどい所で。弟には申し訳ねぇけど、最初はっきりと分からなかったんだ。何せ顔も随分膨れ上がっているし。本当かなぁと思っていたが、ほくろの場所と子供の頃怪我した場所確認して間違いないって事だった。通っていた歯医者も津波で流されて歯型じゃ分からなかったが、健康診断で行っていた病院のレントゲンとかでほぼ弟だって事分かっていたみたいだったんだが、何せ最後は身内が確認しないとそうだって事には出来ないみたいで、南相馬じゃ来たくても来られない様な人ばかりで、わずかばかりの係りの人が身元はっきりして良かった、安心したって何だか自分よりも喜んでくれて涙まで流してもらって申し訳なかったよ。あの人らもあんな場所に残っていて家族はどうしているもんだかなぁ。しかし、お母さんもサトエも行かなくて良かったよ。あの臭いと暗くて寒い体育館の中。青い顔して出てくる人ばかりだったもの。そんでな、何でか奥で音がするんだよ。やっぱり棺桶が足りなくて職人が作っているんだって、棺桶を。みんなに聞かれるからって係りの人が説明してくれた。その中でも職人が辛いのが、子供用に棺桶を用意するのが辛いって話ししていてなぁ。子供用って元々なくて、大人の棺桶を半分に切って作るんだと。半分って随分小さい大きさになるだろなぁ。それを見ると辛いんだって。それをここ最近随分作って嫌になるわって話ししていたわ」
ゆっくりと、だが随分興奮を抑えたように父親は話してくれた。父親は、このわずか二週間も過ぎたばかりにうちに、自分の母親と唯一の弟を続けて亡くしてしまった事になった。
サトエの父親は、避難所の係りの人へ旅館に移動するのは他の人へと話し、その後何度か時間を見ては菩提寺へ自分の母親と弟の始末の相談に行くと言って、その足で自分の家や弟の家、南相馬の様子を見てきていた。
さらに一週間が過ぎ、月が替わり四月となると何となく気分も新しい気分になり、もう避難所を引き払って、南相馬の自宅に帰る事を決めた。避難所もサトエ達が来た頃は出る人もいたが新たに入ってくる人の方が多かったが、最近は出る人の方が多くなって来ていた。
「いつまでも、お袋の遺骨抱いて避難所にいる訳にもいかねぇだろ。少しでも早くに菩提寺で拝んでもらいてぇしな。お袋も親父のそばに行きてぇだろ。南相馬も少しは落ち着いて来たようだしな」
「じゃ、その前に福島のアパートにも寄っていいかしら? 救急車で行ったきり福島競馬場の避難所にも行ってないし、少し寄れたら情報とかも聞いておきたいわ」
「ああ、そうしよう。自分の家の風呂にも早く入りたい。明日の日曜日にもう帰ることにしよう」
放射能の事は心配だったが、見知らぬ人達と過ごす共同生活はなかなか心身ともに休められず、決められた時間にしか入れないお風呂や、決められた配給の食事にも随分飽きてしまったサトエ達だった。帰れるなら早く帰りたい、帰れる! と心の中で叫び、おばあちゃんの遺骨の入った骨壷を家族で眺めながら、会津若松での最後の避難所の夜を過ごし眠りに入っていた。
明け方には小さい余震があって避難所の小さい子たちが騒ぎ出し、それに伴って避難所での話し声も増えて浅い眠りから覚めたサトエ達だったが、朝刊が届き朝食代わりのお握りを貰って簡単に片づけを済ませた後、係りの人に挨拶し避難所を出た。
四月となって道路脇の雪段も新たに積もったものより溶け出したものが多くなったことが分かり新しい季節の訪れを感じながらまずはサトエのアパートのある福島市へ向かった。
福島に近づくと会津若松と違ってすっかり道路の雪は見えなくなっていた。サトエのアパートは震災のあと、一度立ち寄って簡単に整理していたが、その時よりも駐車場の車も増えていたし、少しずつ落ち着きを取り戻しつつある様子だった。大家さんに挨拶をし、水道も修繕が終わり問題なく住める状態になっていると確認が取れた。
次にサトエ達は、救急車で行ったきりだった福島競馬場へ向かう事にした。連絡先など全く分からなかったが、スズキやユウイチらが残っていれば心配かけた挨拶だけでもしたいと思っていた。
