003 :佐々木ヒナコという教師
今春、大学を卒業したばかりで、着任直前まで予備校講師をしていたヒナコ。
前任者の一件ですぐに来てもらえる人材が彼女しか見つからなかったらしい。
初々しい又はお姉さま風の女教師を期待していた全校の男子は、着任挨拶で壇上に上がったヒナコを見て、あからさまに落胆の溜息を吐いた。
冴えなくてクソ真面目で暗そう。
女生徒ですら、お洒落や化粧と無縁なヒナコに対して無関心であった。
一生懸命授業をしても残念なことに教科は国語、どんなに創意工夫しても文学に関心のない生徒にはつまらない。
ましてや期中の交代劇後着任の教師は、進学校の雰囲気に馴染むことに精一杯な為、余談で盛り上げることなどまだまだ先のことだ。
そんなヒナコが、今まで教師全般に無関心を決め込んでいたタツルの心を引寄せたのは……先週の木曜日の授業。
突然、タツルが指名されたのだ。
教室が一瞬騒然となる。
ヒナコは自分の何がこんなに教室に波紋を投げかけたのか分からないでいた。
当のタツルもまた、自分の名前が何故呼ばれたのか飲み込めず、きょとんとしていた。
人生で、と言ってもまだ17年しか生きていないが、初めての経験だったのだ。
今までずっと腫れ物に触るような扱いを受けてきた。
その自分が教室内で発言を求められるなんて。
「加藤君、分からないかな?」
どの生徒にも向けている笑顔で声をかけてくる。
その時、何と答えたのか良く覚えていないが、強烈な印象だけは残った。
初めは事情を知らないのかとも疑った。
しかし、そんな不手際があればどんなことになるのか校長が知らない訳もなく、徹底周知しているはずである。
(現に校長は忠告していた)
事実、ヒナコ以外にあてられたことは一度もなかった。
急激にヒナコのことが知りたくなり、目で探すようになった。
自分が他人に関心を持つ様になるなんて、と皮肉な笑みを洩らしつつ。
そして今朝、直接会話する機会に恵まれたのである。
教師らしく振舞っている教壇の上とは違い、腕の中のヒナコは思春期の少女のように恥じらう頼りない存在のようでありながら、迷い無く見つめ返す強さを秘めていた。
その瞳は、さらなる興味をかきたてた。
無口になった二人を乗せて、電車が灰色のホームにたどり着く。
埃っぽい空間へ大量に人が吐き出された。
津波のような人々の流れに飲み込まれ、離れてしまった二人は声をかけることもままならずヒナコは学校へ、タツルは教科書を取りに一旦マンションの自宅へ、それぞれ向かった。