021 :レッスン二日目
二度目の訪問を一人で挑んだヒナコは、怪しい侵入者すれすれの挙動不審さでエレベーターに乗り、見よう見まねでタツル宅の玄関に着いた頃には疲れ切っていた。
「お、邪魔、します」
おずおずと奥へ向かって声を掛ける。
するとリビングの方から「どうぞ」との答えがあったので、タツルはそちらの方に居るだろうと向かった。
扉を開けた目の前のソファに沈む後姿が目に入る。
「加藤君……?」
入室に気づいても振り返らないことに不安を覚えたヒナコは、控え目に呼びかけた。
振り返ったのは30歳前後の上等なスーツをきっちり着こなした男性。
「残念ながら私は加藤ではありません、佐々木ヒナコさん」
「え……?」
落ち着いた艶のある男性的な声に突然フルネームで呼ばれて言葉を失うヒナコに、立ちあがり向き合った男性が続けた。
「申し遅れました。私、タツルの兄の光一郎と申します」
洗練された物腰で、がっしりとした長躯が軽く一礼する。撫で付けられた髪も服も、乱れは一切ない。
「お、兄さん……?」
戸惑いを前面に出すヒナコに、爽やかな、けれど押しの強そうな頬笑みを向ける。
「はい。どうぞ光一郎とお呼び下さい」
「あの……光、一、郎……さん」
ためらいながらも何とか呼びかけるヒナコ。
「はい、なんでしょう?」
受ける方は完璧な笑みの形でいながら、どこか作り物めいていて、ますますヒナコは慎重に言葉を選んだ。
「どうして私の名前を、ご存知なんですか?あ、加藤君に聞いたんですよね。でも、どこかでお見かけしたような気も……」
「なんと!それは、私たちが出会うよう運命づけられていたからに違いない!」
何の前触れもなく抱き竦められた。
「え、えぇ~~?!」
事態が飲み込めず硬直するヒナコの首筋に顔をうずめた光一郎は、いっぱいに息を吸い込んだ。
「う~ん。どことなく良い香りがしますね、ヒナコさん。そう、まるで、男を誘う香り」
首筋から顔を上げた光一郎は瞳に怪しい光を灯し、ヒナコの方へ迫ってきた。
「いざ、誓いの口づけを……」
「何の誓いですかぁ~~~~!!」
情けない悲鳴を上げ、必死に抵抗するヒナコ。
「人に使いを頼んでおきながら俺のヒナコに何してんだ、クソ兄貴!!」
バーンと居間の戸が開け放たれ、光一郎に蹴りを入れながらヒナコをもぎ取り抱き寄せ体全体で守る様に囲ったのは、息を切らしたタツルであった。
「大丈夫だった?ヒナコさん。何かされた?」
蹴り飛ばした勢いと言い放った言葉と再び抱き締められていることに目を白黒させるヒナコの頬に手を添えて、気遣わしげに覗き込む。
「大丈……「Oh!My little brother!Nice kick!」」
取敢えず応えようとしたヒナコの言葉は、倒れ込んだ光一郎によって遮られた。
二人の視線の先には、上体だけを起こしサムズアップしながら口角を舐めるように舌を突き出してウインクする光一郎の姿。
「暑苦しんだよ、兄貴は」
冷ややかに見下ろされても、全く動じることなく良い笑顔を浮かべる光一郎に、そっと別の男性が手を差し伸べた。
「光一郎様、大丈夫ですか?」
「ありがとう、かっくん。タツルのナイスな蹴りに見事にやられたよ」
抱き起こされ服を整えられながら、初対面のキリリッとした風情の名残など全く無いエネルギッシュな笑顔の光一郎がのたまった。
「貴方のことですから、節操無くご無体なことでもなさったのでしょう?」
呆れ顔のかっくんと呼ばれた男性は、親しげに光一郎の髪をも整え、脇に控えた。
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