避難所も徐々に集約して少なくなってきている話しも聞いていたが、福島競馬場はまだ避難所として使用されているようだった。もっとも正面スタンドは壊れたままで、ほとんど手つかずの状態のままだったが。
懐かしい入口に入ると、中はダンボールで世帯ごとに区切られて前にいた時とは随分変わっていた。
「福島は少し進んでいるんだなあ。さすが県庁所在地だけあるわ」
サトエの父が妙に感心していると、懐かしい声が聞こえてきた。
「サトエさんではありませんか! その後どうでしたか!」
受付の係りをしていた、スズキだった。
「スズキさん、その節は大変お世話になりました。祖母を病院に運んで頂いて、こんな時だけど精一杯の事をして頂きました。結果は残念ながら意識が戻らなくてそのまま亡くなってしまったけど、こんな時だけど、出来ることを何とかしてあげられたと思っています。本当にあの時はどうもありがとう」
サトエは両親ともども何度もスズキに頭を下げた。
「そうでしたか……」
スズキは残念そうに視線を落としていた。
「火葬してくれる所がなかなか見つからなくてね。何とか会津で見つかったので、さっきまで会津若松の避難所にいたの。でも、南相馬市の放射線量も福島市とかよりも少なくなっているみたいだし、家の事も、あと津波で亡くなった親類の事もあるし、南相馬市の実家に戻る事にしたのよ。それでね、私のアパートも福島市にあるし、あの後ろくに挨拶も出来なかったと思って寄ってみたの」
いつになく饒舌なサトエだった。祖母の事や南相馬市に帰る自分たちを気遣ってか、こちらはいつになく口数の少ないスズキに自分たちは元気だと伝えなければと、言葉が出てきていた。
「あの時は心配かけてしまって。本当にありがとう。感謝しています」
「そんなことはないです。私らはそれも仕事ですから」
「あと、あの時お世話になった、ユウイチ君のご家族にも挨拶したいと思ったんだけど、ユウイチ君はこちらにいるかしら?」
「ああ……ユウイチですね」
「彼も、ほら病気があったので」
「ああ、そうか。もう自宅か、病院のそばの方に移ったのかしら」
「ええ、あの……、彼……、ユウイチ君……、ユウイチなんですけど、実はあの後、サトエさん達が救急車で行った次の晩だったかなあ。随分咳込んで、痰が出づらくなったみたいで急遽、救急車呼んだんです。やっぱり受け入れ先がなかなか見つからなかったんだけど、大学病院に頼み込んで何とか診てもらったんです。でも、そこから肺炎を拗らせたみたいになったのかなあ。結局大学病院じゃ手一杯だからって、栃木まで行ってそこの病院でも色々やってくれていたみたいだったんですけど、やはり元々あった病気が病気だったから。それで向こう栃木に行ってからは二週間って言っていたかなあ。つい先日、三日前か、亡くなったってお母さんから連絡来て。そのままじゃ運べないから栃木で色々やってもらって帰って来るって言っていましたけど。自分も栃木位ならすぐだから行ってみようかと思ったんだけど、高速道路も一般車両通れないし、鉄道も動いていないようなので帰ってくるのを待っている状態なんです」
スズキは一言、一言、言葉を選びながらゆっくり話した。
「ええ……?」
一言発した後、サトエも両親も言葉も出ずに黙って聞いていた。
「ええ……、ああ……、ああ、そうだったの?」
長い沈黙の後、サトエが閉じきれない口元からついに言葉を発した。
「ええ……、実は、うん、そうだったんです」
スズキは、ゆっくり言葉を選びながら答えた。
「ユウイチのお母さんの連絡先教えておきます。電話で話した時、よくサトエさん達どうしたかしら? って話ししていましたから。ユウイチもユウイチで栃木の病院に行っても心配していたと思うし。ああ、あいつお母さんの話しだと、こんな時なのに高校野球を見たがっていたって。本当かなあ? ねえ? テレビかけとけって目でお母さんに訴えていたって話していました。何だかユウイチならあり得るかなあ? どう思います?」
サトエの表情が少しだけ和らいだ時、
「すみません。ちょっと上司に呼ばれたもので。仕事に戻ります。わざわざありがとうございました」
スズキは、受付の方に一度行き、「これから支援物資が届くのでその手伝いで車に乗ってこれから出かけます」と言って頭を下げて、忙しそうに行ってしまった。サトエ達も予定通り南相馬市に向かう事にした。
車の中では、おばあちゃんの遺骨の入った骨壺を抱きながらユウイチとお母さんの事を思い出すサトエだった。
「本当は、もっとゆっくりとユウイチの話しを聞いてみたかった」
「もっとユウイチの応援をしたかった」
「ならどうして、もっと早いうちにその様に行動出来なかったのだろうか?」
「最初から自分にはふさわしくないと距離を置いてしまったからだろうか?」
「ああ難しい事考えずに、思うまま行動に移せる姉の様な自分だったら良かったのに?」
「結局、今の自分はあまりにも空っぽで何もない?」
「空っぽよ、空っぽかしら? おばあちゃん?」
「これから自分は空っぽのままでどうすればいいのかしら?」
南相馬市に向かう車中、家族はずっと無言のままで道路は自衛隊か警察関係の車両ばかり通り、いつもの時間で自宅に着いた。
南相馬市は、人が少ない、特に若い人が。開いてるお店が少ない、でもコンビニエンスストアもやっているし、隣の相馬市に行けば必要なものは購入出来そうなので、学校や病院などまだまだ大変そうなところはあるが、普通に生活する分には特に支障はないようだった。
何もしないでいたのでは、気も落ち着かなかったかも知れないが、家の整理やおばあちゃんの部屋の片づけ、それから入盆までの準備などやることがとにかくあって、またサトエの両親はご近所に誘われボランティアの手伝いとかで避難所の手伝いに行ったり、浜の方の片づけの手伝いに駆り出されたりしていたので、家で留守番や御飯の準備などで忙しく過ごしているうちに時間が過ぎていった。
そんななか、南相馬市に帰ってからひと月もしないうちに、ユウイチの家族も福島市に戻ってこられることになったとスズキから教えてもらい、家族でユウイチの実家に行って手を合わせる事が出来た。
ユウイチの母親からは、
「ずっと野球ばっかりで。女性の知り合いなんていないと思っていたから、サトエさんのような若い方に手を合わせてもらえてユウイチも良かったわねえ。高校は男子校だし、中学校は途中で引っ越ししていてね。卒業アルバム見ても知らせるような方もいないと思っていたところだったの」
と、感謝はされたが、本当にただの知り合いなだけで、それ以上の事は何も知らないことが申し訳なかった。
八月の入盆前に、おばあちゃんと海で亡くなったサトエの叔父の通夜告別式を、形ばかりであったが行う事が出来た。
サトエのおばあちゃんの姉妹家族らはまだ遠くに避難していた事もあり、納骨は翌年の一周忌の時に行う事にした。何かあったら連絡ちょうだいと言っていたサトエの姉は、津波で電車も通っていないので、すぐに来年一周忌あるだろうからと言って南相馬市には帰ってこなかった。
そのうち、南相馬市在住のサトエ達家族に東京電力からの震災賠償金の案内が届いた。書類を書くのはなかなか大変だったが、その年のうちに規定通りお金は振り込まれた。お墓代にするかと、サトエの父親は話していた。サトエは、前の仕事場を辞めてしまって収入がなく、わずかばかりの退職金が出たがそれも底をつきそうだったので大変助かった。福島市のアパートはどうするか、両親からはサトエの好きなようにしていいよ、と言われていた。南相馬市で働く事も出来るだろうが、震災と原発事故で人手が足りなく、どの仕事も大変そうで仕事の募集は福島市の方が充実しているだろうと思われた。
ぐずぐず決めかねているうち年は明けて新しい年となったが、南相馬では、ほとんどの家が被災で、喪中でもあり新年は静かに過ごしていた。
おばあちゃんの一周忌となる三月は、震災で亡くなった方があまりにも多く合同で取り仕切る事となり、納骨は実際に告別式を行ったお盆近くにずれこむことになった。
サトエは、おばあちゃんの納骨を区切りにこれからどうしようかと決めかねていた。
そんな時に、
「福島競馬場が復活する」
との知らせがテレビや新聞で報道された。あんなにひどかった正面スタンドはもう改修済みとの事で、放射線物質の除去の処置を施した後にレースも再開するとの事だった。
福島競馬場はサトエの福島市のアパートのすぐそばだったが、震災で避難したその時まで中に入った事がなかったので、震災でスタンドが大きく傾いた競馬場しか知らなかった。アパートの様子を見ながら、再会したら新しく綺麗になった競馬場に行ってみようかしらと思い母親に話した。
「競馬場に? 何か有名な人でも来るの?」
「ううん。何となく。ちょっとね、綺麗になるって言うから。避難した時少しお世話になったし、どんな風に変わっているか見てみたいと思ってね。暑くなる前にアパートも少し見てこうようかと思ってね」
母親は、サトエの表情が少し明るくなった様に見えて嬉しく思った。震災の後、被災地の喪中の家族が競馬場に行くと言うなんて思いもよらなかった。まして真面目の部類に入るサトエがそんな事を言い出すなんて。普段であれば驚いてしまうところだが、ずっと家の手伝いばかりで、ふと気が付くと何か考え込んでいるところのあったサトエを普段見ていた母親だったので、「何かしたい!」と言い出したサトエの表情を見て少し安心したところもあった。
「馬券とかも買ってみようかしら。あれってどうやって買うのかしらね?」
「さあ、宝くじみたいになっているのかしらね? それとも銀行のATMみたいに機械でピッ、ピッてやるのかねえ? お母さんも行った時ないから分からないわ。でも、スリとかダフ屋さんとかみたいなのもいるかも知れないから気をつけるのよ」
「前の職場に競馬場によく行っていた上司が、昔と違って子供の遊び場とかもあって案内とか警備の人もいるから最近は女性でもあまり心配いらないよって話ししているのを聞いたことあるからきっと大丈夫だと思うわよ。分からなかったらお馬さんだけ見て帰ってくるから。きっと大丈夫よ」
「食堂とかも混むのかしらね? 弁当でも作っていったら?」
「そうねぇ。でも、場所とかもあるかしらね? お握りくらい作っていこうかな?」
競馬場再開の知らせは毎日地元の新聞に大きく載っていた。週末の開催日が近づくと、随分口数も増えてあきらかに明るくなってきたとサトエの母親も分かった。いや、元々明るい性格だったのだが、震災とその後の騒動から塞ぎがちで気晴らしの機会がなかったため余計にそう思ったのかも知れない。
震災から一年過ぎて、おばあちゃんと叔父の一周忌も過ぎた翌春、福島競馬場は再開し、恒例の夏競馬も予定通り行われサトエはその場所で、S付属高時代の一番の友人ユカと再会した。
その時、福島競馬場では、すでに最終レースの時間が迫っていた。少し前に空がみるみる暗くなって、雨粒さえ落ちて来ていたとは思えぬほど今度は強烈な太陽光線が雲の隙間から福島競馬場を照らし、芝で覆われたトラックからは、ゆっくり揺らいだ湿気が視線でも捕らえられた。夕刻も午後四時に近づく夏のこの時間帯、福島競馬場のあるこの地では震災前から珍しくもない光景だった。
サトエは、開催日の土曜日第一レースから一枠一番の勝ち馬投票券ばかり購入していたがことごとく外していた。決して娯楽の金額として少なくはない金額を落としていたが、サトエからユウイチの死を知らされた共通の古い友人ユカにはそれが何を意味しているのか何とは無しに分かった。
「南相馬市じゃ、若者が本当にいなくてね。仕事も募集は沢山あるけど何処も大変そうなところばかりで。かといって福島市でアパート借りながら仕事を探すって理由もこれだけ時間空いちゃうとね。ゆっくり探せば良いところもありそうだけど、なかなか決められなくて。でもいつまでも家の手伝いばかりしている訳にもいかないでしょう?」
「そりゃそうね。良い人がいたら別でしょうけどね」
「それがね。南相馬市で家事手伝いしていたらそれも難しいそうだしね。何せ若い人が前より更にいないんだから」
そこで、サトエが出した答えが一枠一番の競走馬がゴールして競馬資金を賄ってくれたら、福島市で職探しを。それが叶わなければ福島市のアパートを引き払って南相馬市で生活を始めようという事だった。しかし、こんなに勝ち馬を当てるのが難しいとはサトエには予想外だった。
「ユウイチ! 私に福島市から離れなさいって言うの? 南相馬市からお花届けに来るのは大変よ」
サトエが最終のレース前に、ユウイチと再開した避難所のあった合宿所の方を眺めていた時だった。
「ねえ、サトエ、これ見てよ」
ユカがツヨシの持っていた競馬新聞を無理やりサトエに差し出して最終レースの出馬表を見せた。
「うん? 何?」
出ている馬の過去の結果や名前なんて関係ないと思っていたので、競馬新聞の情報なんてサトエは全く興味が無かった。ユウイチの名前とユウイチが強いこだわりを持っていたエースの背番号「一」の数字だけで十分だと思っていたから。
「ここ、これ見てごらんよ!」
ユカが指差したところを上からゆっくり読んだ。
「何、これっ? こんなお馬いたの?」
「最後だし、これも買っておいでよ。ツヨシ、まだ間に合うでしょう?」
「何分締め切りだっけ? 間もなくだよ。買うなら早く行った方がいいよ。一緒に行ってこようか。ユカはカイを見ていてよ。サトエさん買うなら急がなきゃ」
「ええ。ユカがそこまで言うならね。ここまで来て最後だものね。予定の資金は過ぎているけど、もう最後だし。ええい、買っちゃおうか。何番?」
「責任は取らないけどね。自己責任よ」
ユカがカイを乗せたベビーカーをツヨシから譲りうけて、サトエとツヨシは走って最後のレースの馬券売り場への階段を飛ぶように駆け降りた時、電子音の後
「間もなく最終レース購入締め切りとなります」
との放送がなった。
「買えたかしらね?」
ベビーカーに乗ったカイに競馬新聞で風を送りながらその競走馬の名前をユカが少し笑いながら読んだ。
「ユウイチフクシマだって。そんな名前のお馬さんいるの? 話し聞いていたのかしらね。番号も十一番よ」
十一番はエース番号を引き継ぐ前にユウイチが付けていた背番号で、サトエとユカが初めてユウイチを見た時に付けていた番号だった。
少ししてサトエとツヨシが笑い声を上げながら戻ってきた。
「買えたの?」
ユカが、声を掛けると。
「ユカ、聞いてよ! サトエさんね、この人三万円も買っちゃてるんだよ! 勝負師だよ。勝負師! びっくりしたよ!」
「そんなに?」
「声が大きいよ。新聞に印がついていたから可能性ありって教えてくれたもの」
「印って、三角は抑えっていってなんて説明するうちに買っちゃうんだもの」
「時間が、迫っているんだからしょうがないでしょう。もういいわよ。どうせ東京電力がよこしたお金だし」
「その言い方が勝負師の言い草だって。かっけぇね!」
「かっけぇって久しぶりに聞いたわよ。どこの言葉よぉ」
『かっけぇ』は、福島の人の言葉で『格好いい』って意味だった。
馬券場売り場まで階段を駆け降りて息が切れたのか、笑いすぎて息が切れていたのか分からないが、サトエも随分汗をかいてとてもハンカチだけじゃ足りない様子だった。
「あんたたち、階段のところ飛んで行ったでしょう? 大丈夫だった?」
「足首ちょっと痛かったわよ。ヒールが低い靴で良かったわ。もし、今度来るときはスニーカーで来なきゃねぇ。後はタオルとか手ぬぐいも必要ね」
「傘も必要だよ。弁当忘れても傘忘れちゃなんねぇ、って言うんだよ」
「弁当? 弁当は忘れちゃ駄目よ。折角作ってもらったのに?」
「例えの話しだよ。それ位福島は天気が変わるってさ」
さっきまで、ユウイチの話しをしていたのに天気も変わる程に話しも盛り上がっていた。
サトエが足を挫いたのなんていつ以来かしら?
そして、こんなに大きい声で笑ったり汗をかいたりしたのは?
「間もなく最終レースゲートインとなります。お手持ちの勝ち馬投票券を今一度ご確認のうえ発走をお待ち下さい」
「その仔はどんな仔かしら?」
「どうしてそんな名前をつけてもらったのかしら?」
「ちゃんと走ってくれるかな?」
出走の場所は随分遠いので直接は見えないが、正面のオオロラビジョンが一頭一頭を映し出してくれていた。しかし最終レースは出走馬も多くほんの一瞬で、よく分からなかった。
合図とともに、今日一番の数の出走馬達が走り出した。サトエは昨日からずっと見ていた一枠一番の白い帽子を被った騎手に跨れた競走馬に加え、緑色の帽子の十一番のゼッケンを付けた競走馬『ユウイチフクシマ』の動きも目で追った。白い帽子は内内と通るので探しやすかったが、緑色の帽子の『ユウイチフクシマ』はごちゃごちゃした馬群の中でなかなか探し難かった。
「うーん。という事は走りにくいのかしら? お願いだから、邪魔しないでね」
届かない願いを口にするサトエだった。
レースは、序盤の団子の様な状態のまま最初のコーナーを曲がっても先頭から最後尾まで差が無く進み、雨の降ったコースを大事に進み次のコーナーもそのままの状態で進んだ。
一枠一番の馬は先頭より少し後ろの内側を走っていた。中断の少し前位に緑色の帽子の十一番『ユウイチフクシマ』がいた。白い帽子ばかり見ていたからか、雨が降った後だからか、緑色の帽子は随分輝いて見えたが、オオロラビジョンでも、十一番『ユウイチフクシマ』の表情までは馬群の中でサトエにはよく見えなかった。
最後のコーナーを回り、先頭の馬目掛けて他の馬が襲い掛かろうとする様子をオオロラビジョンが映し出すと場内に大きな歓声が起きた。
「さあ! ここからだ!」
ツヨシが、折りたたんだ競馬新聞を握りながら叫んだ。
その時、一瞬オオロラビジョンに十一番『ユウイチフクシマ』の表情が大きく映し出された。
大きく目を開いて、口元は引き締まり力の限りを出そうしている表情に見えた。
「十一番! ユウイチフクシマ! 頑張って!」
思わず、サトエは声を出した。
最後の直線、次第に横に広がりながらも、どの馬も僅かな隙間から少しでも身体を前に出そうと必死だ。その中に十一番ユウイチフクシマもいた。内には一枠一番の馬もいた。
「十一番! ユウイチフクシマ! もう少しよ!」
横に並びどの馬が先頭でゴールするか分からない様子だ。その中で十一番ユウイチフクシマも懸命に走っている。
「走れ! 走れ!」
「行け! 行け!」
「差せ! 差せ!」
サトエもユカもツヨシも大きな声で叫んだ。
「走れ! ユウイチフクシマ! 走るのよ!」
サトエがこんなに大きな声を出すのはいつ以来だろうか?
少なくとも震災の後に、こんなに大きな声を出した事はない。
「走れ! 行け! ユウイチフクシマ!」
もう少しで、ゴール板が近づいてもどの馬が先頭でゴールするか分からない。
「ユウイチフクシマ!」
「ユウイチフクシマ!」
福島競馬場の最後の直線は他の競馬場に比べて短いと言われているらしいが随分長い距離に感じた。
「走れ! 走れ! ユウイチフクシマ!」
「走れ! 走れ! ユウイチフクシマ!」
これからどう生きていけば良いのか悩んでいた事など、今のサトエには関係ない。
「走れ! ユウイチフクシマ!」
「走れ! ユウイチフクシマ!」
サトエの声もどんどん大きくなっていった。
「走れ! 走れ! ユウイチフクシマ!」
「走れ! 走れ! ユウイチフクシマ!」
こんなに大きな声で叫んだ時があっただろうかというくらい大きな声で叫んだ。
「走れ! 走れ! ユウイチフクシマ!」
「走れ! 走れ! ユウイチフクシマ!」
ゴール板まではもう少し
「走れ! ユウイチ!」
「走れ! フクシマ!」
「走れ! ユウイチ!」
「走れ! フクシマ!」